ランツィオ・リョホーセン視点⑩
「……行ったか」
リアの気配が遠ざかっていくのを感じ、わたしは小さく笑みを浮かべた。
お人好しのあいつのことだ。この期に及んでも「私も一緒に戦う」と言うかもしれないと思い、少々強引な手を使わせてもらったが……おかげで、無事に行かせることが出来たようだ。
「やれやれ、過保護なことだ」
視線の先で、リアが残していった聖霊が神獣に向かって神術を連射し始めたのを見て、笑みを苦笑に変える。まったく、こちらに意識を向け過ぎて、もし間に合わなくなったらどうするんだ。
「まあ、悪い気はしないが」
どうやら、わたしが思っている以上に、リアもわたしのことを大事に思ってくれているらしい。そう思うと、こんな状況にも拘わらず気分が高揚するのを感じた。
わたしはリアのことが好きだったが、リアの方はそうでもないのではないかと思っていたから。
リアが、何か大きな秘密を隠していることは分かっていた。
分かった上で、そこには踏み込まないようにしていた。そもそも、わたしはリアが大迷宮の最奥を目指す理由も知らない。だが、知らずとも何か切実な理由があることは分かっていたから、何も聞かずに手を貸すことにした。いつか、リアの方から話してくれればいいと思っていた。
国を捨て、貴族令嬢として、聖女としての約束された未来を捨てた理由。全てを捨て、命を懸けてでも求めるもの。それがなんなのか。
わたしは知らない。でも、先程リアは、その何かとわたしの身の安全を天秤に掛けて迷ってくれた。
だから、十分だ。あの迷いだけで十分だ。あれだけで、十分に命を懸ける理由にはなる。
それに、半ば強引ではあったがリアの秘密の一部を明かす約束まで取り付けたのだ。なら、ここで死ぬわけにはいかない。
「行くぞ」
リアに借りた長剣を両手で握り、“三叉撃”を使って一気に駆け出す。
リアの聖霊が放つ神術から逃れようとしたその出鼻を挫くように正面から飛び込むと、神獣が素早く左へと方向転換する。だが、もうそれは読めている。
間髪入れず右足で地面を蹴りつけ、並走するようにその後を追うと、右足で蹴った勢いを利用して袈裟懸けにその胴体を斬りつけた。
両手に伝わる抵抗がほとんど感じられない。
リアの魔属性神術による度重なる弱体化が効いているのだろう。先程までと違って、今度はしっかりと切り抜くことが出来た。
斬撃の衝撃で神獣が軽く吹き飛ぶが、深追いはせず、最後の加速で逆に距離を取る。すると、すかさず宙に浮かぶ聖霊から追撃が放たれた。
激しい雷撃に、一瞬神獣の動きが止まる。しかし、すぐに頭がググッと持ち上げられて……?
(……? どこを狙って──)
その先を見て、わたしはぎょっとした。
なんと、神獣はわたしでも聖霊でもなく、リアが去った出口の方を向いていたのだ。
「させるか!」
その口が開くと同時に、わたしは手に持った長剣を咄嗟に投げつけた。
神獣の口から紫炎が放たれる直前、その首に長剣が突き刺さり、わずかに照準をずらした。一瞬後に放たれた紫炎は、狙った洞穴ではなくその横の壁に命中した。
「オオッ!」
素早く駆け寄り、神獣に刺さった長剣の柄を握ると、空中で前転しながら下へと切り抜く。
そして、着地と同時に振り返り──
「うおっ!?」
目の前に迫る牙に、反射的に上に跳んだ。
空中で体を捻りながらなんとか神獣の突進を避け、着地する。
「ふーーーっ」
今のは少し危なかった。
だが、反応できている。大丈夫だ。落ち着いてやれば勝てる。
その時、壁際の炎が完全に消え、壁が音を立て動き始めた。
見ると、リアが入った出口が徐々に狭まり、閉じていく。
(なるほど。入り口に戻されるのではなく、出口が閉まるのか。さて、リアは無事最奥の宮まで辿り着けたのか……なんにせよ、これでもう奴に追われる心配は無くなったな)
もはや後顧の憂いはなし。
あとは、わたしがこいつを仕留めるだけだ。
リアには時間稼ぎに徹するというようなことを言ったが、こいつはそんなに甘い相手じゃない。こいつが生きている限りはこの広場から逃げることなど出来ないだろうし、仮にリアが迎えに来てくれても、その時にこいつが健在ではあまりに危険過ぎる。
そして、今でこそわたしが押しているが、それはリアの聖霊による援護射撃があるからだ。この援護射撃が途絶えれば、遠距離攻撃を持たないわたしでは奴に近付くことすら困難になるだろう。
だからこそ、今、ここで仕留め切る!
