ランツィオ・リョホーセン視点④
凄まじい衝撃音。
直後、リアが激しく吹き飛び、同時に《崩天槌》を握るわたしの右手の親指と人差し指に、焼けるような痛みが走った。
支えを失った《崩天槌》が吹き飛び、壁に激突して鈍い破砕音を立てる。
「う、ぐ……」
幾十もの高熱の針に刺し貫かれるような痛みに苦鳴を漏らし、右手を見る。
覚悟はしていたが、“崩天撃”の衝撃をモロに食らった右手の親指と人指し指が、あらぬ方向に折れ曲がっていた。
それでも、“竜殻”で強化していたおかげで骨が飛び出たりしていない分まだマシか。
「く……まあ、この程度の傷、お前に比べればどうということはないよな」
折れた指を左手で握り締め、本来曲がるべき方向に曲げ直す。
そうして強引に握り拳を作りながら、わたしは呟いた。
「なあ……リア」
そしてわたしは、折れた左腕を庇いながらこちらを睨むリアに視線を向け、苦笑を浮かべた。
その左腕は肘が本来とは逆方向に折れ曲がり、籠手の関節部からはぽたぽたと血が滴っていた。
「まさか……あの一瞬で合わせてくるとはなぁ」
先程のわたしの渾身の一撃。
リアは避けられないと判断するや、左腕の籠手で戦槌を受け、同時に超高密度の神力の塊を戦槌に放つことで、“崩天撃”を無効化しようとしたのだ。
それでも完全には無効化することは出来なかったようで、派手に吹き飛んだし腕も折れている。
だが、わたしの狙い通りに意識を奪うまでには至らなかった。それどころか、被害は左腕だけで胴体の方にはほとんど衝撃が通っていないように見える。
(とはいえ、あの左腕はもう使い物にならんだろう。治療をするなら、その瞬間を狙って動く)
そう決めつつ、わたしは仕上げにぎゅううっと右手を握り締めた。
「さて、切り札はハズレに終わった。これからは……こいつだ」
そう言って、無理矢理握り固めた右の拳をリアに向ける。
普通に考えれば、全身を結界に守られているリアに格闘戦を挑むのは愚の骨頂だろう。
だが、勝算はある。攻略法なら先程うっすらと見えた。そこを上手いこと突けば、なんとか……
(正直、かなり厳しいが……それでも、片腕が使えない状態なら……)
リアの動きに警戒しつつ、じりじりと間合いを詰める。
しかし、いつまで経ってもリアは腕を治療しようとする素振りを見せない。
精神系神術の影響で痛覚が鈍化しているのか、傷の大きさの割にあまり痛がっている様子はないが……それでも、最低限止血だけでもしないと危険なことは明白なのに、だ。
(まさか……治療しないのではなく、治療できないのか?)
治癒系の神術は、下級神術でも他の神術に比べるとかなり繊細で難易度が高い。
考えてみれば、先程からリアは比較的簡単な神術しか使ってきていないのだ。
ついさっきの範囲攻撃だって、威力と範囲こそ大したものだったが、やっていたことは単純な純属性攻撃だった。リアなら、やろうと思えばもっと“竜殻”に有効な攻撃が出来たはずだ。
(もしかして、簡単な神術と体に馴染んだ固有神術しか使えないんじゃないか?)
神術とは、本来高度な精神集中を必要とするものだ。
そのせいで、洗脳系の神術を受けた神術師は、通常時に比べると著しく神術の腕が落ちる……と、ツァオ兄上が言っていた。
(なら、このまま失血を狙えば……)
戦闘を避けて、リアを無力化できるかも。
そう考えた瞬間、リアの左腕に神力が宿った。
(なっ、治療できないんじゃなかったのか!?)
自分の予想が外れたことに驚きつつも、わたしは滑るような足運びで一気に間合いを詰めた。
近付くわたしに対し、リアは左腕をだらんと下げたまま、右手の細剣を体の正面で構えた。
(なら、まずはその右腕をもらう!)
