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少女が旅立ったその後で 作者:燦々SUN

第3章

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更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-㉘

先週は突然更新を休んですみません。お詫びに今回は一挙2話分の大ボリュームでお送りします。

あと、ランツィオの神術の名称を、“竜鱗鎧りゅうりんがい”から“竜殻りゅうかく”に変更しました。

ちょっと自分で書いてて、落語の『寿限無』に出て来るグーリンダイを思い出して違和感がハンパなくなってしまったもので……。

「さて、探索再開だ」


 “空間接続”で人気のない路地裏から大迷宮に戻るや否や、ランが戦槌を振り上げつつ楽し気にそう言った。

 正直探索自体を楽しいとは思えない私は、背後に広がる明るい街並みを未練たっぷりに眺めてから“空間接続”を解除した。

 視線を前に向け、目印代わりに置いておいた足元の貴金属を回収すると、小さく気合を入れて意識を切り替える。


 迷宮から一時撤退したのが一昨日の夕方。

 宿屋で一夜を過ごした後、私達は罠に掛かった反省を活かし、5日探索するごとに1日休息を取ることに決めた。

 そして私は昨日丸一日、宿屋で思う存分惰眠を貪って英気を養った。ラン? ベッドでゴロゴロする私の隣でひたすら筋肉を育ててたよ。私も何回か誘われたけど、断固拒否してベッドの住人と化していた。怠惰と呼ばば呼べ。

 そんな感じで一日を過ごして今日、早めの朝食を終えて準備を整えると、再び大迷宮に足を踏み入れたのだ。

 肉眼では見えないが、目の前には一昨日危うく命を落とし掛けた、多重神術による必殺の罠が鎮座しているはずだ。しかし、タネが分かってしまえば突破方法はいくらでもある。


「さて、準備はいいか?」

「大丈夫」


 訊ねてくるランに、短く答える。

 ちなみに、一昨日の友達宣言以降、私は本格的にランに対する敬語をやめた。……というか、すんごいグイグイ来るランと必死の攻防戦(?)をやっている内に、敬語とか使っている場合じゃなくなった。


 ……いや、ホントにヒドイ戦いだったんですよ。

 ランの髪洗う宣言から数分後、私は早々に白旗を上げたのだが……もうどうにでもなーれって気分で、こうなったら出来るだけ無になってやり過ごそうと思っていたら、気付いたら頭どころか全身を洗われることになっていた。

 しかも、私が「あれ? いつの間にこんな状況になった?」と戸惑っている間に、ランにあちこちを──本人曰く、筋肉の付き具合を確認していたらしいのだが──撫でられ揉まれ、私はもうくすぐったいやら恥ずかしいやらで死にそうになった。

 挙句、ぐったりしてベッドに潜り込んだ私に向かって、「一緒に寝よう」とか言い出して……その後の攻防に関しては、思い出したくない。ある意味、ナハク・ベイロンやセナト=ラ・ゼディウスとの戦いよりも消耗したとだけ言っておく。とりあえず、昨日一昨日でこの皇女様がかなりスキンシップ多めな性格だということは分かったのだが……それはさておき。


 私とランで相談した結果、決めたこの罠の突破方法とは……なんのことはない、神術による正面突破だった。


「私が先に」

「うむ」


 万が一の場合に備えて、結界に守られている私が先陣を切る。

 発動するのは、一昨日この罠から脱出する際にも使用した神術──


(“三叉撃”!!)


