ナキア・レーヴェン視点③
お待たせしました。
そして、お待たせしておいてナキア視点がまだ終わりません。
予想以上に長くなったので、もう1話ナキア視点を入れます。
「ん……」
目を覚まし、顔を上げたところで、目の前の見慣れない光景に一瞬混乱する。
しかし、すぐにここがレーヴェン侯爵領領都の屋敷にある執務室だと思い出す。
どうやら、執務の最中に机に突っ伏して眠ってしまったらしい。
(ラルフはどこに……?)
こんなことになる前に起こしてくれるはずの執事がいないということに眉を
あのラルフのことだ。1人にするように言われたなら、ベルを鳴らして呼ばない限り戻って来ないだろう。
「はぁ……」
夢見が悪く、あまり気分がいいとは言えないが、仕事はしなければならない。
とりあえずラルフを呼んで、メイドにお茶を入れてもらおう。そう思って卓上のベルに手を伸ばす。
このベルは2本で一対の神具で、片方を鳴らすともう片方が共鳴して音を鳴らす。範囲に限りはあるが、屋敷内ならどこにいても鳴るはずだ。
そして、ベルを手に取っていざ鳴らそうとして―――
ふと、手元の書類が濡れて使い物にならなくなっていることに気付く。
「……」
何となく、手で口元を拭う。
口元が汚れていないことは、薄々分かってはいたけれど。
「はぁ……」
…恐らく、目が腫れてしまっているだろう。
そんな姿を誰かに見せる訳にはいかない。いや、見せたくない。
かと言って、この重要な時に仕事をやらないという選択肢もない。
溜息を吐きつつ立ち上がると、上着を羽織る。
そして少し迷ってから護身用の細剣を手に取った。
流石に屋敷に
執務室のドアを開け、廊下に出る。
ドアの左右にはいつもなら護衛がいるはずだが、今はラルフに下げられたのか、廊下のどこにも見当たらない。
いつもなら何もそこまでと思うが、今は正直ありがたい。
とりあえず顔を洗おうと、月明かりに照らされる廊下を歩き始める。
警備の人間の目を掻い潜るようにして歩きながら、ふと先程の夢のことを思い出す。
「……」
わたくしがこの家に絶望した時の記憶。そしてわたくしが、お姉様をきらいになった時の記憶。
何であんな夢を見てしまったのかは大体予想がつく。ラルフが急におかしなことを言ったせいだ。
(最後に恨み言の1つでも言い残したのかと思えば…何なんですの?)
いや…本当はその方が良かったのかもしれない。
恨み言の1つでも言われていれば、わたくしは……
頭を振って考えを切り替える。
今はこんなことを考えている場合ではない。
今この瞬間も、レーヴェン侯爵領はじりじりと追い詰められているというのに。
今、レーヴェン侯爵領は静かに危機的状況にある。
静かにというのは、まだ実害が表立って出て来てはいないから。
しかし、このままでは近い将来レーヴェン侯爵領は破綻する。
理由は簡単。
周囲の領がレーヴェン侯爵領との取引から一斉に手を引いたからだ。
“聖女様の不興を買った家”とは関わり合いを持ちたくないということらしい。
現在、レーヴェン侯爵領には他の領から一切物資が流入していない。
我が領はそれなりに豊かな土地ではあるが、自分の領だけで全ての生活必需品を確保出来るかと言えば当然そんなことは不可能だ。
ラルフがそれなりの量の備蓄を確保しておいてくれたおかげでしばらくは民が飢えるということはないが、このままではジリ貧であることは明白だった。
だからこそ、今日の爵位継承を公表するパーティーで近隣の領の領主を呼んだ。
断られる可能性も考えて顔馴染みの令嬢子息にも手紙を送っておいたが、結果的に招待した貴族は全員来た。
恐らく、我が家と関わりを持つ危険性と噂の聖女の情報が手に入る可能性とを天秤に掛けた結果、後者に天秤が傾いたのだろう。それはパーティー中の貴族の話を聞けばすぐに分かった。
まあ、彼らがそう思うように
あとは会話の中で相手の弱みを握りつつ、オトモダチ達に可愛くお願いをしておくだけ。
適当にお酒を飲ませつつ、可憐で儚げな、いかにもお家騒動に巻き込まれて当主を
これくらいで全ての領との取引が回復するとは思わないが、これで駄目なら“お願い”はやめるしかない。出来ればお互いの為に、“お願い”で済んで欲しいものだ。
(オトモダチは大切にしたいですもの、ね……)
そう思いつつ、その考えのおかしさに小さく自嘲する。
オトモダチなどと言いつつ、自分が本当に友人だと思っている相手など1人もいないくせに、と。
