更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-㊱
巨大な幻獣の亡骸の上に姿を現したそれは、一見すると透明なトカゲ……いや、4本の足が生えた深海魚のような見た目をしていた。
大きさはそれほどでもない。いや、今目の前で死んでる幻獣化したギギムレディムやらナハクベイロンやらセナト=ラ・ゼディウスやら、ここ最近遭遇した害獣というより怪獣というべき化け物達と比べちゃいけないのだろうが、それでもやはり威圧感に反して体は大きくない。尻尾が見えないので全長は分からないが、体高は3mあるかないかくらいだろうか?
異様に長い牙に大きく裂けた口。金一色の大きな目以外は全身が透明で、骨はもちろん内臓まで外から丸見えだ。そして、その丸見えの内臓の中でただ1点、異様な存在感と輝きを放つ物体。
金色の燭台。
三又に分かれた皿と長い脚を持つ手燭。それが、丸見えの食道に絡みつくようにして存在していた。そして、それこそがこの空間に満ちる異様な気配の発生源だった。
「《マヌテイオスの燭台》……っ!!」
「なんだと!?」
七大神器の1つ、儀典官マヌテイオスの燭台。
遠い昔に王国から失われ、行方不明になっていた七大神器の1つが、聖人ヴァレントによって発見されたという話は聞いたことがあった。そして、最奥部にある最後のお宝は、それなのではないかと心のどこかで予想もしていた。しかし……まさか、こんな形で目にすることになるとは……。
「あれがここにあるってことは、ここが最奥部で間違いなさそうね……」
「う、む……いや、だが本当に……?」
「あなただって肌で感じてるでしょ? あれは紛れもなく七大神器の1つだって」
「む……そう、だな」
「気を付けて。《マヌテイオスの燭台》を取り込んでいるということは、あいつは──」
そこまで言ったところで、ジッと睨んでいた当の幻獣が突如姿を消した。
「え──」
と思ったら、目の前に鋭い牙が迫っていた。
横向きに大きく開いた口が、私とランをまとめて飲み込まんと迫る。
「くっ……!?」
視界の隅で、ランが素早く屈むことで、その不意打ちを躱したのは確認できた。
しかし、私にそこまでの反射神経はなかった。私に出来たのは、咄嗟に手に持っていたゼクセリアを体の前で構えることだけだった。
ガギュイイィィィン!!!
その直後、大きく開いていた口が閉じられ、私の肩から脇腹に掛けて鋭い牙が突き立った。
結界に阻まれたその牙は刺さることなく、しかし弾かれることもなく結界と拮抗し続ける。その結果、私は突進の勢いそのままに、この幻獣に噛み付かれたまま壁際まで押し込まれることになった。
「ぐ、くっ!!」
ギチギチと結界と牙が拮抗する。セナト=ラ・ゼディウスの時と同じだ。結界で物理攻撃を阻めない。それどころか、気のせいでなければ徐々に押し込まれ、食いこんで来ている気がする。
こちらも負けじとゼクセリアを振り抜こうとするのだが、肩から腕に牙が突き立ち、なおかつゼクセリアの側面まで牙で押さえられているせいで、今の状態から少しも動かすことが出来ない。
「リア! こんのっ!!」
その時、私に食い付いている幻獣の背後から、ランが《崩天槌》を振りかぶって襲い掛かった。
しかし、グンッと視界が大きく振られたかと思うと、次の瞬間にはランが尻尾の一撃で宙を舞う光景が目に入っていた。更に、頭ごと振られた勢いで右肩に牙が食い込む。
「痛っつ……っ、舐めるなぁ!!」
斬ることを諦め、神術によるゼロ距離攻撃に切り替える。
雷属性上級神術“轟雷”の16発同時発動。自分自身を巻き込む形で、周囲一帯を雷撃で埋め尽くす。
ババババババヂヂヂヂ!!!
視界を閃光が埋め尽くし、帯電した空気の独特な臭気が鼻を突く。
しかしその一瞬前に、私を拘束していた牙は離れ、幻獣は姿を消していた。
(どこに──っ!?)
