更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-⑯
遅れました。すみません。
「フハハハハ!! 風が気持ちいいなぁ!!」
「――――っ」
帝都を出てかれこれ4、5時間。
私達は途中で昼食休憩を
昼休憩の時に、鞍に輪っか状にした縄を付けて
しかし、それでも私はランツィオにしがみついているので精いっぱいだった。ランツィオのように風を楽しむ余裕などあるはずもない。
赤飛馬に騎乗するのはこれが初めてだが、六本足のせいか上下の振動は意外と大したことない。
しかし、それにしてもこの暴力的な速度だけはどうにも慣れなかった。
普段乗っている馬がバイクだとするなら、ホンはさながらF1カーだ。
実際にはそこまでの速度差はないのだろうが、いかんせんこれほどの速度で地上を疾走するのは前世でも経験がないので、体感速度ではそのくらいに感じてしまうのだ。
……いや、厳密には一回、お父さんのバイクの後ろに乗せてもらった時に、昔の血が騒いだお父さんが爆走しかけたんだけど……。
……時速100キロを超えた時点で、どこからともなく現れたお母さんに止められた。物理的に。
あれは本当にどうやったのか分からなった。
どこから現れたのかも分からなければ、時速100キロオーバーで爆走するバイクの先にどうやって回り込んだかも分からない。そもそもどうやって爆走するバイクを止めたのかも分からなかった。
当時中学生だった私はただ、「女死力高くなるとあんなことも出来るんだなぁ」なんてぼんやりと考えてた。……お母さんに“
それはともかく、今のホンは明らかにその時のバイクよりも速い速度で走っていた。
人を2人乗せて、しかも金属の塊である戦鎚まで乗せてこれだけの速度を出せるなど、異世界生物ということを差し引いても常軌を逸しているとしか思えない。
明らかに野生動物の生存戦略的に必要な速度を超えている……と思ったが、この世界には翼竜という空を駆ける大型の肉食獣がいるのだった。
翼竜相手に地を駆けて逃げるのなら、これくらいの走破力は必要……なのかもしれない。
にしても、私はこれほどの速度で走る動物は、害獣含め他に見たことがないが。
(自分で走らせるんなら、もう少し楽しめるかもしれないんだけどなぁ)
いかんせん速度も方向転換も
特にランツィオは、走行中に何か気になるものを見付けた時、前触れもなく止まったり方向転換したりするのだ。
さっきなど、道端の木に生っていた果実に――――
「むっ! あれは……」
「!?」
言ってる先からランツィオが声を上げ、つい反射的に体に力が入る。
しかし今回は止まることなく、逆にホンの横腹を蹴りつけて加速させた。
下手に口を開くと舌を噛みそうだし、後ろからだとかなりの大声を上げないと聞こえないと思ったので、私は黙ってランツィオの肩越しに顔を覗かせ、前方を確認した。
すると、ランツィオが何を発見したのかすぐに分かった。
まだ遠くてはっきりとは見えないが、街道の先で戦闘が行われている。
それも、恐らく貴族のものと思われる大きく豪華な馬車を囲み、50人以上の男達が乱戦状態に陥っていた。
……そうこうする内に見えてきたが、どうやら装備からして賊と思われる男が30人以上、馬車を守っている兵士が20人足らずといった感じだった。
よく見ると、馬車の周囲にはおびただしい量の矢が突き刺さっており、馬車の前方は倒木によって道が塞がれていた。
(道を塞いだ上で道路の両脇から矢を射かけて、怯んだところに突っ込んで乱戦状態に持ち込んだ……ってところかな)
状況から見るに、襲撃側の賊はかなりの手練れだ。それも、周到に準備をしての襲撃だとよく分かる。
現に、地面に倒れ伏している人数は護衛側の方が圧倒的に多い。
「悪いがこのまま突っ込む! 覚悟をしておいてくれ!!」
「っ、分かりました! 私は怪我人の救助を!!」
前方から掛けられたランツィオの声に、すぐに自分のすべきことを判断して叫び返す。
どちらにせよ迷っている暇は無い。
この速度なら、もう10秒もしない内に接敵する。
今の内に“聖霊の慈悲”の発動準備を…………と考えて、ふと気付いた。
(あれ? ランツィオは?)
