100分de石ノ森章太郎 夏目房之介、名越康文、ヤマザキマリ、宇野常寛、竹宮惠子、島本和彦、伊集院光、島津有理子


出典:『100分de石ノ森章太郎』の番組情報(EPGから引用)


2018/09/08(土) 
100分de石ノ森章太郎[字]
770作品超えという前人未到の漫画を描き上げギネスブックにも登録されている天才漫画家・石ノ森章太郎。その作品の可能性を気鋭の論客たちが徹底的に論じ合う。
詳細情報
番組内容
770作品超えという前人未到の漫画を描き上げギネスブックにも登録されている天才漫画家・石ノ森章太郎。あらゆる既成の文法を解体し、新しい表現方法を開拓し続けたその才能に、現代のクリエイターたちも刺激を受け続けている。そこで、石ノ森章太郎をこよなく愛する論客たちが一同に会し、石ノ森作品を現代に通じるテーマから深く読み解き、石ノ森章太郎が私たちに残してくれたものを徹底的に論じ合う。
出演者
【司会】伊集院光,島津有理子,【出演】夏目房之介,名越康文,ヤマザキマリ,宇野常寛,竹宮惠子,島本和彦,【語り】加藤有生子,【声】田中亮一 


『100分de石ノ森章太郎』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

100分de石ノ森章太郎
  1. 石森
  2. 仮面ライダー
  3. エッ
  4. 何か
  5. マンガ
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  9. ヤマザキ
  10. 読ん



『100分de石ノ森章太郎』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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♬~

今日は 石森章太郎さん
スペシャルですよ。

はい。 まあ何か
僕は物心付いた時に

特撮とかアニメの人気作の
原作のとこに

必ず
「石森章太郎」って入ってて

ああ この人の作品なんだという
印象で

じゃあ マンガを
ちゃんと読んだかっていうと

ちょっと怪しいかなみたいな。
でも 私もそうです。

アニメで
「サイボーグ009」を見ていた。

あと 「仮面ライダーアマゾン」の
レコードは持ってましたね。

「ア・マ・ゾーン」の?
そうです! はい。

あれは好きだったんですけど
それが石森さんの原作だって

知らずに見ていましたね。
ねえ。

その石森章太郎さんが生誕して
今年で 80年になります。

今日は 「石森章太郎が私たちに
残したもの」について

100分 たっぷり語り合いたいと
思っております。
はい。

萬画家…

東北に暮らす
高校生でありながら

手塚治虫から 手伝いを
頼まれるほどの早熟の天才。

上京し マンガ家たちが集う
トキワ荘に。

一番の若手でしたが

圧倒的な執筆スピードと
都会的なセンスで

たちまち
人気作家に上り詰めました。

あらゆるジャンルを描きまくり
駆け抜けた60年の生涯で

770タイトル。

全集は 世界記録の500巻。

そんな石森章太郎を
こよなく愛する

こちらの4人が
その魅力を語り尽くします。

♬~

4人の方を
ゲストにお招きしました。

僕と同世代ですね。
そうですね。 ほぼね。

ヤマザキさんの
石森作品との出会いとか?

もう 出会いのきっかけが
いつだったか分からないぐらい

普通に入ってきた。 当時は
アニメとか特撮ものだったりとか。

でも 具体的に 私は少女が
主人公だったりするものとか

あと 「ロボコン」とか
ああいったものが すごく好きで

小学校低学年ぐらいですかね。

世代別で言うと 僕よりは
ちょっと上世代 名越さん。

アニメの 「サイボーグ009」が
初めてだったんですよね。

白黒の頃の。 すごい憧れて。

それでね 中学ぐらいの頃に
単行本になってた

「009」を読んだというのが
僕の もう ちょっとね

今から思い出すと もう
人生が ここで狂ったというか。

ええ~!?
狂った?

おかしな事に?
おかしな事になり始めましたね。

さあ 夏目さんは
更に上の先輩世代ですが。

すいません。 僕が一番
1950年生まれなので

まだ テレビアニメというのが
存在してなかったので。

なるほど!

月刊誌のマンガなので
石森さんがね

登場したのが 50年代後半なの。

男の子向けのマンガだから
その辺りなんです。

そうするとね
僕の印象で一番強いのは

これほど 思春期の男の子の
気持ちを描ける人は

いないというのが僕の印象。
はあ~!


じゃあ俺らが 子どもも楽しめる
アニメで入ってるのとは

ちょっと違う?
違うんですよ。

さあ そして
一番若いのは 宇野さん。

全く リアルタイムの作家という
認識ないんですよ。

もうだから 「日本経済入門」と
「HOTEL」の人ですよね。

世代的には完全に。 ただ 僕ね
特撮オタクなんですよ。

あ~ はいはいはい。

レンタルビデオとかで
追いかけるわけですよ。

お父さんに借りてきてもらって。

そうすると もう必ず
一番最初のクレジットに

「原作 石森章太郎」って
ことごとく出てくるんですよね。

何か 遡って
古本屋とかで読んでみて

「仮面ライダー」の
原作とかですね

あと 「キカイダー」の原作とかにも
衝撃を受けると。

だから 石森章太郎を
勉強した世代ですね もう完全に。

なるほど。 それだけ いろんな世代
いろんな性別 いろんな立場で

語れる事が多いという。
はい。

本当に
楽しみになってまいりました。

今日はよろしくお願いいたします。
お願いします。

最初に 石森マンガの魅力を
語るのは ヤマザキマリさん。

古代のローマやギリシャを
テーマにした作品で知られる

ヤマザキさんが選んだのは?

もう迷ったんですけど こちら。
「さるとびエッちゃん」。

は~…。
ほんとに不勉強で

「さるとびエッちゃん」は
知ってます。

でも それが石森作品だ
という事は。

(ヤマザキ)今 知った?
今 確認。

これがもうね ほんとに私に
どれだけ影響を与えたかって

今更 気がつきました。

「さるとびエッちゃん」
どのような物語なのか

こちらをご覧下さい。

「さるとびエッちゃん」の連載は
1964年

少女雑誌 「週刊マーガレット」で
始まりました。

当初のタイトルは

「おかしなおかしな
おかしなあの子」。

仲良しの小学生 ミコとモモ。

ある日
犬に襲われそうになったところ

現れたのは不思議な女の子。

犬に話しかけ
二人のピンチを救います。

彼女は転校生でした。

東北弁を話す 小さなエッちゃん。

抜群の運動神経と…

不思議な力を持っていました。

赤ちゃんや動物とも話せる
エッちゃんが

奇想天外な方法で
騒動を解決していく

一話完結のストーリー。

エヘ。 わたしは
猿飛エツ子と申スます。


みなさん ドンゾ よろスくナ。

1971年には
アニメにもなりました。

ポ~イ ポイ ポイポイ。
ポイッ。

丸めて ポイッ。

びっくりしたな~。
まあ… 手品!

アニメ放映以降
「さるとびエッちゃん」に

タイトルを変えて 親しまれた
コメディータッチの作品です。

うわ~ 「さるとびエッちゃん」
久しぶりに思い出したな。

やっぱ アニメの世代です。

覚えてるのは ブク犬という
不細工な犬

かわいらしいキャラの 不細工な
犬が出てくるのだけは

覚えてますけども えっ
皆さん 特に宇野さん

「さるとびエッちゃん」は?

いや ウィキペディアでしか
知らないみたいな。
なるほど。

「石森章太郎」を引くと
初期の代表作の中にあるみたいな。

なるほど。
(宇野)今回 初めて読みました。

僕ら世代には もう少女漫画って
ほぼロールモデルものが

何か こう
メインになってるんですよね。

何か 女の子がなりたいとか
感情移入しやすい

等身大の主人公が
学園で みたいなものが

わりかし 主流になってた
後なんですよ。

だから 狂言回しみたいな
女の子が出てきて

周囲が
ドタバタするみたいな事が

少女漫画っぽくないなと
思っちゃう。

これ かなり おかしいと
思いますね。 ちなみに僕は

「おかしなおかしなおかしな
あの子」で覚えてて

石森さんは…

すごく これね
石森さんっぽいんですよ。

それは あの…

何 考えてるか分かんないでしょ
この主人公。              ああ。

(夏目)手塚さんだったら
この主人公は

内面に悩みを持ってたり
するんです。 そこがない。

多分 これ 少女漫画で

こんなタイプのキャラクターは いないと
思う。   初めてですよね 多分ね。

アニメでは ちょこちょこ
見てたんですよ。

え~ なめてました。

ヤマザキさんに怒られるのを
覚悟で言うとね

あのころに 魔法少女ものの
三番煎じぐらいで

俺は出たものだと思ってたの。
僕も そう思いました!

そうでしょ?
けしからんですね!

いや でも けしからんと言っても
しょうがないんですよ。

というのは 女の子でも じゃあ
全員が 果たしてエッちゃんに

感情移入できたかというと
そうじゃなくて

今 夏目先生が
おっしゃったみたいに

中身が見えないので
何考えてるか分かんない。

でも とりあえず 私的には

私は すごい やっぱり変わった
少女だったもんですから

もう 虫とか動物 大好きで

もう 意思の疎通したくて
しょうがなかったんですよ。

だからエッちゃんが 普通に
動物と しゃべれてたりとか

赤ちゃんの言葉が
分かったりするのが

もう 羨ましくてしょうがない。

あと やっぱり脈絡なく突飛もない
行動を起こしたりとか

私的には
ものすごい入ってきた。

僕の方で補足するとしたら…

確かに
エッちゃんのおうちって

お姉さんと おじいさんと一緒に
暮らしてるんですけど

めちゃくちゃハイテクな 訳の
分からない家に住んでるんですよ。

ボロ家なのに
ボタン一つ押したら

何か いろんな自動で
出てくるみたいな家なんですよ。


そういう家の
お嬢さんなんですよ。

で 彼女は
ご両親がいないんですよ。

その いないっていう
表現のしかたも不思議で

生存してるのか してないのか
ちょっと分からない。

でも
よくよく読んでくと

どうも 火星かどこかに
住んでるみたいなんですよ。

え~!
そこが やっぱりね

女の人の作家じゃ
出てこないイメージなんですよ。

謎だ。
(ヤマザキ)そう。

あと エッちゃんの場合は
とにかくコメディーですよね。

やっぱり 私は漫画家の立場として
いつも すごく大事だと思うのは

笑いで 深いところに

どう 引っ張っていくか
という事なんですよ。

エッちゃんというのは もう
ドタバタコメディーがありながら

しかも 日常の普通の
1965年 66年

あの辺の年代の小学校だったり
ガキ大将がいたりというような

普通の日本の環境なんですよ。

エッちゃんが描かれたのは

海外旅行が
みんなの憧れだった時代。

夏休み明けの学校。

登校してきたのは
浮かない顔のスズキくん。

周りの友達は いろいろなところに
出かけた自慢話。

スズキくん
こんな事を言われて…。

思わず 口から出まかせを
言ってしまいます。

しかし そのうそを見破られて
窮地に立たされるスズキくん。

それを見ていたのが
エッちゃんでした。

エッちゃんは スズキくんが語った
孤島の冒険を

みんなに体験させます。

これがエッちゃんの優しさでした。

また 時折登場するのが
親子をめぐる物語。

エッちゃんたちが目にしたのは

おかあさんを困らせてばかりいる
男の子。

なのに 決して叱らない。

何か事情があるようです。
実は…?

