高難度イベント『海の日の深青』実施のお知らせ

 唱えると同時に視界が一瞬で切り替わる。

 わずかな浮遊感を感じると同時に、僕は【古都プロフォンデゥム】の部屋にいた。


 もうログインにも随分慣れてしまった。服に抱きつくようにしがみついていたシャロが離れる。


「つきましたか……」


 サイレント達は送還したままだ。リアルアビス・コーリングのログインの仕様は少しだけ面倒くさい。


 眷属を連れていきたいならば、召喚された状態で僕に触れているか、送還した状態でなくてはならない。そうでなければ、バグが発生して眷属だけ向こうに置いてけぼりになる。


 そのせいで最初にログアウトした時にナナシノの眷属が置いてけぼりになったのだが、僕の場合それはつまり、失敗するとサイレントが僕の部屋で一人くつろぎ部屋をめちゃくちゃにしてしまう事を意味していた。なにかがバグっている。


「……へ!?」


「青葉ちゃん!?」


 ナナシノは目を見開き、ぽかんとした表情で僕を凝視していた。

 その手は服の裾を掴み、ほっそりとしたお腹が丸出しになり下着が見えている。どうやら着替え中だったらしい。


 僕は凍りつくナナシノの横を通り過ぎ、窓を大きく開いて外を見た。


 空は太陽の欠片も見えない曇り空。

 黒い雲に覆われ、まだ昼間のはずなのに夜のように暗い。僕は顎に触れ、眉を顰めた。


「曇天だ……今回は海水浴イベントじゃないみたいだな」


「ぶ、ブロガーさん!? いきなりログインしないでくださいって、何度も言ってるでしょおおおおおおおお!?」


 ナナシノが顔を真っ赤にして叫ぶ。

 ログインすると勝手についてきてしまうとか、本当に難儀な身体になったものだ。


「仕方ないだろ、さっき気づいたんだ――今日が『海の日』だって」


「ななな……」


「大体、ログインする前にメッセージ送ったよ?」


 ナナシノがぷるぷる震えながらポケットからスマホを取り出す。

 画面を確認し、僕に突きつけた。


「一分前! 一分前ですよ!?」


「休日とか関係ないから曜日の感覚が狂っててさ……この世界、事前にホーム画面でお知らせ出してくれないから……」


「ブロガーさんの、馬鹿ぁ!」


 何も裸だったわけでもあるまいに。

 サイレントを召喚すると、顔を真っ赤に震えているナナシノを見て、まるで批評家のような口ぶりで言う。


「あるじ、またしでかしたんだな。うーん、これはななじゅうごてんですね。あとでいつもみたいにおなかスリスリしてあげないと……」


「さぁ、イベントの確認だ。イベントの確認!」


 アビコルの季節イベントは数も種類も莫大だ。

 毎年一新する上に不定期で復刻するものだからお知らせが出ない状態では何が発生しているのかわからない(ちなみにイベントが発生しないという事はない)。


 この世界の僕はゲーム時代の基準で考えればまだ初心者中の初心者だ。

 初心者でも楽しめるおいしいイベントだったらいいのだが……。


 わくわくを隠せない僕にナナシノが悲鳴のような声で叫ぶ。


「やだぁ! 行かない! 今回は、絶対に行きませんよ! ブロガーさんの馬鹿ぁ!」


「青葉ちゃん、そんな子どもみたいな……」


「いいよ、来なくて。後で後悔してもいいならね」


 アビコルのイベントは難易度は様々だが総じて美味しい。

 特にレア素材がドロップする効率のいいクエストをクリアできない初心者にはイベントは最適だ。

 それをこなさないナナシノはライバルに差をつけられてしまうのだろうな……かわいそうに。



 まあこの世界にライバルはいないけど。



「~~~~~~~~!!! ブロガーさんも道連れですッ!」


 ナナシノが顔を真っ赤にしてぶんぶん首を振り、僕の腕に飛びついてくる。


 相変わらず力が強く、そのまま押し倒される。身体が床に転がっても痛みがないのはこの世界で僕が文字通り不死身だからだ。召喚師のゲームでプレイヤーは死んだりしない。


 てか、そんな態度で、恥ずかしくないのか、ナナシノ……もう大学生だろ!


「あるじー、いちゃいちゃしてないでさっさと行くぞ。しゃろがなきそうになってるし」


「!? なってません!」


 僕が遊んでいるように見えるかな?