 頭の中でそう発すると同時に、私は全力で地面を蹴り、前方へ飛び出した。


 秘術“三叉撃”は、端的に言えば三連続で発動する短距離直線高速移動だ。最大射程約10mの高速移動を、3回連続で行うことが出来る。

 それだけと言えばそれだけなのだが、特筆すべきはその術の簡潔さだ。

 恐らく、白兵戦での使用を想定されているのだろう。驚いたことに、詠唱は起句となる名乗りを除けば「俊足を」だけ。術式を予め仕込んでおけば、起句すら必要なくなるらしい。


 これぞ、武を何よりも重んじる帝国が生み出した神術の最高傑作の1つと言っていいだろう。

 神術の形式を重んじる王国では、未だに詠唱する間のない近接戦闘で有効な神術は、ほとんど開発されていない。

 その一方で、帝国はそんな形式など無視して、ほとんど無詠唱に近い神術を開発してみせたのだ。しかもその効果は、総じて遠隔攻撃に秀でる傾向にある神術師にとって脅威となる、一瞬にして間合いを詰め、かつ相手の間合いから離れるという高速移動に特化したもの。


(近い将来、近接戦闘では王国の神術師は帝国の神術師に勝てなくなるかもしれないね)


 そんな感慨とも危惧ともつかないものを感じる間に、通路を塞ぐ水の塊の一歩手前まで来た。

 胸の奥で怖気が顔を出そうとするが、それを無理矢理抑え込むと、再び地面を蹴って一気に水の中に飛び込む。

 同時に周囲で神力が揺らぐ気配がするが、無視して前だけを睨んで加速する。


(いち……)


 猛然と前に突進しながら、私は頭の中で数字を数える。その間に急速に移動速度が減速し始めるが、私は慌てることなく、水中で最後の加速をした。


(に……)


 そして、揺らぐ気配が消え、神術が発現する……その一瞬前に、私は水中を脱出した。


 5m程余分に前進してから、両足から地面に着地する。

 そして、顔面に付いた水を手で払い落しながら背後を振り返った。


 どうやら無事突破できたらしい。そう認識し、ほっとすると同時に、水の向こう側にいるランが神力を纏ってこちらに向かってきた。

 私よりもスムーズに加速すると、まるで走り幅跳びのような力強い足運びで一気に罠の効果圏内を踏破する。

 そして、濡れた髪を男前に掻き上げながら、悠然と私の隣に着地した。


「ふむ、どうやら二段構えの罠はなかったようだな」

「そうね。まあ単純に、あの罠でここら辺の触媒の容量が限界だったのかもしれないけど」


 そんな風に言い合いながらも、周囲への警戒は怠らない。

 数秒経って何もなさそうだと判断してから、ようやく肩から力を抜く。

 一瞬顔を見合わせ、どちらからともなくほっと息を吐くと、私は神術で2人の体を乾かした。


「さて、行くか」

「うん」


 伺うように目を向けてくるランに軽く頷くと、足元から周囲の地面に神力を浸透させる。

 これは、この数日で編み出した私なりの罠対策だ。神術発動の前段階である、「神力を術の対象に伝えることによる対象の形状把握」を利用したもので、大まかな地面の形状を認識することが出来る。

 罠全てとは言わないが、落とし穴やらスイッチくらいなら見付けることが可能だ。神力を常時垂れ流しにしているようなものなので、私くらいの神力量が無ければ無理な芸当だろうが。


「あそこに落とし穴。あと、あっちの岩には触らない方がよさそう」

「うむ、分かった」


 ランももう慣れたもので、素直に私の指示に従って進む。

 罠の数自体は特に増えていないのだが、奥に進むに連れてどんどん道が狭くなっているので、回避するにも一苦労だ。

 そして、私達はとうとう探索区域の最深部と思われるところまで来た。なぜ最深部と判断したかというと、それまで壁際に設置されていた照明の神具がなくなったからだ。


「うわ……ついに明かりがなくなったか……」

「ふむ、ここから先は未探索区域か。より一層注意が必要だな」

「だね……とりあえず、明かりを用意しようか」

「うむ」


 私は右ポケットからフック付きの照明の神具を2つ取り出すと、片方をランに渡し、もう片方を剣を提げているのとは反対側の剣帯に引っ掛けた。ランも同じように、腰のベルトに神具を引っ掛ける。