男の子が何を求めているのか
女性も つかみかねていました。

エッちゃんは
男の子を連れてきます。

すると 女性の手が勝手に…。

叱ってくれる おかあさんを
求めていた男の子。

その気持ちを見抜いた
エッちゃんなのでした。

昭和30年代 40年代

まだね 本当にね 出てくる家庭は
みんな貧しいんですよね。
そう。

お父さんが亡くなったので

お母さんが出稼ぎに行ってるから
エッちゃん 一緒に来てとかね

すごいね 心が
わしづかみにされるような

悲しい まだ貧しい この日本の
背景が 全部描かれてるんですよ。

何より異質なのは
なんつうのかな…

エッちゃんが
ドヤ顔をしないっていうか。

こういう事で私は やったんです

解決しましたっていう顔を全く…。
しない。

しないですね。
それが エッちゃんなんですよ。

彼女は
とにかく ひょうひょうと

俯瞰で 人間社会を見ている
存在なんですよ。

でも とにかく貧しい子どもたち

困ってる人を
見ている事ができない。

そして彼女は あの「エヘ」という

それで いろんなマジックを
かけてしまうというね。

これって 当時って かわいい
女の子扱いされてたんですか?

よく マンガとかアニメを好きな
女の子って

かわいい女の子を 休み時間に
自由帳とかに描くじゃないですか。

そういう対象として
エッちゃんって見られてた?

なってないです。
全くなってない?

しかも 方言でしゃべってるでしょ
あの人。

とっつきにくいですよね。
(ヤマザキ)そうなんです。

「わスはな」みたいな
感じじゃないですか。

でも ありとあらゆる意味で
女の子らしい

何ていうのか
魅力的なキャラクターを

全部 意図的に
外しちゃってるんですよね。

だけど この子は
ほんとに すごいんだよっていう

石森的な意図が
そこに入ってるのがね。

今 思ったのが
ちょっとヤマザキさん

エッちゃんにお顔が似てませんか。
エヘッ。

エッちゃんっぽい。
エヘッという。

「わスだべ」みたいな
そんな感じでしょうか。

何か 大きなクリクリした
お目々と 口元が。

でも
私は 自分を重ねてましたよね。

エッちゃんって寂しいんですよ。

何か あの存在そのものが
ひょうひょうとしてるという

見方もできるけど
ある意味で子どもでありながら

子どもで支えきれない負荷を
たくさん持ってて

あんなふうに振る舞ってる
というふうに見えちゃってた

子どもの時から。

それは多分 自分もそういう状況に
いたからだと思うんですよ。

今 例えば映した2つのエピソード
なんていうのは

まるっと 私の「ルミとマヤと
その周辺」という

昭和の 自分が幼かった時の事を
描いたマンガがあるんですけど

その当時の私が どういう事を
感じて生きていったかという

マンガで その子たち
そのルミとマヤが出てきて

その大人の問題を
どういう感じで見ているか。

例えば まま母と なじめない
子どもがいるのを

最終的に 彼女が仲介して
仲良くなる。

でも それを彼女が
意図的にやったよと表さない。

もう まるで
エッちゃんの話じゃないですか!

私 何か潜在意識下にあって

やばいな~ これ 何か
そのまんまじゃん みたいな。

いや 何かね 簡単に
同じ話じゃねえかっていう事と

ちょっと違うと思うのはね
すごい 自分が子どもの時に

エッちゃんに すごい
シンクロしてるっていう事は

その時 エッちゃんの目を通して

出来事を見てるって 分かります?
あ それはあるかも。

このマンガのキャラクターだったら
どう振る舞うんだから

俺は こう振る舞おうと思う事って
子どもって すごいあるじゃない。

あります。 で 実際 私
本当に エッちゃんを見て

エッちゃん的性質を取り込んで
しまってる。     多分 そう思う。

だって私 今でも虫とか金魚に
話しかけてますもん。

通じるんじゃないかなと思って。

何で 石森は
こういうキャラクター

エッちゃんのようなキャラクターを
生み出したんだと思われますか?

いや僕は多分 それが石森さんの
本質だったんだと思います。

石森さんが それを
意図したかどうかは別で

ゼロの状態に描かれてるから

みんなが
いろんなものを見るんですよ。

神話的と思うんですよ 私。

昔のギリシャ人とかが
読んでた神話って

中身が見えないんですよ
あの神様たちの。
分かる。

で それぞれが理解したいような
読み方をするものであって

エッちゃんは まさに それに

相通じるもの あるかなっていう
感じはしますね。

少女漫画らしからぬキャラクター
エッちゃんを生み出した

石森章太郎は早熟の天才。

中学生にして
既に投稿マンガの常連。

高校2年の時 早くも
マンガ家デビューを果たします。

半人前の天使の物語
「二級天使」は

ファンタジー 劇画

童話風 SFと

毎回 タッチを変えています。


そのセンスと画力に
皆が驚きました。

高校卒業と同時に上京。

しかし 頼みの綱だった
「漫画少年」が廃刊し

いきなりピンチに陥ります。

そこに舞い込んだのが

少女雑誌「少女クラブ」からの
執筆依頼。

石森は腕を振るいます。

最初に描いた 「まだらのひも」は
ミステリー。

「幽霊少女」は
時を超えるSFもの。

当時の思いを
石森が語っています。

少女漫画の
メロドラマ風のものじゃなくて

何とか やっぱり新しい方向
SFとかね

それからミステリーとかね
それからスリラーものとかね。

何か あの そういったジャンルを
多く描きましたね。

当時は まあ ここにいっぱい
彼が描いてた

石森さんが描いた
他の少女漫画 ありますけど

「エッちゃん」みたいなマンガだけ
じゃないよっていうのは

例えば この当時はね
バレリーナ漫画とか。

石森さんも描いてるんですか?
もちろん もちろん。

(夏目)少女漫画って 大体がね
編集者は みんな男だし

描いてる人も
50年代までは ほぼ男なの。

だから 女の子の事なんか
分かんないんですよ。 うん うん。

何か はやると みんな
それ描いちゃうわけですよ。

バレエ はやれば
バレエ漫画だらけになるし。

だらけになっちゃう。
(夏目)そう。

更に 戦後すぐなんで
お父さんがいないというのは

よくあるパターンです。
それから お母さんと生き別れ。

「母子もの」っていうんですけど

そういうマンガだらけ
だったんですよ。        は~。

で その中に石森さん辺りから
新しいものが入ってくるんですよ。

こちらに 石森が描いた少女漫画
代表作をまとめてみました。

「まだらのひも」
ミステリーですとか

「幽霊少女」は 時空SF

他にも
ファンタジーやサスペンスなど

多彩なジャンルの作品を
描いているわけなんですけれども。

だけど これ夏目さん
少女漫画でSF。

珍しかったと思いますよ。

で それの影響を受けて
やがて少女漫画に革命を起こす

24年組とかが出てくるんです。
ちょうど僕らの世代です。

萩尾望都さんや 竹宮さんだから

あの方々が 70年代に戦って

また新しい少女漫画を
つくるっていう流れになります。

じゃあ ここで やっぱり石森が
SFテイストというものを

少女漫画に持ち込まなければ

24年組のSF傾向って
なかったんですか?

ないんじゃないですか。

石森章太郎は
いろんなものが描けるから

しかも 描きたいSFがあるから
これを描こうってする。

そうすると それを見てた
今度は少女たちの中に

また 新たな少女漫画を
描きたいという人たち。

これ やっていいのかと思って
やるわけでしょ。

という事は 少女漫画というのは
一番初めから そうじゃないのよ

微妙に違うのよ みたいなとこが
根本にあるんですか?

