更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-㉖
水中を白く染め上げる閃光と、全身を襲う軽い熱感と痺れ。
結界に守られている私に知覚できたのは、それだけだった。
しかし、私同様パニック状態に陥り、神術の発動を切らしていたのであろうランは、それだけでは済まなかった。
「ガッ!!?」
鈍く響く声に、反射的に顔を向ける。
するとそこには……口から大量の泡を吐き出しながら、白目を剥いてゆっくりと沈んでいくランの姿があった。
(ランっ!? くっ!)
息が苦しい。
それでも必死に水を掻いて手を伸ばすと、沈んでいくランのコートを引っ掴み、引き寄せる。その体からは完全に力が失われており、意識を失っていることは明らかだった。
(マズいマズいマズい!! ランが、生きて、いや先に脱出を!)
ランの状態は心配だが、まずはこの水中から脱出しなければならない。
それは分かっているのだが、頭の中がパニック状態で神術の発動もままならない。
(落ち着け私っ! 神術が使えなくても、元の方向に泳げば……って、元の方向どっちよ!! 神術による隠蔽が完璧過ぎて、どこまでが水かなんて……ん? え、うそ)
周囲を見渡した私の視界に、うっすらと
(まさか氷!? 退路を断たれた!?)
そちらに手を伸ばすと、固い感触と共にゴンッという鈍い音が水中に響き渡る。
なんと、水中に電撃が走ると同時に、通路を塞ぐ水の塊が表面から徐々に凍り始めていたのだ。
閉じ込められた。
その事実が、私の中に残っていた僅かばかりの冷静さを完全に奪い去った。
「~~~~~~!!?!」
半ば半狂乱になりながら、我武者羅に拳を振るう。
だが、神術によって成長を続ける氷は予想以上に頑丈で、その上踏ん張りが利かない水中では拳にも力が乗らない。結果、私の拳は氷の表面を僅かに削るだけで、貫通させることは叶わなかった。
(マズ、い……意識、が……)
頭の中がぼんやりとしてきた。もはや、苦しいという感覚すら曖昧だ。
冷水の中にいるというのに、妙に全身が熱い。もう、腕に力が入らない。
(ここで……終わりなの? こんな、ところで……)
視界が暗くなってきた。何とかしなければ2人共確実に死ぬと分かっているのに、頭が働かない。
(ラン、ごめ……もう、意識……が…………)
……………………
…………
……
* * * * * * *
気付くと、私は黒い空間にいた。
黒い。ただただ黒いだけで、何もない空間……いや、何か……いる?
……あれ? 赤鬼さんじゃないですか。なんか久しぶりですね。
え? 諦めるな? いや、状況見てました? そんなこと言われても、あの状況じゃあお母さん直伝の護身術も役に立たないし……。え? 神術? いやいや、もう半分意識飛んでるし。そんな状態で発動できる神術なんて…………
『我がルービルテ辺境候家に伝わる秘術“
『これは……素晴らしい完成度ですね』
あ……あった。
* * * * * * *
自分の内面世界から戻って来ると同時に、私はなけなしの集中力をかき集めた。
発動するのは、ついこの前習得したばかりの……しかし、今や自分の固有神術と同等以上に自在に使いこなせる秘術。
(“三叉──)
目の前の氷、そしてその先にまっすぐ伸びる通路を睨み、神力を解放する。
(──撃”!!)
神力が消費される感覚と共に、全身が弾かれたように急加速する。
一瞬にして全身が氷の壁に激突し、そのまま何事もなかったかのように突き破った。
「げほっ! ゴボッ!」
水中から脱出すると同時に激しくえづく。
生存本能に衝き動かされた体が、水を吐き出し、必死に酸素を取り込もうとするが……まだ、蹲るわけにはいかない。まだ、神術は終わっていない。
「っ!!」
10m程を移動し、
私は足が地面に着くと同時に振り返り、涙で滲む視界に、水中に取り残されたランの姿を捉えた。
そして、自分自身の体と心に鞭を打つと、2回目の加速に身を任せた。
酸素を求めて咳き込む体を無理矢理抑え込み、息を止める。勢いに任せて再びタックルで氷を突き破ると、地面近くにいるラン目掛けて水中に飛び込んだ。
そしてランの体を抱きかかえると、再度振り返って3回目の加速。遂にランを連れて、水の牢獄から脱出したのだった。
「げほっ、げっほ、おぇ」
神術が終わると同時に、私の気力も尽きた。地面に倒れ込み、その固い感触にどこか安心感を覚えながら咳き込む。
そのまましばらくぐったりしていたが……不意に、咳き込む音が自分1人のものではなくなっていることに気付いた。
「ランっ!?」
「ごほっ、リア、か……」
「無事ですか……よかった……」
「なんとか、な……」
上体を起こすと、隣に横たわるランを覗き込む。
「大丈夫ですか? 電撃をまともに食らったようですが……」
「一応、ごほっ、完全に“竜殻”が解除された訳ではなかったからな……それでもしばらく意識が飛んだが」
「そうですか……怪我は?」
「全身がヒリつくくらい、だな。ごほっ。その他は特に問題なさそうだ」
「全身に軽度の火傷を負っているのでしょう。すぐに治療します」
手早く治癒系神術を発動すると、水属性神術で2人の体を乾かす。そうするが早いか、ランはすぐに起き上がった。
「まだ安静にしていた方が……」
「いや、問題ない。助かったぞ」
「いえ……元はと言えば、私が油断したのが原因ですから。本当にすみませんでした」
