更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-⑨
……えくすきゅーずみー?
………………
………………
……え? 英語?
数瞬の硬直の後、バッと背後を振り返る。
そこに立っていたのは、黒褐色の肌を煤けた茶色の外套に包んだ1人の女性だった。
フードに隠れてよく見えないが、年齢は20代後半から30代前半くらいだろうか? フードから覗く金褐色の髪はざんばらに切られており、長さも不揃いな前髪の隙間から炯々と輝く緑色の瞳が私を見据えていた。
その目がすっと細められ、薄い唇から更なる言葉が放たれる。
「Are you American?」
アーユーアメリカン? えぇ~~っと……あぁ! 「アメリカ人ですか?」って聞いてるのか!
「ノ、ノー アイムジャパニーズ」
脳の奥深くから前世の英語の知識を引っ張り出しながら
すいっと目を逸らしながら小首を傾げ、少し考える素振りをしてから、今度は今世の言語で言葉を発した。
「そうか、Japaneseか。たしかsamuraiの国だったか?」
「いや、もういませんけど……」
外国人特有のあまりにもベタな勘違いに反射的にツッコミながらも、その言葉の内容から、目の前の女性が私と同じ前世持ちであることを確信する。
そして、ふと勘違いではない可能性に気付く。
そうだ、今世と前世が同じ時間の流れである保証がどこにある?
目の前の女性が見た目通りの年齢で、前世と今世が同じ時間の流れだと仮定すれば……恐らく前世で亡くなったのは1990年代か2000年代。
前世で天寿を全うしていたとしても、生まれは1900年くらいで……うん、やっぱり侍はもういなかった……はず。だよね?
でももし、前世と今世で時間の流れが違ったら……? 日本とアメリカが関係を持ったのは……「
そのころはまだ侍がいたはずで、廃刀令で侍がいなくなったのは……えぇ~~っとぉ…………。
整理のつかない頭のままぐるぐると益体もない考えを巡らせる私を見て、目の前の女性は踵を返すと、肩越しに言葉を放って来た。
「場所を変えよう。付いて来い」
「あ……はい」
その言葉に私は一旦考えを止めると、大人しくその背中を追うのだった。
* * * * * * *
女性に導かれるまま辿り着いたのは、いかにも場末といった雰囲気の酒場だった。
大通りから外れた裏路地の奥まったところにあり、当然のように灯りの神具など設置されていないため、昼間なのに店内は薄暗い。
女性がギギィと軋むドアを開けて中に入ると、カウンターにいる店主と思われる禿頭の中年男性が気怠げな視線をこちらに向けて来た。
愛想の欠片もないその態度は接客業としてはどうなのかと思われたが、前を歩く女性は気にした様子もなく、カウンター横の階段に向かって足を進めた。
これまたギシギシと軋む階段を上って二階に行くと、真っ直ぐに伸びた廊下の左右に扉が並んでいた。どうやら一階が酒場で二階が宿になっているらしい。
女性がその内の一室を開けると、中に招き入れられる。
日本人らしく「お邪魔します」と言いながら扉を潜ると、そこは見るからに安宿といった感じの部屋だった。
あるのはクッション性がほとんどなさそうな薄いベッドに、これまた薄い掛け布。
あとは小さな丸机と背もたれのない椅子が1つずつ。それ以外は何もなく、それらもまた決して綺麗とは言えない年季の入った代物だった。
女性はそのままベッドに腰掛けると、外套のフードを脱いだ。
そして、視線で1つだけある椅子を私に勧めて来る。
「……失礼します」
私は椅子と一緒に机を引き寄せると、女性と向き合うように置いた。
間に机を置いたのは、単純に初対面の人と真っ向から向かい合うのを避けたかったからだ。
緊張しちゃうからね。人見知りの悲しい性よね。
しかしまあ、机を運んでおいて使わないというのもおかしな話か。
そう考えた私は右ポケットから瓶を1本とコップを2つ取り出すと、机の上に置いた。
