ハロルド・ファルゼン視点③
大変お待たせしました。お待たせしたお詫びと言っては何ですが、3話連続更新します。
いえ、別に書き溜めていた訳ではありませんよ?このハロルド視点③を散々書き直した挙句、ようやく最後に完成させただけです。
「セリア・レーヴェン侯爵令嬢が参られました」
「入らせてくれ」
メイドの言葉にそう返すと、すぐに扉の向こうから愛しい婚約者が姿を見せた。
「お久しぶりでございます殿下。本日はお招き頂きありがとうございます」
私の婚約者、セリアはそう言うと、9歳の少女には思えないほど落ち着いた態度で完璧な礼を取ってみせた。
しかし、その表情は恐ろしく無表情で、その水色の瞳はどこまでも無機質だった。
「あぁ、よく来てくれた。さあこっちにおいで」
「失礼します」
微笑みと共に告げた私の言葉にも、彼女が笑みを返すことはない。
そのままの表情で机を挟んだ対面の椅子に向かうと、メイドが引いた椅子にゆっくりと腰掛ける。その歩き方も姿勢も、正しく貴族令嬢の模範。まるで貴族令嬢はかくあれかしという言葉を体現しているかのように完璧だった。
その姿を見ながら、私は室内の使用人達に目配せをする。
すると使用人達も心得たもので、小さく一礼して音も無く部屋を出て行った。
その最後の1人が出て行くのを確認してから、私は改めて正面に座る婚約者に声を掛けた。
「もう皆出て行ったよ、セリア。だから――」
戻っておいで。
そういう意思を込めてセリアの瞳を見詰めると、やがてその瞳に変化が生じた。
水面に張った氷のように、鈍く光を反射するだけだった瞳に、波紋が生じる。
氷が解け、水になるように、その瞳に徐々に意志の輝きが宿る。
そして、ゆっくりとした瞬きの後、その瞳は完全な意志の輝きを宿し――――
「はあ、疲れた」
一気に崩れた。
先程までの無表情とは打って変わって緩み切った表情を見せる婚約者の姿に、いつものことながら苦笑が浮かぶ。
「また家で何かあったのかい?」
「そうなの! 聞いてよハロルド、この前――」
そのまましばらく、セリアの近況報告という名の愚痴が始まる。
彼女は普段、不遇な生活を送っている。
両親から絶えず掛けられるプレッシャーのせいで全く心休まる日がなく、そのストレスを吐き出す相手も場もなく、常に心をすり減らしているのだ。
そんな生活の中、少しでも自分の心を安らかに保つために、いつしかセリアは“令嬢モード”なる淑女の仮面を被るようになってしまった。先程までの無表情無機質な状態が
以前から私以外には表情が乏しく無口ではあったのだが、あの状態になってからは口が滑らかに動くようになった一方、表情が益々乏しくなってしまった。
そんな彼女を見て、人々は陰で彼女のことを“人形姫”などという二つ名で呼んでいるようだが……本当の彼女はこんなにも表情豊かでおしゃべりだ。それを知っているのは私だけだが。
「そしたらあの陰険男、何て言ったと思う? 『この程度の訓練で大げさに痛がるな』だって! 私が痛がるまでやめなかったのはアンタの方じゃない! 学園での成績がよくなかったからって、仮にも妹を
そう言って中空を睨みつけると、セリアは恐らくそこに兄の姿を幻視しながら右腕を突き上げた。
(彼らが今のセリアを見たらどう思うのだろうな)
きっと、まず自分の目を疑った後、次に自分の正気を疑うに違いない。
思わずそんなことを思って口元に笑みを浮かべると、どうやらその仕草が目の前の婚約者を誤解させてしまったらしい。
口を
「えっと……今の話に何か面白いところあった?」
「あぁいや、すまない。君の言い方とコロコロ変わる表情が可笑しくてね」
(サラッと流したけど、メッロメロにしてやるって何のことだ? 普通に考えれば異性を魅了するって意味だろうけど、どう考えてもそんな意味じゃないだろうし……)
そう言うと、セリアは今度は反対方向に首を傾げながら、自分の顔を手でむにむにと触り出した。
「……そんなに変わってた? 最近ず~~っと無表情だったから、顔の筋肉が固まってるんじゃないかと思ってたんだけど」
