STAP論文にかかれた実験は、詳細に、かつ丁寧に検討する必要があります。

”科学者は議論しない”という新記事を、ため息氏が立ち上げました。
2020年8月3日

学とみ子は、昨日のブログ記事の中で、以下を書きました。
”小保方犯行説のままを望む業界関係者たちが、学とみ子の人格否定に精を出している状態です。”

論文実験の中身がブラックボックス化されていて、後で議論されないようになっている事実に、一般人は注意を向けるべきと書きました。

それに対して、ため息さんがコメントしてます。

>実験が本当になされて得られた結果なのかわからない(桂調査委員会報告書p30)からです。だから科学者は論文の中身を議論するわけがないのです。

>学とみ子が、論文の中からその妄想に都合の良い部分を取り上げて議論…していないな。



学とみ子は議論できてないと、ため息さんは言ってます。こんなに踏み込んで議論している学とみ子を認めないで、誰がため息さんを信用するのでしょう。
そちらの人たちも、本当はもっと各実験の詳細を知りたいし、知った後に、ES捏造を確信したいでしょう。そして、ため息さんがSTAP実験に触れないのを残念に思っているでしょう。

ため息さんはやるべき事から逃げているだけです。いつでも議論するよとの、ドーンとしたところがため息さんは無く、説得力がありません。

STAP議論に、ため息さんの存在感がないのは、苦手意識の結果なのでしょうか?ため息さんは、STAP論文は議論する価値が無いと、いつも言います。


一方、学とみ子は、いろいろ考え方を示しています。

桂報告書には、ふたつのマインドがあって、この学者勢力が、せめぎあっていたようだとの想像を書いています。
桂報告書の大事なページは、25ページと30ページであると、学とみ子は言いました。
25ページと30ページで、書き手の意見がぶつかっているのです。

25ページには、STAP細胞が他の細胞にすりかわった可能性が高いと書かれています。
STAP実験において、実験の最初で使われた細胞と、実験終了後の残っている幹細胞が違っているとするのが、25ページの主張です。

しかし、実験していた研究者たちは、実験中はそれに気づかなかったのです。
ですから、信頼関係はなんとか保ち、論文発表にこぎつけることができました。
実験者同士のお互いの仕事は、信頼しあっていたのです。

Oct入りB6マウス由来細胞は、途中でアクロシン入り細胞に入れ替わってしまったとしても、最初はOct入りB6マウス由来細胞を使ってSTAP実験がなされていたのでしょう。
こうした経緯を考えると、STAP論文にかかれた実験を詳細に、かつ丁寧に検討する必要があります。
実験の経過を追った上で、論文読者は、どこでトラブルが起きたのか?を考える必要があります。

ESが混じったらこの結果にはならないとか、ESが混じったら研究者たちの信頼関係はここで壊れるとか、そうしたことを考えながら論文を読み進む必要があります。
ため息さんみたいに、実験の経過を追うことは意味がないなんて事はありえません。


ため息さんは、論文考察をしたくないか?あるいはすると困ることになると考えているのかもしれませんね。
やりたくない理由は、何なんでしょう?
体内時計さんの持ち出した疑問についても、何のコメントもしないし・・・。
まあ、いづれにしろ、ため息さんはやりたがらないための理由があるのでしょうね。
その理由はため息さんのみが知るのです・・・。

誰でも、桂報告書に慣れないうちは、理解するのに苦労するのですが、ある程度になれると、桂報告書が身近になります。
桂報告書を書きあげた学者たちの心意気がわかるようになり、息遣いまで、感じられるようになります。
そうなると、調査した学者たちは、どういう戦いの果てに、この作品を作ったのか?がわかるようになります。
戦いの過程を想像できるようになります。

いづれにしろ、桂報告書を読むとわかりますが、とにかく、30ページは異質です。
他のページと比べて、書きぶりが雑です。
ここを書いた人は、他の部分を書いた人たちと学者グループが違う感じです。

小保方不正の判定が、メチル化実験と、増殖実験だけであったのが、不満でしかたないのが、30ページの書き出しになっています。
もっと、もっと、不正問題あるだろうと、30ページで書き手は怒ってます。

氷山の一角という言葉まで使って、もっと、もっと、小保方不正はあるはずだと言っています。
一杯あるだろう!と怒りながら、その後の文章を一気に書いてしまったような印象です。
ですから、他の部分とのバランスがおかしくなってしまったのでしょう。

STAP実験に精通していない感もあります。
FI細胞の作製まで、小保方氏であるとの勘違いしてます。

30ページでは、「本当に行われたかの証拠がない」とかも書かれています。
30ページの書き手だけ、調査の詳細には立ち会っていないような印象を受けます。
つまり、30ページの書き手だけ、後から登場して、「おかしいじゃないか?」と怒ったのでは?の印象です。

このように、桂報告書の中で、30ページだけが異質な理由は何なのでしょうか?
何か、過去にそうした議論はなかったのでしょうか?
何か、情報をお持ちの方、ご意見がある方は、教えてください。