この瓶は家を出る時にラルフにもらった物で、内容物を清潔に保ち、長持ちさせる神具だ。それだけならそこまで珍しくもないが、これは更に冷却機能まで付いた高級品だ。便利なので普段から水筒代わりに使っている。
栓を開け、中に入っている水を2つのコップに注ぐと、片方を対面に座る女性の前に置く。
そうしながらさり気なく、フードを脱いだ女性の顔を観察する。
こうして見ると、顔立ち自体はなかなかの美人だということが分かる。
すっと通った鼻梁にシャープな顎の輪郭、それに薄い唇と細長いアーモンド形の目。
適当に切られている髪をきちんと整えれば、切れ味鋭いクール系美女といった感じになるだろう。
しかし、いかんせんその目と纏う雰囲気が不穏過ぎた。
普通の人なら、目付きが悪いくらいの印象しか抱かないかもしれない。
実際、皇子兄弟が連れていた黒鋼の傭兵団のように暴力的な雰囲気を纏っている訳でもない。
しかし、私はどうにも目の前の女性に言い知れぬ不安感を抱いていた。
何がどう不安なのかはっきりと言葉には出来ない。
ただ……そう、分からないからこそ不安というべきか。
理由は分からないが、目に見える姿がこの人の本質ではないような気がする。
そして、その本質が全く分からないからこそ不安を感じている……のだろうか? いや……
(そうか……)
そこで、違和感の1つに気付いた。
私の“隠密”を見破った時点で、この女性は神術師であるはずだ。
そして、私と同じ前世持ちなら、人並み以上の神力を有している可能性が高い。
しかし、これだけ近くで見てもその保有神力量が上手く測れないのだ。
神具に込められている神力などに比べれば、神術師が持つ神力量は測りにくい。
だがそれにしても、一見して神術師かどうかも分からないというのは異常だ。
(なんだろう……すごく落ち着かない)
知らず手に汗が滲み、口の中が乾く。
それを誤魔化すために水を一口だけ口にすると、女性も自分の分のコップをチラリと見た。
しかし手を付けることはせずに私に視線を戻すと、少なくとも表面上は私の不安に気付いた素振りを見せずに口火を切った。
「改めて自己紹介から始めようか。わたしはアメリ。前世はAmericanだった」
「あ、私は……」
そこでふと、前世の名前を名乗るべきか迷う。
しかし、その必要はなかった。
「知っている。セリア・レーヴェンだな?」
「……ご存知でしたか」
「当然。市井でもお前は有名だ。もっとも、聖女としてではなく聖女のなり損ないとしてだがな」
「そう、ですか」
「しかし、どうやら今は自らの本来の力に目覚めたようだな」
そう言うアメリさんの視線は、私の顔の右半分とローブの袖から覗く右手に向けられていた。
一瞬の戸惑いの後、その視線の意味に気付いてハッとなった。
アメリさんは、私の身に起こったこの奇妙な変色現象を知っているのだ。
「……この変色現象についてご存知で?」
右手で黒く染まった髪に触れながらそう問うと、アメリさんはなんということもなさそうな表情で肯定した。
「知っている。わたしも力に目覚めた時に同じ現象が起きた」
言いながら、ざんばらな前髪を掻き上げてその緑色の目をしっかり露出させる。
「瞳と髪、そして肌が前世の自分と同じ色に変わった。瞳と髪は時間と共に元の色に戻ったが……肌の色はそのままだった」
「そう、ですか」
ということは、アメリさんの前世は黒人だったということか。
しかし、それで納得がいった。
というのも、アメリさんのような黒褐色の肌を持つ人間は王国にも帝国にもほとんどいないからだ。
王国では白色人種が9割以上を占めているし、帝国は褐色から黄褐色の人が主で、アメリさんのような黒褐色の人は見たことがない。
それが前世の色彩を受け継いだものだというなら、それは十分納得のいく話だった。
(でも、だとすると私の変色も元に戻らない可能性があるの? でも私の変色は、全身が変色しているアメリさんと違って部分的なものだし……。だとするとその違いは一体どこから……?)
