更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-㉓
のたうつようにして、私の顔面目掛けて伸び上がってくる灰色の生物。
地面から飛び出すその姿は、一見巨大なミミズのようにも見えたが……それにしては先端部分にズラリと並ぶ牙があまりにも凶暴に過ぎた。
(神術、間に合わ……剣……いや、速)
その直下からの奇襲に対して、一瞬の思考の末に私が取った行動は──
「ふっ!」
神術による防御でも腰の剣を抜いての迎撃でもなく、右手での鷲摑みだった。
螺旋状に鋭い突起が生えた硬質な体が、《破天甲》とぶつかってガリガリと音を立てる。
しかし、驚いたことにそれでも止まらない。
勢いを緩めながらも、この害獣はなおも私の顔面に牙を突き立てようと伸びてくる。
だが、その牙が私に届く前に──
「シュッ!!」
一瞬右手の握りを緩め、息を吐くと同時に一気に締める!!
メギャッ!!
硬質な外殻を握り潰す感覚と共に、接近していた害獣がビクンッと動きを止める。
そして、胴体を握り潰された害獣は、口から黄緑色の粘液を撒き散らしながらダランと力を失った。うわっ、きたなっ! というか気持ち悪っ!!
慌てて右手を放すと、ペイッと地面に放り捨てる。と、その瞬間、横から鈍い打撃音が響いた。
反射的にそちらを見ると、ランが自分の方に飛び出してきたもう1匹の害獣を《崩天槌》で叩き潰したところだった。
うえぇ……やっぱりなんか粘液出てる。気持ち悪ぅ……。
「ふん……おお、そっちも無事か」
《崩天槌》を肩に担ぎ直しつつ、こちらを見て安心したように笑うランに「そちらもご無事で」と返しつつ、私は改めて奇襲をかけてきた害獣に目を遣った。
(うわぁ、こうして改めて全体を見ると、すごい気持ち悪いなぁ)
地面から突き出しているその異様な姿に、思わず顔をしかめる。
全体は灰色でいくつも節があり、その間から赤色の肉が少し覗いている。
その灰色の外殻にはネジのように螺旋状の鋭い突起が付いており、先端部分には閉じると円錐状になる長い牙が円を描いて並んでいる。
今は牙が開いているのでそうは見えないが、牙を閉じたらまんまネジだろう。実際、どうやらそれぞれの節をねじるようにして回転し、土の中を掘り進むらしい。
(というか、これって一般的な生き物だと何に当たるの? 節があることからすると、やっぱりミミズ……いや、外殻が固いしむしろムカデ? いや、でも土を掘ってたし……って言っても、ミミズはこんな土の掘り方しないか。そもそも牙あるし)
本当に、判断に困る生物だ。
ガヌノフさんは見たまんまネジ虫と呼んでいたが、私は帝都の図書館で読んだヴァレントの大迷宮に関する本で、これらしき害獣を見ていた。
名前はたしかギギムレディム。最初のギギムはこの大迷宮の正式名称であるギギム鉱山からきており、この鉱山固有のレディム種らしい。
主食は土中に棲む虫だが、土の振動で動物の存在を感知すると、こうして土の中から飛び出して獲物にかじりつくらしい。
(ま、結界があるから別に焦ることなかったんだけどね……)
いきなりガッツリ顔面を狙われたから、反射的にお母さんに仕込まれた護身術が出てしまった。
ちなみにさっきの技は、『オトコをオトすマル秘テクニック』の1つ、“
コツは手首のスナップを使い、指を閉じると同時に手の平で迎えに行くこと。そうすることで、瞬間的に最大級の圧力を発生させることが出来る。
ちなみに、禁じ手『殺っていいなら苦悶死鬼』の方に“圧苦首(裏)”っていうのがあって、こちらは背面から首を握って頸椎を粉砕する技だったりする。下手したら死ぬし、下手しなくてももれなく首から下に麻痺が残るから、使う相手は慎重に選ばないとダメだっておばあちゃんが言ってたな……直径50cm、重さ300kg以上ある木の丸太を、片手で掴み上げながら。
前世の家族を思い出して懐かしい気分になっていると、隣のランがなにやら、自分が叩き潰したギギムレディムの死骸をグイグイと引っ張り出した。
「……何をやっているんですか?」
「ん? いや、これは本当に上と繋がっているのかと思ってな……だが、んっく! ぬおお!!」
ランは全力で死骸を引っ張っているのだが、体の大部分が土に埋まっている死骸はビクともしない。そりゃそうだ。というか、そこそんなに気になるか?