「ふっ!!」
神獣が聖霊に向かって紫炎を放った瞬間、わたしは一気にその懐に飛び込むべく“三叉撃”を発動した。
しかしその直後、神獣の体から強大な神力の気配が迸る。
(っ!! あの攻撃か!!)
全てを焼滅させる必殺の一撃。
頭に一瞬回避しようかという考えが過ぎるが、すぐに打ち消す。
ここはむしろ、前に出るべきだ。追い詰められているのは相手の方。ここでわたしが引いてしまえば、それは相手の思う壺。だから、恐れず前に出ろ!!
「オオオッ!!」
長剣を背後に振りかぶり、全力で前へと駆ける。
神獣が激しく紫の輝きを放つ。そして、その口が真っ直ぐにわたしへと向けられ──
「──っ!!」
ギリギリまで体を倒し、地面を蹴りつけて再度加速。頭から飛び込むようにしてその顎下をすり抜ける。
直後背後から熱波が押し寄せ、背中をじりじりと焼く。しかし、わたしはその痛みを無視して剣を振るうと、走り抜けざまに神獣の後肢を1本切り落とした。
(よし! やった!)
胸中で快哉を上げつつ振り返ると、神獣もまたこちらへと振り返ろうとしていた。だが、足を1本欠いたせいで、その動きは遅い。今攻め込めば、勝てる!
(行け!!)
わたしは長剣を腰だめに構えると、神獣目掛けて最後の加速に入った。
そして、神獣が動くよりも先に、その胴体に真横から体ごと突っ込んだ。
「う、おおっ!!」
勢いそのままに神獣諸共吹き飛びながら、わたしは全力で白銀の刃を押し込んだ。
その剣先が透明な胴体を切り裂き、内臓に突き立つ。そして、神獣が壁に激突すると同時に一気に貫通した。
(まだだ、このまま胴体を両断してやる!!)
激突の衝撃で痺れる手に力を込め、剣を振り抜こうとしたその時。
神獣の胴体に、拳大の穴が開いた。それも一カ所ではない。神獣の口元から体側に沿ってずらりと並ぶ穴。それはまるで……
(エラ穴、か……?)
そう思った瞬間、その全ての穴の奥で紫炎がチラついた。
脳裏に、神獣の全身から噴き上がった紫炎がリアの聖霊を消し飛ばした光景が蘇る。
(あの時の攻撃は、これか!?)
決断は一瞬。わたしは剣の柄から手を放すと、両目を閉じ、息を止め、両腕を顔の前で交差して全力で後ろに跳んだ。
直後、
だが、問題ない。やはり苦し紛れの攻撃で、だいぶ威力が落ちているのだろう。全然熱くない。
特に熱さも痛みも感じないまま、紫色の光は収まった。
目を開け、すぐさま反撃に移ろうと着地体勢に入って──
「う、え!?」
なぜか体勢を崩してしまい、そのまま背後に転げてしまう。
後頭部を強打してもなお止まらず、更に半回転してうつ伏せになってようやく止まる。
(なんだ? なんか重心がずれたような……)
奇妙な事態に疑問が浮かぶも、頭上で膨らむ神力の気配にすぐさま思考を中断する。
考えるのは後だ。すぐに攻撃が来る。
今はとにかく、さっさと立ち上が──……?
あれ? 腕……どこだ?