 これがインドア派とアウトドア派の力の差異である。呆れてないで早くナナシノをどけろ、サイレント。


 と、その時、ナナシノごしに窓の外がちらりと目に入った。


 横切ったのはまるで大樹のような太い触手だった。

 色は深い橙。しなった触手が猛スピードで窓の外を通った次の瞬間、世界が激しく揺れた。


「にゃん!?」


 馬乗りになっていたナナシノが何故か色っぽい声を上げる。


 激しい破砕音。悲鳴。ぱらぱらと欠片が落ちてくる。

 僕は目を白黒させているナナシノを抱きしめ、なんとか起き上がった。


 シャロがNPCらしく青ざめている。サイレントが四方を確認し、久しぶりに真剣な声をあげる。


「あるじ!? きをつけろ、この気配は――一体……」


「ああ、今回は珍しく空が曇っていると思ったら、このイベントか……」


 あまりのやるせなさにため息をつく。


 世界が震え、雷が近くに落下する。

 世界が壊れるような凄まじい音がした。ボリューム調整できないのが悔やまれる。


「師匠、そそ、外を見てください……!」


 シャロが震える声をあげる。外を覗くと――町並みは完全に崩壊していた。

 つい先程まで整然と並んでいた趣深い建物は中心からへし折られ倒壊し、そこかしこで悲鳴が上がっている。

 ナナシノが窓の外を確認し、呆然としている。


 まったく、せっかくログインしたのに、外れとは。

 じっと言葉を待つサイレントに言う。


「チッ。せっかく楽しみにしてたのに……もう帰ろうか」


「なな、何言ってるんだ、あるじ!?」


 ナナシノのように子どもではないので喚いたりはしないが、僕のレベルではまだ参加できないイベントだ。いや、参加自体は自由だが割に合わなすぎる。


 だが、確かにいきなり帰るでは納得できまい。

 涙目で僕を見るシャロ。先程までの駄々が嘘のように真剣な表情をするナナシノに一息で説明する。


「これは海の日の深青ディープ・ブルーイベントだ。水着を着た野良深青ディープ・ブルーがテンションが上ってスイカ割りをしたりビーチバレーをしたり天候を変えて大暴れしたりするレイドイベントだよ。レイドイベントだから他のプレイヤーがおらずまだソロれる程眷属を育てていない僕たちでは参加できない。参加しても効率が悪い、つまりそういう事だ」


「な、なにいってるんですか、ブロガーさん?」


「なにいってるんだ、暑さであたまがおかしくなったのか? あるじ」


「師匠……」


 俗に言う高難度イベントというやつである。 


 アビコルのイベントはだいたい初心者でも楽しめるようになっているのでこういう廃プレイヤー向きのイベントは珍しい。もちろん、報酬は相応に豪華なのでゲーム時代の僕は寝る間も惜しんで深青狩りに精を出していた。


「ちなみにさっきの街が破壊されたのはムービーだ。スキップもできる」


「そんな事言ってる場合じゃ――召喚師コーラーギルドに、行きましょう! ブロガーさん!」


 ナナシノに腕を引っ張られる。どうして先程までイベントに興味なさそうだったのに、高難度イベントだと聞いた瞬間にやる気になっているのか、理解に苦しむ。命知らずかな?


