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少女が旅立ったその後で 作者:燦々SUN

第3章

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更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-㉙

すみません、2連続で一挙2話分更新です。

来週からは、通常通り週一更新に戻せると思います。

 天井から垂れ下がる無数の鍾乳石。その間を埋めるように、それ以上の数の黒いものが天井に張り付いている。

 光を反射して金色に輝く眼。黒い皮膜に覆われた胴体。

 それは、物凄い数のコウモリだった。


「なんで、こんな鉱山の深部に……」


 コウモリは昼間は洞窟にいても、日暮れと共に外へと飛び出し、エサを食べると聞いた覚えがある。なのに、どうしてこんなところにいるのか。いや、そもそもどうやって生きているのか。


「コウモリ……だったか? この距離で見るのは初めてだな」

「……前にも、見たことが?」

「ん……小さい頃に遠目に、だがな。その時は、イェン兄上にあれが動物の血を吸うとか言われて散々脅かされたものだ。あっさり騙されるわたしもわたしだが、イェン兄上の冗談もいい加減タチが悪い」


 そう言って、ランは憤懣やる方ないとばかりに鼻を鳴らした。

 ……いや、でもそれは……


「ごめん。その話、たぶん冗談じゃないと思うんだけど」

「……は?」

「主食はたぶん虫とかだけど……血も吸うよ? あれ」


 おずおずとそう告げた途端、ランのぽかんとした表情がみるみる強張り始めた。

 そして、次の瞬間脱兎のごとく元の通路に駆け込むと、天井に向かって謎の主張をし始めた。


「わ、わたしは肉ばっかり食ってるからおいしくないぞ!? わたしの血なんかどろどろだぞ! どろっどろだぞ!?」

「お、落ち着きなって、ラン。そして野菜は食べろ」


 そう言えば、一昨日の焼肉でもランは肉ばっかり食べてたな。

 ランが食べなかった分の野菜は私が消費したけど。むしろ肉より野菜ばっかり食べてたけど。


 ランの健康状態に一抹の不安を覚えながら、珍しく完全に怯えた様子のランに駆け寄る。


「ほら、怖がってないで行くよ」

「い、いや、だが……あの数に一斉に襲われたら、流石にわたしでも対処が……」


 そう言われて、つい私も、自分が全身コウモリに覆われて干からびる様を想像してしまった。

 実はこれ、ありえない話ではない。なぜなら、私の全身を覆う“聖域結界”は、基本密接状態だと発動しないからだ。理由は単純、私の体表面を覆う結界自体にもわずかながら厚みがあり、その内側に入られたら結界も意味をなさないから。


 まあこれは、そうでもなければ全力で足を踏み込むことも出来ないから、当然と言えば当然なんだけど……(もし踏み込みの瞬間に結界が発動したら、靴底が吹き飛ぶしね)。たとえば、よくおふざけでやる、握手した状態から思いっ切り手を握るっていうあれ、あれとかも“聖域結界”では防げない。まあ一瞬でも手が緩めば弾けるけどね。

 ゼクセリアを入手した当初、私はそれを全然扱い切れず、何度も結界で弾き飛ばしてしまったが……あれだって、私がしっかり柄を握っていれば起こらないはずだった。

 まあそれはそれとして、もしコウモリに密着され、牙を立てられた場合……噛みつく威力にもよるが、結界が作動しない可能性は無きにしもあらずだ。現に、虫刺されとかは防げないし。


「だ、大丈夫だって。さっきから天井に張り付いたまま全然動かないし」


 自分の想像に自分でゾッとしつつ、半ば自分に言い聞かせるようにそう言う。

 しかし、ランは血を吸われるというのが余程恐ろしいのか、通路の壁にへばりついたまま離れようとしない。


 そんなランの珍しく弱気な姿を見てしまうと、つい「血を吸われるだけじゃなくて、未知の病気を移される可能性もあるんだよ~」なんて話をして怖がらせたいという欲求がむくむくと湧き上がって来るが……流石に状況が状況なので、自重しておく。


