ランツィオ・リョホーセン視点③
旅の最中に、リアの剣術は何度か見る機会があった。
その剣術は15歳の貴族令嬢としては驚くほど高い水準に達してはいたが、やはり専業戦士である男の騎士に比べると多少見劣りがするのは否めなかった。
だからこそ、わたしは神術を使う間もない高速近接戦闘なら、リアにも負けないと踏んでいたのだ。
だが、事ここに至って、わたしはその判断が大きく間違っていたことを認めざるを得なかった。
「はあっ!!」
突き出された細剣を紙一重で躱しつつ、振り上げた《崩天槌》を袈裟懸けに振り下ろす。
普通にこのまま殴りつけても、全身を結界で守られているリアには傷1つ付けられない。それどころか、結界によって戦槌の威力を反射させられたわたしの方が傷を負うことになるだろう。
だが、それは飽くまでこのまま純粋な物理攻撃をしたならの話だ。
この《崩天槌》には、《崩天牙戟》のように、一度発動させた“崩天撃”を連続で反復発動する機能はない。だが、一撃分に限って“崩天撃”を溜め撃ちする機能がある。
予め神術を発動待機状態にしておけば、あとは「天を崩せ」の一言で“崩天撃”を瞬時に発動させることが出来る。無論わたしも無事では済まないだろうが、これなら確実にリアの結界を貫けるはずだ。
その一撃でリアの意識を飛ばし、リアが気絶している間にこの白い通路を脱出する。それしかない。
だが、その狙いを知ってなのか単に《崩天槌》に宿る神力を警戒してなのか、先程からリアは《崩天槌》を正面から受けようとしない。
わたしの渾身の一撃に対して、突きの勢いを利用して正面から踏み込むと、打撃面を回避して柄の部分を肩で受けた。
普通なら、いくら柄とはいえ鎖骨を砕いてもおかしくない状況。だが、返ってきたのは骨を砕く手応えではなく、まるで同威力で殴り返されたかのような衝撃。
「ぐっ!!」
強化詠唱で発動した“竜殻”に守られていてなお、その衝撃はわたしの両腕に激しい痺れをもたらした。
《崩天槌》を取り落とすことこそなかったものの、その隙は神術師同士の高速近接戦闘においては致命的。
だが、リアも剣を引き戻せていない状態なら、その間にわたしも体勢を立て直せる……はずだった。
その瞬間、リアの左腕が、まるで骨も関節もなくなったかのようにぐにゃんとしなった……ように見えた。
(マズイ、
戦槌を無理に引き戻すのは諦め、弾き返された勢いのまま一歩下がると、戦槌を立てて構える。
わたしが防御態勢を整えた数瞬後、リアの左腕が霞むような速度で振るわれた。
ガッギィィイィィン!!!
戦槌の柄に重い衝撃が走り、わたしの頬を何かが掠めた。
焦げ跡が残りそうな至近距離を高速で通過したのは、銀色の籠手に包まれたリアの指先。
鞭のように振るわれたリアの左腕が、戦槌の柄に巻き付くようにして回り込み、わたしの頬を掠めたのだ。
拳打ではなく平手打ち。だが、その威力は凶悪の一言。神術による強化無しでマトモに食らえば、首をへし折られてもおかしくない。
先程からわたしが苦戦しているのは、この変幻自在の体術だ。
リアの剣術は、王国軍で正式採用されている剣術と同じもので、わたしにとっても馴染みがあるものだった。だが、リアが使う体術はわたしの知識にある体術のどれとも違う、全く未知のものだったのだ。
拳打、貫手、掌底打ち、平手打ち。種類も様々な攻撃が、剣術の合間を埋めるようにして飛んでくる。
驚くべきは、この体術には型らしきものが存在しないことだ。
剣術でも体術でも、およそ武術という形をとっているものは、必ずと言っていいほど流派によって型がある。それは構え方であったり足運びであったり、時には呼吸法だったりするが、なんらかの癖と呼べるものは必ず存在するのだ。逆を言えば、その癖さえ掴めば、初見でもある程度どこにどんな攻撃が来るかは予測できる。
なのに、リアの体術にはそれがない。
強いて共通点を挙げるとしたら、急所を狙ってくる攻撃が多いくらいか。
それ以外はどこにも共通点はない。本当に何気ない動作から、一瞬にして容赦の無い殺人技が飛んでくる。なんとか殺気を読みつつほとんど直感で対処しているが、こんな危うい綱渡りはそう長くは続かないだろう。
(なら、短期決戦で決める!!)
