マサムネ内記@masamune_nike·8月2日ある作品を見て、「作家はこう言いたかったのだ」=主題追求に囚われてしまう。 読書感想文では推奨される書き方ですが、映像作品でそれを推し通すのは困難です。 何故か? 映像作品は複雑ゆえに、主題追求で収まらないからです。 主題を発生させる構造、伝える手段まで言及しないとダメだからです。21861
マサムネ内記@masamune_nike·8月2日主題追求は、作品を論ずる時の常套手段と考えられていますが、それは作品理解の一端に過ぎない。 映画やアニメ等の映像作品では、文学とは違う手段で、視聴者の感情を動かすことが出来る。 その手段の追求から、最終的に主題を導くのであれば、「映像作品たらしめるもの」を論ずることが出来ます。114
マサムネ内記@masamune_nike·8月2日ここで『けものフレンズ』『けものフレンズ2』を考えていくと。 それぞれの作品を論ずるに 「主題ありき」 「作家はこう言いたかった」 を前提に考え出すと、両作品の構成要素が違い過ぎる点でどうしても戸惑いが生まれる。 成功/失敗の作品の違いはあるのです。 #けものフレンズ #けものフレンズ2215
マサムネ内記@masamune_nike·8月2日何をもって失敗とするか? 1つは「視聴者に伝わらない部分があった」とする見方です。 『2』では多くの人が拒絶反応を示した所がある。 これを「必要な演出だと気づかせる/納得させる」ために、脚本家や演出家には多数の手段が用意されている。 その伝え方に失敗したということ。 #けものフレンズ21420
マサムネ内記@masamune_nikeでは、『2』は失敗しているのではなく、 「視聴者が作家の手段や演出に気づかない方がダメだ」 とすると、これは大変問題なのです。 映像作品は 〈作家〉−〈作品〉−〈視聴者〉 の通信が良好な時に相互理解がありますが、通信障害は視聴者のせいだ、という考え方になってしまう。 #けものフレンズ2午後2:31 · 2020年8月2日·Twitter for Android6 リツイート19 いいねの数
マサムネ内記@masamune_nike·8月2日返信先: @masamune_nikeさん作家は作品を成立させるための手段を有しながら、そこで失敗している時に、視聴者の見方がおかしいというのは問題のすり替えになる。 「主題があるはずだ」 「主題が伝わらないのは、見ている側に問題がある」 という前提が危険なのは、こうした思考の枠にハマってはいけないという意味です。1619
マサムネ内記@masamune_nike·8月2日#けものフレンズ2 を論ずる時に僕が心掛けるのは、 〈作家〉−〈作品〉−〈視聴者〉 この通信が凄まじい障害を起こした理由としての、「作品論」に留めること。 作品を成立させるカットの美学や編集、脚本が問題になり、主題追求は必要ない。 映像作品論であることで『2』を巡る現象を解くこと。1414
マサムネ内記@masamune_nike·8月2日なので、#けものフレンズ2 に限らず、あらゆる作品で 「主題があるはずだ」 「作家はこう言いたかったのだ」 を考え続けること自体を疑ってみて下さい。 主題を巡る冒険、それは胡蝶の夢を追いかけるような話。 それくらいの戯れに過ぎないと、僕は考えています。 以上です… 少し神経質ですが…3927