更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-⑥
急に1カ月も更新止めてすみません。
次回からは週一更新に戻します。
……戻します! 言い聞かせるために2回言いました。そのぐらいしないと我ながらやらないと思うので……(汗)。
「ごぼっ、げぼぉ!」
木立の中で、私は激しく吐血していた。
右胸に刺さった剣を刺激しないよう、左腕を下にして地面に横たわりつつ、止め処なく込み上げて来る血を吐き出す。
(い、痛っ、痛い……というか血! 息が、出来なっ……ち、窒息する!!)
なんとか傷を塞ごうとするのだが、痛みと酸欠のせいで頭が回らない。
息を吸おうとする度に血が喉を塞ぎ、何度もむせる。
(聖属性神術……いや、その前に剣を抜かないと……あ゛あ痛い! 痛い痛い痛い!! 死ぬ! 痛い! あぁもう消えろ! この痛み消えろ!! 消えろ消えろ消えろぉーーー!!!)
その時、ふっと痛みが消えた。
あまりにも急なことに一瞬混乱するも、すぐにそれが自分の神術によるものだと気付いた。
どうやら痛みが消えるよう強く念じ続けた結果、精神系神術が発動したらしい。
これ幸いと、私はすぐさま“念動”を発動させ、右胸に突き刺さっている《飛天剣》を抜き始めた。
(うっ! 気持ち悪っ!!)
痛覚が消えても触覚が完全に消えた訳ではない。
自分の体の中を異物がずるずると動いて行く感覚に、思わず怖気が奔った。
しかし、それでもなんとか集中を切らすことなく、傷口を広げないように真っ直ぐ《飛天剣》を抜き去る。
抜き去ると同時に聖属性下級神術“止血”を発動させ、とりあえず出血を止める。
それが終わったら、続いて水属性神術で体内に溜まった血を外へ排出する。
「げっ! ごぼっ!!」
神術で一気に血を吐き出すと、ようやく呼吸が楽になった。
それと同時に、多くの血を失ったということを自覚したせいか、頭がくらくらするような感覚がした。
しかし、きちんとした治療をする前に意識を失う訳にはいかない。
治癒系神術の最高峰である“聖霊の慈悲”を使えば、一応傷口を塞ぐことは出来るだろう。
最上級神術だけあって、これさえ掛ければどんな重傷を負っていても命は助かると言われている神術なのだ。
しかし、どんな傷でも完璧に治せるかというと、そうではない。特に今回のように、複雑な構造の臓器を大きく損傷するような傷を負った場合は、より丁寧かつ繊細な治療が必要となる。
(ただ大雑把に傷を塞いではダメ……まずは血を止めて、次に傷口の状態を把握する……だっけ?)
自分の胸の内側に意識を集中させ、聖属性中級神術“診波”を発動させる。
(肋骨が2本切られてる……とりあえず肺以外の部分は“聖霊の慈悲”でさっさとくっつけちゃおうか。穴が開いた肺は、無事な左肺と比較しながら慎重に治療を……)
皮膚、筋肉、骨に“聖霊の慈悲”を掛けて塞いだ後、丁寧に肺の傷を治療していく。
本来このレベルの傷の治療には解剖学の知識が必要であり、治癒系に特化した神術師の領分なのだが、前世で最低限人体の構造を学んでいる私であれば問題はない。
時間を掛けて処置を終えると、私は大きく溜息を吐いた。
既に神経をすり減らすような激戦による精神的な疲労と、失血による肉体的な疲弊は限界に達していた。
しかも一瞬とはいえ神力の出力限界を引き上げたせいか、頭の芯がズキズキと刺すように痛む。
正直このまま意識を手放してしまいたいが、そうもいかない。
私はだるい体に鞭を打って立ち上がろうとして――
「うっ」
そのまま前のめりに倒れかけた。
咄嗟に両手を前に出して体を支えたが、その両腕にも力が入らない。
(ダメだこれ……仕方ない。這いずって行こう)
四つん這いのまま手頃な木に近付くと、“念動”でさっきまで私の胸に突き刺さっていた《飛天剣》を呼び寄せる。
そして、その剣身に指を這わせ、《破天甲》の指先に血を付着させると、その血で木の表面に血文字を書く。が――
「か、書きにくい……」
木の表面はざらざらとしていて、文字らしい文字を描けなかった。
仕方ないので、右ポケットから呪符に使う紙を取り出すと、そこに血文字で術式を書いた。
そしてそこら辺にあった小石を“物質変形”で針状に加工すると、それで呪符を木に張り付けた。