「ほら、大丈夫だから。いざとなったら、私が広範囲神術で殲滅するし。……というか、いっそのこと今やっちゃう?」


 襲われてもいない内から、一方的に殺戮行為をするのは気が進まないが……ここで足踏みをしている暇もない。

 しかし、私が神力を高まらせたところで……ランが、ゆっくりと壁から身を起こした。


「いや、その必要はない。すまん」

「いいの?」

「ああ。それに、流石に地面がコウモリの死骸で埋め尽くされた状態では、探索どころではないからな」

「ああ……それは確かに」


 うっかりしていたが、確かにその通りだ。

 私だってコウモリの死骸を縫って歩くなんて御免だ。

 という訳で、先制攻撃でのコウモリ殲滅はやめておく。

 それでも上方への警戒は怠ることなく、私達はとりあえずこの鍾乳洞の中央を目指すことにした。


 チラチラと天井に視線を向けながら、デコボコとした地面を石筍や石柱を避けながら進むこと数分。

 幸いコウモリが襲って来るということもなく、私達は鍾乳洞の中央辺りに辿り着いた。

 そこから周囲を見回すと、どうやらこの洞窟には私達が入って来たものも含めて14の通路があるらしいことが分かった。


「ふむ、どこに入るか……っと」

「おっと、大丈夫?」

「ん……おかしいな」


 どこかに躓いたのか、突然ランがつんのめったので慌てて受け止める。

 しかし、当のランにも自分がどうしてこけたのか分からないらしく、こめかみを押さえながら首を傾げている。


「疲れた?」

「いや、そんなことはない、と思うのだが……ん? あれはなんだ?」


 ランの視線を追うと、近くの石柱に何か文字が彫られているのが分かった。

 そちらに近付くと、光を近付けて文字を確認する。


『巨人の右は怖い近道。左は楽な遠回り。小人の隣はどちらもハズレ』


「……う~ん、どれが正しい通路かを示しているみたいだけど……ん? 何してるの?」


 懐から《ヴァレントの針》を取り出しているランを見てそう問い掛けると、ランが怪訝そうに首を傾げた。


「何って……この巨人と小人というのは、こいつの針のことではないのか?」

「え? ……そう、かな?」

「他に何がある?」

「いや、私は単純に……一番大きい石柱と、一番小さな石筍を指しているのかと……」


 そう言って視線を右に向けると、ランも同様にそちらを見た。

 そこには、この洞窟で一番の太さを持つだろう、大樹のような石柱がそびえ立っていた。その両隣には、たしかに通路が存在している。


「そういう考え方も出来るか……だが、一番小さい石筍など、どれのことだか分からんぞ?」

「う……それもそっか。なら、一番細い石柱のことかな? たとえば……あれとか」

「う~む……確かに、そちらにも通路があるが……今一つ、決め手に欠けるな」

「ちなみに、針の方はどうなっているの?」


 改めて、《ヴァレントの針》を確認する。

 すると、どれも今候補に挙がった通路とは全然違う通路を指していることが分かった。もっとも、最奥部を指しているらしい長針は、通路ではなく通路と通路の間の壁を指していたが。


「……見事にバラバラね……でも、この文章が針のことを言っているなら、真ん中の針に関して一切言及していないのは変だと思うんだけど?」

「む……それもそう、か」

「確実にそうとは言えないけど……私は、やっぱりこの文章は石柱のことを指しているんだと思う」

「ふむ、そうか。分かった」


 そう言うと、ランはやはり迷いなく一番大きな石柱の方へと向かってしまう。本当に決断が早いな……。

 呆れと感心を半分ずつ感じながら、私もその後を追って……


「っと!?」


 急に足元がふらつき、私は慌てて近くの石筍を掴んで体を支えた。


「大丈夫か?」

「う、うん……なんだろう」


 なんか、少し頭がぐらぐらする。まるで車酔いにでもなったみたいだ。

 どうやらランも同じらしく、眉間にしわを寄せながらこめかみを押さえている。


「なんか……ここ、おかしいね」

「うむ……何だか分からんが、少し気持ち悪いな。早く出よう」

「うん」


 頷き交わし、慎重に、しかし急ぎ足で一番大きな石柱に向かう。


「ところで右と左、どちらに行く?」

「安全第一で、左」

「そうか、分かった」


 だって右は近道だけど怖いらしいし。遠回りだろうがなんだろうが、私は楽な方を選ぶよ。


 そうして、巨大な石柱を左側に回り込むと、そのまま真っ直ぐ通路に向かった。

 入ってみると、やはり構造自体はどれも同じらしく、少し進んだところで壁で道が塞がれており、側面の壁に『開』と彫られたスイッチがあった。


「押すぞ?」

「うん」


 なんとなく緊張しつつ、ランがスイッチを押すのを見守る。

 ランの手がスイッチに添えられ、グッと押し込まれ──



 ゴゴンッ



 重々しい音が、背後から(・・・・)響いた。


「え!?」

「なに!?」


 振り返ると、通路の入り口が下からせり上がってきた壁によって塞がれていくところだった。


(マズイ、閉じ込め──)