今から神術の発動に取り掛かって間に合うのか?
そんな私の疑問に答えるかのように、ランツィオが詠唱を開始した。
「ランツィオ・リョホーセンが願う! 怪力を我が身に!」
それだけ叫ぶと、驚いたことにランツィオの体を神力が覆った。
「え!?」
その事態に、思わず驚きの声が口を突いて飛び出した。
私が驚いた理由は2つ。
1つ目は、単純にその神術の詠唱が極端に短かったこと。
短縮詠唱は、「神術の詠唱」=「神への祈祷」という意識が強く、その形式を重んじる王国ではほとんど使われず、帝国で独自に発展してきた技術だ。
だから、ランツィオが短縮詠唱を使ったこと自体にはそれほどの驚きはない。
私が驚いたのは、それにしても異常なまでに詠唱が短かったからだ。
そして、それはそのまま私が驚いた2つ目の理由に繋がる。
ランツィオの詠唱が極端に短く済んだのは、本来の神術の一部の効果を省略して発動させたからだ。
そのことに、私は発動した神術を目の前で見て気付いた。
身体強化系神術で主として使われる神術は2種類。筋力強化と肉体強度強化だ。
この場合の肉体強度強化とは、主に皮膚の強化を指す。
皮膚を鎧のように硬くすることで、防御力を上げる神術のことだ。
しかし、実は筋力強化の神術にも、元々肉体強度強化の神術が組み込まれている。
この場合の肉体強度強化は、筋肉や骨の強化だ。
もちろん、今しがたランツィオが発動させた筋力強化の中級神術“怪力”にも、本来は組み込まれている。
これは当然のことだろう。
筋力だけ強化して筋肉や骨がそのままでは、強化された筋力に体が付いて行かない。下手したら筋断裂や骨折の危険性もある。
しかし今ランツィオは、その肉体強度強化の部分を省略して、純粋に筋力だけを強化したのだ。
それは、自分の肉体に余程の自信がなければ出来ない、ある種の蛮行だった。私が驚いたのも無理からぬことだろう。
(まさか、このまま突っ込む気!?)
仮にも一国の皇女が、筋力のみの強化であの乱戦状態に突っ込むのか。
しかし、そんな風に思った次の瞬間には、もう戦場が目の前まで迫って来ていた。
向こうも自分達に向かって突っ込んでくる巨大な軍馬に気付いたようで、兵士の1人が、私達2人に向かって大声を上げた。
「我々はロガロ子爵家に仕える私兵団だ! 見ての通り賊に襲われている! 助力をお願いしたい! 可能な限りの礼をすることを約束する!」
その声が上がると同時に、一番手前にいた賊達が剣を構えて私達を迎え撃つ姿勢を見せた。
しかし、それは赤飛馬の王種であるホンの突進を前にしては、あまりにも頼りない反抗だった。
「蹴散らせぇ!!」
ランツィオの雄叫びに合わせ、ホンは全く怯むことなく戦場へと飛び込んだ。
迎撃しようとした賊数名を難なく跳ね飛ばし、慌てて避ける男達の間を突っ切って馬車の近くまで駆け抜ける。
そして、ホンが足を止めたところで、私とランツィオはそれぞれ反対方向へと飛び降りた。
「……って、え!?」
腰を落として着地の衝撃を殺しつつ、今見た光景が信じられなくて背後を振り返る。
ランツィオは飛び降りる際、持って来ていた戦槌を持たずに飛び降りていたのだ。
(まさか素手で戦う気!?)
