更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-②
私は海水に満たされた大地を眼下に眺めながら、上空100mくらいを帝国に向かって低速飛行していた。
私の固有神術“飛行”は、神力の出力を上げれば上げるほど速度が上がるのだが、今はその出力が落ちているので、ほとんどまともに速度が出せないのだ。
本気を出せばもう少し速く飛べるが、自分の体調が不安定な状態で無理をする気にはなれなかったし、緊急時のための備えとして、“飛行”以外の神術を使う余地を残しておかないと怖かった。
それにしても、低速飛行をしているおかげで眼下の様子が良く見えた。
いや~こうして見ると、実に壮観だね。これはあれだ。前世のニュース番組で見た、津波の被害に遭った地域の映像だわ。
平地はもれなく海水に飲み込まれ、辺り一面が水面と化している。
その中でも所々に突き出ている岩や、少し小高くなっている丘の上に、様々な種類の動物が避難している様子が見て取れた。
その様子はさながら、家の屋根や近所の高台の上で救助を待つ避難民のよう。
……うん、何かゴメン。でも本来なら火砕流が押し寄せていたはずだったんだから、これくらいは勘弁して欲しいと思うの。
それにもう海水の放出は止めたから、徐々に海水は引いて行くんじゃないかな。たぶん。
もしかしたら塩害で植物が全滅したりするかもだけど、火砕流と降灰に比べればまだマシなんじゃないかな。たぶん。
……うん、何の慰めにもならないよね。ホントゴメン。
何だか猛烈に申し訳ない気分になってしまい、その気分を振り払うように私は眼下の光景から視線を引き剥がすと、前を向いて少し速度を上げた。と言っても、やっぱり大した速度ではないんだけど。
すると、何やら私の方に鳥の群れが近付いて来た。
(渡り鳥の一種かな? それにしてはやけに派手だけど)
大きさは大体私の上半身くらいで、全身の羽毛は白というよりも白銀。そして、飛ぶのにはかえって邪魔になりそうな、随分立派な尾羽を持っている。
そんな鳥が十数羽ほど、きれいなVの字型に並んで飛行している。そして、その群れは明らかに私に向かって飛んで来ていた。
空を飛んでいる人間に興味を持ったのだろうか? ……まさかとは思うけど、攻撃されたりしないよね?
前世ならともかく、この世界には鳥型の害獣、害鳥だって存在する。
翼竜に比べれば遥かに危険性は低いが、巨大な猛禽類型の害鳥が、人間を攫って食うことだって稀にあるのだ。一見無害そうな鳥の群れでも、気は抜けなかった。……まあこの程度の大きさの鳥に、私の守りを抜けるとは思えなかったが。
微妙に警戒しながらその鳥の群れを見ていると、その群れは私の前で隊列を崩し、私の周りを旋回し始めた。
「え? ちょっ、何!?」
なんか怖っ! 別に害はないと分かっていても、この数の鳥に群がられるってなんか怖っ!!
目を白黒させながら周囲の鳥達の様子を眺めていると、その内の1羽、恐らく群れの先頭で隊列を牽引していた、一際立派な尾羽を持つリーダー格の個体と目が合った。
その個体は私と目を合わせた後、興味ないとばかりに一方的に視線を切ると、くいっと首を曲げて私から離れて行った。
すると、群れの仲間もその個体を先頭に隊列を組み直し、彼方の方向へ飛び去って行く。
(……え? なに、今の?)
さながら気分は、のんびり原付を走らせていたところに派手派手しいバイクに乗った連中がやって来て、周囲を無駄に旋回された挙句、鼻で笑いながら走り去られた感じだ。
(え? まさかとは思うけど……煽られた? しかもその挙句に思いっ切り馬鹿にされた?)
鳥の分際で? かつて100人以上の族を率いる伝説的な
その瞬間、急に私の中の何かの血が騒ぎ出した。
いつの間にやら脳内に再び赤鬼さんが出現していることにも、自分の思考が微妙におかしいことにも気付かず、私はゆっくりと深呼吸を1つすると――――
「待てやこの鳥畜生がぁ!!」
全力で叫び、飛び去ろうとする鳥の群れに猛然と追い
……………………
……………………
……………………
* * * * * * *
「……なにやってんだろう……私…………」
鳥相手に何をムキになっているのか。私は果たして、ここまで頭に血が上りやすい人間だっただろうか?
