更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 2-⑩
私は金属杭を撃ち出した後、すぐに急降下してその後を追い掛けた。
私の視線の先で、金属杭が凄い勢いで落下していく。だが…
「っ!やっぱりズレてる!!」
金属杭は胴体の中央部分から逸れ、横の方にズレてしまっていた。
このまま逸れ続けたら、最悪当たらないなんてこともあるかも知れない。
「お願い、当たって!」
急降下しながら、祈るように囁く。
その私の願いは、ギリギリのところで叶った。
金属杭は横に逸れたが、それでも大きく外れることはなく……
ギャギアァァァアアァァァァン!!!!!
金属同士が激突したような耳障りな音を立てながら、金属杭はナハク・ベイロンの右脇腹と右足の付け根を抉るようにして突き抜けた。
「よし!!」
遠目に、しかも冷気の霧越しに見ているので定かではないが、それでも命中した箇所の鱗が砕け散ったのは分かった。
理想としては、胴体の真ん中に直撃して内臓まで貫通してくれればよかったのだが、鱗さえ破壊出来ればいくらでも攻撃の機会はある。先ずは再生しないように火属性神術で傷口を焼こう。
そう決め、私は急降下しつつ“紅焔玉”を発動すると、杭の着弾点に到着すると同時に一気にぶち込んだ。
ボゴワァッ!!!
高熱の火炎を受け、着弾点の周囲の鱗が更に剥落する。
これで、今まで私のあらゆる攻撃を阻んできたナハク・ベイロンの堅牢な鎧に、ようやく穴を穿つことが出来た。
しかし、私の喜びはすぐに怪訝に取って代わった。
…違和感に、気付いてしまったから。
「……?」
臭いがしない。音がしない。
鱗の下の肉が焼ける臭いも音もなく、煙も立たない。
理由はすぐに分かった。
「え……?」
火炎が消え去ったそこ。私の金属杭によって鱗を割り砕かれ、剥がされたその下。
そこには……新しい鱗があった。
ナハク・ベイロンの全身を覆い、今その一部が私の周囲にも散っている、くすんだ茶色の鱗ではない。まるで光を呑み込むような漆黒の鱗。
「どういう――」
思わず漏れてしまった私の独り言を遮るかのように、今まで沈黙していたナハク・ベイロンが動き始めた。
全ての脚を流砂に捕われたまま、激しく全身を震わせる。
それはまるで、水に濡れた犬が全身を震わせ、水を弾き飛ばすかのように。
ナハク・ベイロンの全身を覆うくすんだ茶色の鱗に、各所で罅が入った。
「ちょっ…うそ……ウソウソウソッ」
ようやくナハク・ベイロンが何をしようとしているのか悟り、しかし認めたくなくて、意味のない言葉を零す。
しかし、私がいくら否定しようとも現実は変わらない。
ナハク・ベイロンの全身に走った罅が繋がり、一気に鱗が剥がれ落ちていく。
「っ!!」
心はまだ現実を認めようとしていなかったが、真上から巨大な鱗の塊が落下して来るに至って、反射的に距離を取る。
そして距離を取って、より広い範囲の視野が確保出来たことで、はっきりと分かった。
「ここで脱皮するの!!?」
やがて、目に入る範囲にある胴体の鱗が全て剥がれ落ちた。
私が穿った傷痕などまるでなかったかのよう……。いや、実際私が与えた傷など、脱皮を手伝ったくらいの意味しかないだろう。
更に最悪の事態は続く。
「なっ……!?」
ザボワァという砂を掻き分ける音に反射的にそちらを向くと、ナハク・ベイロンが流砂から脚を引き抜くところだった。
それはちょうど、泥に足を取られた人間が履いていた長靴を犠牲に足を抜くように。
ナハク・ベイロンは、自身の古い鱗を一時的な足場として、流砂から脚を引き抜いたのだ。
そのまま流砂の外へと足を踏み出す。
「っ!!」
私は咄嗟に、無詠唱で強引に“奈落流砂”を再発動し、もう一度拘束しようとしたのだが……。
「なっ!速っ!?」
脱皮し、漆黒になったナハク・ベイロンの移動速度は、脱皮する以前とは比べ物にならなかった。
ズンズンと素早く足を動かし、私が作った土の壁を首の一振りで容易く粉砕し、一気に先に進む。
「くっ!!」
こんな速度で動く巨体にぶつかられたら、交通事故では済まない。