……そのまさかだった。
ランツィオは私よりもスムーズに着地を決めると、滑るように近くにいた賊2人に近付き、相手が反応出来ないでいる内に右拳の一撃で一発KOしてしまったのだ。
「なんてワイルドな……」
もはや驚きを通り越して呆れてしまう。
筋力を強化しているとはいえ、防御力は一切強化されていない。
おまけにランツィオの装備は、防御力という点においては今この戦場にいる他の誰よりも見劣りする。
賊ですら革鎧、一部の急所には金属鎧を身に着けているのに、ランツィオの着ているもので防具と呼べるのは、上に羽織っている革のコートくらいだ。
それだって前が開いているせいで、お腹や太腿は完全に剥き出しになっている。
一言で言えば、入場衣装でコートを羽織った女子プロレスラーのような格好だ。とても実戦向きとは思えない。
そんな状態で、武装した相手に素手で挑むとは……あまりにもワイルド過ぎる。
しかし、ランツィオ本人にそんなことを気にしている様子は微塵もなかった。
突入直後に一撃で沈めた賊2人の間で仁王立ちになると、大きく息を吸って戦場全体に響き渡るような声で叫んだ。
「我が名はランツィオ・リョホーセン! 勇猛なる皇帝家の第四皇女だ! 悪辣な賊共め! 命の惜しくない者から掛かって来い!!」
その名乗りが浸透すると、兵士と賊の両方からどよめきが上がった。
(あれ? これ私も名乗った方がいいのかな?)
そんな考えが頭を過ぎるが、どうせ名乗ったところで「誰やねん」って言われるのがオチなのでやめておく。
そもそもこんな状況で、大声を上げて注目を集める度胸は私にはない。断じてない!!
という訳で、ランツィオに注目が集まっている内に、さっさと近くに倒れている人の治療に向かう。
最初は遠距離からバンバン“聖霊の慈悲”を掛ければいいと思っていたが、実際に戦場の様子を見てそれは断念した。
カロントの町でアヴォロゲリアスの群れ相手に負傷していた人々を治すのとは話が違う。
今倒れている人達は、その多くが剣や矢が体に刺さったままになっているのだ。
“聖霊の慈悲”は、別に傷の状態を確認しないでも、掛ければとりあえず傷を塞ぐくらいなら出来る。
でも、流石に異物が体内に侵入している状態で“聖霊の慈悲”を掛けるのはマズい。
肉が締まってしまって、刺さっている物が抜けなくなってしまうからだ。
なので、まずは刺さっている物を抜くことにした。
「大丈夫ですか!?」
うつ伏せに倒れている兵士に声を掛け、呻き声で生存確認をしてから、ざっと状態を確認する。
見たところ右肩と右上腕の2カ所に矢が刺さっているだけで、他に何かが刺さっている様子はない。
「ちょっと痛いですよっ!」
精神強化や痛覚遮断の神術を掛けている暇は無い。
私は2本の矢に“念動”を掛けると、折れないように真っ直ぐ、一気に引き抜いた。
「ぐあぁっ!!」
兵士が悲鳴を上げるが、それには構わずにすぐさま“聖霊の慈悲”を掛ける。
「ぐ、うぅ…………あ、れ?」
急激に外傷が治った兵士が、どこか呆然とした声を上げる。
しかし、私はもうその時には、次に治療すべき負傷者を探して視線を巡らせていた。
見た感じの重傷度と距離とで優先順位を付け、治療の順番を決めていく。
(あの人は……矢が1本、あっちは剣が刺さってる。あの人は……生きてる? 分からないけど、とりあえず“聖霊の慈悲”を掛けておこうか)
ざっと見渡し、特に何も刺さっていない人、今にも死にそうな人に用意していた“聖霊の慈悲”を掛ける。
そして、腹部に剣が刺さった状態で近くに倒れている兵士の元に向かおうと、立ち上がって振り返ったところで……目の前に1人の賊が立ち塞がった。
「死ねぇ!!」
雄叫びを上げながら正面から剣を振り下ろしてくるが、私は避けずに棒立ちのまま、ただ右腕を脱力させた。
