更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-⑳
── 翌日の昼過ぎ
流石は赤飛馬の王種と言うべきか、ホンの俊足のおかげで、私達は早くも目的地に辿り着いていた。
ヴァレントの大迷宮。正式名称をギギム鉱山。その麓に広がる鉱山都市、ギギムイー。その門が、遠くの方に見えて来ていた。
「よし、ホンはここまでだな。わたし達が戻って来るまで、そこら辺で待っていろ」
そう言うと、ホンの首筋をポンポンと叩いて、元来た方向へと送り出してしまう。
「いいんですか? 放し飼いにして……」
「なに、ホンは賢いし強いからな。そこら辺の害獣には負けんし、まあ適当にやっているだろう」
「はあ……」
「それより、早速行くぞ!」
「あっ、ちょっと待ってください」
そのまま堂々と門に向かおうとするランツィオを、慌てて引き留める。
「正面から小細工なしに行ったら、門番に止められますよ……ここは私に任せてください」
「む……それもそうか。しかし、どうするつもりだ? ……言っておくが、門番に精神系神術を使うつもりなら、わたしも無視は出来んぞ」
ランツィオの視線がスッと鋭くなる。
帝国においても、犯罪者以外に精神系神術を行使することは重罪だ。一応、パニックを鎮静化するためや精神病患者の治療目的とかなら例外は認められているが、今回のように検問を誤魔化すために使うのは完全にアウトだ。
だが、問題はない。私は
「大丈夫です。少し待ってください」
そう言うと、目を閉じて意識を集中させる。
発動させるのは、私の固有神術である“隠密”。ただし、今回は私だけではない。ランツィオも一緒に、気配を消さなければ……
「お、おお!? なんだ? お前の存在感が急に薄くなったぞ!?」
ランツィオの驚いた声が聞こえるが、それだけじゃダメだ。むしろ本当に気配を消すべきなのは、私よりもランツィオなのだから。
(ん……く、く……)
しかし、これが思った以上に難しい。
そもそも“隠密”自体、私が自分で身に付けた、
元から自分以外の存在感を消すということを想定していないため、どうにも上手くいかない。
「すみません殿下……手を、繋いで頂けますか?」
「お? う、うむ」
そう言うと、ランツィオは戸惑い気味に右手を差し出してきた。
その手を握り、再び意識を集中する。
私とランツィオを、1つの存在として認識し、神術を発動させる!
「ん、お?」
「……なんとか、上手くいったみたいですね」
目を開けると、目の前にいるランツィオの存在感が妙に希薄になっていた。
確かに目の前にいるのに、なぜか自然と視線が吸い寄せられない。むしろ、ふとした瞬間に足元の草や空を飛ぶ鳥に意識が行ってしまう。うん、これなら問題ないだろう。
「神術で私達の存在感を希薄にしました。これなら大丈夫だと思います」
「う、うむ……」
「では、行きましょう」
「それはいいが……手は繋いだままでないとダメか?」
ランツィオは何やら落ち着かない様子で繋いだ手を見ながら、右手をもぞもぞとしている。
「……すみません、手を繋いでいないと上手く気配が消せないので」
「そうか……いや、なんだかこそばゆいものだな。これは」
そう言って、なんだか困ったように、そして照れくさそうに笑う。
それを見て、私は「手を繋ぐくらいで何を……」と思ったが、考えてみれば私も生まれ変わってからというもの、手を繋いだことなんてハロルド以外ではない気がする。うわっ、そう考えるとなんだか私も落ち着かない気分になってきた。
「……とにかく、門を潜るまでは我慢してください」
「うむ……」
表面上は平静を装って、私はゆっくりとランツィオの手を引いた。
すると、ランツィオはいつもの傍若無人な態度はどこへやら、妙にしおらしく私の後を付いてくる。……なんだか調子が狂うな。
なんだか妙に居心地が悪い状態のまま、なんとか門まで辿り着くと、フードを外して門番に声を掛けた。