あると思います。
多分ね 女性が読んでて

男性の描く少女漫画のね 例えば
まま母に葛藤する少女を見てて

いや こんなはずはないって思う
女の子たちがね

増えてきたんだと思うんです。

全員が全員 バレリーナになりたい
わけじゃないっていうところから。

何か だから
少年漫画は スッと来たけど

少女漫画は ロックですよね。
なるほど。

(名越)
そうじゃねえんだよ みたいな。

少年同士の愛
壮大なSF作品などを手がけ

女性が描く少女漫画の
扉を開いた一人が…

石森から 多くのものを
受け取った一人です。

少女漫画ってね 広がらないって
広がらないものですと

日常でないと駄目です
というふうに

まず 編集者の方が思っていて

女の子たちには それは無理だよ
という考え方の方が多かったので。

それを打破するという事が

石森先生から託された
仕事かなと思いながら

やってました。 はい。

石森先生で
一番すごいなと思ったのは

あの 「…」なんです。

研一さんとなんか いかない
っていって

ごねてるシーンなんですけど
「…」が多いんですよね。

つまり 沈黙してる時間。

人って 普通には
いつも しゃべっていない。

いろんな つっかえたり 逡巡が。

ここに女の子は やっぱり読んで

そこに感情をいろいろ考えちゃう。

だから 目に見えてる部分じゃ
ないんですよね。

絵も確かに すばらしいところが
たくさんあって

よく 学生たちにも
言うんですけれども

たった一コマなのに ここに
何の感情が隠れているのかを

考えて下さいって
よく言ってるんですけど。

これは何か 自分が憧れている人を
見つける事ができなくて

すごく 何ていうんですかね
熱い思いと

去られてしまった
さみしさ みたいなものが

一緒になってるような。

それが 何も描いていないのに
この風景だけっていうのが

私にとっては 驚きでした。

そんな竹宮さんの人生を変えた
一冊が こちら。

ここから 石森信奉が

始まっちゃってるわけ
なんですけど。

石森が 27歳の時に描いた
「マンガ家入門」。

マンガ家志望の子どもたちに向けた
テキストです。

あの… もうね どう言ったら
いいんですかね。

もう ここ見ただけで うれしく
なっちゃうわけです。 道具。

こんなに 筆がたくさんある
という事にも驚がくしました。

こういうのをそろえたいって
思って

まず そういう道具
そろえるところから

始めた覚えがありますね。

こうやって マンガが
載ってるだけじゃなくて

それに即して
この部分では こういう所が

作者としては こういうつもりで
描きました みたいな事が

分析されてるんですね。
それが すばらしくて

ああ そんなに考えてマンガ家って
描いてるんだなという事を

これで初めて知りましたね。

作る側から見た 何ていうのかな
真実みたいなもの

やすやすと いかないなという

ハードルを
たくさん示してくれてる事に

逆に 信用する気持ちが
湧いてくるっていうか。

マンガ家になりたいな

で マンガが
もしかしたら自分を表現する

一番 適当な方法なんじゃないかな
って思ってた頃に

これと出会ってるわけなんですね。

もう本当に 1冊しか選んじゃ
いけませんっていったら

やっぱり 迷わず
これを選んでしまうだろうな

という本になりますね。

こちらです。
(名越)はがれてる。

ボロボロだね。

これ実はですね とり・みきさん
というマンガ家さんから借りた

初版本で 彼が
マンガ家になりたいと言った時に

お父様が買ってきたそうです。

これ すばらしい本で
びっくりした!

こんな入門書を 少年のためだって
描いてるんですよ。

でも 大人が読むべし。

今 作家として頑張ってる
大人たちのマンガ家も

是非 読んでもらいたい
というぐらい

すごい いろんな事が
描いてあるんですけど

例えば 既存の作品を
こういうふうに描いてあって

それが 例えば
こういうオチだったら

どうだろうというような
可能性まで

こういうふうに
また別に描いてあって。


えっ 自分の おまんまのたねを

ギャグって
こう作るんですよみたいな事を

我々 お笑いが言うようなもんで

かなり描いてるって事
そういう事なんですか。

自分の「龍神沼」を
全部解説してるんです。

何で こんなコマを描いたのか
という事を解説してるの。  へ~。

手塚さんの直系でしょ。

手塚さんという人は
最初から マンガが

どういう構造になってるか
よく分かってる人なんですよ。

ね。 コマの枠というのは
ある時には

鉄棒のように ぶら下がれると
思いきや

あるところでは そのコマの枠の
向こうに入る。

つまり これはただのパネルである
って見えたり

マンガの表現の形式というものが
どういうものであるかを

よく知ってる人なんですよ。

石森さんも そうなんですよ。
よ~く分かってるんですよ。

だから 27で
もう描けるんだ。

いや僕はね それを
もし 27の時に

何か 例えば
トークの秘密が分かったら

自分のもんです。
人には絶対教えないです。

ライバルだって
いるんですもんね。

ライバルだって
いっぱいいるわけで

でも それは マンガに対する
使命感の高さと もっと言えば

それが分かったうえでも
俺が勝つっていう恐らく。
自信。

自信ですよね。
そうです そうです。

実際 この「マンガ家入門」は

当時 たくさんの人に
読まれたんですか?

これが初版で
これが2年後なんですけど

もう14版なんですよ。 2年の間に。
(名越)大ベストセラーですよ。

多分 マンガ家になりたい子が
たくさんいたんでしょうね。

この時代はね。
うん。

だから 僕の知ってる
マンガ家さんでも

これ読んで という人多いです。

残念ながら 僕は読んでなかったん
ですよ。         あ そうですか。

だから マンガ家としては
大した事なかった。

関係ないと思いますけど。

次に語るのは…

精神科医の立場から

生きていく悩みに
向き合ってきた名越さん。

取り上げる
石森作品は?

当然なんですけど 「009」で

僕 これね お話頂いた時

えっ? みんな「009」でしょって
思ってたんですよ。
なるほど。

もう 僕にとっては
石森といえば 「009」。

1964年 「週刊少年キング」で
連載が始まった「サイボーグ009」。

米ソ冷戦の時代
戦争で利益をあげる武器商人に

最新の兵器を売りつけている
ブラック・ゴースト。

彼らは人間を改造。

宇宙でも活動できる
サイボーグを

新たな戦争の
道具にしようとしていました。

世界各地から実験台となる人間が
ひそかに集められます。

ベルリンの壁で恋人を失った
ドイツ人

土地を奪われた
ネイティブアメリカンなど

その多くが
寄る辺のない身の上。

それぞれ
特殊な能力を持たされました。

9番目に選ばれたのが
鑑別所を脱走してきた島村ジョー。

孤児院で育った混血児の彼もまた
帰る場所のない少年でした。

次に目覚めた時。

突然 巨大ロボットが
彼を襲います。

必死で戦う中で ジョーは

自分の体が 人間離れしたものに
なっている事に気付きます。

これは 改造した能力を試す
テストでした。 その時…。

8人のサイボーグと
彼らを改造したギルモア博士が

ブラック・ゴーストに
反旗を翻したのです。

ジョーを加えた
9人のサイボーグ戦士。

彼らの戦いと友情のエピソードが
描き継がれ

生前 ついに完結しなかった
未完の大作です。

皆さんは 「009」の どんなところに
魅力を感じられました?

あのね 10代だったわけですよ。
マンガ 描いてるでしょ。

カッコいい
そのひと言なんですよ。

まず カッコいい。
あのマント
あんな長い 不便なやつをね

そりゃ マッハだから
いいんだけどさ

何ていうか 脚のね ここんとこ…
今 後ろに映ってますけども

あれが カッコよかったんです。
は~!

(ヤマザキ)ブーツなのかな。

ボタンだか何だか よく分かんない
あの丸いやつとかさ。

特に この「サイボーグ009」は
二次元の美学ですよ。

だって島村ジョーの髪形ね これ
三次元空間で実現できないでしょ。

美しいじゃないですか
圧倒的に。

正直ね 少年漫画の漫画の中では
一番 多分おしゃれだったと思う。

へ~。
そういうデザイン性もね。

ちょっと こちらを
ご覧頂きたいんですけれども

連載されていた期間というのは
すごく長いんですね。

1964年に始まって 1992年まで
30年近く 描き継がれました。

連載された雑誌も
少年雑誌から始まって

青年誌 そして 「たのしい幼稚園」
とかもあるんですよ。

幼児のための雑誌
そして 少女雑誌まで

たくさんの雑誌で描かれている。

(夏目)珍しいと思いますね。
器用すぎですよ。

ず~っと読んでるとね 僕ね
印象的なシーンがあって

003がね みんなには
分からないのよと。

私には 今 苦しんでる人の
声が聞こえると。

今 焼かれる人の姿が
見えるみたいな事が

起こってくるんですよ。

それは 他の能力者には
分からないんですよ。

チームなのに?
チームなのに それぞれが全く違う。

ある意味 能力イコール
欠陥なんですよね。

あ~ すごいな。 子どもの頃
そう思って 見た事ない。

能力 イコール欠陥。

そういうものを抱えて
でも おのおのが

そういう 何かプライベートにはね
あんまり踏み込まないの。

お前の事は 俺が分からないのは
当然だとしたうえで

今 でも あの敵 倒そうよ
というような事がね

こうね こう誌面の中に
にじみ出てくるんですよね。

確かにお互いに見守ってますよね。
(名越)そうですね。

変に 絆とか結び付きという
ところに固執しないというか。

あんまり 傷をなめ合ってる感じが
しないですよね。

やっぱりね
004が効いてるんですよ。

004は もう体中が
もう弾丸だらけ。

ロケット弾とか
出すんですよ ここから。

そうすると みんな
そんな簡単に 004に

「分かるよ お前の気持ちは」って
もう言えないわけ。

体中が武器だらけだから。
は~。

腕に
マシンガンとナイフ。

脚にミサイルを仕込まれた
全身武器の戦士 004。

その体ゆえに 人間社会に
受け入れられる事はありません。

女性と恋に落ちても…

背を向けざるをえない宿命を
背負っています。

その女性が命を落とした時
009 ジョーは…。

ただ 彼の肩に
手を置いただけでした。

水中を自在に泳げる 008。

しかし 瀕死の重傷を負った時
ギルモア博士は

彼を 全身うろこの姿に
改造してしまいます。

彼の気持ちを察する 003。

008に声をかけたのは
全身武器の004でした。

その励ましに
この時は気を取り直す 008。

しかし 後にアフリカで
女性と恋に落ちた時

再び 彼は
自分の体を呪う事になります。

彼の体に衝撃を受けた女性は
自ら命を絶ってしまったのです。

サイボーグの
癒やされる事のない孤独。

作品の大きなテーマです。

日常の中では ある種 もう
完全な異物というか

そういう視線を ずっと自分たちは
浴びてるんだというシーンが

もう
いっぱい出てくるんですよね。

「009」みたいに頑張ろうと
いったら

協力して 頑張ろう
という意味なんだけど

まさか その裏に孤独っていう
チームを描く事で

孤独は これ夏目さん
描かれてる?