思った直後、直感に従ってしゃがみつつ、右手に持ったゼクセリアを薙いだ。
微かな手応えと共に、頭上を何かが高速で横切る。
その先に目を向けると、着地した幻獣がこちらを見──
「はあっ!!」
そこに飛び込んできたランが戦槌を振るい、またしても幻獣は高速でその場を離脱した。
視線を動かすと、なんとヤモリか何かのように、壁にへばりついていた。そのままこちらの様子を窺うかのように、じっと静止している。その体には特に傷痕らしきものは付いておらず、体液が流れ出している様子もない。確かに手応えはあったのだが……即座に傷が塞がったのか、はたまた透明で見えていないだけなのか……。
「無事か? リア」
「大丈夫。そっちは?」
「問題ない。ちょっと吹き飛ばされただけだ」
幻獣を警戒しながら、そっと近付いてお互いの安否を確認する。
どうやら“竜殻”のおかげで大事は免れたらしい。念のためここに来る前に万全の態勢を整えておいてよかった。だが……
「さっきの……見えた?」
「ギリ、だな。なんとか目では追えるが、攻撃を当てられる気は全くせん」
「そう……」
ランに無理なら、私ではどうやっても無理だろう。基本的に反射神経と動体視力はランの方が上なのだから。
そのランでも捉え切れないほどに速かった。ダッシュ力という点では、今まで遭遇したどの幻獣よりも圧倒的に上だ。あの外見からは全く想像もつかないが。初見殺しにもほどがある。
「それよりリア。あちらの壁際を見たか?」
「ううん」
「……洞窟があった。恐らくあそこが“最奥の宮”だ」
「っ!」
反射的にそちらを見そうになるも、グッと堪える。
「……それは確か?」
「うむ。見たところ扉などもなかった。それに、忘れたか? この最後の試練の指令を?」
指令、それは……
「『最奥の宮まで駆け抜けよ』」
「そうだ、別にあれを倒せとは言われていない」
それは予想外の言葉だった。
たしかに、あれを無視してゴールしても問題ないなら、その方がずっと楽だ。でも……
「……逃げ切れると思う?」
「……いや、無理だろうな」
そうだ。現時点でいいように翻弄されているし、そもそもあいつはまだ全然本気を出していない。さっきチラッと見えたが、あの巨大なギギムレディムには食われた痕があった。誰に食われたのか? 答えは1つしかない。恐らく、こいつもセナト=ラ・ゼディウスと一緒だ。
神力を宿す私達を生きたまま食おうとしている。殺そうとはしていない。だから、ああやって私達が食えるのかどうか窺っているのだ。ここで全力で逃げようとしたら、相手を本気にさせかねない。そしてそれは、下手に追い詰めすぎた場合も同様だ。自分の生命が危険に晒されれば、こいつは全力で私達を殺しに来るだろう。と、なれば……
「ラン……」
「ん?」
「あいつが本気を出してない内に速攻で倒すのと、不意を突いて全力で洞窟に駆け込むの。どっちがいい?」
「む……」
どちらも難易度は高いだろう。
だが、どちらにせよ時間がない。もう壁の炎の色は完全な赤だ。このまま徐々に暗くなっていき、炎が消えた時点で恐らく最奥の間へと続く洞窟は閉ざされる。それまでにゴールに辿り着かなければならない。
「……倒そう」
「……了解」
予想通りだったが、ランが選んだのは逃走ではなく闘争だった。
まあ実際、洞窟に駆け込んだところでこいつが追ってこないとは限らない。狭い洞窟の中ではそれこそ逃げ場がないし、そんなところに逃げ込むのはそれこそ最後の手段だろう。
「それじゃあ《飛天剣》を……」
「いや、下手なことはするな。そのままじっと構えていろ。奴が次に突っ込んで来た時が勝負だ。お前は“三叉撃”を使って全力で奴を斬りに行け」
「ランは?」
「わたしはお前に合わせる」
「……なるほど、それは頼もしいね」
実際、ランが合わせると言うならそうするだろう。私は何も考えず、相手の動きを捉えることに集中すればいい。
そうしてゼクセリアを正面で構えたまま、ただひたすらにその時を待つ。
じりじりとした緊張感と焦燥感に身を焦がされるような思いをしながらも、幻獣の動きにのみ全神経を集中させる。そして──
「来──」
ランがそう声を上げた瞬間、私も同時に初動を捉えた。
直後、最速で“三叉撃”を発動し、逆に正面へと突っ込む。
そして、幻獣の前で一歩だけ横移動。その牙を紙一重で躱すと、通り過ぎた後ろ姿に向かって最後の加速に入った。
「はああっ!!」
高速で遠ざかるその背に、全力で追いすがる。
しかし、私がその背中を間合いに捉えた瞬間、幻獣の足が地面を捉えた。
(マズい! 逃げられる!!)
その足が地面を踏みしめ、ググッとたわみ……
「らあっ!!」
その出鼻を挫くように、“三叉撃”で飛び込んで来たランが横薙ぎに戦槌を振るった。
(ナイスタイミング!!)
内心で快哉を上げながら、私は逆方向から長剣を走らせた。が……
ドンッ!!
鈍い衝撃音と共に、幻獣が高く宙を舞った。なんと、あの短い足でノータイムの垂直跳びを行ったのだ。結果、私の剣撃は虚しく空を切る。
(マズい、このままじゃランに……!?)
そして、勢いそのままにランを切りつけてしまうと思いきや……既にその場にランの姿はなかった。
「え……?」
跳び上がった幻獣の姿を見上げて、その向こうにいる人影に気付く。
ランは、私と違ってまだ“三叉撃”の加速を残していたのだ。そして、幻獣が上に逃げることも読んだ上で、そこに先回りしていたのだろう。
「もらったぁ!!」
その戦槌が幻獣の脳天目掛けて振り下ろされ、同時にその身に宿していた神術を解放する。
ズガアアァァァァン!!
空気そのものが震えるような衝撃音と共に、幻獣がゴムボールのように吹き飛んだ。
猛烈な勢いで地面に斜めに突き刺さり、そこで跳ね返って更にぶっ飛んでいく。
「リアぁ!!」
「任せて!!」
私はこの隙を逃すまいと、一気に神力を解放した。
光属性上級神術“激光”×4
火属性上級神術“白凍玉”×4
雷属性風属性複合神術“嵐帝”×4
この一瞬で発動出来る最速最強の遠隔攻撃。
それらをまとめて叩き込む!!
超高熱の光線が宙を走り、極低温の冷気の砲弾が周囲を凍てつかせながらその後を追い、疾風迅雷が全てを呑み込む。
「やったか?」
「いや、それはフラ──」
言い切る前に、私は隣に着地したランを引っ掴んで飛んだ。
直後、今まさに着弾しようとしていた4発の“白凍玉”が、突如迸った紫色の炎に呑まれて消え去った。
その炎はそこでは止まらず、広場の壁に当たってそれを一瞬で溶岩に変えた。
「「……」」
2人、滞空したままその発生源に目を向ける。
そこには壁に張り付いたまま、口端に紫炎をチラつかせる幻獣の姿。
(……最悪だ)
仕留め切れなかったことに歯噛みするも、もうどうしようもない。
今の攻撃で、どうやら七大神器の1つを取り込んだ幻獣……いや、神獣に、本気を出させてしまったらしい。