 すると、今まで頼りにしていた神具よりも遥かに明るい光が、周囲の闇を遠ざけた。

 しかし、光量自体は増えても、光源の数がたった2つになってしまったというのはすごく心細い。

 なにせ、今までは等間隔に設置されていた照明のおかげで漠然とだが通路の先が見えていたのに、今は私達の周囲20m程度しか見えておらず、そこから先は一切見えなくなってしまっているのだから。


「む……意外と見えないものだな」

「そう、ね……」


 とはいえ、怖気づいてもいられない。

 前世のテレビで洞窟に入る人がヘルメットに付けていたライトみたいに、頭に指向性の高い照明を装着することも考えたが、やってみたら頭を振るたびに光がチラチラして、予想以上に目障りなのでやめた。

 結局、出来る限り慎重に進み、曲がり角などではその都度光属性神術で先を照らすことにした。


 そんな感じで、少しぺースを落としつつ進むこと小1時間。

 暗闇と言い知れない不安感に微妙に精神を削られつつ、それでも少しずつこの状態での探索に慣れてきたところで、不意に前方に明かりが見えた。


「あれ……? 探索区域に戻ってきちゃったのかな?」

「ん……まあ、大転換で通路が入れ替わっているからな。そういうこともあるのではないか?」

「ああ、それもそうね」


 そんな風に言い合いつつその明かりの元に向かうと、それが探索隊が設置した照明によるものではないことが分かった。

 そこにあったのは、扉だった。

 坑道にあるものとしてはあまりにも不釣り合いな重厚な扉が、通路の突き当りに存在していた。遠くから見えた明かりは、その扉の両脇に据えられた燭台が放つものだった。

 これもまた神具なのだろう。燭台の上には何も燃えるものがないのに、燭台の上で赤々とした炎が躍っている。


「……なんか、ボス部屋みたい」

「ん? すまん、なんと言った?」

「いや、ごめん。気にしないで」


 思わず漏らしてしまった言葉にランが反応してしまい、慌てて誤魔化す。

 とにもかくにも近くで見てみようと、警戒心を二段階ほど引き上げつつ、慎重に扉に近付く。

 幸い何かが起こるということはなく、私達は無事に扉の前まで辿り着いた。


「横道などは……特になさそうだな。ここを通るしかないのか」

「待って。何か書いてある」


 無造作に扉に近付くランを制し、扉の表面に顔を近付ける。

 そこには、『高潔な騎士にのみ道は開かれる』という文章が刻まれていた。


「騎士? ……私達、騎士じゃないけど?」

「たしかにそうだが……そんなこと、大迷宮には判断がつかんだろう?」

「う~ん……まあ、騎士になった気持ちで挑めってことかな?」

「なんだ? それは」

「たとえば……そう、神術は使わずに剣だけで戦うとか?」


 適当に思ったことを言っただけだが、なんとなく合っている気がしてきた。

 無論、全ての騎士が神術を使わないということはないが、“高潔な”騎士と言われると、正々堂々剣だけで戦うイメージがある。


「あと、一対一で戦うとか」

「……私達は2人いるが? それに、私は剣ではなく戦槌なのだが?」

「あ……」


 思い付くままに口にしていたら、ランが完全にアウトだということになってしまった。

 「しまった」と思いつつ、慌てて「いや、今のは適当に言っただけだから」と誤魔化す。

 すると、ランがガシガシと髪を掻きつつ、焦れたように言った。


「どちらにせよ、中に入ってみないと分からないと思うんだが?」

「……まあ、そうね」


 こういう時のランの決断力は大したものだと思う。

 私だったら、色々と考え過ぎていつまで経っても扉を開けないだろう。まあ、単にランが気が短いというだけかもしれないが。


 私の同意を得たと判断したランが、両開きの扉の左側に手を添えると、無言でこちらに視線を寄こしてくる。それに促され、私も右側に手を添えると、2人で同時に扉を開いた。


 重い手応えと共に、ゆっくりと扉が開いていく。最初に目に入ったのは、扉の奥へと真っ直ぐに伸びる通路。幅も高さも扉の前と同じで、それほどでもない。いや、むしろ狭い。幅は4m、高さは3mといったところか。