そうでしょう。
だって 手塚直系ですから。

ああ そこが大事 はい。
だって アトムもそうでしょ。

あんなに強いのに 僕らが
月刊マンガで読んでた頃の アトムは

学生服を着て
帰りに 石投げられるんですよ。

いじめられっ子なんですよ。

石森さんも それを
そのまんま受け継いでるので

世界に違和感を感じてる人間は
イカれるんですけど

そういうヤツは 大体が
物書きになったりするわけで。

ほんとは 手塚さんもそうだし
石森さんも そうだった。

僕の世代からしてみると

やたら アニメ化されてる古典
という印象なんですよ。

だから 当時 すっごい もう
大人気だったんじゃないか

というふうに
捉えてたんですけど

今の話聞くと どうやら
違うらしいという事でして

今 ちょっと がく然としてる。

連載時は そうでもない?
違います。

雑誌のメインを張る作家という
イメージは 僕らはないです。

で そうではなくて 漫画青年

漫画が大好きな あるコアな
グループがいるわけですよ。

漫画青年と 僕は呼んでますけど
この人気が… だったんですよ。

つまり マニアックな。

で それは どうなるかというと
伝説化する。

だから 伝説の男だったので
それで リメイクされていく。

だから 完全な大衆文化として
最高の人気を得ましたっていう

何か 王冠かぶったっていう
そうじゃないんですよ。

ハッピーエンドで終わるっていう
感じじゃないですからね。

そうなんですよ。 必ず最後はね
敵の大秘密基地が 大爆発して

えっ どうだったの!? っていって
終わっちゃうんですよ。

もう 全然スッキリしないんです。

ある意味
僕たちが期待してるような

完成度の作品じゃないんですよ。

でも 強烈な何か
その消化不良のものが

石が まだ この胃の中に
たまったままであるというか。

だって そうでしょ。

敵に そうですね 敵に造られてる。

そう それで造られて
多勢に無勢みたいな

そういう戦いを繰り広げる。

でも これって「仮面ライダー」の
シチュエーションと

全く一緒ですよね。

完全にルーツですね。
完全にルーツなんですよ。

つまり いつまでたっても
えっ? 俺は悪なのか善なのか

善なのか悪なのかというのは 今の
世界の歴史だって そうですよね。

このね 「009」の原形というのは

結局 消化しきれない
そのものを僕たちに残して。

ブラック・ゴーストというのは
どういう人たちというか

どういう?
武器商人なんです 要するに。

武器で 世界中に武器を造って
こっち側にも武器を売る

あっち側にも武器を売る
組織なわけです。

世界情勢の縮図的なものが。
(名越)そうなんです。

だから武器商人のプロデューサーのような
やつなんですよ。

そのブラック・ゴーストとの
直接対決が描かれるのが

「地下帝国“ヨミ"編」。

ブラック・ゴーストの本拠地に
迫った 009たち。

そこに現れたのは 魔神像。

ブラック・ゴーストの総統は
この中にいました。

宇宙空間に逃げ出した魔神像に
単身 乗り込んだ 009。

そこで彼が目にするのは

ブラック・ゴーストの
驚くべき正体。

それは 三つの脳でした。

脳は 「ブラック・ゴーストは
絶対に滅びない」と語ります。


「ヨミ編」の最後だと
宇宙空間の人工衛星の中に

脳みそが 三つ
宙に浮いてるんですよ。

で これがブラック・ゴーストの
正体だって話になって

この脳みそが言うんですよ。

「俺たちを破壊しても
ブラック・ゴーストは なくならないぞ。

なぜなら 人間に悪の心が
残るからだ」って言うんですよ。

だから 永遠に
終わらないんですよ。

そうなんですよね~。

人間というのは
基本的に善悪両方あってですね

何か ラスボスを倒したら
終わりとかじゃないんですよ。

もう 人間が存在してる限り
悪も存在し続けるんですよね。

僕の世代は みんな そうですけど
「地下帝国“ヨミ"編」

これが終わった時点で
「サイボーグ009」は終わってます。

はあ~!
あ~ そうなんですか。

この「ヨミ編」で終わりだって
夏目さん言われた事は

本当に あれで
でも 石森は

「禁断の天使編」に
足を踏み込むわけですよ。

天使編?

「地下帝国“ヨミ"編」のラストで

009は
ブラック・ゴーストの本体を破壊。

駆けつけた002と共に力尽き
地球に落ちていきました。

二人の死を思わせる
名シーンで

このマンガを
終わらせようとしていた石森。

しかし 読者からの声に押され
「009」は続行されます。

そこで 石森を悩ませたのは
新たな敵の設定でした。

人類の欲望が ブラック・ゴーストの
正体だとしてしまった以上

その戦いには切りがありません。

では 何と戦えばいいのか。

「ヨミ編」から2年後
石森が始めたのが 「天使編」。

雪山に現れた謎の天使。

石森が考えた今度の敵は
「神」でした。

しかし 物語は進まず
ここで休載してしまいます。

4か月後 発表の舞台を
「COM」に移して 始めたのが

「神々との闘い編」。

ところが これもまたストーリーが
なかなか進まない観念的な展開に。

読者を戸惑わせたまま
連載打ち切り。

結局 「神々との闘い編」も
未完のままとなったのです。

描いてるんだけども
途中で断筆しちゃう。

明らかに この「神々の闘い編」とか
「天使編」とかというのは

世界観を自ら壊しに行ってるな
と思いましたよ。

善悪が ぐるぐる回っていて
輪廻転生でね。

神と闘うしかないんですよ。

でも やっぱり石森さんって
どちらかと言うと 何かこう

この世界の内側にあるものを 深く
掘り下げる方が得意な作家で

やはりね 神とか超越者というのは
結構 不得意なんですよね。

で もう やはり
描ききれなかったんですよ。

自分には描けないものを
描こうとして

ず~っと やってるんですよね
このあとね。

これ どっから この欲望が
出てきたんでしょう?

僕も分からないです。 でもね
それが石森さんなんだよ。

だから僕は やっぱり
「009」大好きやから

「009」の軸で石森さんを見ると

ある意味 もう超絶的に
悲劇的でもあって

この「009」の最後の
「天使編」の最後にね

自分は実は ちょっと
もう これ以上 描けませんって

読者にね 描けませんって
言っちゃうんですよ。

でも 必ず戻ってきますって言って
約束して また描きだす

また断筆するみたいな事で
一生 描き続けて

それで まだ終わらなくて
亡くなるという。

すごい話だな…。

何か僕はね 何か壁に向かって
手を振り続ける

石森章太郎が好きなんですよね。
(名越)分かる。

だから それが最終的には
絶筆になっていく

描けないで終わるという
完結のしかたじゃないですか。

逆に言えば。
そうなんですよ。

答えは ある意味 出ないと
分かってても

探っていかずにはおれない
という事ですよね。

問題提起のまま 終わってく感じが
逆に好きなんですよね。

彼自身の人生の思索が
全部 ここに反映されてて

それを読者が まるまる見てる
という事になるわけですよね。

葛藤も何もかも 悩みも。
そうですね。

だから 読んでる人は

石森さんが
どういう人かという事も

「009」越しに感じ取る
という事になるわけですよね。

そうするとね
前半を読んでる人は

後半ね こんなのが
「009」じゃないとかね

さんざん クレームも入るんです。
うん。

それでもう 石森さんも かなり
もう葛藤があったみたいで。

僕 「アストロ球団」というマンガが
すごい好きで

バランスが悪いんですよ。
すごいバランスが悪い。

終わり方も尻切れトンボで

当時は ひでえものだなと
思ったの その時は。

でも 今見ると
これだ! と思う。

俺の見たいものは
これでいいって思うし

未完な事も含めていいし
途中の試合も

単行本 20巻しかないのに

10巻で 1試合って何だよって
思うんだけど

でも その止まらなさに
人間が出てる

コントロールできなさに
逆に人間が出るじゃないですか。

それは多分 今おっしゃってる事を
聞いてると この中に出てる。

そして もう一つですね
名越さんの心を捉えて離さない

石森作品があると。

「幻魔大戦」ですね。

実は僕 親友がいまして
安 克昌っていう

これはね この当時は
ただ単に悪友だったんだけど

両方とも
精神科医になるんですよ。

全然 申し合わせたわけじゃ
ないんですよ。

そいつと とにかく「009」を
二人だけで読んでたわけですよね。

「009」を読み切ったらね
「009」ロスになったわけです。

もうね
何を読んでいいんだ みたいな。

それで いろいろ やってた時に
その 僕の親友の安 克昌が

お前 こういうのあるぞと これ
読まないと駄目だぜ みたいな

それで 僕が読んで もう
衝撃を受けたSF作品なんです。

これを お棺の中に
入れたいぐらい好きです。

1967年 石森章太郎が
SF作家 平井和正と

共同で ストーリーを考えた
「幻魔大戦」。

トランシルバニア王国の王女
ルーナは

旅行中 突然 予知夢に襲われます。

それは この飛行機が落ちる
というもの。

果たして それは現実に。

空中を落ちていくルーナは
テレパシーで呼びかけられます。

フロイと名乗るエスパーから
知らされたのは

宇宙の破壊者 幻魔大王が 地球を
滅ぼしに やって来るという事。

遠い宇宙から転送されてきた
戦士ベガと共に

ルーナは 世界中から
超能力者を探していきます。

その中に 日本の高校生
東 丈がいました。

ベガに追い詰められ
超能力に覚醒する丈。

実は 誰よりも
強大な力を秘めていました。

丈の「力」を見込んで
厳しく接するルーナ。

考えの違いに反目する事も。

そんな中
丈の支えだった姉に悲劇が。

さまざまな試練を乗り越えて

丈は その能力を
開花させていきます。

迫り来る幻魔。

圧倒的な破壊。

世界中から エスパーが集結し

いよいよ 幻魔との決戦が!
というところで

突然 連載打ち切りに
なってしまった未完の作品です。

もう 最後
投げっぱなしなんですよね。

俺 リアルタイムで
読んでましたけど

絶叫マシンのレールが
切れてるようなもんですよ。

はあ~!
うわ~! って。

乗ってる途中は?
絶叫マシンに乗ってる途中は?

もう すっげぇ面白かったですよ。
へ~!

私も今回 読みましたけど
一気に読めますよね。

「009」より面白かったもん。
そうなんですか?

それは まあ言っちゃいますけど

あれ 石森さんだけでは
描けないんですよ。

平井和正なんですよ。

平井和正テイストがあるんですよ。

平井和正さんって 実は
センチメンタルな側面があるんですよ。

そこはね 石森さんと
すごく合致するんですよ。

ところが 方法論で言うと
平井和正さんの方が

どっちかと言うと 「ウルフガイ」シリーズ
というのを書くんですけど

これ
ハードボイルド系なんですよ。

だから 戦闘シーンが
荒々しいですよね。

「幻魔大戦」の方が。
確かに。

幻魔っていう敵は 何なんですか?

