更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-㊴
「……は!?」
思わずといった様子で、ランが両目を見開いて私を見下ろす。私はそれを、無様に這いつくばったまま見上げることしか出来ない。
その一瞬で神獣が動いた。ガパッと口を開き、胸の燭台を紫色に輝かせる。
「くっ!」
しかし、流石はランというべきか。動揺しながらも素早くそれに反応し、私を小脇に抱えると背後に跳躍。幻獣の死骸を跳び越え、その陰に隠れる。その動きにも腰に激痛が走り、私はたまらずに呻き声を漏らした。
あまりの激痛に脂汗を流しながら、私は自分自身に魔属性中級神術“
それでもなお腰の辺りにズグズグと痛みを感じるが、これはもう諦める。魔属性上級神術の“狂騒”や聖属性上級神術“聖徒化”を使えばこの痛みも完全に消えるだろうが、デメリットも多いのでやめておいた方が無難だろう。
「どうする! 治療は可能か!?」
「……無理。時間を掛ければある程度は治せるかもしれないけど、今この状況ではもう……」
“飛行”や“疑似剣聖”で無理矢理体を動かすことは出来るが、それではあの神獣の動きに付いていけない。あの速度に対抗するには、自身の身体能力に“三叉撃”を乗せなければ無理だ。
だが……それで諦めるなんてことが出来るはずもない。
「ごめん、ラン。10秒だけ稼いでくれる?」
それだけ告げると、私は意識を集中させた。まだカグロフェナクで負ったダメージは完全には回復しておらず、今の私に自分の限界を超えた神力解放は出来ない。
だが、今必要なのは限界を超えた瞬間出力ではない。とにかく今の自分に出来る最大速度で神力を引き出し、残りの神力の大半を消費するつもりで神術を行使する!
「更科梨沙が願う 此の地に降り給え 天の御使い 神威の代行者──」
その時、再び体がグンッと引っ張られ、肌で風を切る感覚がした。
恐らくランが私を抱えて、神獣の攻撃から逃げ回ってくれているのだろう。胸の中に一抹の不安が過ぎるが、ランを信じて、目を閉じたまま口を動かす。
「民の嘆きに耳を傾け 我が祈りを聞き届け給え 昏き此の地を照らし 光を齎し給え!」
聖属性最上級神術“聖霊召喚”×16
カッと目を見開くと、体の中からゴッソリと神力が失われる感覚と共に、私の周囲にぼんやりと輝く光の球体が16個出現した。
それはランが駆けるのに合わせてたちまち後方に流れて行ってしまうが、なんという偶然か。ちょうど後を追ってきた神獣が、その光の球体の中心に飛び込んで来た。
「これでも食らえ!!」
予期せぬ好機に内心快哉を上げながら、私はすかさず16個の球体に手を翳した。
これらの光の球体は、本当に聖霊という霊体を召喚した訳ではない。
“聖霊召喚”は、一言で言えば聖霊という名の神術の発射装置を作り出す神術だ。本来は神術師を起点としてしか発動できない神術を、発動時に込めた神力分だけ、この聖霊を介して発動することが出来る。つまり……
魔属性上級神術“失落”×16
本来ゼロ距離まで近付かなければ十分な効果が見込めない魔属性神術でも、術者は安全圏に留まったままゼロ距離発動できるのだ。
精神に連続で衝撃を加えられた神獣が空中でバランスを崩し、そのまま真っ直ぐ地面に墜落する。
(まだ! 意識を取り戻す前に、可能な限り弱体化させる!!)
本来、この神術で生み出す聖霊は神術を発射する固定砲台でしかない。だが、今の私なら……
(神術は想像力。《飛天剣》を動かすのと同じようにやれば出来るはず。いや、やる!)