近隣の貴族の子息令嬢など、揃いも揃ってあの両親と何も変わらない。
昔は我こそはとばかりに姉に群がっていたくせに、学園に入学して姉の才能の無さが明らかになると同時に、一斉に距離を取った。
そして、取って付けたようにわたくしや兄に近付いて来たのだ。
そして誰も彼もわたくしの外面にころっと騙されてオトモダチになった。
そんな相手に、どうやって友情を抱けというのか。
そこまで考え、ふと気付いた。
上辺だけの友情で相手を手懐け、利用する。
それは、あの両親がやっていたことと同じことではないのか?と。
「……」
何を今更、と嘲笑う自分がいる反面、簡単に笑い飛ばせない自分がいた。
どうやら自分でも予想以上に、先程の夢を引きずっているらしい
(所詮、わたくしはあの2人の娘。それはずっと変わらないのでしょうね)
あのきらいな両親の性質を間違いなく自分も受け継いでいるという事実に、夢の中でこじ開けられた心の古傷が痛みだす。
自分に本当の家族がいないと悟ったその日に胸の奥深くに封じ込めたはずの弱く幼い自分が、じくじくと
「……」
そして、気付けばいつの間にか、自然と裏庭の方へ足を向けていた。
裏庭を更に奥に進み、遠くにポツンと見える小さな明かりを目指す。
それでも強いて言うなら、
自分が、あの両親とは違うのだという証が。
離れに辿り着くと、扉をノックする。
もう普通なら寝静まっている時間だが、明かりが点いていることからまだ誰か起きていると判断して、しばらく待つ。
反応がないのでもう一度ノックすると、ようやく扉の向こう側に人が来る気配がし、聞き慣れた声が聞こえた。
「誰だ?」
「わたくしですわ」
「…何をしに来た?私達を解放しに来た訳でもなさそうだが?」
「ええ、違いますわ。あなた方をここから出すつもりはありません」
「なぜだ?なぜそこまでする!?クソッ!ラルフといいお前といい、何が不満だ!?お前には散々目を掛けてやった。裕福な暮らしに一流の教育、王太子殿下との婚約まで用意してやったではないか!?その私に対してこの仕打ちは何だ!!」
「してやった……ね」
「何!?」
「いいえ…そうですね、1つだけ言わせて頂くなら、そのどれにも一番大切なものが欠けていたからこそ、こんなことになっているのではないでしょうか?」
「何だ?お前もラルフと同じように、親子の情がどうとか言うつもりか?」
「……」
無言の肯定に対し、扉の向こうから返って来たのは…
「ふんっ、くだらん」
侮蔑だった。
「…くだらない?」
「そうだ、実にくだらん。お前達が言っている親子の情とやらは、所詮何の責任も義務も持たない平民の価値観だ。我々貴族には相応しくない」
「そうでしょうか?」
「そうだ。噂によると、平民の父親は娘を嫁に出すのを嫌がるそうだな?それがお前の言う親子の情というやつだろう?そんなもの貴族には無用、いや、いっそ害悪ですらある」
「……」
「我々貴族にとって、息子は家を守るための後継ぎ、娘は他家との繋がりを強めるための駒だ。親はその為に手間暇を掛けて子を育て、子は自らの務めを果たすことでその恩を返す。それが貴族にとっての親子関係であり、責任ある立場に生まれた者の責務だ。その責務を遂行する上で、甘ったれた情など邪魔にしかならん」
「……」
薄々、察してはいた。
しかし、心のどこかでまだ淡く期待していた。
あの打算に塗れた笑顔の奥深くには、ほんの一欠片でも親として子を想う気持ちがあったのではないかと。
でも、それは所詮幻想だった。
この男にとって、我が子に向ける笑顔も自分の愛馬に向ける笑顔も大差はない。
結局のところ出来が良いこと、道具としての利用価値が高いことを喜んでいるのであって、価値を無くせば興味も無くす。その程度の愛着しか持っていない。
もしかしたら、貴族としてはそちらの方が正しいのかもしれない。
わたくしの思う本当の家族こそが、貴族にとっては幻想なのかもしれない。
それでも、これだけは言っておきたかった。
「立場や責任の前に情を殺すことと、
「同じことだ。結局は早いか遅いかの違いでしかないのだからな。あぁ、それとも―――」
そこで、声に明らかな嘲笑を乗せて―――
「お前は、私に愛して欲しかったとでも言うつもりか?」
その言葉を、聞いた瞬間。
頭の中が沸騰したかのような錯覚を覚えた。
自分自身でも制御出来ない圧倒的な激情に突き動かされるまま、左手に
ズガッ!!!