「ははっ、そんなことないよ。私と会う時の君はとても表情豊かだ。でも……」
そっと身を乗り出すと、セリアの眉間を指でつついた。
「あんまりここに皺を寄せていると取れなくなってしまうかもしれないから、そこは気を付けた方が良いかな」
「う……ご、ごめんね? いつも愚痴っちゃって。今日はそんなつもりじゃなかったんだけど……」
「構わないよ。不満をずっと内側に溜め込んでいると、いつか破裂してしまうかもしれないしね。私でよかったらいくらでも聞くよ」
「ありがとう……そう言ってもらえると助かる、かな」
私だって時々王太子としての教育がつらくなることもある。しかし、私には母とジークがいる。
厳格な父と違って母は穏やかで優しい人だし、最近ようやく簡単な会話が出来るようになった歳の離れた弟は、とても可愛くて一緒にいるだけで癒される。
だが、セリアにはそういった相手がいない。
父と兄は言わずもがな、母親もセリアには冷たく、妹であるナキア譲とは会話らしい会話も碌にしたことがないらしい。使用人達は、主人である侯爵を気にしながらも時々セリアのことを気遣ってくれるらしいが、私のように気安く話せるような相手はいないらしい。
いくら周囲から大人びていると言われていても、セリアはまだ9歳の少女だ。そんな状況でストレスを吐き出す相手の1人もいなければ、いつか潰れてしまうだろう。
「……笑ってごめんね。つらかったね」
「……うん」
「それでも頑張ったんだね。セリアは偉いよ」
そう言ってそっと頭を撫でると、セリアは少しだけ泣きそうな顔をした。
ぐっと俯いて唇を噛み締めるセリアを見て、私は席を立って机を回り込むと、セリアの頭を優しく抱き締めた。
……婚約者とはいえ、婚姻前にあまり過度な接触をするのはよくないが、ここには私達2人しかいないのだから構わないだろう。
それに、こうやって顔を隠してやらないと、誰かに甘えることに慣れていないこの少女は、素直に涙を零すことも出来ないだろうから。
そのまましばらくセリアを抱き締めながらその頭を撫で続けていると、やがてセリアが気まずそうにもぞもぞと
「……ごめんね、ありがとう」
「いいよ、役得だったしね」
「……もうっ」
セリアの目が少し赤くなっていることに気付かない振りをしながら冗談めかしてそう言うと、セリアはちょっと困ったように笑った。
「さて! 暗い話はこれでおしまい! 本題に入ろっか!」
「そうだね」
セリアは気分を切り替えるように殊更に明るい声でそう言いながら、パンと両手を叩いた。これ以上今の話題を引きずるつもりはないので、私も素直にその提案に乗る。
「じゃあ改めまして……誕生日おめでとう、ハロルド」
「ありがとう。そして君も、誕生日おめでとう。少し気が早いけれど」
「もう、それ毎年言ってる」
「ははっ、そうだね」
厳密に言えば、今日は私の誕生日でもセリアの誕生日でもない。
私の誕生日は2日前だし、セリアの誕生日は逆に2日後だ。
誕生日当日にはそれぞれの家で盛大なパーティが開かれるが、そのパーティでは2人きりになる暇がほとんどなく、お祝いらしいお祝いも出来ない。なので、毎年この2人の誕生日の間に当たる日に個人的に会って、お茶会という名のお互いの誕生日祝いをしているのだ。
「はいこれ、誕生日プレゼント」
「ありがとう、こちらは私からの誕生日プレゼントだ」
お互いに持って来たプレゼントを交換する。
私がセリアに渡したのは神術の高級触媒の詰め合わせのようなものだ。本当は宝石やアクセサリーを贈ろうとしたのだが、本人に神術の触媒が欲しいとリクエストされたのでその希望に沿ったのだ。せめてプレゼントとして見栄えを良くしようと、美しい花や綺麗な鉱石の触媒を選んだが。
本当なら神術の触媒なんてレーヴェン侯爵家にもあるのだろうが、セリアがそれらを使うことは叶わないらしい。もし使おうとしたら、父からは「身の丈に合わぬことをするな」と言われ、兄からは「これらは出来損ないが触れていいものじゃない」と言われ、そのままついでのように延々嫌味を言われるらしい。
