更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-㉔
「いいいいやああぁぁぁーーー!!!」
「うおおおぉぉぉぉーーーー!!?」
ゴゴゴゴゴ ガッ ゴンッ ゴゴゴゴゴ
背後から迫る不吉な音から必死に逃げる。
分かれ道を左側に進んで数分後、私達は巨大な岩に追われて坂道を全力疾走していた。
なんでこんな日本において定番とも言える罠に掛かっているのか。事の発端は数十秒前に遡る。
分かれ道を進むこと数分、私達は壁面から突き出る四角いでっぱりと、その下に埋め込まれたプレートを見付けたのだ。
そのプレートには、『宝石をプレゼントします』という文章が刻まれていた。状況からして、上のでっぱりを押せという意図は明白だった。
当然、宝石になど興味がない私は、あまりにも怪し過ぎるスイッチを無視して素通りしようとした。の、だが……
「なんであそこで押しちゃうかなぁ!?」
「あそこまであからさまだと
「だからって秒で押すとかバカなの!? いや、もうバカでしょ! バーカ! バァーーカ!!」
隣を疾駆するランに向かって、子供染みた悪態を吐き散らかす。
そう、私が無視しようとしたのに、
そしたら隣の壁がゴゴゴッと開き、奥からあの岩が転がり出て来たってワケ。後はもうどちらからともなく坂道ダッシュね。
いや、まあ確かにね? 押してみたいって気持ちは分からんでもないよ? そして意外にも、あのプレート嘘は吐いてなかったみたいだしね? あの岩よ~っく見たら、緑色した宝石の原石っぽいのがポツンと付いてるしね? それ以外の岩の部分と殺意が巨大過ぎるけど!!
未だに岩に追い付かれていないのは、地面がデコボコで岩自体も完全な球体ではないからだ。だが、こうして転がっている内に角が取れて速度が上がるだろうし、それでなくとも大迷宮内を後先考えず走り続けるのは危険過ぎる。
逃げてる最中に別の罠を起動させてしまう可能性が高いし、私達が回避したところであの岩が罠を起動させてしまう可能性だってある。
「ああぁぁーーーもうっ!!」
私は苛立ちを吐き出すようにそう叫ぶと、右手に神力を集中させながら急停止した。
そして、踏ん張った右足はそのままに、振り返りつつ左足を大きく踏み出すと、地面のでっぱりや壁にガツガツとぶつかりながらこちらに迫ってくる大岩に向かって、全力で右の掌底を叩きこんだ。
秘技“壁ドン”ד崩天撃”
その圧倒的な破壊力は、巨大な岩全体にあっという間に亀裂を走らせ──
(あれ? なんか手応えが……)
そう違和感を感じた瞬間、私の右腕が岩にめり込んだ。いや、これはめり込んだんじゃなく……打ち抜いた?
「え?」
次の瞬間、右腕が穿った穴から……そして岩全体に走った亀裂から、ドバっと乳白色の液体が溢れ出した。さながら水風船が破裂するように、岩が砕けると同時にその中に詰め込まれていた大量の液体が通路を埋め尽くす。
(毒!? それとも酸!?)
そう警戒し、咄嗟に腕で鼻と口を塞いだ私の足が……地面を捉え損なった。
「んな!?」
突然踏ん張りが効かなくなり、足が坂道の上を滑る。そして、数秒後にはバランスを崩して前のめりに転倒した。そのまま先程の全力疾走を超える速度で坂を滑り落ちる。
「うわっ! ちょっ!?」
「うおおおお!!?」
体をひねって仰向けになりつつ前方(というか足元?)を見ると、先を行くランも謎の液体に足を取られて転倒していた。
頭を前に、うつ伏せの状態で通路を滑っていく。
(マズイ、お約束だとこの後は……!)
素早く“飛行”を発動して空中に逃れようとした……その瞬間
「うおっ!? なんか引っかか──!?」
ランの声と共に、少し先の地面がガパッと開いた。
更にはそれと連動して開いた天井の穴から、大量の液体が滝のように流れ落ちてきた。
その液体は、先程岩から出てきたのと同じ乳白色をしていた。ただし、さっきと違うのは……ものすごい湯気を立ててること。
「っ!!」
一瞬出遅れながらも、私は“飛行”を発動してランを追った。
しかし、間に合わない。私がランに追い付くより、ランが穴に落ちる方が早い。
だが、それよりも更に早く、乳白色の怒涛が立てる轟音に紛れて何かを叫んだランの全身が、神力に包まれた。
そして、その姿が一瞬で白い滝に飲み込まれる。
だが……姿が見えなくなっても、神力の気配は追える。
私は息を止め、すぐにランの後を追って滝に飛び込むと、神力の気配を頼りに手を伸ばす。
その指がコートの裾らしき部分に触れ、しっかりと握った……と思ったら、ぬるりと手の中から滑り抜けた。
(ヤバッ! いや、先にこの水を……っ!)