要するに
宇宙の中の生命というか

もっと言うたら
物質の不均質性を破壊して

エントロピーみたいなもんですよ。

世界を もう一度
均質化してやれ みたいな

よく分からない もうとにかく
破壊の権化なんですよ。

どんどん どんどん
世界を無化していく。

もう 世界を消滅させる力が
地球に近づいているから

お前たち 備えないといけない。
どう備えるんや みたいな話で。

その時に 戦うのは
お高く とまってて

他の価値観が よく分からない
王女様 王女様と

もう一人は
シスターコンプレックスのかたまりで

何か 少年から
全然 脱しられなくて

それで お姉ちゃんお姉ちゃんって
言ってるような あの丈が

すさまじい 実は能力を
持ってるんだけども

いっつも 俺は嫌だ!
みたいな。

でも ベガいうのは一番人格的には
優れた戦士なんですけども

はっきり言って うつ病ですよね。
もう うつ。

だって全ての人 自分の恋人も
亡くしちゃって

でも その喪失体験で
ボロボロになってる戦士が

一人一人が ワガママし放題の
超能力者を

どう束ねていくかみたいな。

もう どうですか? 「009」が
幸せな世界に見えてきません?

いや だから
さっきまで聞いてた「009」は

今 思えば まだヒーローもの

一人一人ですら ヒーローものの方に
重心を置いてますね。

それは そのかせをとってますね
これは。

何か 据えられてる視点が
違う感じがしますね。

「009」は まだ俯瞰で いろんな
人たちを動かせてるけど…

僕ね「幻魔大戦」 善悪とかあんまり
全然テーマじゃないと思う。

だって これ明らかに

この 東 丈くんって
たまってるだけじゃないですか。

たまってるだけ?

思春期のモヤモヤが
もう 全身にたまってて

その結果 超能力に うっかり覚醒
しちゃって みたいな話ですよね。

だから これって
世界の危機とかって

全部 思春期の自意識の…
比喩なんですよ。

だから これもう
オカルトブームですよね。

当時の?
当時のね。

で 何か明らかに このマンガとか
このマンガの亜流の影響で

自称 「転生戦士」とかって

90年代の前半まで
いっぱい いたわけですよ。

「ムー」の文通欄は
それで いっぱいだった。

転生戦士って何なんですか?
実は超能力者で

この東 丈くんみたいに
何とかと戦ってるとか。

「ムー」っていう雑誌
あるじゃないですか。

あの「ムー」っていう雑誌の
文通欄 見ると

「私は 何々の命を受けた何々

この言葉に反応した人
文通しましょう」っていう

マジな それが やたら来てた。

結構 女の子に多かった。
多かったですね。

だから
何か オカルトというものが

なぜか UFOと超能力と埋蔵金が
同じジャンルにあるあれですよね。

僕の世代まで
ギリギリあるんですよ。

実際に 世の中を
政治運動とかで変えようとか

そういうんじゃなくて

何かカルチャーの力で 世界の
見方を変えようというのは

先進国 どこもバーッと
広がってたわけですよね。

その中核にあったものの
一つですよね。

「幻魔大戦」。
「幻魔大戦」。

ここは すげぇなってとこ
どこですか?

シーンでもいい あと エピソードでもいい
この「幻魔大戦」の中で。

お姉さんでしょう。
(ヤマザキ)燃えてるとこ。

(宇野)お姉さんね。

みんな お姉さんに
納得いきますね。 お姉さん?

もう何を覚えてるって あの
お姉さん 燃えてるお姉さんは。

僕ね 四字熟語で一番好きなのは
今でも 「残留思念」ですもん。

四字熟語で「残留思念」!

もう それで2週間ぐらい
ホワーッとしてました。

後に残留思念って ある程度
メジャーな言葉になりましたよね。

これ この「幻魔大戦」
スタートなんですか?

(名越)
僕が知ったのは もうこれですね。

あれは幽霊だと思ったら
幽霊と言わなくて

あれは お姉さんが
この丈を守ろうという

ものすごい念が そこで
エネルギー体となって

残ったもので
あれは残留思念なんだ。

もう少年 中学校2年生の
少年の時のショックね。

え 幽霊じゃないの?
みたいな。

それから 残留思念って何か
という事が もうテーマですよね。

石森さんというと
やっぱり

お姉さんの存在が すごく
大きかった作家だという事が

まあ有名なんですけど その
残留思念という点においても

やっぱり そのお姉さまが
ご病気で亡くなっちゃうと。

トキワ荘にいた時に。 その時に
ものすごい やっぱり喪失感を

ずっと引っ張ってたというのが
そこが やっぱり

この石森さんの中での
解き放たれないものとして

この中に表れているのかな
という気がしますよね。

精神科医として生きてても
その残留思念というのは

これは エネルギーなのか
人格なのかという考え方って

すごいプラスになりました。

精神力動っていって
ある意味

心の中の事を
エネルギーの貸し借り。

あるいは 例えば
ある人を好きになるとしても

それは その人に
リビドーを備給してるとかね。

そのエネルギーの動きとして
心の動きをとるという

まあ 一分野があるんですよ。

思念を エネルギー化するという
この考え方がね 僕 やっぱり

そういう精神分析なんかを
理解する時に

この「幻魔大戦」を読んでて
その下地があるから

わりかし 理解しやすかった
いう事ありますね。

これって ここまで
みんなが面白いというわけだし

何で終わるんですか?

いや 分かんないです。
その事情が分かんないんです。

でも これ 最後にやっぱりね
まあ単純に言うと

月が 地球に近づいてきてる
という段階で

やっぱり無理だったと思いますね。

僕は え~? って言うたら
その親友が いや名越

でも 月がぶつかってきたら
それは無理やわって言うたのを

今でも覚えてます。
すごい あっさりと。

それは もう大人だなって
思いましたけど。

未完で終わらせる 一つの
作品の形というのは当然あって

例えば レオナルド・ダビンチ
という人は

未完で終わらせる事で
有名な人だったんです。

全部 途中でやってて 嫌になって
やめちゃうんですよ。

これでいいじゃないかと。 あとは
これはこういう作品なんだという。

だから僕 「開かれた」作家と
「閉じた」作家って

僕 分けるんですよ。

ほんで 「閉じた」作家の代表
神が手塚さんで

「開かれた」作家というのは石森。

これね手塚さんだと もうちょっと
閉じちゃうんですよね。

こうですよっていう 分かりやすい
因果関係になるんだけど

石森さんはね 違うんですよ。
開いてる。

終わんなくてもいいと
思うんですよ これ。

つまり 何か
自分は平凡な高校生でね

うだつの上がらない
感じだけれどね

ある日 突然 超能力に目覚めて
世界のために戦うとね。

固有名詞に
何者かになれるわけですよ。

その夢を与えるだけで
十分なんですよ これは。

石森は 自分の性分について
こんな事を語っていました。

次々と 新しい分野に挑戦し

マンガというメディアの
無限の可能性を提唱した 石森。

しかし その一方で
こんな気持ちも抱えていました。

夏目漱石を祖父に持つ
夏目房之介さん。

コマ割りや描線の分析を通して
マンガ表現を研究してきた

夏目さんにとって 石森章太郎は
大きな存在だったといいます。

まず 皆さんにご覧頂きたいのは
こちらのお写真なんですね。

これ 夏目さんと。
(夏目)そうです。 僕です。

石森さんなんですよね。
へ~!

(夏目)すごい若いですよね。
これ いつごろのお写真ですか?

(夏目)90年代の半ばすぎだった。

ちょっと
インタビューをお願いして

いろいろお話を 随分
長時間にわたって して頂いて。

というのは 僕は石森先生
やっぱり すごく僕

今でも恩義を感じてるのは

とりわけ マンガの表現の
仕組みに関しては

すごく分からせてくれた。

それが結果 僕のマンガ論に
なっていったので。

こういう本を
僕と仲間で作ったんですね。

これが 僕のマンガ論の多分
集大成的なものなんですけど

マンガの本質はコマだという事で
やった時に

これが 実は石森さんの
「ボンボン」という作品なんですよ。

これを分析したんですよ。
はい。

(夏目)どういう方向で
コマが作られていて

読者が どう読むか。

それが どういうリズムを
作っていくかというのを

やったんですよ。

これを 実は
そこで先生にお見せして。

あっ ほんとだ。

ここに 「マンガの読み方」って
ちょっと読めます。

(夏目)それで その時に
すごい喜んで頂いたんですよ。

ああ そうなんだ。

こういう批評は
どんどん やってほしいって

その時 言って
すごい励ましてくれて

まだ不安だったので ものすごい
僕は それで励まされたんですよ。

いや 財産ですね。 生の言葉
もらってるっていうのは。

そうです。 僕は だから
漱石には会ってないですけど

手塚治虫さんと
石森章太郎先生には

会ってますから。
ちょっとだけどね。

そんな中で 取り上げて頂く

夏目さんのお薦め作品と
いいますか 何になりますか?

これ
「佐武と市捕物控」なんですよ。

もともと 「少年サンデー」の
連載からスタートした…

その後 舞台を青年誌
「ビッグコミック」に移した時

キャラクターや表現も
青年向けに 一新されました。

江戸に起こる事件を追う
下っ引きの若者 佐武。

盲目のあん摩師 松の市は
実は居合の達人。

無二の親友である二人が
事件を解決していく

一話完結のストーリー。

物語を彩るのは
生活の中の さまざまな音。

季節の移ろい。

江戸情緒の中に
人情の機微を描き込んだ

石森時代劇の傑作です。

「ビッグコミック」という まず
雑誌について説明させて下さい。

創刊号の表紙
よくご覧になって下さい。

ここに手塚さんいますね。
ここに対面に

さいとう・たかをさんが
いるんです。

にらみ合っているんです。
なるほど。

白土三平 ここにいます。

水木しげる ここにいます。

つまり 劇画系と
ストーリー漫画系の

一番いい部分を この雑誌で
合体させようとしたんです。

なるほど。

この時代 白土さんは
「ガロ」という雑誌で

「カムイ伝」を描いています。

で 手塚さんは 自分で出した
「COM」で「火の鳥」を出してます。

そして 石森さんは
手塚さんの直系です。

で それは見事に成功して
日本に青年漫画 あるいは

大人向けのストーリー漫画の
領域を確立するんです。

そういう雑誌なんです。
で こんだけ厚いので

さいとうさんと石森さんが
競争して…

すごいな!
絶対 考えられない。

いや~ 考えられないですね。
でしょ。

しかも 自分でやるって
いうんですよ。

やりたいんだ。
おかしいでしょ。

一番いいところで
一番いい人たちが戦うんですよ。

誰も 手 抜けないんですよ。

で 石森さんは何をしたか。
実験をするんです。 これですよ。

これ当時 江戸時代の よくある
パターンの絵なんですよ これ。

江戸の景色を写した。
で そこから こっち行きますよね。

うわ~ 浮世絵だ。

(夏目)カッコいいでしょ。
これ 広重ですよ。

(ヤマザキ)その隣。
雨つながりでっていう事なんだ。

(夏目)実は この作品
やたら雨が降るんですけども

こういう浮世絵とか そういうのを
作りながら 話に入っていく。

それ 面白いのって
昔 古典落語をかじってたんで

古典落語やる時って 現代の小咄を
マクラに うまく入れながら

うまく 時代劇に
入っていくじゃないですか。

何か その浮世絵
入れたりとかしながら

うまく マンガにも入れてくっていう。
(ヤマザキ)それだ!