 そう思う間に、入り口は完全に塞がれてしまう。

 しかし、幸いにして閉じ込められるということはなかった。

 入り口が閉じると共に、私達の正面側にある壁が開き始めたのだ。


 再び振り返ると、目の前には新たな通路が開けていた。


「……なるほど、選び直しは出来ないってことね」

「そういうこと、だな」


 どうやら、適当に通路を覗いて「やっぱや~めた」っていうのは出来ないようにされているらしい。通路の入り口から行き止まりまで間隔があるのはなぜかと思ったら、そういうことだったのか。


「さて、これで後戻りは出来なくなったな」

「ま、最初からそんな気はないけどね」

「はは、それもそうだ」

「調子はどう?」

「ん……まだ、少し頭が重い気がするな」

「そう……私も」

「ふむ、少し早いが昼休憩にするか?」

「そうね」


 原因不明の頭痛を振り払うように頭を振りながら、私達はその場で昼食の準備を始めた。

 一度町に戻ったので、今日だけは割とマトモな食事が可能だ。


「お、これこれ」

「うん、おいしそう」


 ポケットから取り出したバゲットサンドを見て、2人で笑みを零す。

 そして水で手を洗うと、早速かぶりついた。


 野菜と肉、それに専用のたれがしみ込んだパンが一体となって口の中を楽しませる。

 適当に繁盛してそうな町のパン屋さんで調達したものだが、これが予想以上においしかった。味気のない保存食とは比べものにならない満足感。

 夢中で食べ終え、その時にはもう謎の頭痛は収まっていた。


「おいしかった……」

「うむ、期待以上だったな」

「次回町に戻った時も、これを注文しよう」

「お、それはいいな」


 そう言って笑い合う。

 今までは特に会話もないまま食事を終え、適当に休憩をはさんで探索に戻るという感じだったが、それとは大違いだ。食事の満足感1つでも、気分は大きく変わるということがはっきりと分かった。


「……これからは、もう少し食事にも気を遣おうか」


 そう呟くと、ランが意外そうな顔をした。


「ほう? リアは料理ができるのか?」

「まあ、簡単なものなら……作れる、はず?」

「なんだその疑問形は」


 そうは言われても、ちゃんとした料理なんて前世以来経験がないし。これでも貴族令嬢だったもんで、今世では厨房にすら入ったことがない。

 そして、ここには前世のような便利なキッチン用品はないし、食材も私が知っているものとは違う。つまり、前世の経験が役立つ可能性は低い。


「でも、まあ……簡単なスープとか、野菜炒めとかなら出来るよ。まあ、炒めようにも油とかがないけど……ランは?」

「い、いためる?」

「ゴメン」


 聞くだけ無駄だった。どうやらランの中には“焼く”以外の調理法は存在しないらしい。


「しかし、そうか。なら明日からの食事は期待していいな?」

「え?」


 いや、ちゃんとした材料用意してないし、調理器具だってナイフと手鍋くらいしか……なんて言える雰囲気でもない。すごいキラキラした目をしてるし。「友達の手料理……」とか小声で呟いてるし。


「……努力します」

「うむ、楽しみにしてるぞ!」


 ……荷が重い。

 ランは気付いてないだろうが、簡単なスープと野菜炒めって、要するに適当に食材を切って煮るか炒めるかしただけの代物だ。一応調味料で味は調えるが、あれは果たして料理と呼べるのか……。


(ま……明日考えよ)


