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少女が旅立ったその後で 作者:燦々SUN

第3章

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ナキア・レーヴェン視点②

ナキアの一人称をわたくしからわたくしに変更しました。

ルビよりこちらの方が分かり易いので。

「初めまして未来の聖女様」

「なんと利発そうなお嬢様だ」

「歴代の聖人と比べても破格の量の神力を宿しておられるとか」

「レーヴェン侯爵もさぞ誇らしいでしょう」


 わたくしが物心ついた頃、わたくしの周りはお姉様への賛辞で溢れていました。

 誰も彼も口を開けばお姉様お姉様。

 その一方で…


「あれがセリア様の妹君か」

「セリア様と違って神力量は平均程度らしい」

「姉妹揃って優秀という訳ではないのだな」

「まあ、そんな言い方はおよしになって。セリア様が特別なだけなのですから」


 そのお姉様の後に生まれ、侯爵家の人間として並の量の神力しか持っていなかったわたくしには、失望と憐憫が向けられていました。

 そんな環境にあって、わたくしが人嫌いになるのにそう時間は掛かりませんでした。


 中でも、お姉様に対する憎悪にも似た嫌悪感は凄まじい勢いで募っていきました。

 「何で皆お姉様ばかり」「お姉様がいるからわたくしは」お姉様に群がる人々を見る度にそんな言葉を呪詛のように内心で吐き散らかし、やがてお姉様はわたくしにとってこの世で最もきらいな人間になりました。

 実際には、お姉様とは碌に言葉を交わしたこともないのに。


 そう、この時のわたくしは、お姉様のことをなに1つ理解していませんでした。

 わたくしの中のお姉様は、並外れた量の神力を持った未来の聖女であり、どんなことでもあっという間に身に付ける稀代の才女。王太子殿下の婚約者で未来の王妃でもあり、それでいていつも無表情で無口な何を考えているか分からない令嬢。

 そんな、お姉様の周囲の人間が抱いているだろう印象を、そのままわたくしも抱いていました。


 わたくし達は実の姉妹ではありますが、お姉様とわたくしの扱いには、正妻の娘と妾の娘程の差がありました。

 常に使用人と護衛、時には家庭教師に囲まれているお姉様に対し、わたくしに付けられているのは必要最低限の使用人だけ。

 家族が揃う食事の時も、お姉様はお父様とお母様の一番近くで、わたくしとお兄様はその横。

 気付いた時にはもうそんな状態だったので、わたくしとお姉様は会話すらほとんどしたことがありませんでした。


 そしてわたくしと同じ立場にあったお兄様は、わたくしよりも早く長く劣等感と憎悪を募らせ、周囲にその不満を吐き散らす愚物と化していました。


 そんな兄を見ていたこともあり、わたくしは逆に外面を良くするようになりました。

 常に笑顔の仮面を貼り付け、純粋で可憐な令嬢を演じる。

 勉強も礼儀作法も、なに1つとしてお姉様には敵わなくとも、せめて少しでも愛してもらえるように。

 お母様とお父様に、振り向いてもらえるように。


 それでも、その努力が報われることはありませんでした。

 両親の視線が向けられているのは、常にお姉様。

 いつも無表情で無口な、人形のようなお姉様。

 可愛い笑顔も、可憐な立ち居振る舞いも、視界に入らなければ無意味。

 それでもわたくしは演じ続けました。お兄様のような負の感情に支配された人間には、どうしてもなりたくなかったから。




 そんなある日、わたくしは庭でダンスの練習をしていた時に、誤って足を捻ってしまいました。

 誰にもばれないように1人でこっそり練習していたせいで、周囲には誰もいませんでした。

 捻った足が痛くて、こんなに必死になって練習してもお姉様には敵わない自分が悔しくて、地面に足を投げ出したまま泣いてしまっていると、思いがけない声が掛けられました。


「大丈夫?」


 気遣いに満ちた優しい声。

 驚いて顔を上げると、そこにいたのはお姉様でした。

 でもその時のわたくしは、咄嗟にそれがお姉様だとは信じられませんでした。


 わたくしの知っているお姉様はいつも人に囲まれていて、いつだって完璧で、それでいて無表情で……こんな、こんな不安そうな笑顔を、思い遣りに満ちた声を出す人ではなかったから。