わたしは平手打ちの衝撃に逆らわず、逆にその勢いを利用すると、左足を軸にくるりと回転して戦槌を横薙ぎに振るった。
だがその一撃は、リアが体を引き戻すと同時にあっさりと避けられてしまう。
そして、わたしが戦槌を振り抜くのに合わせて、グッと細剣を腰だめに引き絞る。
「シッ!!」
「ふんっ!!」
わたしの心臓を狙って正確に突き出された剣を、わたしは戦槌の石突きで迎撃した。
激しい衝撃音と共に、リアの細剣が大きく弾き飛ばされる。
本当は剣の腹を強打することで武器破壊を狙っていたのだが、リアが手を放したせいで衝撃が逃げてしまったらしい。細剣は折れることなく吹き飛ぶと、天井にぶつかって鋭い金属音を立てた。
(だが、好機!!)
その様子を視界の隅で確認しながら、わたしはリアに向かって大きく踏み込んだ。
全身の筋肉にギリギリと力を込めつつ、振り抜いたばかりの戦槌を手の中で半回転させ、打撃面をリアの方に向ける。
今、リアの手に剣はなく、その体勢は剣を弾かれた衝撃で大きく後方にのけ反っている。この上ない好機。この上ない好機、なのに……
(なんだ? この悪寒は)
高速戦闘によって引き延ばされた感覚の中、わたしは言い知れない違和感を感じていた。
何かがおかしい。しかし、それが何なのかが分からない。
(なんだ? 何が気になっている? リアは完全に体勢を崩している。この状況で来るとしたら……神術か? だが、この一瞬で……)
そのわたしの考えを、まるで読み取ったかのように。
リアの大きく弾かれて空を泳ぐ右手に、神力が宿った。
(神術! いや、この距離ならわたしの方が速い! 何が来ようと、相打ち覚悟で叩き込む!!)
一瞬でそう決断し、わたしは限界まで溜め込んだ捻転力を一気に解放した。
先の一撃の軌跡をなぞるように戦槌を返しつつ、“崩天撃”発動の式句を唱える。
「天を──」
その時。
わたしは、本当に些細な。何気ないことに、ふと疑問を抱いた。
リアの剣は、弾き飛ばされた。
そして、天井に跳ね返って大きな音を立てた。
そうだ……跳ね返った。なのに……
なのに、なんで
その疑問が生じた瞬間、リアの右手の人差し指と中指が、くいっとわたしの方を指差した。
その仕草を見て、わたしは自分の疑問の答えを直感で察した。
「っ!!」
咄嗟に式句の詠唱を中断し、わたしは戦槌
その瞬間、リアの後方から矢のように飛来した細剣が、さっきまでわたしの頭があった場所を貫いて……
ガイィィィン!!
ギリギリ、戦槌での迎撃が間に合った。
あと一瞬体を引くのが遅かったら、先に届いていたのはリアの細剣だっただろう。
しかも恐ろしいことに、あの細剣は正確にわたしの眼球を狙っていた。
いくら強化詠唱した“竜殻”に守られているとはいえ、眼球で細剣を受け止められる自信はない。頭蓋骨まで貫通されるとは思わないが、あの勢いで直撃されれば失明は避けられなかっただろう。
(まったく、傭兵でも目潰しはもう少し躊躇するぞ!)
一切躊躇うことなく目潰しを狙ってくる容赦のなさに、背筋が寒くなる。
しかし、怖気づいている暇などない。戦槌で殴り飛ばした細剣が、再びこちらに切っ先を向けているのだから。
「くっ!!」
至近距離から、今度は首を狙ってきた細剣を、わたしは左手で掴み止めた。
掴まれてなお、じりじりとわたしに向かって突き進んでくるが、全力で握り締めて無理矢理止める。と……
「××××、××××」
リアが何かを唱えた途端、細剣の剣身が高熱を発し、電撃を帯びた。
だが、“竜殻”に守られているわたしならばこの程度、耐えられないほどではない。
(“竜殻”発動中にわたしに、こんなものが効かないことくらい分かっているだろうに……やはり、正気を失って──)
油断したつもりは、なかった。
だがその瞬間、わたしの意識は完全に細剣の方を向いてしまっていて、リアのことが意識から外れていた。だからこそ、
完全に懐に踏み込まれるまで、その動きに気付けなかった。
(しまっ──!)