なので、セリアは個人的に触媒を手に入れるために私を頼ったのだ。
何でも、ボネッド条件下でブーレーン理論を適用した場合における補助術式のドナ係数に関して少し調べたいことがあるらしい。何を言っているか分からないかもしれないが、かくいう私も彼女が何を言っているのか半分も理解出来なかった。
とりあえず思いっ切り噛み砕いて説明すると、補助触媒に神術の補助術式を刻み込む際、術者の保有神力量と瞬間出力量によって、何かを定義する係数の期待値が変化するとかいう話だった気がする。というか私に理解出来たのがそこまでだった。
熱心に語ってくれる婚約者に愛想笑いしか出来ない我が身が不甲斐なく、後日神術の家庭教師に質問してみたのだが、家庭教師の反応は「殿下、恐れながらまだ6年は早いです」だった。どうやら学園で習う教育を完全に踏まえた上で、更に専門知識を身に付けないと到底理解出来ない内容らしい。
……まあ、目の前に学園入学前からその内容を理解していると思われる少女がいるのだが……。
「ありがとう、ハロルド。特にこのシルグファイト。たしか光属性の付与触媒の中でもかなり希少な鉱石だったはずだけど、よくこんなの手に入ったね?」
「あぁ、偶々手に入ってね。今回の君のリクエストとは少し異なるかも知れないけど……」
「ううん、嬉しいよ。シルグファイトの補助触媒としての安定性と柔軟性はかなり高い水準らしいし。また何かの機会に使うかもしれないから」
「う……ん、そうか。それならよかった」
いや、本当はその単純な宝石としての美しさ目当てに買い求めたものなのだが……。
シルグファイトを掲げて光に透かしているセリアの目は、どう見ても宝石を見てその美しさにうっとりする少女の目ではなく、希少な補助触媒を珍しがる研究者の目をしていて、私は何とも言えない気分になった。
気を取り直してセリアからもらったプレゼントを開くと、そこにあったのは精緻なレリーフが施された金属板だった。
薄い金属の板の中心に
「これは……すごいね。どうやって彫ったんだろう?」
普通に彫りこまれているならともかく、これは浮彫だ。反対側の面が平面であることから、金属板を裏から叩いて紋章を浮き上がらせた訳でもなさそうだ。
余程腕のいい職人が時間を掛けて丁寧に丁寧に彫ったのかと思いきや、セリアの口から語られたのは驚きの答えだった。
「あぁ、それは私が土属性神術で作ったんだよ」
「えっ!?」
思わず耳を疑う。
土属性神術で、土や金属の変形は初歩の初歩で習う術だ。
しかし、それは精々大雑把に突き出さしたりへこましたりするだけで、ここまでの細かい変形は極めて困難だ。
「……どうやって作ったんだい?」
「え? どうって……土属性神術を16カ所に同時に掛けて……こう、粘土を指で成型する感じで?」
「それは……すごいな。うん、本当に」
サラッと16カ所同時照準同時発動とか言われたが、一般的に可能とされている同時発動数と同時照準数は最大で指の数、つまり10個だとされている。同時発動数ならともかく、同時照準数は1つ増やすだけでもかなり大変なのだが……。
「ちなみに……今の同時発動数って最大でいくつなんだい?」
「一応片手で16発、両手で32発かな。……まあ、初級神術しか満足に使えないんだけど」
「……へぇ」
……前回聞いた時から更に倍増している。
セリアは自嘲気味に肩を竦めているが、私は初級神術でも最大で同時に20発しか使えない。これでもセリアに負けないように必死に訓練した結果だ。
それに、私は20発同時発動すると神力の配分が上手くいかず、制御がかなり甘くなる。全て同じ出力で発動させているつもりでも、明らかに出力が強いものと弱いものが出てしまうのだ。その点、セリアは全て均一に制御し切っているのだから凄い。
正直神術の制御力という点では、王国全体でもセリアの右に出る者はいないのではないかと思っている。……私以外にそのことを評価する者はいないが。
「ありがとう、大切にするよ」
「どういたしまして。本当はもっと独創的な彫刻にしたかったんだけど……」