 密かに問題を先送りにし、私は立ち上がった。

 ランも同時に立ち上がって、軽い屈伸運動をする。


「さて、行くか」

「うん」


 そして、気を引き締め直すと、通路の奥へと足を踏み出した。

 の、だが……すぐに曲がり角に行き着き、その曲がり角を曲がったところで、私達は否応なく立ち止まることになった。

 そこにあったのは、あまりにも予想外なものだったからだ。


「な、なんだと……!?」

「なんでこれが、こんなところに……」


 2人して絶句して見詰める先。そこにあったのは、通路の奥に向かって一直線に伸びるレールと、一台のトロッコだった。


 これは間違いなく、採掘した鉱石を運ぶためのものだろう。

 そう言えば、ここに至るまでの坑道にレールは一本も見当たらなかった。元鉱山ということを考えれば、ない訳がないのに。


「どうやら鉱山時代に使われていたものが、丸ごとここに移設されたようだな」

「そう、みたいね……そしてこの流れだと、どう考えてもこれに乗らなければならないってことになるけど」

「そうだな……」


 通路の奥がどうなっているのかは分からないが、通路の幅ギリギリまでトロッコが埋めているので、横を通り抜けることも難しそうだ。


「ま、ここは素直に乗っておいた方がいいんじゃないか?」

「そう、ね」


 この大迷宮は、決して侵入者を撃退するために造られている訳ではない。

 むしろ、侵入者がお宝を手に入れるに相応しいかを試すために造られているものなので、基本的に正攻法で攻略は可能なはずなのだ。むしろ、設計者の意図から外れた邪道な方法で攻略しようとする方が危険だ。ルール違反と見なされたら何をされるか分かんないしね。

 という訳で、ここは素直にトロッコに乗ることにする。


「んしょっ」

「よっと」


 私とランが乗り込むと、トロッコ内部で神力が揺らぐ気配がして、ゆっくりとトロッコが動き始めた。恐らく、一定重量の物体が乗ると自動的に動くようになっていたのだろう。同時に、トロッコの前面に取り付けられていた照明型の神具が光り、先を照らし始めた。


「っ!」

「早速か……」


 その光が、通路のあちこちで鈍い光を放つ銀色の鉱石を照らし出した。


「さて、どうなるか……」


 不敵な笑みを浮かべるランの横で、私も神力を高める。

 先程の銀色の鉱石の神術発動速度はかなりのものだった。

 私も発動速度では自信があるが、相手の出方を見てからでは、対応が間に合うかはだいぶ微妙だ。


「まあでも、いざとなれば飛べばなんとか──」


 その言葉は、最後まで言い切る前に強制的に中断させられた。

 突然のビリッと肌が弾けるような感覚と共に、恐ろしいことに気付いてしまったが故に。


「なっ、これは……!?」

「うっそでしょ……!?」


 この感覚には、覚えがあった。

 慌てて神術を発動しようとするが、神力を外に放出することが出来ない。


「神力遮断空間……っ!?」


 これは主に、神術師を閉じ込める牢獄などで使われる神術だ。ただし、規模が桁違いだが。


「マズイな……」

「うん……これは、私でもキツイかも……」


 神力遮断の神術は、基本的にその神術に込められている神力量と同等以下の神力の放出を遮断する。

 つまり、それ以上の出力で神力を放出できれば、その超過分は問題なく使えるのだが……今回は、その込められている神力量が尋常ではない。恐らく、ここら一帯の鉱石全部がこの神術のためだけに使われている。


(後先考えずに最大出力を出せば……いや、それでも上級神術で限界かも)


 少なくとも今の状態では、まともに神術は使えない。それはランも同じだろう。


「どうやら、神術抜きでなんとかするしかないな……」

「そうね……でも、身体強化は出来そうだからとりあえず……ん?」


 そこでふと、トロッコの前方方向の内壁に何か文字が彫られていることに気付いた。

 顔を近付けてみると、そこには『一緒に踊りましょう?』と書かれていた。ただ……


「なんだこの文章は。随分と古臭い言い回しだな?」

「うん……」


 その文章は、帝国特有の古く格式張った言い回しで書かれていたのだ。

 もっと正確に訳すなら、『わらわと共に踊らぬか?』という感じになるだろうか。

 まあこの大迷宮自体数百年前のものだから、そういうものだと言われればそうなのかもしれないが……今までは普通の文章で書かれていたため、違和感を感じる。


「それに、文章の意味も分からん。踊るとはなんのことだ?」

「さあ……でも、何かの暗号であることは確かだろうけど……っと」


 急に通路が広くなったと思ったら、前方の分かれ道が見えた。そして、その手前に一本のレバーが。


「どうやら、どちらに行くか自分で選ぶみたいね……」

「む……だが、どちらに行く? 一応、《ヴァレントの針》によると左の方が安全なようだが……」


 左ということは、このままでレールを切り替えなくていいということだ。


「どうする? このまま行くか?」

「……うん」


 一応は頷きながらも、私にはまだ迷いがあった。


(このまま行っていいの? 踊りましょうって文章の意味も分からないのに……)