 そして、その通路から枝分かれするように左右に開いた複数の穴。こちらはもっと狭い。幅的に1人ずつ、しかも背が高い人は前屈みにならなければ通れないだろう。

 だが、私の視線はむしろその穴の両脇に無造作に転がるものに釘付けだった。


 私とランが持つ明かりに照らされ、妖しい輝きを放つ物体。


 金貨だ。

 数百。いや、下手したら数千枚にも及ぶ金貨が、穴を避けるように通路の両脇に並んでいる。


 やがて扉が完全に開かれると、視線は自然と通路の奥へと吸い寄せられた。

 通路の奥、階段上にせり上がった地面の上で、一際眩い輝きを放つ王冠に。

 その意匠の見事さ、絢爛さは遠目にもはっきりと分かった。比較的物欲の少ない方だと自覚している私でも、思わず目を奪われずにはいられないほどに。


 だが、忘れてはいけない。

 ここは大迷宮であり、さっきの扉の文言からするに、ここはボーナスステージのお宝部屋という訳ではない。


 私はそう自分に言い聞かせると、1つ深呼吸をして意識を切り替えた。

 王冠から視線を剥がすと、周囲の様子を改めて観察する。


「……ここは、どうやら坑道の最奥部みたいね」

「……ん? あ、ああ……どうしてそう思う?」


 私の言葉で我に返ったように目をしばたかせるランに、自分の考えを伝える。


「通路がすごい狭いし……あの横穴は恐らく、炭鉱夫が1人で掘り進んだものじゃないかな? 大きさとか、穴の粗削りな感じとか、なんとなくそんな感じがするんだけど」

「ああ……そう言われてみれば、そんな気もするな」

「さっきの文章……『道は開かれる』ってことは、あの穴のどれか、あるいはこの通路のどこかに、先に繋がる道があるってことだと思うんだけど」

「そう、だな……むっ!?」


 不意に、ランが通路の奥へと鋭い視線を向けた。

 釣られてそちらを見るが……私には王冠しか見えない。


「どうし──」

「しっ!!」


 口を開いた瞬間、素早くランに制される。

 反射的に口を噤むと、ランが囁くように言った。


「何か、いる」


 その言葉に、私は緩みかけていた警戒心を一気に引き上げた。

 私には何も見えないが、こういう場面でのランの危機感知能力は私よりも上だ。今更それを疑うつもりはなかった。


「っ!?」


 その時、私にも見えた。

 遠くに見える王冠の更に向こう、闇に沈む通路の奥で、何かが動くのを。


「……下手に近付かない方がよさそうだな。これ以上近付くと、明かりで気付かれるかもしれん」

「……やっぱり、騎士としてあれと戦え、ってことなのかな……?」

「さあ、な……だが、ここは剣を振り回すには少し狭過ぎるぞ?」


 言われてみればその通りだ。

 この狭さでは、短剣でもなければろくに振りかぶることも出来ないだろう。


「それに、これはわたしの勘だが……あれは神術なしで勝てる相手とは思えんぞ? いや、神術ありでもこの地形では……わたしなら逃げの一手だな」

「っ! ……そう。あなたがそこまで言う相手、ね」


 その言葉に更に警戒心を引き上げると、腰に提げた照明の前面を手で覆い、通路の奥に光が届かないようにする。隣でランも同じようにした。


「それなら、戦うのはなしね……いや、そもそも戦う前提でいるのが間違いか」

「そうだな……“高潔な騎士”というのが、やはり何かのヒントなのだろうが……」

「騎士……」


 そこで、ふと王冠の手前の段差に目が行った。

 さっき見た時は、あれを台座か何かだと思ってしまったが……あれは、むしろ……


「玉座……まさか、謁見の間?」

「何?」


 隣のランの疑問には答えず、考えを進める。

 この通路が、謁見の間をイメージしたものなら……王冠は、王様を表すもの。ならば、騎士とは……もしかして、なんらかの比喩ではなく、ただの役職を指すものなのか? 