「すみません、町に入りたいのですが」
「ん? ああ」
門番の視線が、私とランツィオの顔を順に眺め……あっさりと逸らされた。
「1人につき、銅貨5枚だよ」
「はい」
「あ、いや、わたしが払おう」
ランツィオはそう言うと、私よりも早く硬貨を取り出し、門番に渡してしまった。
「はいよ、たしかに」
そう言って、門番はあっさりと道を開けた。
というか、もう私達のことなど見もしない。
こうして私達はいとも簡単に、町に入ることに成功したのだった。
「……とりあえず、手を離しましょうか」
「う、む」
しばらく通りを歩いたところで、私は“隠密”を解除し、ランツィオと繋いでいた手を離した。
すると、なぜかランツィオが少し名残惜しそうな顔をする。
「それで、これからどうしますか? このまま大迷宮に向かいますか?」
また妙な雰囲気になる前に、私は次の行動について尋ねた。すると、ランツィオも気を取り直したように首を振る。
「いや、先に案内人のところに行くぞ」
「案内人?」
「うむ、こっちだ」
そう言って歩き出すランツィオの後を、大人しく付いていく
町中を歩きながらも、これから向かう鉱山の威容は常に目に入った。
帝国一の、この大陸でも屈指の大鉱山。そして、今なおその中に多くの財宝を眠らせているという、聖人ヴァレントの大迷宮。
「すごい大きさですね……これだけの都市が出来たのも納得です」
この町は領都ではないが、それでもかなりの規模を誇っている。
それもこれも、この大鉱山が生み出す多大な富のおかげ……だと思っていたのだが、ランツィオは少し残念そうに肩を竦めた。
「ああ……だが、今はもうその大迷宮の資源は枯れたも同然だ。実際、町の大きさの割に活気がないだろう?」
「……」
そう言われてみれば、なんだか妙に寂れた印象を受ける。
まだ昼日中だというのに人通りもあまり多くないし、お店も品ぞろえがよくない気がする。
「今から60年前、帝国は過去最大規模の兵を動員して、大迷宮攻略に挑んだ。その結果、多くの貴重な財宝を発見したが……結局、最奥部までは辿り着くことが出来なかった。多くの犠牲を出した結果、分かったのは途中から神術師でなければどうにもならなくなるということ。どれだけの人海戦術を駆使しようが、それが神術師でなければ無意味だということだな。そして、その作戦で帝国が手に入れた最も貴重な神器の1つであり、攻略の鍵でもあるのが、これだ」
そう言って、ランツィオは懐から手の平サイズの羅針盤を取り出した。
「この《ヴァレントの針》は、大迷宮の最奥部に到達するための必要な道具でもある。だが、それが分かっていても……今や大迷宮に挑む者は皆無と言っていい。あれだけの人海戦術でも攻略出来なかったという事実。そして、常人で辿り着ける範囲の財宝は獲り尽くしてしまったということから、もう一獲千金を狙った一般人もほとんど中には入らない。かと言って、貴重な神術師複数名を、全滅させる覚悟で探索に投入するような貴族もいない。結果、今やほとんどただの観光地と化しているんだよ」
「なるほど……」
ランツィオの話に深く納得する。
それは確かに、誰も挑まなくなっても仕方ない。
いくら貴重な財宝の為だとはいえ、貴族であり、将来を約束された優秀な神術師が、自らの命を懸けてまで獲りに行こうとはなかなか思わないだろう。
「だが……」
そこでランツィオが不敵に笑った。
「これから会いに行く案内人は、未だに攻略を諦めていない極少数派の1人だ。さっき言った60年前の攻略作戦の生き残りでな。もう歳だから自分で探索に行くことはないが……その代わり、今でも探索を続ける者達の手助けをしている。この町で、奴ほど大迷宮に詳しい者はいないだろうな。……っと、ここだ」
ランツィオが視線で示した建物を見ると、そこは小さな工房だった。どうやら金属製品を作っている金物屋さんらしい。