「立てる?手を貸そうか?」


 地面に倒れ込んだまま、呆然とお姉様を見上げるわたくしに向けられた、不器用な笑顔。差し伸べられた右手。


 わたくしは呆然とその手を見て……そして、その手を……払い除けました。


 痛む足に無理矢理力を入れ、気合で立ち上がる。

 素早く身形を整えると、笑みを凍り付かせているお姉様に向かって、完璧な淑女の礼を取ってみせる。


「気遣いは無用ですわ。それよりもお姉様?お姉様は未来の王妃となられる方なのです。そのような言葉遣いは控えた方がよろしいかと」


 そう告げると、お姉様は少し目を見開いてから、徐々にその表情を失っていきました。


「では、失礼しますわ」


 そんなお姉様を気にすることもなく、わたくしは礼をすると、お姉様を置いて屋敷に戻りました。


 その時のわたくしの胸の中には「言ってやった」「ざまあみろ」といった言葉が湧き上がっていて、言いようのない達成感と高揚感に満ちていました。

 あの姉から、一本取ってやった。

 そのことが嬉しくて、その時お姉様がどう思っていたのかなんて気にもしていませんでした。


 自室に戻った後、微かに胸の奥に感じた痛みも、急激にぶり返して来た足の痛みに紛れて気付けませんでした。

 止め処なく込み上げてくる涙の、その本当の理由も。



* * * * * * *



 状況が急激に変わり始めたのは、それから間もなくのことでした。


 お姉様に神術師としての才能がないことが判明し、お父様とお母様は急激にお姉様から興味を失っていきました。

 いえ、それだけではありません。

 それまでお姉様に向けていた正の感情がまるで反転したかのように、負の感情を向けるようになりました。

 期待は失望に、賛辞は侮蔑に、そして、愛情は忌避に。


 その姿を見て、私は悟りました。…悟って、しまいました。


 この両親は、本当の意味での家族ではないのだと。


 昔、ある本で読んだ話。

 その本によると、親というものは、いつだって子供の味方をするものだという。

 子供がいけないことをすれば叱るし、時には手だって上げるだろう。

 しかし、そこには常に我が子を思う愛情があり、たとえどんなに間違ったとしても、我が子を見捨てることだけは絶対にないのだという。


 ならば、この両親は?

 娘の為でなく、家の利益の為に娘を叱る父親は?

 才能がなかった。ただそれだけの理由で娘を見放した母親は?

 …つまり、そういうことなのでしょう。


 わたくし達が家族であるのは、飽くまで血筋の上だけ。書類上はそういう関係だというだけ。

 本物の情の通わない関係など、それはもはや枷でしかない。

 どこに行っても一生付き纏う、呪いでしかない。


 お姉様への興味が薄れ、ようやく他の兄妹を見る余裕が出来たのか、今更になってこの夫婦はわたくしとお兄様を見るようになりました。

 でも、なにも嬉しくない。

 娘の偽りの笑顔にも気付かず、打算に塗れた上辺だけの愛情を向けてくる2人には、嫌悪感しか抱けませんでした。


 頭を撫でる手が気持ち悪い。賛辞と共に向けられる笑顔が不快で堪らない。


 そんな手より、あの時お姉様に差し伸べられた手の方が、ずっと温かかった。

 そんな笑顔より、あの時のお姉様の不器用な笑顔の方が、ずっと嬉しかった。


 そう思って、ようやく気付きました。


 お姉様だけは、違うのだと。


 この家で、お姉様だけが本物の情を持っているのだと。


 そう気付いて、わたくしは駆け出しました。

 庭の奥、生垣に囲まれるようにしてひっそりと置いてあるテーブル。

 そこに、お姉様は1人で座っていました。


 そこは、かつてわたくしがこっそりダンスを練習していた場所。

 1人でいたわたくしに、お姉様が手を差し伸べてくれた場所。

 今は、お姉様がそこに1人でいる。


 あの時は、手を払い除けてしまった。

 あの時のわたくしは、お姉様のことをなに1つ理解していなかった。


 でも、今は違う。

 今は、今なら、わたくしは………


「おね―――」


 ― もし、拒絶されたら?


 頭の中に浮かんだその言葉に、踏み出そうとしていた足が止まる。


 ― もし、差し伸べた手を払い除けられたら?

 ― もし、他の家族に向けるような無機質な目を向けられたら?


 あまりにも恐ろしい想像に、足が震える。


(あぁ、お姉様…あの時、お姉様はこんな思いを……)


 かつての自分がやった行為が、脳裏に蘇る。

 あの時お姉様が浮かべた表情の意味を、今更になって理解する。


 怖くて。ただ、怖くて。自分がやった、やってしまったことの罪深さに、耐えられなくて。

 わたくしは……その場から逃げ出しました。


 自室に戻り、わたくしは崩折くずおれました。

 胸に満ちるのは、ただ後悔だけ。


「ごめん、なさい」


 口から漏れるのは、かつての罪の懺悔。


「ごめんなさい…お姉様……っ!!」


 床に蹲り、わたくしは呟き続けました。

 本人に告げる勇気もない、無意味で愚かな謝罪を。



* * * * * * *



 それから、わたくしはお姉様をきらいになりました。

 いいえ、きらいになるようになりました。


 「わたくしはお姉様をきらいなのだから、一緒にいたくなんてない」そう思わなければ、わたくしは自分が犯した罪の重さに押し潰されてしまいそうだったから。

 わたくしは、弱く幼い自分の心を守るために、お姉様を悪者にしたのです。

 それが、結果的に罪に罪を塗り重ねる行為でしかないと、薄々理解しながら。



 両親に疎まれても平気な顔をしているお姉様がきらい。

 ハロルド殿下に愛されているお姉様がきらい。

 どんなに辛くても泣き言1つ漏らさないお姉様がきらい。

 そのくせ1人でこっそり泣いているお姉様がきらい。

 頭がいいお姉様がきらい。

 ダンスが上手いお姉様がきらい。

 父と兄にそっくりな銀の髪がきらい。

 無機質な水色の瞳がきらい。

 食事の前に手を合わせる癖がきらい。

 お菓子を食べる時に少しだけ口元を緩めるのがきらい。



きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、ちがう、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらいじゃない、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、さみしい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、ごめんなさい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、きらい、こんなわたくしに怒りもしないお姉様がだいきらい!!



 偽りの笑顔の裏で積み重ねた偽りの“きらい”は、いつしか泥のように固まって、自分でももう剥がせなくなってしまった。

 もう、手の伸ばし方も、歩み寄り方も分からない。


 あぁでも、もしあの時わたくしが、差し伸べられたお姉様の手を取っていたなら


 わたくし達は、何か変わっていたのでしょうか?


 ねぇお姉様?

 わたくしがあの時、勇気を振り絞ってお姉様に歩み寄っていたなら


 わたくし達は、本当の家族に―――――?

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