ハロルド・ファルゼン視点④
連続更新2話目です。
ハロルド視点④ですが、時系列的にはハロルド視点②の1週間前に当たります。
このハロルド視点④と梨沙視点 2-⑬、ナキア視点③は全て同じ時系列です。
「――――――あああぁぁぁああぁぁぁぁ!!!」
突然上がった絶叫に目が覚める。
そして、目覚めてすぐに、その絶叫が自分自身の口から発せられていることに気付いた。
「はぁ、はぁ」
見慣れたベッドの天蓋に向かって伸ばされた自分の右腕。
何かに向かって伸ばされたその右手は、しかしどこにも届かず、ただむなしく空を掴んでいた。
「殿下」
「あぁ……問題ない。下がっていろ」
「ハッ」
私の声を聞きつけた近衛騎士が、部屋の扉を僅かに開けて声を掛けてきたが、それに対して気にしないように告げる。
近衛騎士達も慣れたもので、それ以上余計な追求をすることなく、警護の任務に戻った。
「はぁ……」
ここ最近、セリアが王都を去ってからはいつものことだった。
夜眠りにつくと、必ず悪夢にうなされて目が覚める。
悪夢の内容は様々で、その内容を覚えていることもあれば覚えていないこともあった。
セリアが害獣に襲われる悪夢を見て、焦燥感に駆られて飛び起きることもあれば、夢の内容は覚えていないのに気付けば涙を流していることもあった。
そして……今回はどちらかと言うと後者だった。
「……」
夢の内容は覚えていない。
ただ、胸を抉られるような痛みと、胸の中央にぽっかりと穴が開いたかのような喪失感だけが残っていた。
息を吸う度、その胸の穴に冷たい風が吹き込んで、寒々しい痛みが生じる。
「ふぅ……」
どうせこうなったらもう眠れない。それはこの1カ月の間によく分かっていた。
私は叫んだせいで痛む喉を潤すため、ベッドから起き上がると窓際に置いてある水差しを手に取った。
「――っ、ふぅ」
水を一杯飲むと、ようやく人心地付いた。
しかし、そうしても胸に残る痛みは消えてくれなかった。今尚、胸に隙間風が吹き込んでいるようで、身体の中心からじわじわと冷え込んでいくような感覚がある。
「はぁ……」
気を紛らわせるように、窓から王都の夜景を見下ろす。
光の神具が町中に設置されている王都は、夜になってもなお煌々とした明かりを放っていた。
恐らく夜でもこれほど明るい町は、この王都といくつかの大貴族が治める領都を除けば、大陸全土でも数えるほどしかないだろう。その中でも、この王都はその規模もあって、遠くから見ると夜空の星々すら霞むような輝きを放っている。
しかし、かつては無邪気に美しいと思っていたその輝きを、今の私は素直に受け止めることが出来なかった。
それは、一見王都全体を照らしているかのように見えるこの光にも、決して届かぬところがあるということを知ってしまったから。そして、その光の届かぬところを作っているのは、本来光で以て闇を払うべき存在である貴族達だということを知ってしまったからだ。
次期国王としてこの国のことを学び、実際に各地を巡る内に気付いたこの国の暗部。
600年前、鮮血の大粛清によって一度は一掃され、しかしこの600年の間に再び育ち、肥大したドロドロとした底なしの闇。
我々王家がここ数代に渡って何とか力を削ごうとして、それでもなお拡大を続ける腐敗貴族の勢力。
ここ最近、彼らは更に勢い付いていた。
理由は1つ、聖女として覚醒したセリアが王都から出奔したからだ。
彼らは元々、私とセリアの結婚に関しては賛成派だった。
最初はそんな彼らを私の味方なのではないかと思ったりもしたが、やがてそうではないと気付いた。
彼らは私とセリアの結婚が、王家の権威の失墜を招くと考えていたからこそ、私とセリアの結婚を勧めたのだ。
その証拠に、彼らは表向きはセリアのことを聖女候補として敬っておきながら、陰で「彼女は“神に見放された者”だ」という噂を流していたのだ。