私は慌てて急上昇すると、一縷の希望に縋るようにナハク・ベイロンの身体に“紅焔玉”を撃ち込んだ。
…結果は無残なものだった。
脱皮したばかりならば、新しい鱗の強度はまだ低いはず。そんな淡い希望はあっさり打ち砕かれた。
私の“紅焔玉”はナハク・ベイロンの漆黒の鱗に一切傷を負わせることもなく、あっさり弾かれた。
渓谷を凄まじい速度で駆け抜けて行くナハク・ベイロンを、なす術なく見送る。
あの移動速度では、ルービルテ辺境伯領領都に辿り着くのも時間の問題だろう。
そして、恐らく領都ではまだ迎撃態勢は整っていない。
領都の住民は碌に避難も出来ないまま、脱皮で腹を空かせたナハク・ベイロンに蹂躙されるだろう。
「~~~~っ!!!」
ナハク・ベイロンが去った後で、私は激烈な葛藤に身を焦がしていた。
もう、ナハク・ベイロンを止める方法など、私には1つしか思い付かない。
しかしその方法の危険度は、これまでの比ではない。
もし失敗すれば、恐らく私は死ぬ。
…どうする?
いや、結論なら出ていたはずだ。
私は自分の命が最優先。
自分の命を危険に晒してまで戦ったりはしないと。
そう思っているのに、どうして?
…どうして私は、ナハク・ベイロンの後を追おうとしているのだろう?
頭の中で赤鬼さんが必死に私を止めようとしている。
もう十分だと。これ以上戦う必要はないと。
…その通りだ。分かっている。
…でも、あぁでも!!
頭を
笑って自らの最期を語った、強く優しく、そして何より誇り高いその姿。
私が、ここで逃げたら。
彼らは貴族として、武人として、そしてたった1人の男を支える女としての最後の誓いを果たすことも出来ず、戦場の混乱の中で死ぬ。
何より、私は約束した。
私がナハク・ベイロンを倒すと。
あなた達を死なせはしないと。
そう、彼らに約束したんだっ!!
「~~~っ!!もうっ!!ああもうっ!!!ホンットにもうっ!!!!」
色々な不満を言葉にして吐き出し、覚悟を決める。
そうだ。自分可愛さに約束を破り、多くの人々を見捨てるなんてクズのやることだ。
ここで逃げたら、私は二度とお父さんとお母さんの元に帰れない。
胸を張って2人の娘だと言えない。
だから逃げない。
あの両親のように、この先の領都にいるあの領主夫妻のように、私も強く、優しくありたい!
頭の中で赤鬼さんが「仕方ないなぁ」と言いたげに苦笑いを浮かべている。
ごめんね?心配してくれたのに。優しいのね、あなた。
頭の中でそう伝えると、赤鬼さんはそっと私を応援するように握り拳を作ってから消えた。
…あの赤鬼さんの正体はよく分からないが、迷いは完全に消えた。
私は下降すると、流砂にほとんど埋まってしまっている金属杭を“念動”で引き抜いた。
激突の衝撃で先端が潰れてしまっているが問題ない。いや、下手に刺さらないという意味では、むしろ好都合かもしれない。
別にこれをもう一度武器として使うつもりはない。これは私の生存率を少しでも引き上げるための保険みたいなものだ。
私は金属杭を両腕で抱えると、両脚で挟み、“疑似剣聖”を発動させた。
私と金属杭を一体にしてミサイルのように見立て、一気に前方へと飛び出す。
目指すはもう小さくなってしまったナハク・ベイロン。
風を切り、渓谷を一直線に駆け抜け、ナハク・ベイロンの上を圧倒的な速度で追い抜き、更にそのずっと先へ。
そしてしばらく飛んだ先で、飛行中に詠唱しておいた“赫怒神炎”を発動。
炎の壁を発生させた後、とんぼ返りしてナハク・ベイロンの眼前に躍り出る。
同時に、もう一度“赫怒神炎”を発動。
その進行方向に2つ目の炎の壁を出現させる。
「さあ来い!!」
更に私は、今の自分に出来る最強の対物障壁を張る。
聖属性最上級神術“聖護結界”×4
私のローブに込められている“聖域結界”よりは強度は低いし、風属性の障壁よりも燃費は悪いが、ナハク・ベイロンの咆哮相手ならこれが最適だ。
炎の壁に阻まれてその姿は見えないが、足音が止まったことからナハク・ベイロンの動きが止まったことは分かった。
そして私が杭を水平に構え、態勢を整えたところで、
オオオオォォォォォーーーーーーー!!!!!!
