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少女が旅立ったその後で 作者:燦々SUN

第3章

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更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-⑧

(あぁーー(えぐ)りたいなぁーー。でも流石に皇太子相手に顔面パンチはマズイかなぁーー)


 プルプルと震える拳をなんとか抑えながら、腹の底から湧き上がって来るどす黒い衝動に抗う。

 いくら家も国も捨てたとはいえ、ちょっとイラついたくらいで皇太子の顔面に拳を叩き込むのは色々とアウトだろう。


(大丈夫、私は我慢が出来る子! このくらい笑顔で受け流すのが大人の対応!)


 眉間に皺が寄りそうになるのを必死にこらえながら、なんとか口元に笑みを浮かべようとする。


「んでもって、この領の名産品だっていう羊肉がまた美味くてなぁ。その甘い脂がこれまた酒に合うんだよ!」

「……(ニコッ)」


 よし、抉ろう。

 え? 我慢はどうしたって? やさぐれモード発動中の私の自制心なんてこんなものよ。


 酒臭い息を吐き出しながら楽しげに語るイェンクーの顔面目掛けて、握り込んだ右拳を突き出す――よりも先にツァオレンが私の前に止めに入る――よりも先に、私の体が背後から抱き止められた。

 そっとお腹に腕を回され、ふわりと優しい香りが私を包んだ。

 その感触に私の苛立ちは一瞬で霧散し、ビシリと体が硬直した。

 不自然な体勢で固まる私の肩越しに、ルービルテ辺境候の第一夫人――リィシャンさんというらしい――の声が掛けられた。


「申し訳ありません、殿下。折角のお誘いですが、セリア様は大変お疲れのご様子。先にお部屋に御案内させて頂きたいと思うのですが?」

「ん? あぁそうか?」

「ありがとうございます。ではセリア様、こちらへ」

「え? あ、はい」

「そちらのお荷物は使用人に運ばせましょうか?」

「あ、そう、ですね。はい」


 言われるままに背中に担いでいたセナト=ラ・ゼディウスの角を下ろし、リィシャンさんに優しく手を引かれるままにぎこちなく足を動かした。

 頭の中は、先程の抱き締められた感触でいっぱいになっていた。


 この世界に生まれ落ちてから、あのように女性に優しく抱き締められたことがあっただろうか。いや、間違いなく一度も無い。

 今世の母親は言うに及ばず、使用人のメイド達も私のことを気に掛けてくれてはいたが、気安く私に触れるようなことは一度もなかった。


 今世で私を抱き締めてくれたのはハロルドだけだ。

 でも、先程の抱擁はハロルドのどこか労わるようなそれとは全然違った。

 慰めるでも労わるでもなく、ただ優しく包み込むような抱擁。

 その感触に、前世のお母さんに抱き締められた時の思い出を想起してしまい、妙に動揺してしまった。


「――ア様、セリア様」

「はいっ!?」


 千々(ちぢ)に乱れた内面に意識を捕われている内に、客間の前に着いていた。

 リィシャンさんに促されるままに扉を潜ると、そこは1人で過ごすには十分過ぎる広さの部屋だった。当然だが、私が普段利用している宿屋とは比べるべくもない豪華さだ。

 しかし、リィシャンさんは何やら申し訳なさそうな顔をしてしまう。


「申し訳ありません。セリア様にはもっと良い部屋を御用意したかったのですが、当家には今両殿下が滞在されているので……」

「いえ、十分です」


 むしろ豪華過ぎて申し訳ないくらいです。


「ですが、当家の大恩人であらせられるセリア様に……」

「いえ、本当にお気になさらず」

「……そうですか。では使用人を何人か付けさせますので、何なりとお申し付けください」

「……いえ、本当にお構いなく」


 人見知りは他人が近くにいると落ち着けないのです。


「え? ですが湯浴みなどは……」

「1人で出来るので。折角ですが遠慮させて頂きます。部屋の前に警備の者だけ付けて頂ければ結構です」


 そして全力で1人にさせてください。


「そうですか……ふふっ、セリア様は慎み深い方なのですね」


 いえ、ただの人見知りです。


「それでは警備の者とメイドを部屋の前で待機させておきます。何かございましたらそのメイドにお申し付けください」

「ありがとうございます」

「いいえ、この程度のこと、セリア様に受けた恩に比べれば何ほどのものではありませんわ」


 そう言うと、リィシャンさんはその場に両膝を着いた。ちょっ! 何してんの!?