黙考する私に、アメリさんは本題となる質問をぶつけてきた。
「わたしがお前と接触したのは、お前の目的を知りたいと考えたからだ」
「目的……ですか?」
「そうだ」
考えを中断した私に、真っ直ぐな視線がぶつけられる。
そこには、こちらの真意を見抜こうという強い意志が感じられた。
「お前が聖人の名に恥じぬ力を持つことは見れば分かる。それだけの力を持ちながら、王国を出て、お前は何をしようとしている?」
「……」
正直に答えるかどうか、一瞬迷って。
すぐに誤魔化す必要も意味もないと気付いた。
「私の目的は、私の故郷である地球に……日本に帰ることです。その方法を探して旅をしています」
「……」
探るように見詰めてくる視線に、真っ向から向き合う。
……人見知りの性で全力で目を逸らしたいけど、必死に向き合うぅ!
「……それだけ、か?」
「……?」
「故郷……Japanに帰る。それだけのために王国を出たのか?」
「……正確に言えば、王国を出たのは帝国の皇子に依頼を受けたからですけど……。そうですね、今後は帝国で過去の聖人達の文献や遺跡を調査する予定です」
「王国はどうする?」
「どうする、とは?」
「王国に恨みはないのかと聞いている」
そう問うアメリさんの、ただならぬ様子に困惑する。
(私の目的よりも、むしろ王国に対して抱いている感情を聞きたがっている? そんなもの聞いてどうするの……?)
しかし、答えずにいられる雰囲気でもない。
私は虚空に視線を投げながら、自分の中の感情を正直に吐露し始めた。
「王国への恨み……は、特にないです。今世の家族に対しては、思うところがないこともないですけど」
「なぜだ? お前は“神に見放された者”と呼ばれ、貴族達に虐げられていたと聞くが? そのことになんの恨みも感じていないと?」
恨みを感じては……いない。それは本当だ。
というよりも、私は感じることを拒否してしまった。
家で親や兄に蔑まれ、学園で他の学生に嘲られ。
私にはずっと、周囲から無数の刃が向けられていた。
悪意のない、しかし害意はある無数の刃。
それらに対して、私は刃で返す前に鎧を着込んでしまった。
向けられる心無い言葉や視線に対して、私は心を閉ざすことを選んだ。
今の辛過ぎる現実に心動かされないように……心を壊されないように、前世の記憶に現実逃避した。
不快感はある。嫌悪感もある。
あれだけ蔑まれ、虐げられてなお何も感じないほど心が死んではいない。
しかし、死んではいなくても麻痺してはいる。
恨みを感じない程度には心を麻痺させてしまった。他ならぬ自分の意志で。
そして、これからも麻痺させ続けるつもりだ。
王国の人間に対して、これ以上心を動かしても何もいいことなどない。それはきっと私にとっても、彼らにとっても。
もう向き合う機会も、その必要もない人間達だ。
必要のない負の感情を湧き起らせるくらいなら、王国の一切に関して心を麻痺させて見ない振りをしておいた方がいい。
今までずっとそうして来たのだ。これからもそうすればいい。どうせ全て捨てるのだから。
しかし、そんな私の内心を語ってもアメリさんに通じるとは思えなかった。
だから、私は本心の一部を簡潔に伝えることにした。
「私にとって王国はもうどうでもいい存在です。恨みがないというより、そもそも恨みを抱くほど興味がないんです」
そう告げると、アメリさんは険しく顔をしかめた。
そこにある感情は、怒りのようでもあり失望のようでもあり…………
(いや、これは……?)
しかし、私がその感情の正体に気付く前に、アメリさんは表情を緩めると静かに瞑目した。
「……そうか」
そう呟いて目を開けた時には、アメリさんは元の表情に戻っていた。
しかし、その緑色の目にどこか柔らかな光が宿っているように見えたのは私の気のせいだろうか?