木製の扉を細剣が貫く音と共に、扉の向こうから驚愕の気配が漏れた。
だが、今はそんなことを気にすることもなく、胸の内で荒れ狂う激情を言葉にして吐き出す。
「―――っ!!――誰がっ!!!」
ふざけるな!舐めるなよ!!
誰が、誰が……
「誰が―――お前になどっ!!!」
わたくしの救いはあの手だけ!あの笑顔だけが、わたくしの―――――って、わたくしは何を……
自分の考えに戸惑いながら、何となくこれ以上考えてはいけないという本能の警告に従い、考えを無理矢理断ち切る。
頭を振りながら視線を上げると、扉に突き立てた細剣が目に入った。
力任せに突き立てたはずのその細剣は、自分の予想の半分も刺さっていなかった。
「……」
その浅さがそのまま自分の覚悟の浅さのように思えて、微かな苛立ちを覚えながら、無言で剣を引き抜く。
「もう、あなたと話すことは何もありませんわ。それでは」
そんなわたくしの突き放すような言葉に、扉の向こうから返事が返ってくることはなかった。
剣身に血は付着していなかったので、刺さったりはしていないはずだが、もしかしたら腰でも抜かしているのかもしれない。
しかし、そんなことはもう気にせず、横を向くと、壁沿いに移動して離れの裏手を目指す。
ラルフの話では、母は離れの奥の一室に閉じ籠っているらしい。
離れの裏手には小窓があったはずなので、会話くらいは出来るはずだ。
角を曲がって裏手に回ると、上の方にある小窓から光が漏れているのが見えた。
その下に近付いて行くと、こちらが何かを言う前に、小窓の奥から声を掛けられた。
「ナキア?」
「はい、そうですわ」
まさか向こうから声を掛けてくるとは思わなかったので一瞬驚いたが、そんな感情はおくびにも出さずに返事をする。
すると、どこか眠そうな、気怠げな声が続けられた。
「こんな夜更けに何の用?またうるさくなるから、旦那様をあまり刺激しないで欲しいのだけど」
その言葉に、強烈な違和感を覚える。母は、こんな喋り方をする人だっただろうか、と。
「それで何の用かしら?こちらにやって来たということは、私に用があるのでしょう?」
やはりおかしい。母の一人称は“わたくし”だったはずだ。
それに、こんな気怠さを隠しもしない喋り方は決してしなかった。
「それが、あなたの本当の姿なのですか?」
思わずそう問い掛けると、壁越しにどこか怪訝そうな気配が漏れた。
「あぁ…この話し方のこと?別におかしくはないでしょう?あなただって自分の本性をずっと隠していたじゃない」
「それは……」
たしかにそうだ。しかし、これはあまりにも……
話し方だけではない。態度や雰囲気も以前の母とは全く違っていた。
声は確かに母のものなのに、それ以外があまりに違い過ぎる。いっそ、この壁の向こうにいるのは母に似た声をした全くの別人なのではないかとすら思えてくる。
言いようのない不気味さに何も言えないでいると、またしても気怠そうな声が届けられた。
「用がないなら、何か暇潰しの道具か本でも持って来てくれないかしら?
その言葉に、またしても衝撃を受ける。
そして、気付けば動揺のままに疑問を口にしていた。
「あなたは……わたくしを恨んでいないのですか?」
「……」
言ってしまってから、しまったと思う。
どう考えても愚問だ。軟禁されて恨みを抱かない人間などいるはずがない。
しかし、母の返答はまたしてもこちらの予想を裏切った。
「そうねぇ……恨むより先に、納得してしまった。という感じかしら?」
「納得……?」
「ええ、あなたならばそうするだろう、とね」
「……あなたに、わたくしのことが分かると?」
「分かるわよ。だって―――」
その先に続いた言葉は、それまでの驚きを軽く吹き飛ばすだけの衝撃を伴って、夜の闇に響いた。
「私も実の父親を憎み、この手で殺しているもの」
以前投稿した短編『10年ぶりに光を取り戻したら妻を直視出来なくなってしまったんだがどうしたらいいのだろう』の別視点を投稿し、新しく10年ぶりに…シリーズを作りました。
色々と酷い内容ですが、よかったら読んでみてください。