・高橋泰教授の新型コロナに関する仮説。
・京都大学大学院医学研究科人間健康科学部門 特任教授 上久保靖彦氏の仮説。
お二方同じグループのようです。大変興味深いものです。腑に落ちます。
コロナに関して
今、メディアが報道していることが真実なのか。
それとも、この高橋泰教授の仮説が真実なのか。
また他に真実があるのか。
私が危惧することは一点のみです。
コロナに関しての情報があまりに画一化され過ぎていないか、決めつけ過ぎていないか、という一点です。
その表れがメディアに登場する限られた専門家の意見で動いている世の中の空気感。
正義中毒同調圧力の誕生。
同調圧力が生まれる、
『それは時代が大変危険な状況に陥っていることを表している。』
そのことを私たちは歴史から学んで来ました。
歴史は繰り返す。と言われます。
コロナに関する画一化された情報。
大変危険なものを感じています。
コロナ以上に危険なものだと感じています。
メディアの画一的な報道が、真実だとは限りません。
今、報道の主流とされている感染症専門家の方々。
高橋泰教授のような考え方の専門家の方々。
またその他の考え方の専門家の方々。
多くの専門家の考え方があると思われます。
どうか、その方々の議論を実現し、報道していただきたいと切に願います。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日同じ専門家の方の考えしか報道しないメディア。
何かあるのか?と疑われてもおかしくはない。と思ってしまいます。
議論はメディアの信頼にもつながります。
議論は政治家への信頼にもつながります。
多くの国民が、議論を待ち望んでいると思います。
私たち現代人は、あまりにも“死”をタブーとして来たのかもしれません。“生”の隣にあるものは常に“死”です。それは老若男女変わらぬものです。高校生より私の方が確率的に高いというだけで、誰の身に起きても何ら不思議ではないことです。
“死”と向き合って来なかった結果が今、問われているのかもしれません。
デスエディケーションの必要性を考えさせられます。
太平洋戦争と比較することではありませんが、国民が画一的に動かされているからこそ、進んでいるこの道が正しいのか、間違っているのか、どうか、絶えずデータをもとに考え方の違う専門家同士の議論こそ、何よりも大切なものです。
この子たちの笑顔を万が一間違った方向性により、奪ったら私たち大人はどうやって責任をとればいいのでしょう。