「……上の尻尾も完全に動きが止まっていますし、繋がっているのではないですか? 尻尾で注意を引きつつ逆方向から奇襲とは、見た目の割にずいぶんと賢い害獣だとは思いますが」
「ふむ……まあたしかに、わたしでなければ奇襲を受けていたかもな。というかリアよ。お前もなかなか危なかったのではないか?」
どこか得意げな笑みを浮かべながらのその言葉に、私は少し言葉に詰まった。たしかに、ランの警告が無ければ一瞬反応が遅れていたかもしれない。
「……そうですね。結界がある分、少し油断していたようです」
「ふふん、そうだろうそうだろう。どうだ? わたしを連れてきて正解だったろう?」
その唐突な戦力アピールに、私は少し意外感を覚えた。
というのも……まあ失礼は重々承知の上で言うが、ランは自分が足を引っ張るとか役に立たないとかを気にするような神経はあまり持ち合わせていないと思っていたからだ。
(……一応、気にしてはいたんだ)
これは少し、彼女の評価を改めなければならない。
今までは割と傍若無人で、人の事情などあまり気に掛けないタイプだと思っていたのだが……考えてみれば、昨日危機に陥った貴族を助けた際、私に助力を求めるのにも心苦しそうな様子を見せていた。うん、こうして思い返してみると、ランはなんだかんだで私が本気で嫌がることはしていない気がする。
(意外と、人のことを気に掛けるタイプなのかも)
内心でランの評価を上方修正しつつ、私は微かな笑みを浮かべて言った。
「そうですね。ガヌノフさんの案内といい、ランに協力を得て正解でした」
ランはそんな私を見て一瞬目を見開くと、にかっと明るく笑った。
「なんだお前。そんな風に笑えるのではないか」
「え……」
「いつも表情を変えんから、てっきり笑ったりとかもしないのかと思ったではないか」
まあなんせ人見知りなので……っていうか私、今笑った? 苦笑とかではなく?
ランに思わぬ指摘をされ、私は思わず自分の口元を手で押さえた。
そんな私にランはますます笑みを深めつつ、上機嫌で踵を返すと、先に進み始めた。
「ま、これはまだ序の口だがな。お前は後で、わたしを連れてきたことを神に感謝するだろう。ふははっ!」
そう笑いながら踏み出したランの右足が……地面にめり込んだ。いや、地面そのものが沈み込んだ
回転床式の落とし穴だ。
ランの前方で跳ね上がる地面を見て、私はガヌノフさんが見せてくれた落とし穴を思い出した。このままでは、ランが落ちる……!?
「むっ!!」
……ことはなかった。
ランは右足が回転床を踏んだ瞬間、驚異的な反応速度で体を後方に引いていたのだ。
上体を後ろに倒しつつ、穴に落ちた右脚を引き戻す──
ゴッ!!