私は咄嗟の判断で水属性神術を発動すると、滝を割って視界と呼吸を確保した。
(ランは……!?)
慌てて視線を下ろし、その姿を探す……と、すぐに見付かった。
「ぬ、お、くっ……!!」
ランはどこからか取り出したナイフを壁面に突き刺し、左腕だけで全体重+崩天槌を支えていたのだ。
だが、やはり手が滑るようで、視線がナイフを握る左手と戦槌を握る右手を行ったり来たりしている……ので、私はランと戦槌をまとめて“念動”で引っ張り上げることにした。
「あれ?」
だが、なぜかランの体を引っ張り上げることが出来ない。
仕方ないので、対象をランの体から着ているコートに変更する。
「ん、おお?」
あ、なんかUFOキャッチャーみたい。
まるで襟首を掴まれたような体勢で吊り上げられるランを見てそんな感想を抱きながら、そのまま穴の反対側に運ぶと、私もその隣に着地する……
「うわぃ!?」
と同時にコケそうになって、慌ててバランスを取る。
そして、水属性神術で全身に付着した液体を落とした。
「う、ぬお、お……!!」
ん? お、おお……ランがまるで生まれたての子鹿のように……。
「み、見てないで助けてくれないか!?」
立つに立てずに四つん這いでプルプルしているランを眺める私に、ランが非難がましくそう叫んでくるが……でも、ねえ? 自業自得じゃん。たしかに岩を砕いたのは私だけど、元はと言えばランがスイッチ押したのが原因なんだし。
「もう少しそうやって自分の迂闊さを反省したら?」
思わず冷たい表情でそう言い放つと、ランが一瞬目を見開いて──なぜかにへらっと笑った。
「……なんで笑ってんの?」
「いや、ついにリアも敬語をやめてくれたのだと思ってな?」
「っ」
なんだかその顔を見ていられず、私は目を逸らすと、神術でさっさとランの体に付着した液体を落とした。
そして、何かを誤魔化すように振り返ると、いつの間にか液体の放出が止まっている背後の穴を覗き込む。
落ちないよう、慎重に落とし穴の底を覗いて……ゾッとした。
そこには、金属特有の鈍い輝きを放つ鋭く長い針がビッシリと生えていたのだ。ご丁寧に水のはけ口があるようで、上から落ちてきた液体は一切底には溜まっていない。これでは水面に落ちて助かるようなこともないだろう。
(というか、穴の壁面も驚くほど凹凸がないし……これ、私みたいに飛べなかったら落ちた時点で詰みじゃないの? 万が一針で死ななくても、この壁面プラス滑る液体じゃ登ることも不可能でしょ……いや、その前に熱湯と岩で死ぬか)
改めて気付いたこの罠のえげつなさに内心呻いていると、穴の底に針に紛れて何か白いものが散らばっているのが見えた。
細く長い……棒状のもあれば、微妙に湾曲しているものや球状の…………ん? え、お? あれ、まさか人間の頭蓋こ……いや! 何も見てない!! 私は何も見てないぞ!?
その正体を察し、私は慌てて顔を上げた。
(そ、そう言えば、あの見るからに熱い液体を思いっ切りかぶったランは大丈夫だったのかな!?)