その
いつの間にか融合されちゃう。

音とか匂いとか
ありとあらゆる読み手の表現

要するに それまで
開かれてなかった情報を

どんどん
開いていくっていう事ですよね。

実際に それを感じてるわけじゃ
ないんだけども その脳を使って

匂いを感じたりとか
雨の音を聞いたりとか。

雨なんか 特に どっちかというと
部屋の中にいるから

ちょっと内省的になる。

ちょっと そっちに行けよ
みたいなとこまで

操作してるかも
しれませんよね。

また すごいのが
時代劇であるから

そういう 江戸表現とかもできれば
浮世絵表現もできるし

もっと言やあ
血の匂いもさせられるし。

ページをめくるとですね

例えばここに こういう佐武と市が
碁を打ってて 話をして

その流れで 碁盤の目から
網に移るのが まず ある。

ここに 漁師の網が出てきますね。

カッコいいね~。
(夏目)カッコいいでしょ。

(ヤマザキ)マンガじゃないと できない。
(夏目)そこなんですよ。

コマが こうやって並んでるから
いっぺんに全部見れるでしょ。

これが 映像はできないんですよ。
そうか。

17歳の僕は これを
雑誌で見てるわけです。

衝撃を それは受けるわけです。
あと…。

何ですか? それ。
そのコマ割り。

このコマを
ぶった切っちゃうんですよ。

(ヤマザキ)これ でも何で
こんな事したんですかね?

あっ すごいフェードアウト式!

(夏目)カッコいいんですよ。

やっていいんだみたいな。
ああ 今でも 今でも。

50年前の作品に対して
やっていいの? これ。 すごいな。

(夏目)もうね
ずっと 斬り続けるっていうね。

しかも 我々
これを順番に読むかというと

必ずしも
そうじゃないじゃないですか。

こういう場面だと
一気に 全部 見るんですよ。

(宇野)
一枚の絵のように見えますよね。

(夏目)
これが同じコマ割りなんだけど

話に奉仕するコマ割りとは
違うわけですよ。

時間と空間の味わいが
テイストが全く違うという事です。

(名越)躍動感でもあり。

すっごいリズム感じゃないですか。

(夏目)だって 延々と
これ やってるんですから。

そうですね やれるんですね。

だから やれる大変さも
すごいけど。

いや そうなの。
うん やれるという。

だから ここから後のマンガ家が
大変だったの。

大変ですよ こんな。

この当時
石森さんだけじゃなくて

いろんな人が やってたんですよ。

既に先行して 石森さんは
先ほど申し上げた

この手塚さんの「COM」で
こういうの やってたんですよ。

すごいコマ割りですね。

(夏目)「ファンタジーワールド ジュン」という
実験的なマンガで

かなり センチメンタルなポエムを
コマで割って

マンガ化に… するという試みを
やってるわけです。

あのね 都会的なのよ やっぱり
石森さん。

これ ほとんど読者のためというか
作家たちに見せるために

この中のね そのために
描いてる感じしません?

マンガ描いてるやつにとっては
こんな衝撃はない。

それで これが つまり
スタイリッシュで 様式

様式という事は マンガの形式なので
その面で実験をした 多分ね

「佐武と市捕物控」が 石森さんの
中では最高なレベルです。

更に 夏目さんが注目するのは

「佐武と市捕物控」が
1968年に アニメ化された事。

いくぜ 市やん。
あいよ 佐武やん。

ほお~。
(名越)「あいよ」がね。

<罪は憎いが…>

いちいち
カッコいいよね これ。

見て 手の動き。

♬~

(夏目)カッコいいですよ。
音もいいんだよね。

(ヤマザキ)音楽がいい。
ああ~!

本気度が すごいですね。
(夏目)シビれる。

野郎!

(ヤマザキ)
ここ。 杖と足だけ。

へへへへへ…
ただじゃあ どけませんね。

(ヤマザキ)人物が画面の4分の1で
切れるというのさ。

(名越)ここのカラス 最高。

(夏目)よく見ると ほんと
動いてないんだもん。

(名越)ほんと そうですよね。
全然 動いてない!

引いてるだけ。

(市)当たりめぇだ。

(名越)
ほんと そうですよね。

それまで 日本のテレビマンガって
枚数 少なくしろが

絶対命題だから もう1秒
7枚とかで やってるわけですよ。

それが 単なる
経済的な問題だったんです。

ここの辺りから
それが 美学になるんですよ。

絵が止まってるのに
カッコいいっていう。  なるほど。

それは あの カッコいい絵を
ずらしただけで

ちゃんと その意味になる
美学になるわけじゃないですか。

(夏目)あと あのスタジオ・ゼロも
作ってる。

このあと だから
出崎 統さんなんかが 虫プロで

今は だから 出崎さんの
評価の方が高いんですよ。

昔 僕 出崎 統さんに
お話を伺った時に

うわっと思ったんですけど

出崎さんはね 「僕はね アニメ
やってるつもりはなかったです。

劇画 描いてるつもりで
やりました」って言うんですよ。

分かるわ~。
そうなんですよ。 だから。

出崎節っていうんですかね。

ドカンと 一枚の絵があって
例えば 「あしたのジョー」は

ウルフ金串と
壮絶な打ち合いをしてる時に

止めた細長い絵に ジョーと
ウルフ金串だけがいて

それを カメラで こっちとこっち
ず~っとやって

延々と ボクシングの音だけが
鳴ってるという絵とかで

もう 見えないような打ち合いが
行われてるっていう事が分かる。

(宇野)止まってるのに
リアルなんじゃないんですね。

止まってるから
リアルなんだと思うんですよ。

所詮 人間の目って厳密にピントが
合ってるわけでも何でもなくて

全部 脳の補完じゃないですか。
(ヤマザキ)そうそうそう。

だから 何もかも映しちゃえば

解像度 高く映しちゃえば
いいってもんじゃないんですよね。

省略されていたりとか…

石森さんのマンガを読んで

多分 インスパイアされるわけじゃ
ないですか。

コマの構成とか
画面の全体の作り方とか

めくった時の感じとかを

どうしても アニメにしたいと
思うんだと思う。

それを 映像に落とし込んだ時
ああなるわけで

だから メディアが違う。

全く その時間 空間のね
切り取り方 違うんですよ。

でも 影響関係はあるんですよ。

だから マンガをやっぱり
一つの動きとして捉えて

読んでるという
証拠じゃないですか それって。

音も聞こえてるし
血のにおいもするしっていう。

それをアニメで やっぱり そのまんま
表現するって事なんでしょうね。

今日は満足なのは とにかく
この影響まで語りたかったんです。

マンガで終わりたくなかった。
なるほど。

「炎の転校生」
「アオイホノオ」など

熱血漫画で知られる
島本和彦さんも

石森を
深く尊敬する一人。

石森が かつて生み出した
ダークヒーロー

「スカルマン」の続編を

石森から じきじきに
作画に指名されて 描きました。

そんな島本さんに 石森愛を
熱く語って頂きます。

きっと皆さん
何が天才なのかっていうのが

分かってないんじゃないかって
いうのがあって

パッと見 分かるようなところを
一応持ってきたつもりなんですよ。

私的になんですけども。

「石森章太郎選集」っていう
マンガなんですけども

ハードカバーで
ちょっと前に出たんですよね。

カラーのイラストが 1枚ずつ

どれにも入ってるんです
描きおろし。

この当時に 新しく描いた
イラストがあるんですけど

例えば こうなんですよ。
どう思います? すごいですよね。

小さい。
これ ビーンときますよね。

もう恐らく 石森先生描いたの
ここの部分だけですよね。

ここは スタッフっていうか
アシスタント 描いてるんですね。

でもね 指示してるのは
石森先生ですから

石森先生の絵なんですよ。

で ここにシルエットの電線を

こんな感じで描いてっていう
ところまであります。

この感覚が すごい天才的。

もう こんなものが描きたくて
しょうがない。

これ もう 「石森~!」って
感じですよね。

じゃあ
「にいちゃん戦車」いきますよ。

「ジョージ!ジョージ」が
いいかな~。

「にいちゃん戦車」かな。

あと1個ぐらいしか
きっと使われないだろうから。

「にいちゃん戦車」の
1巻と2巻があります。

で 2巻の方は ある程度
ちゃんとした絵が入ってます。

こう。 でも やっぱり
人物が小さくて

周りの描写が中心となっていて
これも すばらしいんですけど

さあ 1巻 いってみますよ。

1巻 どんな絵が
入ってんのかな~?

これですよ!
もう 人物すら入ってない!

下手したら
アシスタントしか描いてない!

でも この絵は
石森章太郎の絵なんですよね。

ビルの間に戦車を置いて
ビルが ガーッと縦長!

もう これ見たら
さっきの 人物 入った絵よりも

こっちに 「石森~!」って
叫びたくなるんですよ。

「石森 やってくれた!
いい構図ですね 先生!」。

でもね これ分かってても
できないです 私は。

やっぱり キャラクターのアップを
描いちゃったりとか

読者サービスしちゃいますね。

結構 私の時代っていうのは
テレビを見て育ってきてるので

今のような 液晶の
細かいところまで映らないんで

大体 テレビつくる人って アップ
バストアップとか

余白をとろうとかっていうのが
ない時代のテレビだったんで

そういうのを見てると マンガ
描く時も やっぱりアップとか

そういうのが つい 頭の中に
インプットされちゃうんですよね。

シネスコープサイズで
描かれてるなと はい。

ヒーローですね。 はい。

もう 仮面ライダーに
なるんじゃなくって

石森章太郎になりたかった
という感じですから。

いいですか?
(取材者)ありがとうございました。

あっ!
「009」の話 全然しなかった!