 だとしたら、謁見の間で騎士が立つ場所といえば……。


「……あの穴に入ろう」


 しばし熟考した後、私は左側の手前から2つ目の穴を指した。


「ふむ、理由はなんだ?」

「王に謁見した際、騎士が控えるとしたら衛士を除いて一番手前。そして基本的には左側から埋めていくのが慣例だから」

「む……」

「“高潔な”っていうくらいだから、その慣例に反することはないと思う……あと、もしかしたらあの金貨を持って行ったりしたらダメ、っていうのもあるかも」

「……なるほど。分かった」


 ランはそう言って頷くと、あっさりとその穴に向かう。

 そのあまりの潔さに、提案者である私が却って焦ってしまった。


「ちょっと待って! 本当にそれでいいの? 私の予想が当たっている保証は……」


 そう小声で呼び止めると、ランは肩を竦めつつこれまたあっさりとした口調で言った。


「お前の推論は理に適っている。わたしにはそれ以上の考えは思い付かんし、お前の予想に従うさ。なに、外れたらその時はその時だ。ま、そんなことはないと思うが」


 突然向けられた信頼に、私はそれ以上何も言うことが出来なくなってしまった。

 胸の奥からこみ上げてくるなんとも言えない感情を抑えつつ、私も覚悟を決める。


「分かった。でも、私が先に入るよ。ランは後から入ってきて」

「む、そうか」


 そう言うと、ランは足元に注意しながら道を開けた。そして、通路の奥へと警戒の視線を向ける。

 私も同様に、足元と通路の奥とに交互に視線を遣りながら慎重に穴へと向かう。

 そして、ランの横をすり抜けようとした時……



 キンッ



 軽い金属音が響いた。

 反射的に視線をそちらに向けると、私の剣の鞘の先端が、ランの担ぐ戦槌の持ち手と接触しているのが見えた。

 私がそれを確認した、その瞬間。


 通路の奥で、何か(・・)が大きく動いた。


「っ!」

「!」


 2人で一瞬顔を見合わせると、どちらからともなく穴に向かって駆け出す。

 その間も、通路の奥で何かがうごめく気配はどんどん大きくなっている。

 そして私、続いてランが穴に飛び込んだ瞬間、ずるずると何かが地面を這う音がはっきりと聞こえた。


「~~~~!!?」


 正体不明の何かが近付いてくるという、言い知れぬ恐怖に無音の悲鳴を上げながら、私は狭くデコボコした通路を全力疾走した。

 しかし、数秒もしない内に突き当りに着いてしまう。


「そんな、まさか……」

「落ち着けリア、下だ」


 背後からのその言葉に視線を落とすと、目の前の壁の下に高さ50cmほどの穴が開いているのが見えた。

 狭い。匍匐前進でなければ到底進めないだろう。

 その狭さと、先が見えないという不安感に、思わず尻込みをしてしまう。

 しかし、それも背後からガリガリと何かを削る音が聞こえてくるまでのことだった。


 何か(・・)が、この通路に入ってこようとしている。


 その恐怖が、狭い穴を進む恐怖を上回った。


 私は覚悟を決めると……いや、覚悟を決めた訳ではなかった。ただ、背後から迫る恐怖に衝き動かされるまま、穴の中へと潜り込んだ。

 入ってみると、思った以上に狭い。少しでも頭を上げようとすると、天井に頭がぶつかってしまう。地面も天井も不自然なまでに平滑で、進みにくいということがないのが不幸中の幸いか。