空中に留まったままの16個の聖霊に手を翳し、全力で掌握する。
そして、それらを一気に神獣の元へと殺到させた。
(出来た! よし、今の内に……)
聖霊を維持したままでは、最上級神術は使えない。なら……
魔属性上級神術“
魔属性上級神──
その瞬間、突如紫炎が噴き上がり、あっという間に聖霊が4つ消された。更に、その首に刺さっていた《飛天剣・改》の柄が地面に転がった。刃は……ほとんど融けていた。
「なっ!?」
「何が起きた!?」
一瞬のことでよく見えなかったが、神獣の体から炎が噴き出たような……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
謎の現象に混乱しながらも、すぐさま再び“失落”を撃ち込もうとするが……それよりも早く、神獣が高速でその場を離脱した。だが、その動きは先程までに比べるとだいぶ遅く、精彩を欠いた動きだった。どうやらさっき撃ち込んだ平衡感覚を奪う神術が、かなり効いているらしい。
その時、神獣がこちらを向いて口を開いた。
しかし、それよりも早く私が残った聖霊を介して放った“轟雷”が神獣に殺到し、神獣はそちらに紫炎を放った。
今度は2つの聖霊が消し飛ばされたが、私は気にせずに残りの聖霊をバラバラに操作し、神獣を囲むように飛ばした。
「行け!」
再び5つの聖霊で“轟雷”を放ちつつ、残り5つを神獣へと近付ける。
元より遠隔攻撃で仕留め切れるとは思っていない。遠隔攻撃は陽動に使い、魔属性神術でとにかく弱体化させる。
「リア、わたしは突っ込む。援護は任せていいか?」
「うん……お願い」
「任せろ」
「あ、これを使って。その大剣より、まだこっちの方が可能性があると思うから」
そう言うと、私は右手に持っていたゼクセリアをランに差し出した。
ランは少し目を見開いた後、大剣をその場に下ろしてゼクセリアを受け取る。
「……分かった。少し借りる」
「うん……よし、行って!!」
「おう!!」
一瞬の隙を突いて神獣に“失落”を撃ち込んだ瞬間、ランが一気に駆け出した。“三叉撃”によって加速されたその体が、見る見るうちに神獣へと近付く。
「くっ! 回復が早い!!」
というより、精神への直接攻撃に慣れてきたらしい。
数瞬足を止めたものの、神獣はすぐに跳躍し、ランから距離を取った。そして、壁に張り付いた体勢でランに向かって口を開く。
「させるかっ!」
光属性上級神術“激光”×3
雷属性上級神術“轟雷”×3
火属性上級神術“白凍玉”×2
すかさず遠隔攻撃で援護すると、神獣は攻撃を中断して弾幕が薄い下方へと跳んだ。だが、それは私の狙い通りだ。あらかじめそちらには、2つの聖霊を回り込ませている。
「はっ!」
魔属性上級神術“失落”
魔属性上級神術“鎧崩”
「ラン!」
「任せろ!」
私の魔属性神術が入った直後、絶妙なタイミングでランが飛び込む。しかし、その一撃は神獣の首筋を浅く裂いただけで終わった。
神獣はランの斬撃を躱しつつ、空中で反転しながらランに向かって紫炎を吐いた。
だが、その時にはもうランはそこにおらず、壁面を足場に加速するという離れ業を披露しながら、神獣に側面から襲い掛かった。
「オオォ!!」
そのまま全力の上段切りを放つが、やはり空中では威力が乗り切らず、深くは切り込めない。
逆に空中で無防備な姿を晒したランに、壁に着地した神獣が反撃を加えようとするが、それは私の神術が阻止する。
それからしばらく、心臓に悪い膠着状態が続いた。
近接戦闘を挑むランを私が援護し、隙を見て魔属性神術を撃ち込んで神獣を弱体化させる。
もちろん神獣もやられっ放しではなく、少しでも隙を作れば私やランに紫炎を放とうとするし、上手く射線をコントロールして、1つずつ確実に私の聖霊を潰してくる。
1つ、また1つと聖霊が消されていくが、それと並行して神獣の体にも少しずつ魔属性神術による弱体化が蓄積されていく。
そして、聖霊が残り5つになった時だった。
「っ!!?」
全身が総毛立つ感覚。
私は咄嗟に聖霊の軌道を変えると、
そして、こちらに向かって吹き飛ばされてきたその体を空中でキャッチするや否や、全力で横に飛ぶ。
次の瞬間、広場を横に割るように、下から上へと紫の熱線が放たれた。
一切合切を容赦なく焼滅させる超威力の熱線。あと少し回避が遅れていれば、またしてもランが余波で火傷を負っていただろう。