最後に語るのは
宇野常寛さん。

アニメや サブカルチャーから
時代を読み解く

宇野さんが選んだ
石森作品は?

そもそもですね
昭和53年生まれの僕が

石森章太郎さんの特集番組に
いるって おかしい事なんですよ。

何で今日 僕が来てるのか
というとですね

もう この作品について
語るためです。 ドン!

「仮面ライダー」です。
待ってました。

萬画家 石森章太郎にとって
この 原作版「仮面ライダー」は

完璧な代表作かというと
多分 違うんですね。

にもかかわらず 僕が
「仮面ライダー」を取り上げる

理由っていうものは
一つなんですよ。

萬画家 石森章太郎については

もう これまで
さんざん語ってきました。

ただ 石森さんって
萬画家だけじゃないんですよね。

うん。 私も異議なしでございます。
ああ そうですか!

その「仮面ライダー」 普通とは
ちょっと違う経緯で描かれた

作品だそうなんです。
ご覧下さい。

1970年。 人気マンガ家として
押しも押されぬ

石森章太郎のもとに

東映のプロデューサー平山 亨から
一つの依頼が来ました。

求められたのは 当時人気の
「タイガーマスク」のような

仮面をかぶったスーパーヒーロー。

石森は
次々と アイデアを出します。

最初に有力だったのは
こんなキャラクター。

事故の影響で
怒りが高まると

十字のあざが
顔に浮かび上がるので

仮面をかぶるという設定でした。

放送局の評判も
よかったのですが…。


平山に電話をかけた石森。

…と アイデアを撤回したのです。

そこで 彼が提案したのは
ドクロの仮面。

しかし テレビ局が
「ドクロは まずい」と却下。

更に石森は 幾多のデザイン画を
描いていきます。

その中から出てきたのが
バッタのモチーフでした。

どこか ドクロにも通じる
グロテスクな迫力。

更に昆虫は 高度経済成長の中
破壊される

自然のシンボルでもありました。

こうして ついにバイクに乗る事で
変身する バッタ人間が決定。

僅か放送開始の2か月前。
ギリギリの制作期間でした。

♬~

この時 石森に もう一つ
求められたのが 漫画の連載。

放送に先立ち
「週刊ぼくらマガジン」で

スタートします。

悪の組織 ショッカーに連れ去られ
改造されるという設定は

テレビと同じですが…。

バイクで変身するのではなく

怒りで浮かび上がる
改造手術の痕を隠すために

仮面をかぶります。

企画の当初 検討されたアイデアを
組み込んだ

独自の設定にしました。

テレビ企画と共に誕生した
「仮面ライダー」。

漫画版も
独自の魅力を放っています。

僕ね バッチリ世代なんですよ。
僕 昭和42年生まれなんで

幼稚園の時に
これ始まるんですけど

多分ね 最初の頃 そんな
テンション上がってないですよ。

途中から 猛烈に はやり始める。
(名越)分かる。

後で見ると ちょっと序盤
暗いですよね。        暗いです。

最初の1クール目は 割と
ホラー路線の演出なんですよね。

「怪奇蜘蛛男」 だから
要するに猟奇なんですよね。

ちょっと もともとのところは。

宇野さんの中では これがちょっと
前に始まってる 「ウルトラマン」と

「仮面ライダー」というのは かなり
異質のものっていう捉え方?

全く違うんですよ。
ひと言 特撮って言いますけど

多分 円谷プロの「ウルトラQ」とか
「ウルトラマン」とか

そういった特撮と
この東映の「仮面ライダー」とか

「キカイダー」とか
「イナズマン」とか

石森さんが 大きく関わってる
シリーズって

全然 別物なんですよね。

彼が やっぱり世に
名前を知らしめたというのは

「ハワイ・マレー沖海戦」
とかなわけですよ。

で 「ゴジラ」に参加して
自分のプロダクションを作って

「ウルトラマン」というのを
作ってく。

だから もう完全に
戦争映画が ルーツなんですよ。

対して こっちの「仮面ライダー」
って もう東映ですからね

娯楽時代劇が ルーツなんですよ。

なので もう特撮は特撮なんだけど
チャンバラなんですよね。

(2人)ああ~。

チャンバラを 何か仮面ヒーローと
組み合わせるんですよ。

究極的には アクション俳優が
着ぐるみ着て

殴り合ってるだけなんです。

それは もともと東映のリクエストで
出来てくわけじゃないですか。

まさに 東映が欲しがったものを
現代的にしてこうって

思うわけですよね。

依頼を受けてね
いろいろ変遷したわけですね。

いきなり
合格が出そうだったのが…。

これ。
カッコいいやつ。

ちょっと 「ゴレンジャー」にも似た。
「ゴレンジャー」っぽい。

これで
いきそうなもんなんだけども

どうやら あのVTRによると
石森章太郎側から

グロテスクに こだわる。
これは 夏目さん。

作家でありたかったんだと思う。
本当に この始まる時まで

この人は マンガ家としては
頂点を極めてるんですよ。

うん うん うん。

で こういう大衆受けするもの
作って下さいって言われて

それに近いものを作れたのに
それを蹴るっていうのは

そうじゃないよ 俺はって
言いたいわけだと思うんだ。

それが だから
グロテスクっていう。

マンガ家であるっていう
主張性が

グロテスクさによって
表現されるという事?

それはね とてもシビれる話で

満点のやつ 描けちゃったところで
嫌なんですね。

嫌なの。
それ リクエストどおりが。

でも それで 次作ったのが
このドクロっていうのが

また
ショッキングっていうか… ねえ。

(宇野)これ割と 実際に そういう
ヒーローもいるんですけど。

これは…。
獣人だね。 敵だよ 敵。

(ヤマザキ)困りますよね
こんな人 出てきたらね。

(名越)これ もうちょっと
ソフィスティケートして

「変身忍者 嵐」に
なったんじゃないかなって気も

するんですよね。
(夏目)ああ なるほどね。

そうしてるうちに このバッタが
モチーフというのが生まれてくる。

やっぱり バッタの仮面を
かぶる事によって

初めて 石森のものになったと
僕は思います。

何がいいって やはり
自然と融合してる事ですよね。

これは この時 石森さんが
発見したモチーフですよ。

00ナンバーたちがね
サイボーグなんですよ。

で 成長する事ができない。

その欠損した体を抱えて
生きていくわけですよね。

そんな彼らが やはり
より強い力を得るために

何が必要かって事は
彼らは神様にはなれないし

人間として成長もできない。

だとするともう
地の底から わき起こる

自然物と融合するしか
ないんですよ。

で もう 仮面ライダーに
なっていくわけですよね。

もうね すばらしくないですか。
すごい すばらしいですけど。

僕ね 今日
本当に この事言いたい。

この世で 僕
最も美しいキャラクターって

仮面ライダー旧1号だと
思うんですよ。

そこにね フィギュアとか
ありますからね

ほんと アップで
撮ってほしいんですけど。

ライダースーツ プラス
バッタの仮面って

どうやったら 思いつくんだろうと
思いません?

(ヤマザキ)思います。
なぜ バッタも含めてね。

なぜ バッタも含めて。
石森章太郎 天才すぎて

もう 空前絶後なんですよ
こんなデザイン。

等身大にすると
虫って グロいんですよね。

もっと言うたら 自然って
すばらしいねって言う人って

自然の半分しか分かってなくて
実は自然って

ものすごい獰猛でもあるし 人間に
とっては憧れでもあるけど

強烈な恐怖でもあるでしょう。
何か ほんとに自然そのもの。

昆虫って まさに
その象徴だと思う。

仮面ライダーや怪人っていうのは
仮面ライダーは バッタ男だし

敵も 蜘蛛男とか蜂女とかね。

もう 僕らの世界の中に
いるものなんですよ。

だから 僕らが住んでる
この世界の内側に

何か異質なものが潜んで

入り込んでしまってる
という感覚。

俺も ショッカーにさらわれたら
なるんじゃないかと思った。

太っちょの 足の遅い少年は
ショッカーが さらってくれて

仮面ライダー的な能力を
俺に植え付けるんじゃないか

という事や 逆に言うと

敵の怪人にされちゃうんじゃ
ないかという恐怖や。

それが 石森さんが
ずっと培ってきた

善悪感とも
つながってるわけですね。

石森さんは
善悪っていうのは明確にある。

明確にあるんだけど
それは両方とも同じものを

力の根源にしてるんだと。

「009」の頃から
やってた事ですよね。

それが「仮面ライダー」で
自然と結び付くわけですよ。

自然というのは 人間にとって
敵でも味方でもあると。

だから 仮面ライダーにもなれば
蜘蛛男にもなるんだっていう。

一つの身体の中に
もう 全部 集約されたというか。

そうなんですよ。

一方で その原作の方の
「仮面ライダー」と

ドラマの方の 「仮面ライダー」の
差みたいなものは。

ドラマ版の「仮面ライダー」って

最初 ホラーテイストで
ちょっと大人っぽいんだけど

演出だけで ストーリーは もう
分かりやすい勧善懲悪ですよ。

CM前と後に 2回
戦闘シーン あるんですよ。

で アクションが主体なんです
完全に。

例えば 娯楽路線に変更した
2号編とかだと

毒ガスを使う怪人が
出てくるんですよね。

彼は どういうミッションを
ショッカーから帯びてるかというと

プロレスラーに化けて
で プロレスラーとして活躍し

大きな試合を見に来た 政府要人を
毒ガスで暗殺するという

ミッションを
帯びてきてるんですよ。

(ヤマザキ)政府要人が見に来るのか
プロレスを。

(宇野)回りくどいでしょ。

これ 何で こんなストーリーに
なってるかというと

クライマックスで
プロレスリングの上で

仮面ライダーと怪人が戦うという
シーンを撮るためだけなんですよ。

なるほど なるほど。
リングに上がってほしいのか。

アクションありきなんですね。

石森が描いた
漫画版の「仮面ライダー」には

改造人間が抱える苦悩が
より色濃く あらわれています。

一見 普通の人間の姿をしながら

怪物のような能力を
持ってしまった本郷 猛。

むしろ 仮面をかぶった
ライダー姿こそが

「ほんとうの自分」だと
思い至ります。

また 自分は怪人たちと
何ら変わらない境遇。

それでも
同類と戦わなければならない

重い宿命を背負った
ヒーローでした。

そこに 実写版の撮影で起きた
ある出来事が

仮面ライダーという
ヒーローの在り方に

更に大きな影響を与えていきます。

主人公を演じた藤岡 弘、は
バイクの運転も

変身後のライダーのアクションも
全て 自分でこなしていました。

しかし 撮影中にバイクで転倒
重傷を負ってしまったのです。

放送を開始したばかりで
いきなり 打ち切りの危機。

そこで 製作サイドが
ひねり出したのは?