下方からぬるりと這い上がるようにして伸ばされた右手。
なんとか避けようと背後に跳ぼうとした瞬間、その出鼻を挫くように、左手の中の細剣がグンッと後ろに動いた。
跳ぼうとした直前で体勢を崩され、一瞬わたしの動きが止まる。
その一瞬で、リアの手がわたしに届いた。
ガッと首を正面から掴まれ、一瞬の弛緩の後、一気に締め付けられた。
頸椎が発する不吉な音が脳内で響くと同時に、一瞬意識が吹き飛んだ。
そして気付けば、首を絞められた状態で地面に押し倒されていた。
「がっ、か、かはっ!」
万力のような力で繰り返し頸部を圧迫され、呼吸がままならない。
滲む視界の中、リアの左手に反応できたのはほとんど偶然だった。
「ぎっ、ぐふっ!」
両目を狙って突き出された左手を、その寸前で掴み止める。
そして、左手首を掴んだままリアの腹の下に膝を入れると、弾かれるのを覚悟で脚を振り抜いた。
「んっ!!」
「っ!」
しかし、予想に反して脚が弾かれることはなく、リアの体は左手を支点にあっさりと宙を舞った。
同時に首から手が離れ、わたしは必死に脳に空気を送り込みながらも、一旦離していた《崩天槌》を持ち上げる。
チカチカと明滅する視界のままなんとか片膝立ちで構えると、リアも素早く受け身を取って立ち上がった。その右手に、空を飛んだ細剣がすっぽりと収まる。
すぐに距離を詰めなければと思うのだが、まだ脚に力が入らない。リアもそれを察してか、距離を取ったままその全身から神力を迸らせ始めた。
そして、高まり切った神力が神術として発動する直前。
わたしは右手に握った《崩天槌》を、腕の振りだけで放り投げた。
激しく横回転する戦槌が、今まさに神術を発動させようとしていたリアに迫る。
それと同時に、わたしはようやく力が戻ってきた右足で思いっ切り地面を蹴った。
戦槌の下を潜り、地面を這うようにしてリアの脚を刈らんとする。
しかし、戦槌と私の手が届くよりも早く、リアの体が一瞬にして後方に跳び退った。跳ねるようにして、一気に距離を開けられる。
(しまった! “三叉撃”だ!!)
空を切った《崩天槌》を掴み止めつつ、わたしは体を持ち上げると全力で走った。
だが、遠い。普段ならわたしも即座に“三叉撃”を発動して後を追うところなのだが、強化詠唱を使用している今はそれも出来ない。
結果、わたしがリアとの距離を半分も詰めない内に、リアの神術が発動した。
通路内を神力が埋め尽くし、空気がチリッと熱を帯びた。
すかさず息を止め、目を閉じた瞬間。
ごあっという空気が爆ぜる音と共に、全身に熱波が襲い掛かって来た。
しかしわたしは気にせず、神力の気配だけを頼りにリアに向かって走り続けた。
そして数秒後、全身を覆っていた熱が去った。
炎の中を抜けたと判断し、目を開けようとした瞬間。わたしは直感に従って両目を左腕で覆った。
直後、瞼の裏に光が映った。わたしが炎を抜ける瞬間を見計らって、リアが光属性神術による目潰しを仕掛けてきたのだ。
(作戦はよかったが……残念だったな。今は、リアも強烈な光で何も見えていないはず。これで……)
条件は、同じ!!
「天を、崩せっ!!」
わたしは光が完全に収まる少し前に目を開けると、うっすらと見えるリアの影に向かって全力で戦槌を振った。式句に合わせ、《崩天槌》に込められていた神術が解放される。
(これで、決める!!)
リアはまだ、目を閉じたままのはず。
この距離なら、今から反応したところでもう遅い!
(当たる!!)
光が収まっていく中、確信と共に腕を振り抜こうとして──
リアと、目が合った。
わたしは勘違いをしていた。
リアは、端から目を閉じていなかった。そしてわたしがリアを視認するよりも早く、リアはわたしの動きをしっかりと見ていたのだ。
リアがわたしを見たまま、トンッと地面を蹴った。
その体が背後にグンッと加速し、戦槌の軌道から逃れる。
“三叉撃”だ。
リアはわたしをギリギリまで引き付け、切り札を出させた上で、空振ったところを反撃しようとしているのだ。
(流石だな。だが、甘い!!)
わたしはグンッと上体を前に倒しつつ、柄を握る手を緩めた。
当然、遠心力に従って戦槌が手の中を滑り抜けていく。
左手を滑り抜け、右手も滑り抜けてすっぽ抜ける……直前で握る!
「おおぉりゃああぁぁ!!!」
わたしは戦槌の石突きを右手の
一瞬にして間合いが伸びた戦槌が、遠ざかり掛けていたリアの体を真横から捉え……
バガアアァァァァン!!!
凄まじい衝撃音と共に、リアの体が宙を舞った。