大男が両手で握った剣で放つ、大上段からの一撃。
普通の人間相手なら、その頭蓋を容易くかち割ることが出来ただろう。
事実、棒立ちの私に反応すら出来ていないと思っているのか、大男の顔には必殺を確信した凶悪な笑みが浮かんでいた。
「……」
でも、まあ。
破城槌すら容易く弾き返す“聖域結界”に、神具でもなく神術による強化が加わっている訳でもないただの剣の刃が立つはずもなく。
男の剣は、私の被るフードに触れた瞬間、当然のように弾き返された。
「がっ!!? つっ、ああぁぁーー……っ」
渾身の一撃をそのまま反射されたせいで、男は剣を取り落としてその場で悶絶する。
歯を食い縛って両腕に走る衝撃に耐えようとする男の前で……私は静かに左足を踏み出すと、右半身を後ろに、上体を捻転させた。
新たな“聖霊の慈悲”の発動準備に取り掛かっている今の私に、他の神術を発動する余裕はない。また、その必要もなかった。
この程度の相手、『オトコをオトすマル秘テクニック』の基本技で十分だ。
今は《破天甲》も装備していないのでちょうどいい。
右半身を後ろに引くと同時に、脱力させていた右腕を大きく振りかぶる。
そして、ズンッと右足を大きく踏み込んで相手の懐に飛び込みながら、右腕を鞭のようにしならせる。
そう。私が放とうとしている技は、『オトコをオトすマル秘テクニック』の基本技であると同時に奥義でもある技。
“ビンタ♡”だ。
純粋な打撃攻撃でありながら、『オトコをオトすマル秘テクニック』の中で唯一、相手の精神に直接攻撃を加えることが出来る技。ただし、相手が男で使用者が女である場合に限るが。
大きく振りかぶり、遠心力をたっぷりと乗せた右腕を、大男の顔面目掛けて奔らせる。
その過程で、絶妙なタイミングで肩、肘の順番で制動を掛け、遠心力で生じた運動エネルギーを腕全体から前腕へと移動させていく。
普通、ビンタをする人は肘を固定して肩だけで腕を振りかぶるが、それは大きな間違いだ。
遠心力を利用するなら、全ての関節を使った方が威力は上がるに決まっている。
(このように、ね!!)
最後、
そして、着弾。
バヂィィィィン!!!
打撃音というよりは破裂音に近い音が戦場に響き渡り、大男の体が錐揉み状態で吹き飛んだ。
横方向に激しく3、4回転し、そのままよろよろと倒れ込む。
両足を投げ出して倒れ込んだその体勢は、さながら男にフラれ、乱暴に突き飛ばされた女のよう。
その体勢のまま、大男は呆然とはたかれた左頬に手を這わす。
そして、顔をくしゃりと歪めると、絞り出すような声で言った。
「ぶったね……お袋にもぶたれたことないのに……っ!!」
そのままさめざめと泣き出してしまう。
うむ、問題なく精神にもダメージが入ったようで何より。
あの様子なら、脳に入った物理的、精神的な衝撃でしばらくは戦闘に復帰出来ないだろう。
「――っと」
背後からの殺気を察知し、振り向きざまに今度は左手で“ビンタ♡”を放つ。
短剣を腰だめに構えて突っ込んで来ていた小男は、これまた派手に回転しながら吹き飛び、馬車に激突してずるずると地面に倒れ込んだ。
そして、そのまま白目を剥いて仰向けに倒れてしまった。
「あっ、やばっ」
失神した小男の右耳から血が流れ出すのを見て、私は焦りの声を上げた。
どうやら私が振り向きざまに放ったのに加えて、相手がこちらに突進して来ていたせいで着弾点が微妙にずれ、頬ではなく耳に直撃してしまったらしい。
その結果、衝撃で鼓膜が破れ、痛みとショックで気絶してしまったようだ。
「……うん、まあ戦闘不能には出来たし結果オーライってことで」
そういうことにして自分を納得させると、私は次の兵士の治療に向かった。
……自分がランツィオのことを言えないくらいワイルドな戦い方をしていることには、この時はまだ気付いていなかった。