更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-㉗
「ふむ。少し肉質は固かったが、なかなかだったな」
コートを脱いで《崩天槌》を置き、ベッドに倒れ込みながら、ランが満足気にそう言う。
あの後、一旦大迷宮を出た私達は、久しぶりの日の光と素晴らしい解放感を満喫しながら町に戻って来た。
そして、町の食事処でラン御所望の焼肉を楽しんだ後、宿屋にやって来たのだ。
「……」
「ん? どうしたのだ? 渋い顔をして」
「いえ……」
「なんだ、奥歯に物が挟まったような言い方をして」
物が挟まったというか、実際に挟まってるんですけどね。さっき食べた焼肉の筋が。
店を出てからず~~っと舌で取ろうとしてるんだけど、全っ然取れないわ。糸楊枝ください。
というか、あれを
あまりにも噛み切れないから諦めて丸呑みしようとしたら、肉の筋が口の中と喉の奥で橋渡し状態になって死ぬかと思ったわ。淑女の意地で、吐き出すのだけはなんとか堪えたけどね。
「……もしかして具合が悪いのか? あまり食も進んでいなかったようだが……」
眉根を寄せたまま黙っていたら、ランに心配されてしまった。
いや、食が進まなかったのは、単に噛んでる内に嫌になっちゃっただけなんだけどね。ランが美味しそうに食べていた手前、何も言わなかったけど。
「……大丈夫です。少しボーっとしてただけですから」
そう言うと、私も腰の剣と《破天甲》を外し、右ポケットにしまった。
そして、これ以上心配される前に部屋を出ると、フロントにたらいと水を借りに行った。
たらいなんて何に使うのかというと、その上に乗って体を洗うのだ。
ここは鉱山都市ではあるが、特に温泉が湧いているということはないらしく、この宿にもお風呂なんて贅沢なものはなかった。というか、1人部屋すらなかった。
まあ、元々出稼ぎの炭鉱夫が泊まるような宿だしね。大部屋で雑魚寝が基本。2人部屋ですら贅沢な部類なのかもしれない。
それはともかく、普段なら神術でお湯の球体を作って全身丸洗いするところなのだが、流石にあんな罠に掛かった後ではその気にもなれず、普通にたらいで体を洗うことにしたのだ。まあ、お湯は神術で用意するけどね。
迷宮内ではローブを脱ぐのも躊躇われ、お湯で湿らせていた布で最低限体を拭いていただけなので、それに比べればずっとマシだろう。
フロントで大きなたらいを2つと水が入った桶を受け取ると、階段を上がって部屋に戻る。
すると、驚いたことにこの短い間にランはベッドで寝息を立てていた。……食べてすぐ寝たら牛になるぞ。
呆れつつも桶の中の水を神術で熱すると、神力の気配を感じたのだろう。ランが素早く跳ね起きた。
「っ! ……んむ? なんだ、お湯を用意しているのか」
「はい。あ、これたらいです」
「おお、すまんな」
ランはそう言ってたらいを受け取ると、迷いなく服を脱ぎ始めた。あまりの潔さに、なんだか訳もなく慌ててしまう。
「あ、ちょ……」
後ろ向いた方がいいのかな? いや、女同士だし気にすることは……でも相手皇女だし……などと考えている間に、ランは服を全て脱ぎ捨ててしまった。
「……」
なんというか……デカかった。色々と。
身長もそうだし、全体的に体が厚い。二の腕や太腿の太さは私の比ではない。
なのに、それでいて女性らしさは少しも損なわれていない。普通、筋肉を付けたら胸なんて真っ先になくなるもんじゃないの? 解せぬ……。おかげでくびれがすんごいことになってる。もはや、ボンキュッボンを通り越してボンキリキリキリッボンって感じ。
「? どうした? お前も早く脱いだらどうだ?」
「あ、はい」
「何を見て……ああ、この腹筋か? ふふふ、どうだ? なかなかのものだろう?」
「あ、ハイ」
あ、今私目が死んだわ。なんて色気のない皇女様なんだ。
一瞬にして毒気を抜かれた私は、得意げに筋肉の育て方(鍛え方ではないのか?)を語るランに適当に相槌を打ちながら、随分と久しぶりにローブを脱いだ。
服を脱ぎ、下着姿になったところで……ふと、髪飾り型の神具を外すべきかどうか迷った。
この神具は、私の色を変化させている。
別にランだけしかいない現状では、元の姿に戻っても問題はないが……私は今、部分的に謎の変色現象が起こっているのだ。あの姿を見せるのには……少し抵抗がある。
(まあ、いっか。ランなら下手に突っ込まないでしょ)
ここ数日の付き合いで、それくらいの信用はある。
私は髪飾りをさっさと外すと、脱いだ服の上に放った。
すると、ランの口上がピタリと止まり、その目が大きく見開かれた。
「お前……」
「……」
軽く身構えながら待つ私に……ランは、予想以上に間の抜けたことを言った。
「……そんな目をしてたか?」
「……はい?」
「ちょっと見せてみろ」
「いや、ちょっ」
そのまま、ずんずんとこちらに近付いてくる。っていうか一旦服着ようよ! 色々と丸見えだから!!