咆哮。
やはり最上級神術で作り上げた炎の壁があっさりと吹き散らされる。
だが、私はそれを確認すると同時に飛び出していた。
炎の壁に出来た穴を突っ切り、弾丸のように飛び出す。
咆哮の衝撃波に障壁をガリガリと削られながらも真っ直ぐ飛ぶ。
狙いはナハク・ベイロンの大きく開けられた口の中……ではなく、下顎。
上顎から長く伸びている牙が収まる穴。
そこに、抱えていた金属杭を強引に突っ込んだ。
「っ!!」
突っ込むと同時に、頭上からバチバチッという不穏な音が聞こえた。
上を確認することもなく、咄嗟に横に回避する。
「うわっ!!?」
回避した私のローブの端を、電撃を纏った巨大な牙が掠め、“聖護結界”を1枚、紙屑のように粉砕した。
そのまま口が完全に閉じられる、と思いきや。
ガグゥンン!!!
鈍い音がして、口が途中で止まった。
私が突っ込んだ金属杭が牙に押し込まれて穴の奥まで行き、完全に詰まってしまったのだ。
「よし!!」
これで口が完全に閉じることはもうない。
私はそれを確認すると、一気に口の奥へと飛び込んだ。
右ポケットから灯りの神具を取り出し、その光を頼りに奥へ奥へと進んで行く。
すると、少ししてナハク・ベイロンの咆哮が再開された。
「くっ!」
食道という閉鎖空間で、しかも咆哮の発生源である肺のすぐ近くということで、先程よりも速い速度で障壁を削られる。
負けじと神力を注ぎ込むが、削られる速度の方が速い。
しかも、進めば進むほど当然ながらその速度は更に上がる。
それでも迷わず奥へと飛ぶ。
1枚、また1枚と“聖護結界”が破壊される。
だが、その時ようやく終わりが見えた。
咆哮の発生源である肺へと分岐する気管支の入り口、食道に開いた2つの穴。
その穴を視界に捉えた、その瞬間。
最後の“聖護結界”が破られた。
「うあぁぁっ!!!」
咄嗟に耳を塞いで鼓膜は守ったが、全身を襲う衝撃を和らげることは出来なかった。
気管支の入り口とは逆方向に吹き飛ばされ、食道の壁に叩き付けられる。
「ぐぅうぅぅ」
それでも何とか前へと飛び、転がり込むようにして気管支の穴を通り越した。
それからしばらく飛んでようやく衝撃が和らぎ、私は食道の床に倒れ込んで荒い息を吐いた。
「はぁ、はぁぐっ!!」
全身が痛い。
イェンクーの“崩天撃”の余波を浴びた時の数倍の衝撃が、“聖域結界”を透過して全身に通った。
そのままの体勢で聖属性上級神術“天癒”を使い、応急処置をする。
何とか問題なく動けるところまで回復すると、私はもう一度“飛行”を発動し、更に奥へと進んだ。
風属性中級神術“風耳”を使って聞き耳を立てながら、慎重に目的地を探す。
先程気管支の穴があったのだから、この下はもう肺のはず。
私の予想が正しければ、目的地はこの近くにある。
そうしてしばらく飛び、私は目的地と思われる場所に辿り着いた。
「ここ、かな?」
ここが、一番良く音が聞こえる。
ドクンドクンと脈打つ、心臓の音が。
私はその場に降りると、食道に着地した。
当然のように揺れるので、“物質変形”で食道を変形し、足元を固定しようとする。が、
「あれ?」
“物質変形”が上手く発動しない。
いや、というより神力が上手く通らない。
「んん?あぁそっか、食道の壁も一応皮膚なんだっけ?」
高校の生物の授業でそんなことを聞いたような気がする。