あの後、今の自分に出せる最高速度で鳥の群れを追い抜いた私は、何やら火が点いたらしいリーダー個体と
そうして群れのリーダー……いや、
「……」
正気に戻った今、私が思うことはただ1つ
鳥相手になにやってんだ
である。
なに爽やかな笑顔で手を振ってんの? なに
「今世で初の友達が鳥ってことになるじゃんかぁぁーーー!!!」
かぁーーー!!……かぁーー!…………かぁー………………
遠く連なる山並みに、私の絶叫が木霊する。
なんだろう。なんだかもうただ虚しかった。
べ、別に? 友達とかいらないし? 前世でも? 数える程しかいなかったし? 今世でも? 友達はいなくても婚約者ならい……た、し…………やめよう、際限なく落ち込むだけだ。
断崖絶壁の上で、溜息を吐きながらしゃがみ込む。
いや、正直な話、本気で友達が少ないことを気にしてる訳ではないんだけどね。
友達なんて縁だし、基本的に対人スキルがゴミな私と友情結べる人間ってかなり希少だし。
そもそも、私はそこまで1人が苦になるタイプではないし。
ただ、ねえ? 今世の友達第1号が鳥さんって! 流石に人としてどうかと思っちゃうよね!
羽飾りのようにフードに刺されている
……刺した? “聖域結界”が付与されている私のローブに?
慌てて尾羽を引っ掴んで抜こうとするが……抜けない。
まるで最初から縫い付けられていたかのように、その尾羽は完全にフードと一体化していた。どうなってんのコレ。
「えぇーーー……何者なのよ、
地平線の彼方に消え去った今世で初の友達(?)に、私は呆然とした声を放った。
* * * * * * *
しばし呆然とした後、私は少しだけ休憩をしてから、再び空へと舞い上がった。
「さて、帝国はどっちかなっと」
皇子兄弟がいる方向を探るために、再び“ヴァレントの針”を取り出し――――固まった。
「……え?」
“ヴァレントの針”に付いている3本の針の内、常に私に向いていた長針が……明後日の方向を指していたのだ。
代わりに中くらいの針が私を、短針がまた別の方向を指していた。
「……」
太陽の位置からして、短針は皇子兄弟のどちらか、恐らくイェンクーを指しているのだろう。
ならば……長針が指しているのは? 私以上の神力を宿しているものとは一体何だ?
私はその場に滞空したまま、長針の指す方向に目を向けた。
遥か彼方の地平線に、天を貫く一筋の線が見える。
「あれは……“天の
ここから見るとただの線に見えるあれは、近くで見ると、地面から天に向かって真っ直ぐに突き立つ巨大な柱であるはずだ。
その大きさからすると、柱というよりもむしろ塔と呼ぶべきなのかもしれない。しかし、その構造物には内側に空洞など一切存在しない。
まるで大地の一部を円柱状にくり抜いてそのまま引っ張り出したかのように、岩石の塊が真っ直ぐ天に向かって突き出しているのだ。
ここからでは見えないが、雲を貫いて更に上空まで伸びるそれは、途中から表面を真っ白い氷に覆われ、その頂点部分を黒雲によって覆い隠されているはずだ。
自然の構造物としてはあまりに異質なその柱は、太古の昔、始まりの神術師の手によって作り出されたものであるという言い伝えがあり、その頂は聖地と同様に特殊な力が宿っていると言われている。
そのため、一昔前までは多くの名のある神術師が、力や名誉を求めてその頂を目指したらしい。
しかし、フィベルフォード自体が人間の領域から遠く離れた害獣の領域にある上、生半可な神術師では フィベルフォードを半分も登らない内に寒さと低酸素に耐えられなくなる。
それでも、過去には私と同様に飛行の神術を習得した何人かの神術師が、その頂を覆い隠す黒雲までは辿り着いたらしい。だが所詮そこまで。
結局、その黒雲の中に突入して生還した者は今まで1人もいない。
(“ヴァレントの針”はあれを指して……? いや、もうちょっと上空から確認してみようか)
私は彼方に見えるフィベルフォードから視線を剥がすと、“ヴァレントの針”の長針を注視しつつ、高度を上げた。
目標との距離感を測るために、上昇しながら左右方向に移動してみると、すぐに針が指しているのがフィベルフォードではないことが分かった。
これだけ距離があるのだ。もしフィベルフォードを指しているなら、ちょっと左右に動いたくらいでは針は微動だにしないはずだ。
しかし、長針は私の移動に合わせて目に見えて左右に振れている。
これはやはり、私とフィベルフォードを結ぶ直線上にある“何か”を指していると考えるべきだろう。……ん? いや、段々と針の振れ幅が大きくなっているような……これはまさか……
「近付いて来てる……?」
しかし、地上をどれだけ見渡しても、特にそれらしいものは見当たらない。
こちらに向かって真っ直ぐ移動してきているなら、たとえ木の下を移動していようと、何かが見えてもいいと思うが……。
……後になって思えば、この行動はあまりにも愚策だった。
全く万全ではない状態で、自分以上の神力を宿している“何か”について迂闊に調べようなどと思うべきではなかった。それがこちらに向かって移動していると気付いた時点で、私は一目散に逃げるか、最低でも一旦下降し、地上に降り立ってから慎重にそちらを確認すべきだったのだ。
しかし、その時の私は、間抜けにも自分の姿を堂々と空中に晒したまま、よりにもよって高度を上げてしまった。それが、怪物のアギトに自ら飛び込む行動と同義であることに気付きもしないまま。
ふと、私の感覚が神力の気配を察知した。
しかし、捉えた気配の位置は、今まで見ていた地上ではなく……
(上!?)