「改めまして、セリア・レーヴェン様。この度我が領を、そして帝国を未曾有の危機よりお救い頂いたこと、心より感謝申し上げます。セリア様は近日中に両殿下と共に帝都に向かわれるものと存じますが、それまでは当家で心よりおもてなしさせて頂きます。また、後日両殿下とは別にお礼の品をお送りしたいと考えております。その程度のことでご恩返しになるとは考えておりませんが、どうか我々のせめてもの感謝の印としてお受け取りください」


 更には後ろの使用人達も頭を下げてくる。ちょっ! 本当にやめて!? 落ち着かないというか居た堪れないから!!


「リィシャン様のお気持ちは十分に伝わりました。ですからその……頭を上げて頂けませんか?」


 この状況、私の豆腐メンタルに継続ダメージが入るので。


「……畏まりました。それにしても……」

「なん、でしょう?」

「申し訳ありません。気を悪くしないで頂きたいのですけど……セリア様は、思った以上に可愛らしい方なのですね」

「はいっ!?」


 かわいい……? 私が?

 小さい頃から美人だとは言われてきたが……かわいいと言われた記憶はない。ただ1人、ハロルドを除いて。

 ハロルド以外にそんな風に言われたのは、今世で初めてではないだろうか。


「ファルゼン王国のレーヴェン侯爵家と言えば、厳格な武家として帝国でも有名ですし……実際、以前帝国の建国パーティでお見かけした時は、とても大人びた方だという印象を受けたものですから……。ふふっ、ですが今のセリア様の方がずっと親しみやすくて素敵ですわ」

「は、はあ……そう、ですか」


 眼を泳がせながらしどろもどろに答える私に、リィシャンさんはますます笑みを深めると、静かに一礼した。


「失礼しました。では、夕食の支度が出来ましたらお呼びしますので、どうぞそれまではごゆるりとおくつろぎください。奥には小さいですが、天然温泉を引いた浴室もございますので」

「あ、はい。ありがとうございます」

「では」


 そう言ってリィシャンさんは部屋を出て行き、私は1人になった。


「……」


 そのまましばらく呆然と立ち尽くし……やがて私は、ふらふらと浴室に向かった。


 脱衣場で服を脱ぎ、浴室の扉を開けると、白い湯気が視界を覆った。

 その湯気がある程度晴れると、1人で入るには十分な大きさの浴槽が目に入った。

 天然温泉を引いているというのは本当らしく、壁から伸びる水道管から絶えずお湯が流れ込んでいる。


 まだ精神が完全な平静を取り戻したとは言えないが、約1カ月ぶりのまともなお風呂には流石にテンションが上がった。

 旅の最中も、一応神術で地面に作ったお風呂で入浴したり、空中に浮かした旋回するお湯の塊に体を投じるという、入浴というよりは丸洗いといった方が相応しいことはしていた。