そんな私の心の声も知らず、ランは全裸のまま私の目の前に立つと、間近で私の両目を覗き込んできた。
「……ほお、なかなか綺麗だな」
「え、いや」
「こら、目を逸らすな」
「へあっ!?」
両手で頬を押さえられ、強制的にランの方を向かされる。
いや、近い! 近いから!! 人見知りじゃなくてもこの距離はアウト! アウトォォォ!!
慣れない距離感に自然と体が強張り、目に涙が浮かびそうになる。
そんな私にはお構いなしで、ランの左手がそっと私の髪を一房摘み上げる。
「ふむ? これは……」
「あ、あうあう……」
ん? ちょっと待って。色々といっぱいいっぱいだけど、ちょっと待って。冷静に、客観的に考えて?
宿の一室に、グラマラスなワイルド系美少女と、年齢も身長もそれより少し下の、傍から見れば白くて儚げな美少女が2人っきり。それはさながら妖艶な
しかもしかも、2人の距離はまるで抱き合うかのような近さで、義姉の右手は義妹の頬に添えられ、左手はその髪をすくい取っている。
んでもって義姉は「綺麗だ」とか言っちゃってて、義妹は体を強張らせながら瞳を潤ませている。
そして、義姉の手が義妹の右腕を優しく撫ぜて……
「アウトォォオオォォォ!!!」
「うわっ! な、なんだ!?」
本能的な危機感に従って反射的に両手を前に突き出せば、両掌に柔らかい感触が……って違う! そっちに持って行こうとするな!! え? そっちってどっちって……なんかそう……あれ! 白い花が咲き乱れるあれ!! 夏希が歓喜しそうなやつ!!
というか、さっきの義姉義妹のイメージも夏希の秘蔵本仕込みだしね……。
「姉妹百合は至高」とか言ってたけど、私にはよく分からなかった。そう言ったら夏希はキョトンとした表情で「え? リアル百合姉妹のくせにナニ言ってんの?」とか言ってたけど。とりあえず抉っておいたけど。その向こうで七海が目をかっ開いて夏希の秘蔵本を読み耽ってたけど。
「ど、どうした? もしかして痛かったのか? だとしたらすまない」
「え、あ、いえ……」
「いや、すまない……もしかして、その右腕は火傷痕、か? なんにせよ、興味本位で触れていいものではなかったな。本当にすまない」
そう言って、ランが頭を下げる。
ああ、まあ肩から先が一様に色が濃くなってるからね。火傷痕に見えなくもない、か?
しかし完全な誤解なので、そこまでしおらしい態度を取られると、却ってこっちが申し訳なくなってくる。
「いえ、大丈夫です。これは……ちょっとした事故で、色が変わってしまっているだけですから。気にしないでください」
「そうか? ……ふむ。いや、なかなか綺麗だと思うぞ? 水色と
「……え?」
紺色?
私は慌てて桶を覗き込むと、光属性神術で水面を完全な鏡面に変えた。
すると、そこに映ったのは確かに水色と紺色の瞳。しかも一部変色していた髪も、黒髪から茶髪に変わっていた。……いや、これはむしろ薄くなっている、のか?
よく見ると、右腕の色も少し薄くなっている……気がしないでもない。これは、神力の出力が回復すると共に、色も元に戻っている……ということなのだろうか?