 そのまま、どれくらい進んだだろう。

 数分かもしれないし、実際には十数秒程度だったのかもしれない。

 気付けば背後からの怪しい音は一切聞こえなくなり、目の前の地面には出口らしき穴が見えていた。


「どうした?」

「……たぶん、出口だと思う」


 突然止まった私を訝しんだのだろう。

 背後(というか足元)から聞こえてきたランの声にそう答えつつ、私はその穴へとにじり寄った。


 慎重に穴を覗き込むと、どうやら別の通路の天井に繋がっているらしい。

 光属性神術で下方を照らして、私はそれを確信した。


「……なんか、別の通路と繋がってる。それも結構広い」

「なに? ……まあ、迷宮だしな。そういうこともあるだろう」

「そうね……ん?」

「どうした?」

「また、何か壁に書いてある」


 いつぞやのように、前方に見える壁面に金属のプレートが埋め込まれていて、そこに何か文字が刻まれているのが見えた。


「……とりあえず、下りるね」

「気を付けろよ」


 ランの言葉に頷きつつ、私は“飛行”を発動させると、下の通路に降り立った。

 そして、壁面に埋め込まれたプレートを見る。そこには……


『バカが見る』


 その瞬間、背後で神力が揺らぐ気配がした。

 振り返ると、そこには拳大の銀色の(・・・)鉱石。

 ガヌノフさんに受けた忠告が、閃光のように頭を過ぎる。


(マズ──)


 ……結果として、その罠で発現した現象の規模自体は、それまでの罠とさほど変わらなかった。

 違ったのは、発現する速度。

 それまではあった3秒弱の猶予が、今回は1秒もなかった。私が振り向き、銀色の鉱石を視認した次の瞬間には、もう神力が揺らぐ気配は収まっていた。


 視界を埋め尽くす閃光。空気が爆ぜる炸裂音。

 一瞬にして、周囲の地面と壁が激しく放電し始めた。


 結界に守られている私にも、軽い痺れが伝わってくる。

 全身の筋肉が引き攣る感覚を堪えながら、私は“飛行”を再発動して宙に浮いた。

 すると、再び神力が揺らぐ気配して、次の瞬間あっさりと電撃は収まった。


(危なかった……私じゃなかったら即死してたかも)


 結界に感謝しつつ、まんまと罠に掛かったことを反省していると、上からランの声が聞こえてきた。


「おい! 大丈夫か!?」


 顔を上げると、天井の隅からランが顔を覗かせている。

 先程の穴は、岩に上手いこと隠れて下からは見えなくなっていた。


「大丈夫。受け止めるから下りてきて」

「む? 結構重いが大丈夫か?」

「……いや、神術でね?」

「む、そうか」


 流石に戦槌持った筋肉質の長身女性がこの高さから飛び下りてきて、神術強化抜きでキャッチできる自信はないわ。おばあちゃんじゃあるまいし。


 そんなことを考えていると、ランが岩の縁に手を掛けつつ、くるっと前転しながら穴から這い出てきた。

 その足が地面に着く前に、すかさず“念動”でキャッチする。

 そして、とりあえず左方向に10m程進んでから、地面に着地した。


「ありがとう。ところで、さっきのはなんだ? 随分と神術の発動速度が速かったようだが」

「あれ。銀色の鉱石よ」


 私の指差すところを見て、ランも気付いたようだ。


「ガヌノフが言っていたやつか……たしか、なんでもありなのだったか?」

「属性的にはそうみたいね。でも、それ以上に発動速度の方が問題よ。私達神術師にとってはね」

「うむ、たしかにな。ここからは、わたしも常に“竜殻”を使うべきか……」

「用心するなら、その方がいいんじゃない? ガヌノフさんが言うには、もっと危険な白い鉱石っていうのもあるみたいだし」

「ああ、そうだな」


 頷くと、ランが早速“竜殻”を発動させる。と言っても、神力節約のために強度自体はかなり抑えているようだけど。


「さて、どっちに行く?」

「む? ……そうだな、もう一度あっち側に戻るのもなんだし、このままこちら側に進めばいいのではないか? 《ヴァレントの針》を見るに、あちらの方が危険そうだしな」

「そう。じゃあこっちに行こうか」


 そう決めると、再び地面に神力を広げて罠を警戒しつつ、先へ進む。

 しかし、ほどなく私達は壁に突き当たってしまった。


「えぇー……また行き止まり?」


 こうなると、やっぱり反対側か?