 しかし、こうしている間にも決断の時は刻一刻と近付いている。

 レールの切り替えレバーまで、このペースならあと4、5秒といったところだろう。


(踊るって何? それが、どうしてレールの切り替えに……右か左かなんて、どうやった、ら……)


「っ!!」


 その瞬間、ひらめくものがあった。

 しかし、もう時間がない。私は脳をフル回転させて、記憶を引っ張り出した。


(最初、最初は確か……左!! と、いうことは……)


 このままで、大丈夫だ。


 ほっと胸を撫で下ろしたところで、ちょうどレバーの位置に差し掛かった。

 でも、これを倒す必要はない。私の考えが正しければ、左のままで……。


「……?」


 何か、見落としをしている気がする。


(何? 何が……あ)


 気付いた。

 書かれていた文章は、『妾と共に踊らぬか?』。つまり、女性目線で書かれていたのだ。と、いうことは……


(逆だ!!)


 気付くや否や、慌てて立ち上がる。


「っ!!」

「リア!?」


 驚いた様子のランも無視して背後を振り返ると、切り替えレバーはもう通り過ぎてしまったところだった。


(間に合えっ!!)


 飛び付くようにトロッコから身を乗り出すと、後方に去り行くレバーに向かって全力で手を伸ばす。そして、指の端がレバーに引っ掛かるや否や──


「ふんっ!」


 気合い一閃。力任せに手前側に引き倒した。

 背後でガシャンという、レールが切り替わる音がする。……が、私はそれどころではなかった。


「お、落ち──」


 全力で身を乗り出した状態でレバーを手前に引いたのだ。当然、私の体はその反動で車外に放り出され──


「ぐぇっ」


 なかった。

 後ろからフードを引っ張られ、強引に車内に引き戻される。


「ごほっ、ごっほ……あ、ありがと」

「いや、それはいいが……どうしたのだ? 左に行くのではなかったのか?」

「うん……ごほっ、たぶんこれで大丈夫」


 言っている間にトロッコは分かれ道に差し掛かり、線路に沿って右側に進んで行った。


「一体、どういうことだ? さっきの暗号を解いたのか?」

「うん……たぶん、ツィーゴのステップだと思う」

「つ、つぃー? なんだ?」

「……知らないの? 帝国の伝統舞踊なのに」

「ああ、う、うん?」

「……」


 さてはこの皇女様、ダンスのレッスンさぼってたな。

 分かり易く目を泳がせるランにジト目を向けながら、私は自分の推測を語る。


「さっきの文章は、帝国の昔ながらのダンスの誘い文句。そして帝国で最も伝統ある宮廷舞踊と言えばツィーゴ。なら、どうやってそれから道を選ぶかと言うと……」

「なるほど、そこでステップか」

「そう、恐らくこれはステップの足運び。それも誘い文句が女性のものだったから、男性側のステップ」

「なるほどな……」


 ランが感心したように吐息を漏らす。

 その直後、前方に再び分かれ道が見えた。


「……どうやら、私の推測は当たってたみたいね」

「らしいな。次はどっちだ?」

「左だからこのままで大丈夫」


 そのまま先に進むが、やはり特に何も起こらない。どうやら完全に当たりのようだ。


「それにしても、よく帝国の伝統舞踊など知っていたな?」

「……まあ、一応王太子妃候補筆頭だったからね……」


 各国のパーティーで踊る可能性があるダンスは、一通り叩き込まれましたとも。まさかこんなところでそれが役立つとは思わなかったけど。


「なるほどな……っと、次は?」

「右」


 レバーを倒し、レールを切り替える。


「しかし、あの数秒でよく気付いたな?」

「まあ、運が良かったとしか言いようがないけど……」

「いや、本当に助かった。わたしだったら最初の時点で間違えていたぞ……ん、次は?」

「次……」

「? どうした?」


 口を噤んだ私を、ランが怪訝そうに振り返る。いや、でも……


「その、次……」

「うん?」

「ジャンプ、なんだけど……」

「……は?」


 2人で顔を見合わせる。


「……どうやって?」

「さあ?」


 その答えは、すぐに明らかとなった。


 前方に見える切り替えレバー。その隣で、レールが切れている。いや、切れているのではなく……下に向かって、鋭角に折れ曲がっている。


「……なるほどね」


 手前まで来て、よく分かった。

 そこには、まるでジェットコースターのような急斜面が待ち構えており、その先には地の底まで続いていそうな真っ暗な穴がぽっかりと口を開けていた。しかし、私がレバーを引き倒した瞬間、レールの途中が上方に跳ね上がる。その先に目を凝らすと、数m先に別のレールがあるのが見えた。