 しかし、やはりきちんとした浴室とは清潔感が段違いだし、気分的にさっぱりした感も劣る。

 “浄化結界”がある以上そこまで汚れは付いていないと思うが、やはりそこは清潔大国日本の出身者としての気分の問題である。


 備え付けの石鹸で丁寧に体を洗うと、私はどっぷりと浴槽に体を沈めた。


「ふわぁ」


 思わず口から緩み切った声が出てしまう。

 一度ぐぐっと全身を伸ばした後、一気に弛緩させる。


 少し熱いくらいのお湯が、疲れた体に心地いい。

 思わず眠気を覚えてしまいそうだ。


「はふぅ」


 浴槽の縁に頭を乗せながら、大きく息を吐き出す。


「あぁ……やっぱり1人だと落ち着く……」


 無意識にポロッと零してしまい、思わず苦笑する。

 我ながら人見知りをこじらせているなぁ、と。


「それにしても……なんで令嬢モードが発動しなくなったんだろ?」


 令嬢モードが使えていれば、ここまで気疲れすることはなかっただろうに。

 そう思って、試しにもう一度令嬢モードを発動させようとするが――――


「駄目、か……」


 なんというか……入りが浅い。


 思えば、初めてこの屋敷を訪れた時もそうだった。

 あの時も、ルービルテ辺境候の言葉に動揺してあっさりと令嬢モードが解除されてしまったのだ。

 ……いや、正確言うならそれよりもずっと前から、か。これはもしかして……


「私が、更科梨沙として生きることにした弊害……?」


 考えてみれば、令嬢モードは「この体(セリア・レーヴェン)は私ではない。ここに私の居場所はない」という現実逃避を極めた末に生まれたものだ。

 今の自分自身を更科梨沙として受け入れた結果、その逃げが出来なくなってしまった……ということだろうか?