「……最初からこうしておけばよかった」
そのまま更に3枚の呪符を完成させると、“念動”で三方にある木に張り付ける。
これで私を四角く囲うように、呪符を張り付けた木が配された。
この4本の木を神具に見立てて神力を込めると、結界を発動させる。
発動したのは神力の放出を遮断する結界。
本来は罪を犯した神術師を拘束するための結界であり、牢の四方に柱型の神具を配する。今回のこれはその略式だ。
本来のものに比べれば効果は大きく劣るだろうが、私の目的はこの結界の副次効果である、神力の気配遮断なので問題はない。
セナト=ラ・ゼディウスからは結構な距離を取れたと思うが、あいつの神力察知能力はかなり高い。
神術師なら、神力を宿しているものは一目見ればすぐに分かる。それが神具であれ神術師であれ、神術師の目には一目瞭然だ。
今の私は、神術師にとっては全身に蛍光塗料を塗りたくって山中に潜んでいるようなもの。上空から捜索されれば、見付かる可能性は十分にある。
しかし逆にそこさえカモフラージュしてしまえば、見付かる可能性は限りなく減る。
「あ……先に穴掘っておいた方が良かったかも」
自分の目立つ白装束を見下ろしながら、そう独りごつ。
しかし、一旦結界を作動してしまった以上どうしようもない。
ここで結界の許容量を超える神術を発動するのは本末転倒だ。
そんなの暗闇でスポットライトをたくようなもの。見付けてくださいと言っているようなものだ。
仕方がないので、私は右ポケットから緑っぽい服を取り出すと、それを体の上に掛けた。
そして、地面に転がっていた《ゼクセリア》と《飛天剣》を、目立たないように右ポケットにしまおうとして……どちらも剣身にべったりと血糊が付いていたのでやめた。
体がだるくて手入れをするのも億劫なので、一旦近くの茂みの下に隠しておくことにする。
まあこれなら、上から見ても分からないだろう。
そこまでやり終えると、私は少しでも失った血を取り戻すために、干し肉を取り出して無心で噛んだ。
(こんな状態じゃあ、さっきみたいに広範囲神術放たれたら一発アウトだけど)
そうなったら、今度こそ穴を掘って地面に潜り込むしかない。
あのレベルの神術の中なら、土属性下級神術程度の神力放出はほとんど目立たないだろう。
(それにしても……なんで《エルブラムスの天秤》が……)
先程の攻防を思い出し、苦々しく口元を歪める。心なしか干し肉まで苦みを増した気がする。
ファルゼン王国に伝わる七大神器の1つ、《エルブラムスの天秤》
七大神器とは、始まりの神術師達によって行使された最初の“神意召喚の儀”において用いられた7つの祭器であり、この世界に7つしか存在しない
本来神器と言えば、七大神器のことを指す。
それ以外の神器は、民衆がその優れた力や、あるいは
七大神器は原初の御業の補助触媒であり、特定属性神術の究極の補助触媒でもある。
下級神術師でも、神力さえあれば上級神術すら行使出来るとか言われている。どこまで本当かは知らないが。
というのも、現在七大神器は王国に3つしか残っておらず、その3つも王家と2つの公爵家がそれぞれ管理しているため、ほとんど表に出て来ないのだ。
他1つは聖女王国にあり、残り3つは行方不明……ということになっていたのだが。
(まさか害獣の腹に収まっているなんて……かつてセナト=ラ・ゼディウスと交戦し、撃退した各国の王が気付かないはずがないでしょうに……。なんで一切記録に残ってな…………いや、残せる訳ないか)
人々にとって信仰の対象である七大神器の1つが害獣に喰われ、その力を奪われたなど、口が裂けても言える訳がなかった。
恐ろしい力を持った害獣だと恐怖されるだけならいいが、下手をすれば彼の竜を神獣として崇める輩が出てくるかもしれない。
もしそうなれば、その神獣に襲撃された王国は神罰を受けたということになり、民心に動揺が走ることは想像に難くない。
(神罰、ね……。たしか、『審問官エルブラムスがその手に持つ天秤を天へと掲げると、たちまち上空に黒雲渦巻き、金色の雷撃が天地を埋め尽くす。地上を走る狼の群れも空を駆ける翼竜の群れも、瞬き1つの間に閃光の中に消える。畏れよ。あれぞ正しく神の一撃。審問官エルブラムスの断罪の御業なり』……だっけ?)
