東日本大震災から6年5ヵ月、仙台・女川から、避難指示解除して5ヵ月経過した浪江まで行って来ましたー。

2011年3月11日に東日本大震災が発生。そして翌3月12日には長野県北部地震が。それから6年5ヵ月。復興に伴い震災遺構整備が進む地がある。その反面、原発事故による避難指示がようやく解除となり、今まさに、これから復興が為されようとする場所もある。一概に「被災地」と一括りに出来ない現実があるんすよね。

更新日: 2018年01月14日

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今回、最初の目的地は宮城県仙台市。
JR仙台駅から、市営東西線を利用して終点、荒井駅へ向かいます。

2017年8月23日(水) 宮城県仙台市へGO!

市営東西線荒井駅構内にいらっしゃった青葉あさひさん。地下鉄の運転士で、祭りや「すずめ踊り」など地元のイベントが大好きだとのこと。趣味はバードウオッチングで特にスズメが好き。近所でスズメを見つけては色鉛筆でスケッチを行ってるって言ってました。

2015年12月6日に市地下鉄東西線が開業。
駅舎内には東日本大震災の仙台市内の被害を後世に伝える「せんだい3・11メモリアル交流館」が設置されている。

2015年3月、東日本大震災の教訓を千年先まで伝えることを目的に、津波の到達地点周辺となるこの地に植樹された。記念碑の「浪分櫻」の文字は、伊達家18代当主伊達泰宗氏による。

仙台市営東西線「荒井駅」から仙台市営バスで、終点「旧荒浜小学校前」へ。

東日本大震災において、児童や教職員、地域住民ら320人が避難、建物2階部まで津波が押し寄せた。被災した校舎のをそのまま保存し、被災直後の写真等の展示を備えて、2017年4月30日に開設した。

2016年3月31日の閉校に合わせて掲げられた。
荒浜小学校は同年4月1日より仙台市立七郷小学校と統合した。

校舎西側にあった体育館は、東日本大震災の津波により大きな被害を受け、2013年に解体。
荒浜小学校では、2010年のチリ地震津波の経験を生かし、震災前に避難場所を体育館から屋上に変更、体育館に保管していた毛布などの備蓄品も校舎3階に移していた。

震災前は、校庭の南西角に置かれていた。津波に流され破損。台座ごと流され、像は東日本大震災の8ヵ月後、荒浜小学校から南西に約100m離れた場所で発見された。