「うわぁ……だとしたらそれは……困るなぁ」


 この先、帝都に行ってからも令嬢モードなしは流石にきつい。

 誰も知り合いがいない孤立無援の状態で貴族、下手したら皇帝家と関わるのは……うん、想像しただけで胃が痛くなってきた。


「はぁ………………でも……」


 令嬢モードを発動させていなかったからこそ、先程のリィシャンさんの抱擁に温かさを感じることが出来たのかもしれない。

 人肌が温かい。そんな当たり前のことを、すごく久しぶりに思い出した気がする。


「リィシャンさん……少し、お母さんに似てる……かも」


 強くて優しくて、そして温かい。

 そんな感情を、ここをつ時にも抱いたことを思い出す。

 その時に誓った、自分自身への決意も。


「……そっか」


 私が、守った。

 あの優しい人を。あの優しい人の幸せを。

 守れたんだ……今度こそ。


「……そっか」


 今になって、ようやくその実感が湧いてきた。

 不意に目頭が熱くなって、ぎゅっと目を瞑る。


「そっかぁ……っ」


 そのまま口元までお湯に沈めると、私は胸の内に沸き上がってきた感情を無言で噛み締めた。




 ……結局そのまま寝落ちしてしまい、夕食の時間になって呼びに来たメイドに悲鳴を上げられることになるのだった。



* * * * * * *



 ―― 翌日



「まあセリア様、こちらもよくお似合いですわ」

「本当に。背も高くてスタイルも良くて、羨ましいわ」

「今度はこちらのドレスなんてどうかしら?」


 屋敷の衣装室にて、朝食を終えた私はなぜか夫人達3人の着せ替え人形にされていた。

 いや、なぜかと言われれば、今夜開かれることになった祝勝パーティに着るドレスを選ぶためなのだが。


 当初の予定では、ルービルテ辺境候は領内に盛大に私のことを公表し、町を挙げての祝勝パレードを開く気だったようだが、それは流石に全力で遠慮させてもらった。

 英雄扱いとはいえ、町中の人々に晒し物にされるなど私にとっては地獄でしかない。

 令嬢モードが発動しなくなった今、そんなことをしたらメンタルをやられて数日間は部屋に引き籠ることになるだろう。


 そこまで大げさにして欲しくないと訴えてなんとか辺境候には納得してもらったのだが、それならせめて屋敷でパーティを開こうという話になったのだ。

 まあパーティくらいならと了承したのだが、当然私にパーティ用の衣装なんてない。かさばるドレスなんて、全てレーヴェン侯爵家に置いてきてしまった。


 そこで、「ならば屋敷にあるドレスをお貸ししましょう」ということになった……のだが、なぜ3人がかりで着せ替え人形する必要があるのか……。

 しかし、そんなことを言っても無駄なのは、彼女達の目を見れば分かった。


「やはりセリア様には青系の色がいいかしら?」

「いえ、セリア様は大人びてらっしゃるから、思い切ってこちらの赤と黒なんてどうかしら?」

「いえいえ、ここはあえてピンクなんていいんじゃないかしら?」


 これは……あれだ。うん、前世でも経験あるわ。

 桃華と夏希、そして七海の3人で服屋に連れて行かれた時のあれだわ。


 なぜか私をやたらと着飾らせたがる桃華と夏希、そして笑顔で押しが強い七海の3人に包囲されたら、彼女達が満足するまで決して解放されなかった。

 基本的に無難な服ばかり選ぼうとする私を、3人でここぞとばかりに着せ替え人形にするのだ。しかも自分達の分の買い物そっちのけで。

 今のリィシャンさん達には、その時の桃華達と同じ空気を感じた。あかん、これ絶対逃げられへんやつや。


「さあセリア様、次はこちらをお召しになって」

「ああ、そのドレスはこちらで預かりますわ」

「そうね、そのドレスなら髪飾りはこれかしら?」


 ……うん、もう観念した。

 でもね、でも……人見知りの私にこれは……ツライ。


(ダレカ、タスケテ……)


 内心で零したその言葉は誰かに届くこともなく、私は昼食の時間になるまでリィシャンさん達のおもちゃにされることとなった。



* * * * * * *



「はあ……」


 昼食後、私は“隠密”を発動して町に出ていた。

 というのも、どうやら夫人達が昼食後も私を着せ替え人形にする気満々だったので、昼食が終わるや否や、部屋に書置きだけ残して逃げ出したのだ。


 彼女達に悪意がないのは分かるが、だからこそたちが悪い。

 あのままではその内、「浴室で体を磨きましょう」とか「どうせならお化粧もしましょう」とか言われそうな気配がした。

 残念ながら私はそこまで着飾る気はないし、その必要性も感じなかったので逃げさせてもらった。


 それに、ローブを脱いでいるのが落ち着かなかったというのもある。

 別に屋敷の中で襲撃に遭うとは思っていないが、残念ながら私は帝国を……より正確に言えば、ツァオレン・リョホーセンをまだそこまで信用出来ていない。

 脅しと保険は掛けてあるが、それでも彼の精神系神術が私にとって脅威であることには変わりない。

 彼が近くにいると分かっていて、完全に無防備でいられるほど私は彼に気を許していないのだ。


(まあ彼が私との約束を反故にするなら、それこそ名前を奪うことだって辞さないけど)


 その上でイェンクーの名前を人質に取れば、流石にもう逆らえはしないだろう。

 まあそんなことをすれば皇帝家との間に軋轢あつれきが生じることは確実なので、それは最後の手段だが。


(それにしても……つい数日前まであんなに緊迫した雰囲気が立ち込めてたのに、随分と今は明るい雰囲気ね)


 特にどこに行くでもなくふらふらと歩いていたが、町中の雰囲気は数日前とはがらりと変わっていた。

 恐らくはこれがこの町の本来の姿なのだろうが、それにしても切り替えが早いというか……今だってまだ避難民が全員、自分達の町や村に帰られた訳ではないだろうに。

 そこはやはり、豪放磊落ごうほうらいらくな人間が多い帝国の国民性なのだろうか?


(まあいいか。折角出てきたんだし、珍しい食べ物でも探してみよう)


 そう思って市場の方へ足を向けたところで――――背後からハスキーな女性の声が掛けられた。

 明らかに、“隠密(・・)を発動している(・・・・・・・)私に向かって。


「Excuse me」


 ………………は?

繰り返しになりますが、令嬢モードは過度のストレス環境下で生まれた心の病気です。

それが発動しなくなったということは……まあ、そういうことです。

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