先程、首を絞められたわたしが苦し紛れに投げを打った時、わたしの脚は結界に弾かれなかった。
恐らくだが、リアの結界は密接状態だと発動しない。それに、これはまだ確証はないが……
「シッ!」
その時、リアが動いた。
わたしが間合いに入るより早く、その手に握った細剣を手首の振りだけで投擲したのだ。
神術に頼らずに細剣を投げるという奇襲に一瞬驚くも、左手の短打で素早く弾き飛ばす。
すると、その間にリアが間合いを詰めてきた。
するりと前に踏み込みつつ、わたしの胸の中央に右の直突きを放ってくる。
その動きには一切無駄がなく、リアの拳はわたしの胸に向かって最短距離を駆けてきた。
だが、右手にしっかりと注意を向けていれば、その動きはもう十分に追える。
わたしはその場に踏み止まってリアの右腕に全神経を集中させると、突き出される拳に左手を合わせた。
わたしの予想が外れていれば、ここでわたしの手はリアの結界に弾かれ、わたしはマトモに痛打を食らうことになるだろう。
だが、恐らく……
「ふっ」
リアの拳を、包み込むように受け止める。
すると、わたしの手は弾かれることなく、手から腕へと重い衝撃が伝わってきた。
(やっぱり! リアの結界は、籠手の“外側”ではなく“内側”にあるんだ!)
戦闘中にリアの平手打ちを戦槌の柄で受けた時、たしかに
(よし、掴んだぞ!!)
このまま肘を押さえ、右腕も折──
「かっ?」
顎に衝撃が走り、視線を強制的に斜め上に向けられた。
そこにあったのは、高々と振り抜かれたリアの
(なん、で……)
リアの腕は、まだ止血すらされていない。その証拠に、無理な動きをした左腕からは血が飛び散っている。
なのに、なんで……いや、まさか。あの神術は、腕を治療するものではなく……?
(神術で、無理矢理腕を動かしたのか!!)
そう察した瞬間、脚から力が抜けた。
いや、脚だけではない。同時に視界がぐにゃんと歪み、首から下に力が入らなくなった。
(マズ……脳、揺れ……)
そんな刹那的な思考が脳裏を過ぎった直後、側頭部に強烈な蹴りを叩きこまれた。
“竜殻”のおかげで大して痛くはないが、今の状態では踏ん張ることすら出来ない。
そのまま吹き飛ばされる。その勢いで、リアの右手を掴んでいた左手が離れ──
(いや、まだだ!!)
わたしは全神経を集中して、左手を固く握り締めた。
そして、吹き飛ばされる勢いのままにリアを引き寄せる。
「くっ、ああっ!!」
「っ!」
左足を蹴り上げた状態だったリアは、抗うことも出来ずに引き倒される。
(ここ、だ!!)
まだ、脚には力が入らない。脳が揺れている状態では、距離を取られたら間合いを測るのも困難だろう。
だが、この状況。
至近距離で、リアが体勢を崩しているこの状況なら、わたしにも勝機がある。
だから、今!
「動、け!!」
気力を振り絞り、両腕に力を込める。
リアの右腕を体ごと引っ張り、リアの体を半回転させる。
そして、リアの体が仰向けに、わたしと折り重なるようにして倒れた瞬間。慎重に、かつ素早く、その首にするりと左腕を巻き付けた。
(よし、イケる!!)
そこでわたしは右手を放すと、自分の左前腕を掴み、一気に締め上げた。
「っ! っ!?」
「逃が、すかっ!」
背後からの、完璧な形で決まった締め技。
やはり、密接状態ならば結界は発動しない。このまま、一気に締め落とす!!
「う、おおっ!!」
「~~っ!! ~~~っ!!!」
まだ脳は揺れている。腕にも、いつもの半分くらいしか力が入らない。
だが、ここで腕を緩めるわけにはいかない。少しでも緩めれば、結界が発動して弾かれるかもしれない。
リアが腕の中で激しく暴れ、バタバタと振るわれる足が未だに力が入らないわたしの脚を蹴りつける。だが、この程度なら大して痛くは──
「ぐっ!?」
その時、リアの首を締め上げる左腕が凄まじい力で締め付けられた。
「うっ、ぐ……」
骨が軋むような痛みに呻き声を漏らしつつも、腕は緩めない。
見ると、リアが無事な右手でわたしの左腕を握り締めていた。
(さっきの、わたしの首を絞めた技かっ!)