おまけ
ため息ブログが、問題行為をしていることを、記録に残すために、ため息コメントを当ブログにも貼り付けておきますね。

sigh 2020年8月3日 1:19 PM
医師登録の話は…(魚拓)で
>学とみ子の個人情報をさぐるようなコメントを禁止あるいは削除してください。
という学とみ子のクレームです。学とみ子は医師を自称しているわけで医師なら医師等資格確認検索システムに氏名の情報があるはずなのにどうやらないようなので、登録すべきであるとする意見は、学とみ子の個人情報でもないし、それを探るコメントであるとは判定できません。あしからず。個人名が明示されていたら削除します。よろしいでしょうか?
「登録してあるわよ」と木で鼻をくくったらいいでしょ。



追記
なあーんだですが、どうやら、致命的さんは、ため息一味のようです。

当ブログがブロックしても、致命的さんはいろいろなツールからしつこく書き込んでいることからすると、致命的さんは本物の科学者ではなさそうです。多彩なアクセスルートを使い、妨害行為をし続けてる人ですね。研究が忙しい人ではないですね。

どうして、致命的さんは、自身をもっとミステリアスにしておかないんですかね?持ち駒をすぐ出しちゃうのはなぜなのでしょうか?

以前に問題行動を起こしたあの人かもしれません。そのうち、尻尾を出すでしょう。

致命的さん、
桂報告書が味気ないなんて言ってはいけません。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、権力者に潰されないで、後生の人に伝えたいものがあるとの心意気で書かれたものです。もっと、じっくり観賞できるようになる必要があります。

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コメント

致命的
学さん。私の変換がお気に召さないようで。

あなたの主張は多くの矛盾と曖昧さを含んでおり、このような変換をしないと(特に論理的に理解しようとした場合)多くで意味が通じないのです。

これまでブログ上では多くの方に指摘されてきたと思います。現実社会で学さんとのコミュニケーションに慣れた方も、おそらく似たような変換をされていると思いますよ。

致命的さん

気まぐれぺルドン
やっと、学さんが高度だと突き止めたらしい。
単語を書き直すという発想そのものが、知的作業なんだ。

木島始流論争術は、これは相当な論争闘争の果てに会得出来る。ブログのコメントのやり取りの拙い経験では、会得出来ない。実際に論争し合わなくてはならない。つまり実戦の経験が必要だという事だ。君は学さんを甘く観ていた・・・

学さんルール

致命的
sighさんへ

学さんの文章を通常の論理の枠組みで理解するためのヒントを見つけました。やはりポイントは【学とみ子マイ・ルール】→【通常の論理】への変換のようです。

変換パターンで多そうなのが、【学とみ子ルールによる】という修飾語の補足です。

また、用語の揺らぎが見られる場合、手間が掛かっても、似たような音や漢字の用語で意味の通じるものを探して読み替える必要があります。これまであった例として、
・窮鼠→改竄
・再合成→再構成
・閉経早期→早期閉経
などです。

この【学とみ子ルール変換】を行い確認することで、「学さんの主張がおかしい」という不毛な議論の9割はなくなるのではないかと思います。

その他の翻訳の法則は今後少しずつ明らかにしていきます。

翻訳

致命的
また一見すると訳の分からない主張ですので、【学とみ子ルール変換】が必要なようです。【 】は私の補足です。


> 学とみ子は、桂報告書には、ふたつのマインドがあって、この学者勢力が、せめぎあっていたようだとの想像を書いています。
> 桂報告書の大事なページは、25ページと30ページであると、学とみ子は言いました。25ページと30ページで、書き手の意見がぶつかっているのです。【最初の文では「想像」と書きましたが、学とみ子がそう思うのだから、これ以降は学とみ子ルールに基づく「客観的根拠」として扱います。】

> 実験の経過を追った上で、論文読者は、どこでトラブルが起きたのか?を考える必要があります。【通常、それを考えるのは「論文読者」ではなく「論文著者」ですが、4文字中3文字が一致しいているため、学とみ子ルールでは細かいことを気にしません。】

> ESが混じったらこの結果にはならないとか、ESが混じったら研究者たちの信頼関係はここで壊れるとか、そうしたことを考えながら論文を読み進む必要があります。【それが論文を小説風に読む「学とみ子式読解術」なのです。】
> ため息さんみたいに、実験の経過を追うことは意味がないなんて事は【学とみ子式読解術においては】ありえません。

> 誰でも、桂報告書に慣れないうちは、【学とみ子式読解術を用いて小説風にデフォルメした上で】理解するのに苦労するのですが、ある程度になれると、桂報告書が【小説のように】身近になります。
> 桂報告書を書きあげた学者たちの心意気がわかるようになり、息遣いまで、感じられるようになります。【そう、「学とみ子式読解術」ではそれが科学的・論理的に正しいかどうかなど関係ないのです。】
> そうなると、調査した学者たちは、どういう戦いの果てに、この作品を作ったのか?がわかるようになります。戦いの過程を想像できるようになります。【これが味気ない不正調査報告書を最大限に楽しむコツです。】


やはり【学とみ子ルール変換】は一筋縄でいきませんな。
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