『ファルゼン王国建国記』の一節を思い出し、皮肉気に笑う。
本来害獣から人類を守るために存在する神器が、今は害獣の手に渡って人類に牙をむいているなど、全く笑えない冗談だ。
(冗談じゃないことが問題、なん……だけど…………)
あれ? と思うも、もう遅い。
自分自身の意識がぼんやりと霞みがかっていると自覚した次の瞬間、私は抗う間もなく眠りに落ちた。
* * * * * * *
(ん……?)
頬に熱い吐息を感じる。
「ふぅぅ」とも「ぐるる」とも聞こえる、低く唸るような動物の鳴き声が、すごく近くで聞こえる。
まだはっきりとしない頭のまま、私はゆっくりと目を開け――――
目が合った。
覆いかぶさるようにして、私を見下ろす巨大な獣と。
「くっ……!?」
くうぅぅぅまぁぁぁああぁぁぁぁ!!!?
夜闇にその赤い目を爛々と輝かせて、巨大な熊が私を見下ろしていた。
いや、巨大と言ってもそこまで常識外の大きさではない。後ろ足で立ち上がっても、精々体長2mを超えるかどうかといったところだろう。
しかし、覆いかぶさられているという体勢もあって、私にはその熊が途轍もなく大きく見えてしまった。
「どうっ!!」
ほとんど反射的に、私は右脚を素早く折り畳むと、熊のお腹辺りを力任せに蹴り上げた。
神術による身体強化が一切されていないのはもちろん、寝っ転がったままという体勢もあり、その蹴り自体には大した威力は乗っていなかっただろう。
しかし、“聖域結界”という最硬の鎧を纏っている以上、私の蹴りが相手に阻まれるということはまずない。言うなれば私は常時、ゲームで言うところの無敵状態なのだから。
勢いよくぶつかった時点で相手は交通事故。今回も当然そうなった。
「ボグッ!!」
肺の中の空気を吐き出すような声を上げながら、熊の体が少し浮いた。
その隙に横転して熊の体の下から這い出すと、素早く立ち上がる。
体の上に掛けていた緑色の服を払い落としつつ振り返ると、熊は既に蹴りの衝撃から立ち直ってこちらを睨みつけていた。
「ヴルルルルゥゥ」
うん、私が蹴りを入れたせいで完全に
現実逃避気味にそんなことを考えていると、熊は猛然とこちらへ突進してきた。
「う、うわわわわっ!!?」
慌てて横に跳んで避ける。
しかし、熊は私の横を通り過ぎる瞬間、片側の足だけで大きく踏み込み、真横に体当たりをブチかまして来た。
そして、勢いそのままに跳ね返された。
「ボグッ!!?」
体ごと突っ込んでいたのが良くなかったのだろう。
熊は反対方向にゴロゴロと横転し、木に激突してようやく止まった。
……あ、うん。なんかゴメン。
滑稽と言えば滑稽なその姿に、私も先程までの恐怖を忘れてなんだか申し訳なくなってしまった。
いや、我ながらあんな巨大なドラゴンと戦っておいて、何をただの熊相手にビビってんだとは思うが、怖いものは怖い。
むしろファンタジー過ぎて現実感がなかったドラゴンよりも、熊の方が脅威としては身近な分、より恐怖を感じたのかもしれない。
……こんな姿を見せられては、最早脅威も何もないが。
「うっ……」
気が抜けると同時に、頭がくらっとした。
どうやらまだ血が足りてないらしい。
立っていられず、その場にへたり込む。
「すぅぅーーー……はああぁぁーーー……」
急に動いたせいか、視界がグラグラと揺れ、全身に力が入らない。
「ヴルルルアアァァ!!」
片膝を着いて俯く私に、熊はどうやら自分の突進が効いたものと勘違いしたらしい。
どこか勝利を確信したような咆哮を上げながら、再度突進して来る。
あぁーーー……うん、今はそれどころじゃないから引っ込んでてくれる?
適当に右腕を振って追い払おうとしたら、その右腕にがっぷりと噛み付かれた。
しかし、当然歯が立たない。文字通り。
それにしても本当に気分が優れない。
少しでも失った血を取り戻そうと干し肉など噛んでみたが、そんなものでは気休めにもならなかったようだ。
まあ単純に、体力を失った状態で固い干し肉をたくさんは食べられなかったというのもあるが。
(……肉……ふむ、肉か…………)
ふと顔を上げ、性懲りもなく私の腕をガジガジと噛んでいる熊を見る。
(……熊肉って……美味しいのかな?)