「?七大神器は我が国の象徴だし、王族である私に贈るには相応しい紋章だと思うけど?」
「でも、この国に七大神器って半分も残ってないじゃん」
セリアのその言葉に苦笑が浮かぶ。
「……まあ、元々4つしかなかったしね。聖女アンヌが扇を持ち去ってしまったから3つになってしまったけど」
「そもそも聖女王国の国宝になっている玉をまだ国旗に残しているのは問題じゃない?」
「いや、まあそれを言ったら燭台と天秤はずっと行方不明だしね……」
「あれ? 天秤はともかく、燭台は一応発見されたって記録があるよ?」
「え!? そうなのかい?」
「うん、聖人ヴァレントが発見したっていう手記が残ってるらしいよ。天秤は……色々な説があるけど、私としてはフィベルフォードにある説が有力だと思うな」
「ふ~ん、セリアは七大神器に興味があるのかい? ……個人的には、あれほどの過ぎた力は行方不明のままでいた方が平和じゃないかと思うけどね。特に燭台と天秤は七大神器の中で特に戦闘に使われていた2つだということだし」
特に帝国などにそれらが渡ったりした場合、国家間で戦争が起こる可能性すらある。
そう考えて言ったのだが……続くセリアの言葉にハッとする。
「別に七大神器そのものに特別な興味がある訳じゃないけど……もし七大神器があったら、私でもちゃんと神術が使いこなせるかなって」
「セリア……」
その儚げな笑顔に、胸が締め付けられる。
彼女は何も、浅はかな興味本位で七大神器を求めていた訳ではなかったのだ。
全ては自分自身の才能不足を補うため。今の自分の不遇な生活を打破するためだったのだ。
思わず身を乗り出し、その頬に手を伸ばそうとしたところで……
「ま、ほとんどは単純に好奇心だけど。伝説の神器とかちょっとカッコイイじゃない?」
あっさりと態度を変え、冗談めかしてそう言うものだから、私はガクッと力が抜けてしまった。
「あのねぇ……さっきまでの神妙な態度は何だったんだい?」
「いやぁ……アッハッハ」
誤魔化す気もない棒読みの笑い声に、思わず溜息が出る。
「はあ、もう……」
……どうやらからかわれたらしい。
もしかしたらある程度は本気だったのかもしれないが、私はそう思うことにした。
「ふふっ、ごめん」
「まったく……まあいいけど」
遊ばれたのは少し釈然としないが、それでもセリアが笑っているのならそれでいい。私と一緒にいる間は、セリアには少しでも長く笑顔でいてもらいたいから。けれど……
「セリア」
「何?」
居住まいを正し、真剣な表情を作ると、セリアも表情を改めて真面目に聞く姿勢になった。
「あと少しで、私達は学園に入ることになる。そうなれば……きっと、君には今よりもつらい生活が待っていると思う」
「……うん」
学園でセリアの神術の技量が広まれば、セリアは今よりも遥かに多くの侮蔑や嘲笑を向けられることになるだろう。それは火を見るより明らかだ。
「でも、どうかこれだけは覚えておいて欲しい。私は……私だけは、いつだって君の味方だ。そして、遠くない未来、必ず君が私の婚約者だということを全ての人間に認めさせてみせる」
たとえセリアに高位の神術を扱う才能が無くとも、セリアには並外れた頭脳がある。
特に彼女が提案した農業に関する改善案などは、私が王家の直轄領で軽く試験しただけでも目に見えた成果が上がっていた。近い内に父に進言してもっと大規模に行い、ゆくゆくは他国にも広めようと考えている。
そうやって成果が上がれば、いつか皆セリアのことを認めるはずだ。これ以上セリアを貴族達の悪意に晒させたりしない。そう……
「私が君を守るから……だから、信じて待っていて欲しい」
セリアの目を真っ直ぐに見詰め、そう告げる。
すると、セリアは一瞬目を見開いて、それから――――
「嘘吐き」
「え……」
「さよなら」
セリアは無機質な瞳でそう言うと、私に背を向けて去って行く。
「待っ――待ってくれ! セリア!!」
なぜ、なぜ私にそんな目を? そんな、まるで他人に向けるような――
慌てて立ち上がり、その背を追おうとするが――
ビシィ!!
