富岡八幡宮および郷土の資料を展示しています。
資料館の参観は事前のご予約が必要になります。
午前中の開館 … 9:30~11:30(最終入館時間11:00)
午後の開館 … 13:30~16:00(最終入館時間15:30)
また、下記の日時は休館致しますので、ご承知おき下さい。
12月25日から1月15日・2月3日
大人 | 300円 |
小人(小中学生) | 150円 |
崇敬会員参観無料 |
江戸名所図会を展示、また江戸明治期の錦絵、絵葉書等を引き伸ばして展示し、主に富岡八幡宮の社殿の変遷について紹介しています。
戦前の絵葉書、写真集の写真を引き伸ばして展示し、明治大正昭和戦前期のお祭りの様子を紹介しています。
主に横綱力士碑建立の発起人である第十二代横綱陣幕久五郎の資料を中心に展示しています。
享和三年(1803)に神田に住む鋳物師太田正義によって作られた水盤で、石製の水盤を青銅板で包む構造になっています。また脚には雲がデザインされ優れた鋳物の技術が見てとれます。水盤の正面と左右の側面には290名の奉納者名が刻まれ、奉納者には浅草寺門前や本所など、富岡八幡宮の氏子でない町の住人たちも多く含まれており、氏子の範囲を超えた富岡八幡宮への信仰が見られます。
富岡八幡宮の戦後御復興を記念して、深川出身の画家・伊東深水によって奉納された壁画で、桐の一枚板に描かれています。この時伊東深水を含めて計9名の画家より同様の壁画が奉納されました。この「獣王」が一般の皆様に公開されるのは今回が初めてとなります。
富岡八幡宮の戦後復興を記念して、深川出身の画家・森戸國次によって奉納された壁画です。一般の皆様に公開するのは今回が初めてとなります。
竹久夢二の代表作「女十題」の中の一つで、大正十年の木版画です。
新派を結成し女形として活躍した花柳章太郎作のろうけつ染めです。花柳章太郎は富岡八幡宮の崇敬者で、殊に末社七渡神社を深く信仰していました。
石井家は、江戸時代に富岡八幡宮にあった料理茶屋「伊勢屋」の経営者で富岡八幡宮の社役も務めました。
七渡神社旧社殿の扁額、奉納絵馬を展示しています。
かつて深川が猟師町だったころ、深川浦漁業組合によって新調された御神輿で、台輪幅四尺八寸、行徳の神輿師後藤直光の作です。鳳凰の木型、蕨手、神輿の胴に付く龍の彫り物、当時の古写真を展示しています。
葛飾北斎の弟子、葛飾北渓(葵岡・安永九年一七八〇~嘉永三年一八五〇)による肉筆画です。祭礼時に山車の先導と警固を担った手古舞を題材としたものです。この手古舞は現在でも富岡八幡の手古舞保存会によって継承され、祭礼に華を添えています。
明治以降深川では海苔の養殖がおこなわれていました。そのさいに使用された養殖具を展示しています。
木場の木挽職人が使用していた大鋸(おが)を中心に展示しています。
火消が着用した消防服で、手刺(手縫い)で作られています。展示の刺子は大正年代のもので、江戸消防記念会第六区一番組の前身である警視庁第六方面消防署一番組組頭大川金次郎氏の所有でした。
寛永四年(一六二七)に創建された富岡八幡宮は、当初は「永代島八幡宮」と称していました。貞享二年(一六八五)八月三日、当時八幡宮を管理していた永代寺四代住職・周光の夢の中に聖徳太子が現れ「今度の地形所をば富賀岡と名付けよ」とお告げを下されます。こうして永代島八幡宮は「富岡八幡宮(あるいは富賀岡、富ヶ岡など)」と名を改めた事から、聖徳太子は「富岡」の名付け親として称えられています。
日本の測量の父・伊能忠敬は50歳を過ぎて深川黒江町(現在の門前仲町)に移住し、天文学・暦学等を学びました。その後に始めた全国測量旅行では、氏神である当宮を参拝してから各地に出発しました。この事から縁深い当宮には伊能忠敬の銅像の銅像が建立されました。
かつて日常生活で使用されていた様々な道具を展示しています。
その他に手古舞装束、大正六年大日本帝国陸地測量部発行東京全図等展示しています。