「? 罠に気付かなかったのはわたしも同じだ。お前が謝る必要はないぞ?」
ランは心からそう言っているのだろう。だが、私の自責の念は収まらなかった。
そもそも、1週間に及ぶ探索で精神的に滅入ってきているのは分かっていたのだ。
注意力が散漫になっている自覚もあったのに、無理に強行軍を続けた私の落ち度だ。その結果、自分自身だけでなくランの命まで危険に晒してしまった。もう少し精神的に余裕があれば、水に突っ込むのは仕方ないとしても、条件発動型の罠には対処出来ていただろうに。
後悔に唇を噛んで俯く私に、ランはいつも通りの明るい口調で言った。
「それにしても、えらく周到な罠だな……見えない水の塊に、電撃と更には氷の牢獄とは!」
「はい……神術師相手でなければ、必殺と言っても過言ではないかと」
電撃で水中に取り込んだ者の意識を奪い、氷の壁で外部からの救援も阻止する。
神術師でなければまず脱出も救援も不可能だろう。いや、一度引っ掛かってしまえば神術師でも対処は困難だ。事実私達も死に掛けたし。
「さて……どうする? 氷さえ解ければ、高速飛行で強行突破は可能だと思うが……」
「そうですね……」
条件発動型の神術が停止した以上、冷気は解除されているはずだ。
ランの言う通り、氷という障害さえなければ、水自体は3秒以内に強行突破できそうだ。それでなくとも、ネタが分かっていれば対処は出来る。
だが……
「いえ……今日はここまでにしておきましょう」
「ふむ? ……そうか。では、少し早いが夕食にするか?」
「いえ……」
ランの顔を見る。怪訝そうに片眉を上げた顔で見返される。
ふむ……まあ、いいか。ランになら少しくらい力を見せても。
「一旦、町に戻りましょう。どうやら私には、少し休息が必要なようです」
「なに? いや、お前がいいなら構わないが……いいのか?」
その心配げな様子に何か勘違いしていると悟った私は、立ち上がりながらランの勘違いを訂正した。
「別に攻略を諦めた訳ではありません。一旦、探索を中止するだけです」
そう告げると、自分の内側に意識を集中させる。
(うん……大丈夫。まだ万全じゃないけど、この鉱山くらいの範囲なら問題なさそう)
接続先はもう決めてある。あの光景は忘れたくても忘れられないほど、鮮烈に脳裏に焼き付いている。
「と、その前に……」
ここに戻って来れるように、目印を残しておかないと。この赤青二色の鉱脈は印象的だが、これだけでは目印として心許ない。
「ふむ……」
少し考えてから、私は右ポケットから貴族時代に身に付けていた装飾品をいくつか取り出すと、それらを円を描くように地面に並べた。
「おい、何をしているのだ?」
「すみません、少し静かにしていてください」
ランを静かにさせると、私は目の前の光景を目に焼き付ける。
これらの装飾品はどれも私にとって慣れ親しんだもので、その造形は細部までしっかりと覚えている。
その配置、並べられた順番をしっかりと記憶する。
(……うん、大丈夫。覚えた)
一度答え合わせをしてから、私は意識を切り替えた。
目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をして、今の私に出来る最大出力で神力を引き出す。
思い出すのは、灰色の坑道。そのあちこちに覗く赤色の鉱石。そして……通路を埋め尽くす、炎の壁。
音を立てず、派手に燃え盛る訳でもなく、ただそこにあった炎の壁。侵入者を待ち構える炎の門。この大迷宮の……入口。
「接続」
イメージが固まると同時に、私はすっと目を開け、静かに唱えた。
膨大な神力が目の前に集まり、光の円を描き……その内側に、炎が覗いた。
「おお!? なんだこれは!?」
「説明は後です。時間がないので、早く行きましょう」
驚くランを促し、先に光の門を潜る。すると、そこはもう大迷宮の入り口前通路だった。
「なんだこれは……? どうなっている?」
後に続いたランが、呆然と周囲を見渡す。
丁寧に説明する気はなかったので、簡潔に要点だけ伝える。
「大迷宮の入り口に戻って来たのですよ」
「なに!? いや、たしかにここは……だが、しかし……」
「私の固有神術です。他言無用でお願いしますよ」
「む……うむ、そうか。分かった」
私の言葉に、ランは納得がいかない様子ながらも、それ以上の追求はしなかった。
ランのこういうところは、素直に好ましいと思う。相手が本当に嫌がること、触れられたくないことには、たとえどんなに気になっても決して踏み込まない。
「さて、町に戻って宿を取りましょう。1週間ぶりにちゃんとした食事もしたいですし」
「……ふむ、そうだな。よし! そうと決まったら肉を食おう肉を! 干し肉も悪くはないが、そろそろ血が滴るような肉も食いたくなってきたところだったしな!!」
「野獣ですか、あなたは」
「ふははは! ツァオ兄上にも時々言われる!」
そして、切り替えも早い。それに、ただ能天気な訳でもない。
この明るい振舞いは、半分以上は落ち込んでいる私を気遣ってのものなのだろう。私にも、ようやくそのランの気遣いが分かるようになった。
「……ありがとう、ラン」
「ん? 何か言ったか?」
小声で呟いたお礼に、ランが敏感に反応する。
「本当に野生動物並みの地獄耳だな」と内心苦笑しながら、私は澄ました顔で言った。
「いいえ? 特に何も」
梨沙……お前いつの間にツンデレになったんや?