私が遠ざかるセリアの背に向けて右手を伸ばした瞬間、耳を弄する音と共に、私が立つ空間全体にヒビが入った。
そのままひび割れたガラスが剥落するように、周囲の景色が崩れ落ちていく。その向こうにあったのは漆黒の空間。
その光景を見て、私はようやく思い出した。
そうだ……彼女は……セリアは――――
去った。
私を捨てて。
去った。
あの日、王城の窓から空に向かって。
もう、私の手は届かない。
私の伸ばした手は何に触れることもなく……私は、漆黒の闇に放り出された。
「セリア……」
何もない漆黒の暗闇の中、私は呟く。
「どうして……」
どうして、去ったのか。なぜ、何も言ってくれなかったのか。
そんな胸の中のあらゆる疑問が、自然と口から零れ落ちる。
そんな誰に聞かせるでもない、誰の答えもあるはずのない疑問に――――答えが、返された。
『君が彼女のことをちゃんと見ていなかったからだろう?』
「!?誰だ!!」
暗闇から響いたその声に、反射的に誰何を返す。
しかし、それに対して答えが返されることはなかった。「答えずとも分かっているだろう?」その沈黙に、私はそんな意志を感じ取った。
「何のことだ? 彼女を見ていなかったって……どういうことだ!」
返ってきたのは呆れたような気配。「本当に分からないのか?」そんな風に言われている気がした。
『君が彼女のことを見ていなかった。だから彼女は君の元を去った。それだけのことだよ』
「勝手なことを言うな! 私はちゃんと彼女のことを見ていた!」
『なら、なぜ彼女は去ったんだ? 見ていたなら分かるはずだろ?』
「それは――っ」
分からない。
私には……分からなかった。
黙り込む私に追い打ちを掛けるように、声は続く。
『それ以前におかしいと思わなかったのか? 彼女からの手紙が届かなくなったことを』
「それは……私があちこちを飛び回ってて……彼女を放置したから……」
『そんなことで彼女が送られてきた手紙を無視する訳ないだろ? どうして確認しなかった?』
「確認出来なかったんだ! 彼女は家でも学園でも孤立していたから――」
『孤立していた? 他人事みたいに言うなよ。君がそう望んだんじゃないか』
「何を――」
咄嗟に出た声に、力が入らない。
それは、心のどこかに自覚があるから。
そして、次の言葉が自分にとって痛手となる予感があるから。
『気付いていたはずだろう? 彼女自身は気付いていなくとも、彼女の側にいた君は気付いていたはずだ。彼女の周囲にいる全ての人間が彼女を差別していた訳ではないと』
「それは――っ!」
『気付いていたはずだ。彼女の周囲には、彼女に同情的な人間や彼女を気に掛けている人間が一定数いたことに。なぜ、その人達を味方に付けなかった?』
「……」
……そう、本当は気付いていた。
多くの人間がセリアに侮蔑や嘲笑に満ちた視線を向ける中、極一部にセリアを純粋に気にしている人間がいたことを。その代表格はやはりセリアの兄、リゼルの婚約者だったフィオナ・ザイレーン伯爵令嬢か。彼女はセリアとすれ違う度に、セリアのことを気に掛けるような眼をしていた。
……よく、覚えている。
なぜならそれは、私が度々セリアに向けているのと同じ眼だったから。
家では出来損ないと蔑まれ、学園では“神に見放された者”と嘲られ。
それでも表情1つ変えず、表面上は何事もないかのように振舞っているセリアが、ずっと心配だった。
なぜなら私は知っていたから。セリアが1人で時々泣いていたことを。
……ずっと、心配だった。いつだって気に掛けていた。
……そう、本当は分かっていた。
フィオナ嬢なら、セリアと友人になれたであろうことなど。
でも、気付かない振りをしていた。なぜなら……なぜなら…………っ!!
『嫌だったんだろう? 彼女が自分だけのセリアでなくなることが』
「っ!!」
『彼女の本当の姿を知るのは自分だけでいい。彼女が笑顔を向けるのは自分だけでいい。そう思ったからこそ君は彼女の味方を作ろうとしなかった。だからこそ、君は
「う、ううぅぅぅ……」
いつしか声は、私の目の前に現れた黒い人影から発せられていた。
暗闇の中でもなぜかはっきりと見えるその黒い人影が、自分の心に潜むもう1人の自分であることを私は直感した。
そして、自覚してしまったからこそ、私は一切反論出来なかった。なぜなら……その言葉は、紛れもない私の本心だから。
『君が、彼女とその周囲の人間の仲を取り持っていれば、彼女は1人になることはなかった。そうすれば、彼女はこの王都で自分の居場所を見付けることが出来たかもしれないのに。王都を去ることもなかったかもしれないのに。全ては君の醜い独占欲が招いた事態、自業自得だよ』
「もう……もう、やめてくれ…………」
頭を抱え、暗闇の中で子供のように小さく蹲る。
もう、これ以上聞きたくなかった。
これ以上、思い知らされたくなかった。自分の醜い本心など。
『しっかりしろよ、ハロルド・ファルゼン。でないと……』
黒い自分が近付いてくる。
押さえ込んでいる両手をすり抜け、言葉が耳に滑り込んでくる。
『また、約束を破ることになるぞ』
その言葉を最後に、黒い人影は消えた。
そして、私もまた――――暗闇に呑み込まれた。
実は梨沙の“令嬢モード”は、離人・現実感喪失症候群の一種で立派な心の病気です。
無意識に精神系神術を自分自身に使うことで、一応自分である程度コントロールはしていますが、決して健全な精神状態ではありません。
1時間後に2話目、2時間後に3話目を更新します。