 無理だよ、無理。ナナシノの育成状況では大した事はできない。

 手を引かれ引きずられるようにしてついていく僕に、サイレントが肩を竦めて言った。


「あるじ、さっきの説明でりかいしてもらおうってのはまちがいだぞ」



§ § §




「由々しき事態です! 皆さん、古代神殿に眠っていた野生の深青ディープ・ブルーが海の日の到来に興奮し、古都に攻め入ってきましたッ!」


「由々しき事態なのはお前の格好だろ」


 僕はスマホのカメラでセパレートの水着を着たエレナの写真を撮影した。


 片手で浮き輪を抱え、今まさに遊びに行くような格好だ。いつもローブで隠されている白い肌は露わになっており腹部に刻まれた旧き邪神との契約の証の紋章もはっきり見える。


 召喚師ギルドにはNPC召喚師達が大勢集まっていた。

 その先頭に立ち拳を握っていたエレナが僕の野次に顔を真っ赤にする。


「ッ!? ブロガーさん、これはエレナの趣味ではありませんッ! これは、由緒正しき海の日の制服なのですッ!」


「へー、じゃーポーズ取れよ」


 ナナシノから白い目を向けられるレベルである事を自覚しろ! NPCに言っても仕方ないけどね……。

 むしろこの時期はフィリーもノルマもみんな夏仕様になる上に水着眷属まで出たりするので、悪いのは肌を見せとけば売れると思っているソシャゲ運営だと言える。


 喜んで騙されてガチャするけど。


 エレナの装いに少し頭が冷えたのか、ナナシノがひそひそと言う。


「最近薄々気づいていたんですけど……もしやアビス・コーリングって、ちょっと変わったゲームですか?」


「ちなみにスイカ割りとかビーチバレーはボスの攻撃スキルだよ」


 もちろん、『コズミックスイカ割り』や『フィアー・オブ・ビーチバレー』がこの時期のこのレイドボスしか使ってこない特殊スキルな事は言うまでもない。


 そもそも、あの触手見ただろ? 深青ディープ・ブルーなのにオレンジ色をしていた時点でツッコミは野暮ってものだ。


 ちなみにエレナが使役する深青ディープ・ブルーはちゃんと深い青をしているし、レイドボスより普通に強い。

 海の日の到来に興奮してはっちゃけちゃう邪神ってどうなん?


「こほん……と、ともかく、今は撤退したようですが、このままでは今年の海の日が台無しです! 召喚師ギルドに祝日はありませんが! どうか、皆様のお力を貸してください!」


 海の日の前に街がめちゃくちゃだろ。

 そして、そんな水着姿で言われてもあまりにも緊張感がない。僕は視聴者サービスで更に写真を撮った。


 ちなみにこのイベント、廃人達には随分人気だったりする。そうだね、本物の深青よりも弱いからだね……邪神を狩り放題なんて滅多にないぞ。


「ど、どうすればいいんだ!?」


 サクラのNPCが声をあげる。よくも水着のエレナの前で緊張感が続くものだ。

 はいはい、スキップスキップ。


「そうですね……あれは旧き支配者、名状しがたき神々。並大抵の眷属では相手にならないでしょう。そこで――今回は、緊急事態ということで、エレナの戦闘許可を頂いてきました」


「なんだって!?」


 古都召喚師ギルドのギルドマスター。NPC召喚師最強と名高いエレナの言葉に、NPC達がざわめく。

 メインシナリオでは世界がどんなやばい状況に陥っても許可を持ってこないくせに、一体彼女達にとってどれだけ海の日が重要なのだろうか。


 エレナが浮き輪を小脇に抱え、真剣な表情で言う。


「ですが――相手は夏仕様。エレナの深青ディープ・ブルーでも厳しい相手です」


「嘘つけよ。お前の深青の方が百倍悪辣だ」


「皆様の力を、貸してください! 供物が――夏の供物があれば、エレナの深青ディープ・ブルーでも、なんとか相手を倒せるはずですッ! ちなみに私の深青ディープ・ブルーは――青いです」


 これが、初心者用の救済策である。


 眷属が揃っていない場合、供物を集める事でエレナの深青と共に戦う事ができる。


 報酬がめちゃくちゃ減るし、エレナの深青が常時発動する最凶デバフ『根源的恐怖コズミック・フィアー』は何故か味方にも有効で逆に邪魔すぎるので廃人達は皆自前の眷属だけで戦っていたが、まあ試しに一回クリアするだけならば使ってもいいだろう(ちなみにイベントの深青が弱いのは『根源的恐怖コズミック・フィアー』を使ってこないからだ)。


 ちなみに、エレナの力を借りるとお金がかかったムービーも見れてしまう。肌が露出したエレナがぬるぬる動くので人気があったが、スキップだよ、スキップ。



 一通り説明を終えると、エレナはポーズをつけて満面の笑みを浮かべて言った。



「今回は、世界の大事。召喚師コーラーギルドから豪華な報酬も用意しました! こぞって参加してください!」


「うおおおおおおおおおおお!!」


 写真を撮る。

 沸き立つNPC達を眺め、ナナシノが毒気が抜かれたような表情で言った。


「……帰りますか」






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アビコルコミカライズ記念+海の日記念です。

他のイベント短編も期間限定で復刻しています!



コミカライズ版第一話更新は7/24(金)です!

詳細は活動報告を御覧ください。



書籍版も発売中です!


更新告知:@ktsuki_novel



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海の日イベント実施中!

エレナと一緒に夏の『深青』を討伐しよう!

討伐数に応じて豪華報酬をプレゼント!

イベント中は夏の邪神群の召喚確率大幅アップ!








イベント期間

~2020/8/10




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アビス・コーリング〜元廃課金ゲーマーが最低最悪のソシャゲ異世界に召喚されたら〜【Web版】 槻影 @tsukikage

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