慌てて視線を上げると同時に、突如、上空の雲を突き破って巨大な影が出現した。
「!!?」
凄まじい速度で真っ直ぐこちらへと突っ込んで来る巨大な物体に、私は慌てて回避行動をとった。
今の自分に出せる最高速度での全力回避。その足先を掠めるようにして、巨大な影が通り過ぎて行った。
空中で体勢を立て直しながら背後を振り返ると、そのまま地上に墜落するのではないかと思うような速度で急降下してきた
そのままこちらに向き直ると、同じ高さまで上昇して来る。
……幻獣化、という現象がある。
神力を宿す人間の血肉を喰らった害獣が、極稀に神力を宿し、異常な突然変異を起こす現象だ。
神力を宿したからといって、害獣が神術を使えるようになったりはしないが、その害獣の特性を強化した特殊能力を獲得する可能性が高い。
これらの幻獣は過去にいくつかの報告例があり、その多くが特別指定災害種に指定されている。
神力を宿しているのだから、目の前のこの竜は、恐らく幻獣化した翼竜種なのだろう。
だが、翼竜ではない。
体長は20m弱といったところ、翼を広げた横幅はその倍近くあるだろうか。
2本の角と、牙竜種にも匹敵する強靭な顎を持つ頭部。力強く風を掴む巨大な2対4枚の翼。ここまではいい。ここまでなら、翼竜種の種によってはまあないことはない。
だが、その翼の前に生えているものが問題だった。
凶悪な爪を有する逞しい2本の前肢。
いや、これはもう腕だ。翼竜が共通して持っている獲物を捕らえるための後肢ではなく、敵を切り裂き、薙ぎ倒すための腕だ。
そして後肢もまた、翼竜にしては異常に発達している。
その姿は、翼竜というよりも
漆黒の鱗に覆われる体躯の中、そこだけ異様な輝きを放つ金色の瞳が、はっきりと私を捉えていた。
「うっそでしょ……」
意図せず、そんな声が漏れてしまった。
私の知る限り、こんな姿を持つ幻獣はこの世界に1体だけしかいない。
王国に残された数々の記録の中でも、その個体に関する記録は一際異彩を放っていた。
『王国歴××××年××月
フェンデル辺境伯領において初めてその存在が確認される。
翼竜でありながら群れを作らず、単体で商隊の馬車を襲撃。その後、各地で商隊を狙った襲撃を繰り返すようになる。その特徴的な4枚の翼から、ゼディウス種の特異個体と推定され、“賊竜”と呼ばれるようになる。
王国歴××××年○○月
各地で商隊への襲撃を繰り返していた特異個体“賊竜”の巣と思われる場所で、昨年末から行方不明となっていたエレナ・フェンデル伯爵令嬢らしき姿を確認。
至急救出部隊が編成され、現場に急行するも、エレナ嬢は既に死亡。救出部隊を率いていた“暴風の聖人”ギャロット・ジェルマンは、“賊竜”との戦いで戦死した。
この大事件により、この特異個体は“聖人喰らい”セナト・ゼディウスと名付けられ、特別指定災害種に指定される。
間もなく大規模な討伐隊が組まれ、1カ月に及ぶ大捜索が行われるも、
王国歴×××○年□□月
幻獣化した異形の翼竜がジェルマン侯爵領領都を襲撃。
異常発達した体躯に加え、前肢と角を有する異形と化していたが、その身体的特徴と風を操る特殊能力により、この個体が“聖人喰らい”セナト・ゼディウスであると特定された。
この襲撃により、領都内の神術師は全滅。領都自体も壊滅的打撃を受ける。
この件を以て、“聖人喰らい”セナト・ゼディウスは、その名を“聖人喰らい”セナト=ラ・ゼディウスと改められた。
王国歴×××△年▽▽月
王国各地で襲撃を続ける“聖人喰らい”セナト=ラ・ゼディウスを討伐するため、時の国王ボナードは帝国と聖女王国へ救援を要請。事態を重く見た両国はこれに応じ、皇帝リュウゲンと聖女王ウィリテフィアが自ら近衛兵を率いて出撃。この両名に加え、国王ボナード、聖杯公ガンゼフが参戦し、史上最大規模の討伐作戦が決行された。
キュレイ渓谷における半日にも及ぶ激戦の末、聖杯公ガンゼフを始めとする多くの戦死者を出しながらも、討伐隊は対象の撃退に成功。以降、その姿は確認されていない。
長きに渡って王国に未曽有の大被害をもたらしたこの個体は、後年“天征竜” セナト=ラ・ゼディウスと呼ばれ、今尚史上最強の幻獣とされている』 (『特別指定災害種調査報告書』より抜粋)
懐かしい、気配がした。
十数年ぶりに感じる気配。これは――――死の気配だ。