「あの、私も聞きたいことがあるんですが」
なんにせよ聞きたいことを聞くのはこのタイミングしかないと思い、思い切って口を開くと、アメリさんは視線で続きを促した。
「こんなことを聞いていいか分からないんですけど……アメリさんが前世で亡くなったのは西暦何年でしたか?」
いきなり前世のことを聞くのはどうかとも思ったのだが、アメリさんは特に気にした風もなく、少し考えてからあっさりと答えた。
「わたしが死んだのは……たしか1998 A.D.だな」
その言葉に、私は緊張から詰めていた息を吐いた。
告げられた年代は私の予想通りだった。
これで、前世と今世で時間の流れはそう変わらないと分かった。
少なくとも、日本へ帰還しても浦島太郎状態になることはなさそうだ。
(あるとすれば、転生にタイムラグがあるパターン……前世で死んでから今世で生まれ変わるまでに100年のタイムラグがあるとかだったりしたら完全にお手上げだけど……)
しかし、そんなことを確認する
今は、前世の家族と再会できる可能性が高まったことを喜ぶべきだろう。
そう考える私の耳に、突然アメリさんの爆弾発言が飛び込んで来た。
「Earthに帰還する方法が書かれた書物に心当たりがある」
「……は!!?」
思わず椅子を蹴倒して立ち上がると、身を乗り出してアメリさんを凝視した。
「そ、それは一体……!!?」
「落ち着け、飽くまで心当たりだ。そういった内容が書かれているらしいが、わたしには読めなかった」
「え、英語……イングリッシュでなかったからですか!?」
「そうだ。今は手元にないが、欲しいならお前にやろう」
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
突然現れた希望に、心が一気に浮き立つ。
深々と頭を下げながらも、湧き上がる歓喜に思わず快哉すら上げたくなる。
「それで、その書物はどこに!?」
「だから落ち着けと言っている。……そうだな。今からちょうど3カ月後。3カ月後に再びここを訪ねろ。その時にその書物を渡そう」
「ありがとうございます……ですが、その書物の場所だけ教えて頂くことは……?」
「それは断る。わたしにも都合があるのでな」
「ですが……っ!!」
3カ月も待っていられない!!
その3カ月の間にあなたに何かあったらどうするんですか!!
そんな言葉が口を突いて出ようとするのを、私は無理矢理飲み込んだ。
深く深呼吸し、
ここで食い下がっても、きっといいことはない。
初対面の、何の関係もない私のために動いてくれるというのだ。
これ以上の要求はわがままというものだろう。
「分かりました。では3カ月後、ここでお待ちしています」
「ああ……では、わたしはこれから用事がある。3カ月後にまた会おう」
「はい、よろしくお願いします」
「それではな」
それだけ言い置くと、アメリさんは部屋を出ていった。
深く頭を下げながらそれを見送った後、私は思わずその場にへたり込んでしまった。
あまりの急展開に、頭が付いて行かない。
素直に喜べばいいのか、それとも不安がればいいのか……。
私は机に手を着いて立ち上がると、勢い余って蹴倒してしまった椅子を立て直し、その上に勢いよく腰を下ろした。
コップに余っていた水を一息に飲み干し、心を落ち着けようとする。
(そう、飽くまで心当たり。アメリさんが言っていた書物が私の求めるものであるとは限らない)
そう自分に言い聞かせても、じわじわと湧き上がる歓喜は抑えられない。
全くの手探りだった状態から、はっきりとした希望が見えたのだ。こればっかりは仕方ないだろう。
「……よしっ!」
気分を切り替えるように声を出して立ち上がると、私は結局アメリさんが手を付けなかったコップの水も飲み干した。
そして荷物を右ポケットにしまうと、微妙に浮足立ちながら足早に部屋を出る。
“隠密”を発動しながら一階の酒場を抜け、外に出て大通りを目指す。
そうして歩きながら、これからの方針を固める。
(どちらにせよ、3カ月ものんびり待っている手はない。その時間を使って、私は私で調べられることを調べないと)
結局やることは変わらない。
ただ3カ月後に大事な予定が入っただけだ。
そこまで考えたところで、まだアメリさんに聞きたいことがあったことに気付く。
折角会えた
(やっちゃった……帰れる可能性が見付かったことでテンション上がり過ぎた……)
もっと引き留めるべきだったと思っても、今更もう遅い。
今から探そうにも、アメリさんがどっちに行ったのかすら分からない。
(仕方ない……今夜あの宿を訪ねてみて、それでも会えなかったら3カ月後を待つしかないか……)
自分の迂闊さに肩を落としながら、私は大通りに出ると、ゆっくりと領主館に向けて歩き始めた。
こうして、私達転生者2人の出会いは驚くほど呆気なく終わりを告げた。
そして3カ月後、私は彼女と再会する。
しかしそれがこのルービルテ辺境候領領都ではなく、戦場と化したファルゼン王国王都での再会となることを、この時の私は知る由もなかった。