 そう思っていると、隣のランが声を上げた。


「いや、よく見ろ。ここに何かあるぞ」

「え?」


 そちらを見ると、そこには金属製のスイッチが。

 その表面には一言、『開』とだけ刻まれている。


「……どうする?」

「……押してみるしかないんじゃない?」

「……そうだな。押すぞ?」

「うん」


 ランがスイッチを押すと、ゴウンッと重い音がした。

 幸い、地面が(・・・)開くということもなく、目の前の壁が重々しい音を立てながら上に開いていく。

 やがて完全に壁が開くと、そこには思わず目を見張るような光景が広がっていた。


「これは……」

「ほお、これはなかなか」


 そこは、大迷宮内で今まで見た中では、間違いなく最大の広さを誇る洞窟だった。

 一見すると巨大なドーム状で、反対側の壁が、壁面の僅かな光源では見通せないほどに遠い。上からは大型の鍾乳石がたくさん垂れ下がっており、地面もそこかしこから私達の身の丈を優に超える大きさの石筍が突き出している。場所によっては鍾乳石と石筍が一体化して、石柱と化している。この空間だけは、人工の坑道というより天然の鍾乳洞といった様相を呈していた。


「これは、鉱山の光景ではないな……」


 どうやらランも、同じ印象を抱いたらしい。

 実際、鉱山の採掘作業でこんなドーム状の空間を作るなんて聞いたことがないし、仮に作ったとしたら、せめてもっと地面は平らにならすだろう。こんな歩くのにも苦労しそうな石筍だらけの地面では、採掘した鉱石を運搬することも不可能に思える。


「でも、壁面に照明があるってことは、一応探索区域ではあるんだよね……?」

「そう、なるか? わたしもこんな空間は聞いたことがないが……」


 2人で首を傾げつつ、とりあえず扉を潜ったところで……



 ゴゴンッ



 背後から重々しい音が響いた。

 反射的に振り返ると、今来た通路が天井から下りてきた壁で塞がれていくところだった。そのまま、あっという間に元通りに閉じてしまう。


「……閉じ込められたな。いや、退路を断たれた、と言うべきか」

「……みたいね」

「どうする? なんならこいつでぶち抜くが?」

「いや、そんなことする必要はないみたいよ? ほら」


 そう言いつつ、私は通路の壁面を指差した。そこには、先程のものと同じ『開』と刻まれたスイッチがあった。


「なんだ、引き返すことは可能なのか」

「みたいね。とりあえず、中に入ってみない?」

「そうだな」


 そして、私達は通路を出るとドーム状の洞窟の中に入った。


「うわぁ……本当に広いなぁ」

「うむ……それに、ここはやはり探索区域ではないようだ。見ろ」


 ランの指差す方向を見ると、そこには先程扉の前で見たのと同じ燭台型の神具があった。どうやら壁面にぐるりと等間隔に設置されているらしい。

 そして、それに気付くと同時にもう1つ、壁面にいくつもの通路が開いているのに気付いた。見える範囲では、それらはどれも私達の背後にあるものと同じく、少し入ったところで平滑な壁で塞がれていた。


「……どうやら、この中から好きな通路を選んで先に進めってことみたいね」

「の、ようだな……ところでリア、気付いているか?」

「え? 何?」

「上だ」

「上……?」


 言われるまま、天井を見上げる。

 そこにはやはり、いくつもの鍾乳石が大きな棘のように突き出していた。

 だが……それだけではなかった。


「っっ!!?」


 それ(・・)に気付いて……私は思わず、喉の奥から引き攣った音を漏らした。

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