図らずも、彼らと父上は全く同じ理由で真逆の行動をとったのだ。
セリアを王家に迎え入れることで王家の権威が損なわれることを危惧して、婚約を破棄した父上と、そのことを期待して結婚を勧めた腐敗貴族。
そして図らずもセリアが聖女として覚醒し、出奔したことで、王家の権威は損なわれ、腐敗貴族達は勢い付いた。
彼らにとっても、セリアが本当に聖女となったことは予想外だったはずだ。しかし、彼らは表向きはセリアを聖女候補として王家との婚姻を推奨していたのを良いことに、王家と、真に国を憂いてセリアと私の結婚に反対していた国王派の貴族を攻撃し始めたのだ。
こうなるとは思ってもみなかったくせに、「それ見たことか」とでも言いたげに調子に乗る彼らに、しかし王家も国王派の貴族も、反論することは出来ない。
「王家と国王派の貴族がセリア嬢を追い詰めたせいで、彼女は王国を捨てた」と言われてしまえば、誰もその可能性を否定出来ないからだ。
この状況を逆転する方法があるとすれば、他でもないセリア本人にその可能性を否定してもらうしかない。そのために、今王家は八方手を尽くしてセリアを探しているのだ。
だが……
―― また、彼女を振り回すのか?
胸の中央で、そんな声が生まれた。
その声を起点に、胸にぽっかりと開いた穴の中に、小さな炎が生じた。
―― この国は、彼女の為に何もしなかったくせに?
―― 彼女を受け入れず、排斥したくせに?
―― なのに、今更せっかく自由になった彼女を連れ戻して、また国のゴタゴタに巻き込もうと? ふざけるな!
その小さな炎は急激に勢いを増し、あっという間に胸に開いた穴の中を埋め尽くした。
つい先程まで熱を失っていた身体が、燃え上がる炎によって一気に熱を帯び始める。
「――っ!」
ドンッ!
突然湧き上がって来た自分でも制御出来ない激情を、自分自身の胸に拳を叩きつけることで無理矢理抑え込む。
「――――っ、ふー、ふー……」
荒立つ心を落ち着けようと、ゆっくりと深呼吸をする。
目を閉じてそのまましばらく繰り返していると、ようやく気分が落ち着いてきた。
「ふぅぅ…………一体、何だったんだ? 今のは」
何の前触れもなくいきなり噴き上がった感情に、自分のことながら戸惑う。
今の感情は……暴力的なまでの怒りだった。
自分達の都合でセリアを振り回すこの国に対する、灼け付くような怒り。
振り回すも何もない。貴族として生まれ、貴族としての生活を享受した以上、国の為に尽くすのは当然のことだ。
長年の王族としての教育で形成された価値観が頭の片隅でそう囁くが、今はそんな冷静な声も胸の炎に油を注ぐだけだった。
そんな王族らしくないある種自分勝手な感情が、こんなにも強く自分の中にあったことに驚く。
たしかに、この国の王族としてセリアに戻って来て欲しいと思う反面、彼女にはもう好きなように生きて欲しいという、彼女を想う1人の男としての個人的な思いはあった。
しかし、この国そのものに怒りを抱くようなことは今まで一度もなかった。
王太子である私がそんな感情を抱くこと自体、あってはならないことだ。
「……どうやら自分で思っている以上に疲れているみたいだ、な」
全ては疲れのせいだと、そう結論付けて、無理矢理自分自身を納得させる。
そうしなければ、自分でも制御出来ない感情に心を支配されてしまう気がしたのだ。
気分を切り替えるように頭を振ると、眼下の王都から目を逸らし、夜空を見上げる。
そうすると思い出すのは、やはりその空の向こうへと飛び去った少女のこと。
「……」
彼女に好きなように生きて欲しいという思いに嘘はない。
だが…………だが、私の偽らざる本心を言うならば……どうか、私と共に生きて欲しい。
今度こそ間違えない。
あの時は間に合わなかった。でも、今度こそ間に合わせる。
今度こそ――――
「届かせてみせるよ。この手を、君に」
右手を空に