不意にそんなことを考えた瞬間、なぜか熊がピタリと動きを止めた。
そのままゆっくりと口を開いて私の右腕を解放すると、じりじりと後退りし始める。
(熊肉……たしか2、3年前にどこかの貴族主催のパーティーで珍味として饗された覚えがあるけど……どんな味だっけ? 令嬢モード発動中って味覚も曖昧になっちゃうからよく覚えてないなぁ)
つらつらと記憶を辿っていると、遂に熊が私に背を向けて逃げ出した。あっ、肉が逃げる。
私は反射的に、先程まで寝ていた場所の近くに転がっている《飛天剣》に向けて神力を放つと、逃げる熊に向けて一直線に飛ばした。
ドズッ!!
鈍い音を立てて、斜め後ろから飛来した《飛天剣》が熊の首に突き立った。
熊はその衝撃に足をもつれさせると、その場に這い蹲ったまま激しく吐血し始めた。
「うっ……」
なんとなく、先程までの私自身を
自分でやったことながら、思わず顔を顰めてしまう。
「えぇーーっと、血抜きをしないといけないんだっけ?」
頭を振って気分を切り替えると、私はうろ覚えの知識に従って、“念動”で熊の身体を逆さ吊りにした。
熊がじたばたと暴れるのも気にせずに宙吊りにすると、首に刺さっている《飛天剣》を引き抜く。
途端、凄い勢いで血が噴き出た。辺り一面に生臭い金属臭が漂う。
たしか、心臓が止まる前に首とか胸とかの大きな血管を切って逆さ吊りにすることで、傷口から血を抜くことが出来る……だった気がする。
しかし、どうやら《飛天剣》の刺さり所が悪かったのか、噴出する血の勢いがすぐに弱まってしまった。
「んん?」
よく見ると、熊は既に息絶えていた。
どうやら《飛天剣》を抜いてすぐに死んでしまったらしい。
「んんーー……」
どうしたものか。
多分まだ血抜きは完璧ではない。
血抜きをきちんと済ませていない肉など、臭くてとてもではないが食べられないと聞いたことがある。
(神術で血を抜く……? 治癒系神術を応用すれば出来ないことはない、かも? ……いや、そうか)
要は心臓をもう一度動かしてやればいいのだ。
それなら、もっと簡単な方法がある。
私は両腕の《破天甲》を外して逆さ吊りになっている熊の前に立つと、その胸の辺りを触って当りを付けた。
「この辺……かな?」
まあ外したら外したで、もう一度やり直せばいいだろう。
「ふんっ!!」
猛禽類の鉤爪のように右手の指を伸ばし、狙った場所に向けて真っ直ぐ突き出す。
そのまま肋骨の間を縫うようにして指を突っ込むと、胸骨ごとその奥にある心臓を鷲掴みにした。
禁じ手『殺っていいなら苦悶死鬼』の1つ、“
「ビンゴ」
確かな手応えに、そのままぐっと右手を握り込むと、熊の首から噴出する血の勢いが増した。
そのままポンプを押すように何度も手を握り、血が止まるまで続ける。
え? さらっと物理的におかしいことをするなって?
ゴメンね、今血が足りなくて頭に血が回ってないんだ。なにを言ってるのかわっかんなぁ~い。
「ふぅ、こんなもんかな」
大体血を抜き終わったと判断したところで、指を引き抜く。
引き抜いた後も、熊の毛皮には一切の傷痕が残っていない。
なんでそんなことが可能かって? さあ? お母さんに聞いて。私は知らない。
さて、血抜きは終わった。
次は……
「……どうしよっか?」
普通に考えれば解体しなければならないのだろうが、私は正しい解体方法なんて知らない。
切るだけならどうとでもなるが、適当に切って内臓を傷付けてしまったら、その臭いで折角の血抜きが台無しになるのは想像に難くない。
となると、胴体は諦めるのが無難か。
「……そう言えば、中華料理で“熊の手”っていうのがあったような……」
熊の前足を見て、ふとそんなことを思い出す。
……いや、流石にチャレンジャー過ぎるか。
うん、ここはやはり後ろ足にしておこう。
熊のモモ肉なんてものがあるのかは知らないが、まあ食べられないことはないだろう。
それに、気持ち的に上側にある後ろ足の方が、きっちり血抜きが出来ている気がする。
そう決めると、私は《ゼクセリア》で後ろ足を1本切り落とした。
ごめんなさい、剣聖アーサー。《飛天剣》の切れ味じゃ綺麗に切れなかったのですよ……。
