ほぼ日刊イトイ新聞

2020-08-03

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・渋谷パルコの8階には「ほぼ日曜日」がある。
 実は、そのぼくらのイベントスペースは、
 8階のごく一部分なのであって、
 渋谷パルコの8階とは、元々「PARCO劇場」のある場所だ。
 ここで三谷幸喜さんの新作『大地』の公演があって、
 ぼくは、運よくその観客のひとりになれた。
 実は「大地」ということばに先入観があって、勝手に、
 読んでもいないパール・バックの長編小説『大地』を、
 三谷さんが脚色して舞台にしたものかと思っていた。
 どうやらそうじゃないことはすぐにわかったのだが、
 設定や登場人物たちの名前から、またまた勝手に、
 今度は、東欧あたりの小説を元にした舞台かと思った。
 どうやら、それもちがっていたようで、
 まったく三谷幸喜さんの「作・演出」の作品だった。
 それにしても、この『大地』という作品の構想は、
 当然、ウイルス感染時期より前にあったと思うのだが、
 どうしてこうも、こうして、
 いまのいま観て響くように出来ていたのだろうか。
 あらかじめ「安全で適切な距離を舞台上で保つ」
 ために舞台構成に変更を加えたらしい、
 ということは、どこかで読んで知っていたし、
 その舞台の距離感は、とてもおもしろく機能していたが、
 それ以上に、コンセプトというか、劇の内容が、
 いまの時代の役者たちと観客に、そして作家自身に、
 とても深いところで問いを投げかけるものだった。
 演じること、笑うこと、ほんとじゃないことをすること
 …そういったことのすべてが、どうして存在してるのか。
 移動や接触を制限して生きているいまの時代だからこそ、
 真剣に考えざるを得ない問題として見えてくるのだ。
 そして、これはまちがった感想かもしれないのだが、
 芝居が終わって席を立つときに、ぼくは、
 この演劇の「大地」という無骨なタイトルに、
 うれしくてなのか怖くてなのか、背筋が寒くなった。
 「大地」とは、そうか「○○」のことだったのか、と。

・まったくお話かわって、おまけ…ぼくは、ちょうどいま、
 大地の「土」についての本を読んでいるところでした。
 みんなの知っているねばねばのある粘土って、
 生物の歴史のある地球にしかないんです。
 生きものと鉱物の合作なんですよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
演劇の上演があって、その場にいられた幸運に感謝します。


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