今更ながら浮かんだ疑問に、半ば以上思考を切り替えるためにバッと振り返ると、ランが「お、おお?」と少し驚いた表情をする。その肌は少し火照ったように赤らんでいる気はするが……特に火傷をしているわけではなさそうだった。
「ど、どうした?」
「あっ、いえ。熱湯を思いっ切りかぶったようでしたが、大丈夫だったのかと思いまして」
「ああ……それは大丈夫だ。直前に“
「なるほど」
“竜殻”は、帝国の皇帝家と一部の高位貴族の間で伝えられている秘術で、身体強化系の神術の中では最高峰とも言われる神術の1つだ。
その効果は2つ。1つは強力な身体強化。そしてもう1つは、名称通り自分の肌に竜種の竜燐さながらの強度と神力遮断能力を付与するというもの。私の“念動”がランの体に効かなかったのも、そのせいだろう。
この神術は外部からの神術による干渉をある程度遮断できる一方、自分も体外に神力を放出することが出来なくなる。つまり、自分自身の肉体と精神にしか神術を掛けることが出来なくなるのだが……ランにとってそれは特に問題ではないようだ。
それに、物理的な強度も申し分ない。
皇帝クラスがこの神術を使うと、生身で鋼の剣を受け止め、火や雷も一切通用しなくなるらしいが……どうやらランもそれに近い領域に至っているらしい。
その神術の威力と、あの状況で発動を間に合わせたその技量に素直に感心していると、ランが何やら落ち着かなそうな様子で上目遣いにこちらを見てきた。
「あ、あのだな……また、敬語に戻っているのだが……?」
「……なんのことでしょう?」
「いや、いやいや、先程は普通に話していたではないか?」
「記憶にございません」
まるで後ろめたいことがある国会議員のようにそう言い放つと、私はさっさと先を歩き出した。
「あっ、ちょっと待った!」
「……なんですか?」
背後からの制止に殊更に無表情で振り返ると、ランが微妙に視線を泳がせながらコートのポケットから何かを取り出した。
「ああ~~……その、だな。反省してる。うん、さっきのはたしかにわたしが迂闊だった。すまない」
「……まあ、次から気を付けてくれればいいですよ」
「あ、うむ。それで、その……うん、お詫びと言ってはなんだが……」
「? なんですか?」
差し出されたものを受け取ると、それは綺麗な緑色をした宝石の原石だった。……というか、もしかしなくてもさっきの岩に埋め込まれていた宝石の原石だった。
「お前が岩を砕いた時、ちょうど近くに落ちてきたのでな。拾っておいたのだ」
「はあ……いや、なんとまあ……」
すごい偶然と驚くべきか、あの状況でちゃっかり回収していることに呆れるべきか。
判断に迷うが……とりあえず、毒気が抜かれた。なんかもう色々と馬鹿馬鹿しくなってきた。
「いえ、そうですね。謝意は受け入れます。……ありがとうございます」
「うむ! 改めて頼むぞ!」
そう言って明るく笑うラン。
その姿に、私も微かに笑みを漏らし……そのことを自覚して、慌てて前に向き直ると、受け取った宝石を右ポケットに突っ込みながら少し早歩きで先を進んだ。
そして──何かが脚に引っ掛かり、あっさりと切れた。
「エ?」
「ん?」
猛烈に嫌な予感が全身を襲う。
そしてその予感は、ゴゴンッと重く響く音と共に現実と化した。
「Oh……」
「なん、だと……!?」
前方の左側の壁から現れた巨大な岩。
それは通路をほぼ完全に塞ぎながら、真っ直ぐこちらに転がって来る。
(ここでまさかの追撃!?)
まさかの三段構えの罠に、穴の反対側に逃げようと慌てて振り返り……反対側からも岩が転がってきていることに気付いて内心で呻いた。
……だが、まあ問題はない。前後が駄目なら上に逃げればいいだけだ。
ふふふ、抜かったな聖人ヴァレント。残念ながら私は飛べるのだよ。
この罠を仕掛けた聖人ヴァレントの性格の悪さにげんなりしつつ、回避策があることに内心ほくそ笑む。そして、前後から迫る岩を見て鼻で笑ってから、ランの体をぐいっと引き寄せた。
「失礼」
「おぉ!?」
驚いて体を硬直させるランを無視し、“飛行”で上の穴に逃げ込む。
すると間もなく、今出た通路から転がり出て来た岩が眼下の穴に落下し、少し時間差を置いて、反対側から出て来た岩もまた穴に落下した。
そして、重々しい音を立てながら穴に落ちた岩が砕け、またしても中から液体が……ん? なんか……茶色? さっきまでの液体と違……うっ!
「くさっ!!?」
「んぐっ! なんだこの臭いは!?」
下から漂ってきた強烈な臭気に、2人共慌てて鼻を塞ぐ。
何これ? まるで生ごみと排泄物を混ぜて凝縮したような…‥まさかの臭い責め?
……結論から言うと、そうではなかった。
いや、もしかしたらそういう意図も含まれていたのかもしれないが……それだけではなかった。それだけならどれだけよかったことか。
頭上から聞こえてきたガサガサという音に、私は心からそう思った。
突然聞こえてきた音に、反射的に上を見上げる。
まず目に入ったのは、一定の間隔で壁面にぐるりと開いた、先程の乳白色の液体を放出していたであろう無数の穴。
そして更にその上、縦穴の奥から……手の平サイズの黒光りする何かが、まるで強烈な臭気に惹かれたようにぞろぞろと出て来た。
「ひぐっ!!?」
「んぎっ!?!」
2人同時にその正体に気付き、喉奥から引き攣った音を漏らす。
思わず空中でしっかりと抱き合いながら、目を見開いて見詰めるその先で……黒い何かが、一斉に羽を広げ……っ!!?
「「~~~~~~~~!!!?!!?」」
縦穴の中に、2人分の声にならない悲鳴が響き渡った。