直前に、半回転した地面がランの右脚を直撃した。いや、ていうか完全に
「~~~~~~!!」
大丈夫じゃないらしい。
なんとか脚を引き戻したものの、ランは脛を押さえてその場に蹲ってしまった。うわぁ、痛ったそう……って、言ってる場合じゃないか。
「大丈夫ですか? 今治療を……」
「だ、大丈夫だ」
私が駆け寄ると、ランはスッと立ち上がった。……完全に涙目だけど。明らかに左足に体重乗っけてるけど。
「大丈夫じゃないでしょう。ほら、治しますから」
「む、う……」
「それにしても、目印がありませんでしたが……地図には書いてなかったんですか?」
ランの脚に治癒系神術を掛けながらそう問い掛けると、ランは気まずそうに視線を泳がせた。
「いや、それは……」
あ、察し。
どうやら地図には書いてあったにも拘らず、そのことがすっかり頭から抜け落ちていたらしい。なんとも間抜け過ぎる。
(褒めるとすぐ調子に乗るから注意が必要、と……)
何やら言い訳を続けているランに生暖かい目を向けながら、私は内心でランの評価に注意書きを書き足すのだった。
* * * * * * *
「ふむ……どうやら地図はここまでらしいな」
それから数十分後、私達は地図に記されている坑道の最奥部まで辿り着いていた。
あの脛強打事件以降はランも再び警戒を強め、私もきちんと地図を読み込んだおかげで、ここまでは何事もなく辿り着くことが出来た。
しかし、本番はむしろここからだ。
ここから先は地図のない区域。一応通路の両脇にはまだ60年前の探索隊が残した光の神具はあるが、これ以降は罠の目印がどこまで当てになるか怪しくなってくる。それに何より、道順が全く分からない。
「さて、どちらに行きましょうか……」
目の前に現れた分かれ道を前に、私はそう呟いた。
しかし、私の言葉にランは何やら不敵な笑みを浮かべると、懐から《ヴァレントの針》を取り出した。
「ふふふ……遂にこいつの出番のようだな……」
そう言って羅針盤を覗き込むランに、つい首を傾げる。
《ヴァレントの針》は、3本の針が強大な神力が存在する方向を指し示す神器だ。この状況で、その機能がどれほど役に立つのか……。
「なるほど……ほら、これを見ろ」
そうして差し出された羅針盤を見て、私は意外感に眉をひそめた。
いくら世界最大の神具の中にいるとはいえ、私は当然、3本の針の内1本は私を指していると思っていたのだが……。どういう訳か、長い針が左斜め前を、真ん中の針が右斜め前方──分かれ道の右側の通路を、短い針が後方。つまり、今来た通路を指していたのだ。
「どうだ、驚いただろう。この《ヴァレントの針》は、大迷宮内では長い針が最奥部の方向を、残りの2本の針がそれぞれ神力の気配が強い通路を指し示すのだ」
その説明を聞いて納得した。
これはたしかに、大迷宮攻略のための必須アイテムと言えるかもしれない。
今まで通って来た通路は、散発的に神術による罠が仕掛けられていた。
この神器によれば、右側の通路にはより強力な、あるいはより多くの神術が仕掛けられており、逆に左側の通路に行けば神術による罠は減るということだ。
何やら「どうだ? わたしに感謝してもいいのだぞ?」と言いたげな目をしているランに、しかしあっさり感謝しようものならまた調子に乗ることは目に見えているので、私は気付かないフリをして尋ねた。
「つまり、右側の通路の方が危険度が高いということですね?」
「ん? ……いや、そうとも言い切れんぞ? もしかしたら神具のお宝があるせいで、それに反応しているのかもしれん」
なるほど、その可能性もあるのか。
待ち受けるのは
しかし、今回に限っては迷う必要はない。
「しかし、ここはもう60年前に探索済みのようですし……神器が残されている可能性は極めて少ないのでは?」
「まあ、そうだな」
口ではそう言いつつ、ランは「ほら、そんなことよりわたしに言うことがあるのではないか? ん? ん?」とでも言いたげな、期待感ともどかしさが同居した目をしている。
……無視無視。
ランの顔が視界に入らないよう視線を落とし、私は沈思する。
普通に考えれば、最奥部の方向的にも安全度的にも、左側の通路だろう。しかし、通路が真っ直ぐ伸びているとは限らないし、ゲーム的な発想をすると、より危険度が高い通路の方がゴールへの近道のような気もする。さて、どうするか……。
しばし考え、しかし私は最終的に左側の通路を指差した。
「こちらに行きましょう」
「……ふむ、そうか」
ランはなんだかがっくりした様子で頷くと、すごすごと左側の通路に向かう。
(まあ、こんな初っ端から危険を冒すこともないでしょ。別にお宝に興味もないし。なるべく安全な通路を進んで、どうにも最奥部から遠ざかっているようなら戻って別の道を進めばいいよね)
自分にそう言い聞かし、私もランの後を追った。
……数分後に、その判断を激しく後悔するとも知らずに。