「どうした? 大丈夫か?」
「ああいえ、大丈夫です」
ランの声に思考を中断し、顔を上げればそこには立派な……って、いい加減服着ようよ。
下から見上げると色々とマズいものが見えてしまうので、さっさと立ち上がる。そこでふと、ランの髪に目が行った。それと同時に、頭の中がスッと冷える。
「ら、ラン……その、髪が……」
「ん? 髪?」
「あ……」
ランが何気なく前髪を
ランのその美しい黒髪は、電撃を浴びたせいで毛先が焦げてしまっていたのだ。
「ああ、罠に掛かった時か。ま、命が助かったのだからこれくらいは──」
「よくないでしょう!!」
「お、おお?」
「ああ、そんな乱暴に……そこ、たらいの中に座ってください! 出来る限り整えますから……」
そう言うと、有無を言わさずたらいの上に座らせる。
そして、ローブの右ポケットからハサミと櫛を取り出すと、ランの前に立った。
当然のように散髪用のハサミではないが、そこは我慢してもらうしかない。髪は女にとっても神術師にとっても大切なものだ。治すことは出来ずとも、それでも出来るだけのことはしたい。
「り、リア……?」
「動かないで」
「う、うむ」
下を向かせたランの前髪に櫛を通すと、半ば炭化した髪がボロボロと崩れ落ちる。
その光景に少し胸が痛むのを感じながら、優しく髪を梳くと、ハサミで丁寧に毛先を整える。
前髪が終わると、次は後ろだ。
ランの背後に回り、長い髪にゆっくりと櫛を通す。
そして、焦げた髪を少しずつ切り落としていった。
しばらくの間、部屋の中にはハサミが奏でる軽い金属音だけが響いていた。
やがて出来る限り髪を整え終わると、お湯で切った髪を流した。そのままついでに、石鹸で頭を洗ってあげる。
「ふふっ」
「? どうかしましたか?」
「いや、なんだか乳母のことを思い出してしまってな」
「乳母、ですか」
「ああ。わたしが小さい頃は、時々こうして髪を切ってくれていた」
「小さい頃は……? 今はもうやってくれないのですか?」
「6年前に流行り病でな。あっさり逝ってしまった」
「あ……すみませんでした」
「いや、気にすることはない。生みの母は健在だし、父に兄弟、他にも家族はたくさんいるからな。寂しいと思ったことはないぞ」
「そう、ですか……」
私にも家族はいる。でも、私はずっと寂しかった。今世の家族が、私の心の穴を埋めてくれることはなかった。それは今でも変わらない…………? あれ? そう言えば最近は、あまり寂しいと感じてないような……?
「それにっ!」
ランの微妙に上ずった声が、私の思考を断ち切った。
「最近、友達も出来たしなっ!」
「……」
その、ランの言葉に。
ランの髪を洗っていた両手が止まった。
すると、ピクッとランの肩が跳ねる。その強張った背筋と上ずった声から、ランが緊張していることは明らかだった。
……友達? ……友達、ねぇ。
まあ、たしかにランのことは……嫌いじゃない。
割とゴーイングマイウェイなところがあるが、止めれば素直に止まるし、人が本気で嫌がることはしない。意外と気遣いが出来るし、自分が悪いことをしたと気付けばきちんと謝る。……間違いなく善人ではある、のだろう。その明るくさっぱりとした性格に、色々と助けられたのも事実。
それに……数時間前、罠に掛かった時。
私は、電撃を食らって沈んでいくランを見て、自分でも意外なほどに取り乱した。そして、ランが意識を取り戻した時には、心の底からほっとした。それは、ランが皇女だからとか、探索の相棒だからとかは、全然関係なくて……きっと、きっと私が、最近寂しさを感じていないのは……
「……ふぅ」
いや、御託はもうやめよう。
私は心のままに生きると決めた。その心が、もう認めてしまっているのだから……もう、いいじゃないか。
「……そうですね。私達は、友達です」
私が、そう言った瞬間。
ランがバッとこちらを振り向いた。そして、いつものように明るく、それでいて少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「うむ……うむ! そうだな! わたし達は、友達だな!!」
そう噛み締めるように言うランを見て、私も肩の力を抜くと、微かに笑みを浮かべた。
しかし……暢気に笑っていられたのは、そこまでだった。
「よし! では、今度はわたしがお前の髪を洗ってやろう!!」
「……はい?」
ガバッと上げられた顔。ガッと掴まれた腕。いや、ちょ……
「なに、遠慮をすることはない。友達なのだからな!」
「いやいや、友達だからとかじゃなく……ちょっ、下着を脱がそうとするなぁ!」
「女同士、それも友達同士で何を恥ずかしがることがある? ほら、さっさと脱ぐのだ」
「ひぁっ、どこ触って……っ!? やめっ、百合豚が興奮するでしょうがぁ!?」
「ユリブタ……? なんだそれは。おいしいのか?」
「むしろ、百合豚にとって今の私達がおいしいんじゃないかなぁ!?」
「? 何を言っているのかよく分からんが……お? そういえばいつの間にか敬語じゃなくなっているな。そうだな。友達だものな! ふははは!!」
「いいぃぃやああぁぁぁーーー!!!」
……拝啓、お父さん。お母さん。
この度、私に今世で初めてとなる友達が出来ました。
それ自体は、まあよかったのですが……
「ほらほら、さっさと下も脱ぐのだぁ!!」
「やめてぇぇーーー!!?!」
……その友達に、現在進行形で襲われ(?)掛けているのですが、どうしたらいいでしょうか?
梨沙……お前いつの間に百合沙になったんや?