「ガヌ爺! いるか!!」
ランツィオは店の扉を開けると、大きな声で人を呼びながらドカドカと中に入って行ってしまう。
慌ててその後を追うと、ちょうど店の奥にあるカウンターの向こうから、小柄ながらもガッチリとした体格の老人が顔を出したところだった。
「ふんっ、やたらとやかましいと思ったら……なんだ、お転婆皇女じゃないか」
見るからに偏屈そうな老人が放ったその言葉に、私はぎょっとする。いくらなんでも、皇女相手に使っていい言葉遣いではなかったからだ。
しかし、ランツィオはそんなことは一切気にした様子もなく笑っている。
「おお、元気そうだなガヌ爺!」
「おぬしほどじゃないがな。それで? 何の用じゃ」
「決まっているだろう! 大迷宮だ! また案内を頼むぞ!」
「……それはいいがの。そっちの娘は誰じゃ?」
ジロリと、私に視線が向けられる。
「はじめまして、サラと申します。今回殿下にお供させて頂くことになっています」
「おお、そう言えば紹介がまだだったな。サラ、こやつがガヌノフ。さっき話した案内人だ」
「なんじゃ。2人だけってことは、本格的な攻略ではなくまたお散歩か」
ふんっとつまらなそうに鼻を鳴らしたガヌノフさんに、ランツィオは胸を張って言う。
「いいや! 今回は本気だぞ! 本気で攻略を目指している!」
「ふんっ、バカ言うでないわ。2人だけで攻略出来るようなもんなら、とっくの昔に攻略されとるわ」
「む、言っておくが、こちらのサラは……」
「殿下」
余計なことを言いそうだったので、咄嗟に口をはさんで止める。ランツィオも、しまったという表情でピタリと口を噤んだ。
そんなランツィオを、ガヌノフさんはしばらく胡散臭そうに眺めていたが……やがて、鼻息を鳴らして立ち上がった。
「まあええわ。大迷宮の入り口まででええんじゃろ?」
「あと地図だな。最新版のやつを頼む」
「ふん……」
ガヌノフさんは店の奥へ向かうと、一枚の大きな羊皮紙を持って来た。
「言っておくが、どこまで正確かは分からんぞ?」
「構わない。どちらにせよ途中からは全くの不明なのだからな。最初の方の最低限の部分だけ分かれば十分だ」
そのガヌノフさんが持って来た地図は、地図と言うにはあまりにも粗雑だった。
あちこちに書き込まれている走り書きのおかげで、辛うじてどう道が繋がっているのかは分かるが……縮尺などはかなり適当なようだし、本当に道順を示しているだけといった感じだ。
「ところで、探索の道具は? 外か?」
「いや、持っているぞ?」
「はあ? 何を言って──」
「サラ」
ランツィオの視線を受け、私は一瞬躊躇ってから、受け取った地図をローブの右ポケットにしまった。
その明らかにポケットの大きさを無視した行動に、ガヌノフさんの目が大きく見開かれる。
「まあ、そういうことだ。ガヌ爺、今のは秘密で頼むぞ」
「はあ……なるほどな。確かに、並の連れではないようじゃな」
そうしてもう一度私をジロリと一瞥してから、ガヌノフさんはカウンターから出てきた。
「よかろう、ならばさっさと行くぞ」
「ちょっと待った、ガヌ爺。報酬は──」
「後払いでええわ。わしの案内を受けた上で、それに見合うと思う金額を払ってくれればええ。ほれ、さっさと出んか」
追い立てられるままに、店を出る。
すると、ガヌノフさんは店の看板をしまってから、先に立って歩き始めた。
町の中を通り抜け、なだらかな山道を歩くこと約20分。
目の前に鉱山の入り口が姿を現した。
見た目は、しっかりとした石造りのトンネル。元が坑道なだけあって、その作りは極めて頑丈そうだ。しかし、今はその入り口が冥界への入り口のようにも見える。
「……」
思わず立ち止まってその入り口を眺めていると、先を行くガヌノフさんが声を掛けてきた。
「それでは行くぞ」
「うむ、頼むぞ」
「……はいっ!」
私は気合を込めて答えると、その入口へと足を踏み出した。