「いや、なるほどねってお前……」


 呆然とした声で、表情で、そう呟くランの体が、そのままの体勢でぐらりと傾き──


 トロッコは、一気に急斜面を滑り落ちた。


「ぎぃゃぁぁぁーーーー!!!」

「いぃぃぃぃぃーーーー!!!」


 車輪とレールが奏でるギャリギャリという音に混じって、2人の絶叫が響き渡る。

 ジェットコースターは嫌いじゃないが、これはジェットコースターとは似て非なるものだ。特に安全面が。

 それに、そもそも……


(ジェットコースターは、ジャンプしないよねぇ)


 現実逃避気味にそう脳内で呟いた瞬間、トロッコがレールの端から宙へと飛び出した。


「いぎっ!!?」

「っ!!!」


 永遠にも思える数秒の浮遊感。

 その末に、トロッコは無事に次のレールに着地した。


「~~ぶはっ!! し、死ぬかと思ったぞ!!」

「そ、そうね。今のは流石に怖かった」


 2人してトロッコの座面にへばりつくようにして呼吸を整える。


「それにしても、ハアッ、お前はだいぶ落ち着いていた、ようだがっ?」

「……まあ、普段から飛んだりしてるから」


 本当は、前世の遊園地で多少耐性が付いてるだけなんだけど。


「はあ……しかし、なんとかなったな。さっきみたいなのは二度と御免だが」

「……」

「リア?」

「……ごめん、ラン。ジャンプはあと3回あるんだ」


 その瞬間、ランの目が死んだ。



* * * * * * *



 その後、3度のジャンプを終え、そろそろダンスも終盤というところで……私達は、予想外の危機を迎えていた。


「うぇっぶ」

「吐くなよ!? 絶対吐くなよ!?」


 ……ランが、完全に乗り物酔いしてしまったのだ。

 うん、確かに振動対策が取られていないトロッコの乗り心地は正直最悪だし、絶叫マシンを知らない人間にこれはキツイだろう。気持ちは分からんでもない。実際私もかなり辛いし。

 でも、ここで吐かれたら確実に私に掛かる。かと言って車外に身を乗り出すのも危険なので、ここは耐えてもらうしかない。


「うっぶ、つ、次は?」

「右! ちょっと急カーブだから気を付けて!」

「わ、わかっ、うっ!」


 トロッコが派手に揺れるたびに、ランの顔色がどんどん悪くなっていく。

 だが、もうすぐ終わりだ。たしか、ツィーゴの男性パートのステップはこれが最後で、フィニッシュは……


「……ラン」

「……?」

「耐えて」


 男性パートのフィニッシュ。最後にして最大の見せ場。それは……


 情熱の、7連続ターン。


「う──」

「ちょ──」



* * * * * * *



「……リア? その……すまない」

「……別に、いいですけどね? “浄化結界”のおかげで、すぐに汚れは落ちましたし?」

「……怒ってるか?」

「いえいえ、怒ってなんていませんよ? ランツィオさん」

「やっぱり怒っているではないかぁ!! 本当にすまない! この通りだ!!」


 両手を合わせて頭を下げるランに、私も小さく息を吐いた。


「……冗談よ。本当にもう気にしてないから」

「……本当か?」

「本当だって。いいから頭上げなよ、ゲロ皇女(ラン)

「おい、今すごく侮辱された気がしたのは気のせいか!?」

「ちょっと近寄らないでくれる? 口が臭いから」

「ぐふっ! お、おまっ……わたしだって流石に傷付くぞ!!」

「うわっ、唾を飛ばさないでよっ! ……と」

「ん?」


 そこで、神力遮断空間を抜けたことに気付いた。

 無言で前方を見ると、どうやら終点らしい。何か立て札がされており、トロッコの速度がゆっくりと下がり始めた。

 そして、立て札の前で完全に停車する。その立て札には、またしても文字が彫り込まれており……


『楽しいダンスだったね♡』


「「やかましいわっ!!」」


 2人の怒声が、通路内に響き渡るのだった。

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