記憶が曖昧だが、どうやら竜種の神力遮断能力は内臓の壁にも宿っているらしい。
それでも外皮に比べれば大分その力は弱いらしく、少し強めに神力を込めれば何とか変形した。
脚を左右に大きく開いた状態で食道の床に固定する。
しかしそれでも、ナハク・ベイロンが走ることで発生する激しい振動によって身体が上下するので、きちんと踏ん張ることが出来ない。
だが問題ない。この振動が収まる時は必ず来る。
私がナハク・ベイロンよりも先回りして発動しておいた“赫怒神炎”。
あそこまでナハク・ベイロンが辿り着けば、その場で必ず一度は立ち止まるはず。その一瞬を狙う。
「ごめんなさい、お母さん。梨沙は今から禁じ手を使います」
そっと前世の母親に詫びる。
禁じ手は相手を殺してしまう可能性があるので、本当に命の危険が迫った時しか使わないように言われたけれど、今回は仕方ないだろう。
今から使うのは母から習った護身術の禁じ手、“
心臓の真上から衝撃を加えることで心室細動を引き起こし、最終的に心停止に至らしめる殺人技、“
といっても、流石に普通に殴ってこの分厚い脂肪を透過できるとは思わない。
なので、もちろん神術で強化する。
私は銀色の籠手に包まれた右手の指を、小指から順に折り畳み、しっかりと握り拳を固める。
その拳を背後にギリギリと引き絞りつつ、詠唱を開始する。
「更科梨沙が願う 雄強にして偉大なる武の神よ 我に万夫不当の力を与え給え」
銀色の籠手に神力を込め、際限なく力を高めていく。
「我はこの一撃を以て 御身に仇なす
更に力を集中する。ナハク・ベイロンを足止めするための“赫怒神炎”を維持するのに必要な分を除いて、全てのキャパシティをこの神術に使う。
「この一撃は地を
詠唱が完成すると同時に、上半身をギリギリまで捻転させ、右拳を限界まで引き絞った、その瞬間。
ナハク・ベイロンの足が止まった。
「っ!!!」
それと同時に私は“赫怒神炎”を解除し、今出せる瞬間最大出力の神力を余さず右拳に込めた。
そして振動が収まり、私の足が…ガッチリと食道の床を踏み締めた。
「っ!!はあああぁぁぁぁーーーーー!!!!」
気合一閃。
限界まで力を溜めに溜めた一撃を、全力で真下に放つ。
「崩・天・撃ぃぃぃぃーーーーーー!!!!」
皇帝家の秘術たる衝撃極大化神術が、ナハク・ベイロンの心臓を貫いた。
いつも読んで頂いてありがとうございます。
本作の更新を楽しみにして下さっている読者の皆様には申し訳ないのですが、3月から更新が不定期になります。
理由は3月から始まる“し”で始まって“かつ”で終わるアレです。
そう……新婚生活です!!(妄想やめろ虚しいから)
まあ冗談はさておき、そういう訳で6月くらいまで不定期更新になると思います。
2章は3月中に何とか完結させるつもりですが、それも出来るか分かりません。恐らく3月以降、肉体的にも精神的にも執筆活動する余裕がどんどん無くなっていくと思うので。
あっ、ホワイトデー短編とエイプリルフール短編は意地でも更新しますよ。
予告しておきますが、ホワイトデー短編は暗いです。理由は分かる人には分かると思います。
そしてエイプリルフール短編はヒドイです。読者の皆様に「これはヒドイww」と言って頂けると、作者としては本望な内容です。