リアの結界に締め技が有効なように、わたしの“竜殻”にとっても締め技は有効だ。
いくら皮膚が鎧のように硬くなっているとは言っても、その質感まで失っている訳ではない。
本物の鎧なら、締め付けられたところで少し形が歪むくらいで、その内側にある肉体への干渉は頑強に阻むだろう。だが、鎧と違って容易く形が変わる皮膚では、いくら傷付かないとしても圧迫自体を防ぐことは出来ない。
「ぐぅっ!!」
繰り返し同じ場所を圧迫され、痛みが増してきた。血も止まっているせいか、左手の先からどんどん感覚がなくなっていく。
しかし、そんな状況でありながら、わたしは自然と笑みが浮かべていた。
「くっ……折れるのが先か、落ちるのが先か、か……」
上等だ。
わたしはニッと歯を剥き出して笑うと、更に両腕に力を込めた。
「~~~っ!!」
リアが、声にならない声を上げる。
しかし、もう蹴りにはあまり効果がないと悟ったからか、下手に暴れることはなかった。
その代わり、リアの体がフッと浮くと同時に、ズズッと上方向に押し上げられるのを感じた。
何をしているのかと思って見れば、リアは両足を地面に突っ張り、エビ反り状態になっていた。
(? 何をやって──)
その瞬間、少し浮き上がっていたリアの体が、弾みを付けて一気に落ちてきた。
「うぐっ!?」
自分自身の体を叩きつけるという荒業に、一瞬息が詰まる。
そして、再びリアの体が浮き上がり、わたしの体が上方向に押し上げられる。
(無駄だ。そんなことを何度やろうと、わたしは絶対に放さん!!)
しかし、リアはそれからも5回、立て続けに体を叩きつけてきた。
それでもなんとか腕を緩めず、リアの首を締め続けたのだが……そろそろ、左腕が限界らしい。
繰り返し圧迫され続けた左腕は、もうそこから先の感覚がほとんどない。
もう、いつ圧迫骨折してもおかしくないだろう。
(まだか? まだ、落ちないのか!?)
わたしが流石に焦りを覚え始めたその時、それは起こった。
ゴグゥッ
体の中から響く鈍い音。
それと同時に、感覚がなくなったと思っていた左上腕に焼けるような痛みが走った。
折れた。
リアが落ちるよりも先に、わたしの左腕が限界を迎えた。
このまま圧迫され続けたら、わたしの腕は再起不能になるまで握り潰されるだろう。
「まっ、放さないけどな」
呟きつつ、右手でグッと左腕を引っ張る。
目の眩むような激痛が走るが、それでも手は緩めない。
左腕はくれてやる。だからもう……
「落ち、ろっ!」
その時、ずりずりと地面を移動していたわたしの肩に、何かが当たった。
チラリと視線を向け、それがわたしの取り落とした《崩天槌》であることに気付く。
その《崩天槌》が……フッと浮かび上がった。それと同時に、リアがわたしの左腕から手を放した。
《崩天槌》は、そのままスーッと天井付近まで浮かび上がり、石突きを下にしてピタリと静止した。
その下にあるのは、リアの首……を締め上げる、わたしの左腕。
「ウソだろ。おい、ウソだろ」
なんとか避けようとするが、わたしの上でリアが両手両足を使って踏ん張っているせいで、わずかに身を
そして、《崩天槌》が一直線に落下して来て──
メギャッ
痛み、などという言葉で形容できるものではなかった。
あまりの衝撃に意識が吹き飛び、気付けばリアは既にわたしの拘束を脱しており、わたしは絶叫を上げながら地面をのたうち回っていた。
なんとか少し冷静さを取り戻した時には、リアはかなり離れたところに立っており、わたしに右手を向けていた。
その体から、凄まじい勢いで神力が噴き上がる。
(マズ、い……)
反射的に立ち上がるが、途端に視界が揺れ、ふらついてしまう。まだ、脳の揺れが完全に収まっていない。
それでも、歯を食い縛りながらゆっくりとリアに向かって歩みを進める。
リアは、そんなわたしを無機質な目で見詰めながら、静かに口を開いた。
「××××××が願う」
「……は?」
?? 今、なんと言った?
……詠唱、だよな? え、ということは、今のは……
その瞬間、リアの神術が発動した。