「すまん、助かった」
「いいよ。それより、そろそろあいつも限界かな?」
どうやらあの熱線は、放った当人も無事には済まないらしい。
神獣の牙はもうそのほとんどが融けて無くなっているし、口の周りもかなり炭化してしまっていた。
だが、そんな状態になってでもあの技を使わなければならないほど、あいつも追い詰められているのだろう。このままの調子で攻めれば、もう少しで……
「リア、お前は先に行け」
「え?」
突然のランの言葉に、私は素っ頓狂な声を上げた。
すかさず神獣が動き出そうとし、私は慌てて聖霊を動かして牽制する。
「何をいきなり──」
「気付いてないのか? もう時間がない。あと少しで時間切れだ」
「えっ!?」
そう言われて壁際を見ると、なんとそこにある炎はもうほとんど消えかかっていた。恐らく、制限時間まであと数分も残っていないだろう。
「ここはわたしが引き受ける。ちょうど出口はすぐ後ろだ。全力で飛べば間に合うだろう?」
「ならランも──」
「馬鹿を言うな。後ろから追撃されたらどうするつもりだ?」
正論だ。そもそも、その心配があるからここであいつを長々と相手していたのだ。
「奴もだいぶ弱っている。お前が最奥の宮に辿り着くまでの時間くらい稼いでやるさ」
「でも、でも……」
あまりに危険だ。
ついさっきの熱線だって、ラン1人だったら避けられなかったかもしれない。ここで私の援護が無くなったら──
ランの身を案じる気持ち。ランを置いて1人でゴールする後ろめたさ。
それらに縛られて動けずにいる私に、ランはふっと笑って言った。
「どうしても心配なら、最奥の宮に着いた後であの光の門を使って迎えに来てくれ。安心しろ、わたしだって命は惜しいからな。無理はせんさ」
「ラン……」
そして、軽く私の頭をぽんぽんと撫でると、そっと囁いた。
「全てが上手くいったら、その時は“サラシナリサ”がなんなのか教えてくれ」
「!!」
両目を見開く私に、ランは悪戯っぽい笑みを浮かべると……私を背後へと突き飛ばした。
「行け!!」
「っ!!」
すぐに背を向け、神獣へと向かって行くラン。
私は咄嗟にその背に手を伸ばし……ぎゅっとその手を握ると、反転して出口へと飛んだ。
「ごめん、ありがとう!!」
そう叫ぶと、背後の気配を頼りに聖霊を操作し、神獣に遠隔攻撃を連射する。
そして、私はランを残して出口の洞穴へと飛び込んだ。
平滑な、直線の通路。
そこを全力で前へと飛びながら、背後に意識を向け、感覚だけを頼りにランの援護をする。
聖霊は、残り4つ。
その時、前方にうっすらと明かりが見え、同時に通路の壁面に設置されていた炎が消えた。
直後、通路全体が重々しく鳴動し、ゆっくりと壁が迫って来た。
聖霊は、残り2つ。
通路全体が塞がろうとしている。
そのことに気付き、全身の血の気が引く思いがした。しかし、逃げ場はない。なら、前に進むしかない!!
「う、あああぁぁぁーーーー!!!」
絶叫を上げながら、私は“飛行”に“三叉撃”まで併用して、全速力で前へと飛んだ。
前方の明かりがどんどん近付いて来る。でも、それと同時に壁もどんどん迫って来る。
聖霊は、残り1つ。
「間に、合え!!」
“三叉撃”の最後の加速。
私は迫ってきた壁を手で掻くようにして、遮二無二前へと進んだ。そして……
「ぐぅっ!!」
通路が閉じるのとほぼ同時に、なんとか通路を抜け切った。いや、たぶん少し間に合っていなかった。結界がなかったら、膝から下は通路に潰されていたかもしれない。
「はあ、はあ」
精魂尽き果て、半ば墜落するように地面に倒れ込むと同時に、最後の聖霊が消えた。
なんとか気力を振り絞って顔を上げると、そこは“休息の間”を思わせる、居心地の良さそうな居間だった。
と、それを確認したところで突如空中に炎が燃え上がった。それはその場で形を変え、最後の試練の入り口でもあったように、空中に文字を描き始める。
『おめでとう、ここが最奥の宮だ』
その文字を確認した瞬間、今度こそ私は完全に脱力した。
「や、ったぁ……やったよ、ラン……」
いや、気を抜くのはまだ早い。一刻も早く、ランを迎えに行かないといけない。
(もう、ほとんど神力が残ってないけど……でも、この距離ならギリギリなんとか……)
そして、“空間接続”を発動させるべく神力を練り上げようとしたその時、炎の文字が形を変えた。
『では、これより最後の試練を開始する』
「……え?」