皮の剥ぎ方も分からなかったので、仕方なく野菜の皮むきのように、《ゼクセリア》で皮下の肉ごと皮を削ぎ落す。
重ね重ねごめんなさい、剣聖アーサー……。
そうしてなんとか後ろ足を豪快な骨付き(ついでに足付き)肉にすると、火属性神術で表面をあぶり、塩を振ってかじってみた。
予想以上に筋張った肉を苦労して噛み千切り、思い切って咀嚼してみると……
「おいしい……だと!?」
うん、予想以上においしかった。正直ビックリ。
結構癖は強いが、それもまた肉を食べているという実感を強くして悪くない。
少なくとも干し肉なんかよりはよっぽど上等な食事だった。
しばらく夢中になって、あぶってはかじり、あぶってはかじりを繰り返していると……
「「「「「グルルルルゥ」」」」」
いつの間にか、周囲を狼に囲まれていた。
あ、うん。まあ夜の山でこんだけ血の臭いを撒き散らしてたらそうなるよね。
そんな風に暢気に納得している間にも、木立の中で光る金色の目の数はどんどん増えてくる。
さて、どうしようか。
蹂躙するのは簡単だけど、出来るだけ無益な殺生はしたくない。
それに、暗くてよく見えないが、あれがゲリアス種だったりしたら果てしなく面倒なことになる。
そもそも彼らの目的は私が仕留めた熊だろう。
どうせ私1人では食べ切れないのだから、彼らに食べてもらった方がいい気もする。っと……
そう考えている間に、集まってきた狼達が一斉に襲い掛かって来た。
「ふん」
とん、と軽く足踏み。
それに合わせて、土属性下級神術“土壁”で四方の地面を隆起させる。
と言っても精々3mくらいだが、これだけの高さがあれば彼らは上がって来られないだろう。
熊に掛けていた“念動”を解除して地面に落とすと、そちらに多くの気配が向かって行くのを感じた。
そして間もなく、ぐちゃべちゃという咀嚼音が聞こえてきた。
……うん、食事時にこれはナイ。
私は土壁の内側に“絶音境界”を発動し、静かになったところで食事を再開した。
モグモグモグ……
……あぁ、よく考えれば私って、ずーっと眠ってた後に流動食もどきを食べたっきりだったわ。
さっきまでは気にならなかったけど、今になって肉の塊がつらくなってきた。
お腹は空いてるはずのなのに、胃が「もう無理」と言ってる感じがする。
「ふぅ……」
足の肉はまだ8割方残っているが、もうこうなっては仕方ない。
失った体力を回復させるには無理にでも食べた方がいいのだろうが、いい加減顎も疲れてきた。
私は“絶音境界”を解除すると、壁の向こうにいるだろう狼の群れに向かって、残った足肉を投じた。
お残しはお母さんの教えに反する。
熊だって残らず食べてもらった方が供養になるだろう。
水を飲んで口の中をすっきりさせると、私は《ゼクセリア》と《飛天剣》の血糊を拭き、軽く手入れしてから右ポケットにしまった。
そして、土属性神術で周囲の地面を柔らかくしてから寝転がった。
このままもう一度眠ってしまおう。
そう思って目を閉じた。のだが……
グルルルル オオーーン オオーーン ザリッ、ザリザリ グルルルル
……周りの狼の群れがうるさい。
とっくに熊は食べ終わっただろうに、まだ土壁の周囲に群がっているらしい。
しかも爪で土を掻くような音からして、どうやら壁を登ろうとしているのがいるらしい。
だがまあ、なんの足掛かりもない垂直の壁を、狼の身で登ることは不可能だ。
その内諦めてどっか行くだろう。
ザリッ、ザリザリザリ グルルルル グルルルル
………………
オオーーン ウオオーーン
………………
ワオオーーン ウワオオーーーン
…………ブチッ
ウワオオ――――
「ああぁぁぁーーーー、もうっ! うるっさい!!」
魔属性中級神術“叫喚”
精神系神術にしては珍しい範囲指定型の神術で、指定した空間内にいる生物の生存本能を駆り立てる、つまり命の危険を感じさせる神術だ。
普通の出力だと対象がパニック状態になるが、今回のように出力を上げると「蛇に睨まれた蛙」状態にすることが出来る。
……シーーン……
はぁ、やっと静かになった。
静寂が確保出来たことに満足した私は、目を瞑って全身をリラックスさせた。
お腹に物を入れたせいか、再び眠気が訪れるのにそう時間は掛からなかった。