◆大相撲七月場所千秋楽 ○照ノ富士(寄り切り)御嶽海●(2日、両国国技館)
序二段からはい上がってきた元大関の照ノ富士が、史上最大の復活Vを成就させた。関脇・御嶽海を寄り切りで下して13勝目。5年ぶり2度目の優勝を果たした。両膝の負傷や内臓疾患などから関取の座も失い、一時は引退も考えたが、師匠・伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)の説得で再び奮起。元大関として初めて、幕下以下に転落後、再入幕した今場所で、30場所ぶりの栄冠を勝ち取った。
5年分の思いが、照ノ富士の胸にあふれた。優勝を決めた土俵下、じっと西の天井付近を見上げる。「いやもう、うれしくて何が何だか分からなかった」。視線の先には、初V時の優勝額。「あと何場所かでなくなる(外される)のは知ってたので。自分の優勝の写真が下りる前に、もう一つ飾りたいなとずっと思っていた」。掲示枚数の都合で1枚目の優勝額は年明けには取り外される。再び飾れる喜びをかみしめた。
2度目の優勝をかけた御嶽海戦。立ち合いで左上手を引いて脇を固めると、右上手も取って一気に前へ寄り切った。負ければ優勝決定巴(ともえ)戦にもつれ込む大一番。「やってることを信じて、一生懸命やるだけと思った」と、“大関相撲”で勝負を制した。
15年夏場所に初優勝し、大関昇進。だが、両膝のけがや糖尿病などに苦しみ、18年名古屋から4場所連続の全休なども経て序二段まで陥落。「大関・照ノ富士」を応援していた人たちは次々、周囲から去った。人間不信に陥り、「もうモンゴルに戻ろうかな」と口走ることもあったという。
元大関のプライドもあった。幕下以下が巻く黒まわしからの再出発への抵抗…。師匠・伊勢ケ浜親方には5回「辞めさせてください」と引退を直訴した。師匠はその度、「まずは病気とけがを治してからだ」と突っぱねた。「後悔しないように。けがに負けて終わってしまわないように。やれることを全てやってから」と諭され、再起を決意。この日、その師匠から優勝旗を受け取った。「やっぱり親方の支えがあって今までやってこれたので、本当にうれしくて」と、感謝はやまなかった。
大関時代に200キロを上げたベンチプレスは長期療養で、一時80キロしか上がらなくなったが、上半身を鍛え抜き、過去の自分を超える220キロにまで戻した。幕尻から、元大関としては魁傑以来44年ぶり、昭和以降では2人目となる平幕Vで終えた。新型コロナ禍で4か月ぶりとなった本場所での復活劇。「こういう時期なので、みんなに勇気と我慢ということを伝えたいと思ってやってきました。いろんなことあったけど、最後にこうやって笑える日が来ると思って信じてやってきた」。照ノ富士の笑顔が、日本を明るく照らした。(大谷 翔太)
▼ブランク 2015年夏場所以来30場所ぶり。98年九州場所の琴錦の43場所ぶりに次いで2番目。
▼幕尻 00年春場所の貴闘力、今年初場所の徳勝龍に続いて3人目で、年間2度目は初。再入幕Vも徳勝龍に続き2人目。平幕優勝も徳勝龍以来で32度目。同一年に平幕優勝2度は92年初場所の貴花田、名古屋場所の水戸泉以来28年ぶり。3年連続平幕Vは前例がない。
▼大関から転落後の賜杯 76年秋場所の魁傑以来、2人目。
▼関脇以下で2度優勝 昨年秋場所の御嶽海以来、8人目。