新たに
仮面ライダー2号を登場させ

1号ライダーは
海外のショッカーを倒すため

ヨーロッパに渡ったという
ストーリー。

しかし 同時期に描かれた
石森の漫画版は

違う展開を見せます。

本郷 猛の前に現れるのは
かつてない強敵。

それは…

本郷と同じ改造が施された
ショッカーの刺客でした。

そんな折 彼の前に一人の男が。

その男にあったのは
改造手術の痕。

一文字隼人は 本郷を
おびき出すために やって来た

ショッカーの一員でした。

格闘の末
一文字は 頭にケガを負います。

そこに ショッカーライダーが
襲いかかります。

変身する時間を与えられず
本郷は苦戦。

そして ついに…。

本郷は惨殺されてしまいます。

その時 仲間を裏切ったのは
一人のショッカーライダー。

実は 頭に負ったケガをきっかけに
洗脳が解けた 一文字隼人でした。

彼は 本郷の後を継ぐ事を
決意します。

一方 本郷はというと…。

なんと 脳だけの存在に。

一文字と
常に意思を通わせながら

ショッカーとの戦いを
続けていくのです。

漫画版のストーリー
まあ 面白いですね。

うん 面白いんですよ。
相当 面白いですね。

読んでる人
びっくりしたでしょうね。

子どもは トラウマになるでしょ
これ。

でも
これの すごく面白いのはね

いわゆる原作は
全部 描き終わって

テレビにしましたじゃ
ないじゃないですか。

何か こんな感じでやってるから
現実に その藤岡 弘、さんが

事故 起こしました。

で 大変な事になったぞって
なるわけじゃないですか。

恐らく
打ち切りにはならないから

新しいキャラクターを
出しますよってのは

そりゃ 早めに決まると思う。

じゃあ 2号っていう事にしよう
ってのも 決まるでしょ 恐らく。

その時に テレビ版の事は
完成してるのかな。

それを知った石森は
違うんだって言ってるのか。

いや それは分からないですね。

そこが ちょっと興味深くて。
分かんないですね。

分かんないけど 少年が見る番組で
あの本郷 猛が

脳だけになっちゃったって 当然
そっちには そぐえないですよね。

しかも ましてや
仮面ライダーに

よってたかって 惨殺される
というストーリーだもんね。

でもね これほんとに これ結構
ターニングポイントで

あそこで 13人 仮面ライダーが
出てきたからこそ

やっぱり 2号も出てくるし
あっ 何か

仮面ライダーって 複数いても
いいんだって。  (名越)なるほど。

ヒーローは 死んでもいいし
交代してもいいし

継承してもいいんだっていう。

それだからこそ その後
さまざまな仮面ライダーが

登場してくるというわけですね。

石森さんの原案画に
なっています。

(宇野)だから V3は トンボモチーフでね
Xなんかは ヤゴですよね。

アマゾン トカゲで
ストロンガーは カブトムシ。

で スカイライダー
これ 原点回帰ですよ。

で イナゴで
BLACKで もう一回バッタに。

もう とにかく
コンセプトワークというか

デザイナー 石森章太郎の
衝撃ですよね。

もうほんとに ため息が出るぐらい
美しいですよ。

僕 でもね すごい たらればの話に
なっちゃうんですけどね

これは 幸せなのか
幸せじゃないのかっていう事でね。

その たまたまあった アクシデントで
2号っていう設定ができました。

その時に まあ抵抗したのか
分かんないけど

全く違う形を描いたけど
結果的には

このシリーズものに
つながっていくわけですよね。

僕は リアルタイムで
ずっと見てる。

ライダーマンは
ものすごく改造が中途半端で

ここから下は 顔は出てるわ
片腕にしか能力がないっていう

設定って まだ 石森章太郎の
作家性みたいなものが

すごい出てると思うんですね。

でもね 僕 ストロンガーの
手前ぐらいで飽き始めるんですね。

そのストロンガーって カブトムシ
コンセプトじゃないですか。

一番最初の事 考えるとね 何で
カブトムシにしないのという事が。

最初っからね。
ね。

もはや カブトムシ出しちゃ
駄目だよって 俺 思う。

そのニーズに応える
コンセプターの部分が

どんどん強くなってくのは

この事故からだと言っても
いいんじゃないかって 僕は。

当時の子ども番組って
「ウルトラマン」もそうだし

ライダーも そうなんだけれど
ある種の視聴率だったり

グッズの売り上げに応じて
路線変更したり

原点回帰したりの 試行錯誤の
繰り返しなんですよ。

それによって ブレブレになる事も
多いんだけど

逆に これだけの
豊かな広がりがあって。

あれがなければ ここまでの
ライダーシリーズの広がりも ないしね。

例えば 結構「BLACK」のね
テレビ版 映像版というのは

わりかし特撮ファンから 普通に
傑作と呼ばれてるんですよ。

まさに 「幻魔大戦」的な
ハルマゲドンというものを

特撮ヒーローに持ち込んでいて
結構 黙示録的な展開が

ダイナミックに
展開してるんですよね。

僕は やっぱり
大人になってく時と

同時進行だったから
その 何か違う違うという

違和感が
どんどん広がってったのね。

「仮面ライダー」が
1個 重なるごとに。

逆に さっきの12人のライダーに
殺されるとこに

ゾクゾクするわけ。
あっちのは どうだったのって。

伊集院さん
でも 心配しなくていいんですよ。

これね 石森さんの没後に

平成仮面ライダーシリーズって
始まるじゃないですか。

実は もう仮面ライダーって
石森さん存命中の

昭和ライダーよりも
平成ライダーの方が多いんですよ。

もう 20作近く やってるんで。

その中には 初期
石森テイストっていうのを

継承してる作品って
いっぱいあるんですよ。

例えば 2002年の
「仮面ライダー龍騎」っていう

仮面ライダーがいて
それは 13人の仮面ライダーが

殺し合うって話なんですよ。
はあ~!

(宇野)みんな それぞれの正義とか
何か それぞれの欲望とか

目的があって ライダー同士が
殺し合うっていう。

だから 正義は
もう 一つじゃないんだと。

あとは 前半に話した
「サイボーグ009」の

「神々との闘い」
あれ あったじゃないですか。

あれを結構 モチーフにした
「仮面ライダーアギト」という作品。

だから人間を愛していない神様に
人類が立ち向かうという。

古代から伝わる超自然
自然との融合で

立ち向かうという。

更に言うと 今度は
「仮面ライダー555」って

2003年にあって あれって もうね
主人公が 実は怪人なんですよ。

確率的に 人類の何割かが

オルフェノクっていうんですけど
ゾンビになってる世界なんです。

主人公は 最初
人間のふりをしてるけど

実は そのゾンビ側なんですよ。

そのゾンビ的な存在は
ベルトさえ つければ

誰でも
仮面ライダーになれるんです。

いや ちょっとね
涙出そうな いい話。

僕の知らない その ちゃんと
分析して教えてもらった事で

何か その石森章太郎の
遺伝子というのか

粒子というのか
細胞みたいなものが時代を超えて。

(名越)面白いですよね。

文化的遺伝子というのも
あるんだなっていう

実感がしてきますよね。

いや~ もうね
俺 今 感動してるんです。

これはね 僕は語れないんだよ。

世代が違うから。
ああ そうか。

だから僕 宇野さんのね「コンセプター」
という言葉が すごくいいと思う。

もうね マンガ家じゃないんだよ。

でね その能力があったんですよ。

なかったら
途中で終わってるはずですよ。

石森さんは やっぱり すごく

つらかったんじゃないかって
思うんです。

作家としての自意識が
すごく強い

作家になりたい
人なわけですからね。

映画監督であれ 小説家であれ
マンガ家であれ 作家でありたい。

で 抵抗したんですよ。

で そのライダーがさ マスク
このマスクは ほんもので

俺は にせものだっていうのはさ
その葛藤なんだよな!

あれ 結局さ。
そうやって理解すると

何で あんな場面 描いたか
すごくよく分かりますよね。

だから
そういう葛藤あったんですよ。

でも 彼の不幸は
子どもたちの幸福だったんですよ。

「仮面ライダー」だけじゃ
ありませんからね。

その他にも 石森は次々と

ヒーローを
生み出していくんですね。

「ゴレンジャー」が
どう枝葉に分かれたかって

全ての戦隊ものが
ここから広がってくわけで。

しかも これ 「パワーレンジャー」として
輸出されてね。

海外にもか!

割と グローバルに広がってる
ヒーローですからね。

だから 文化的な遺伝子って
そういうふうにして。

(ヤマザキ)世界にね 受け継がれてる。

直接
石森さんが関わらなくても

ちゃんと 文化的遺伝子って
継承されるんだって事ですよね。

多忙を極めた萬画家人生。

最後まで 葛藤を抱えていた
石森章太郎。

それから 20年。

石森さん あなたが生み出した
「仮面ライダー」は

次世代のクリエイターに
引き継がれ

今も 私たちを
夢中にさせ続けていますよ。

もう とにかく彼は多分

生涯 葛藤をある意味でしてた
人間だと思うんですよ。

その 自分の作家性であるものと

あと その商業に乗っていった時
その エンターテイナーとして

まあ 見てる人たちのニーズに
応えていく自分と

その作家性である自分を出したい
という その葛藤っていうのは。

それに対して
ほんとに全身全霊で

ぶちあたってった
人なんじゃないかなという。

すっごいエネルギーを感じる。

もうね 戦後サブカルチャー
そのものですよ。

正確に言うと 戦後サブカルチャーの
美意識そのものですね。

もう 彼の残したものの
美しさというものがね

もう圧倒的に 今の僕らの
この文化環境を支配してるという。

一番 大好きな作家と言っていいと
思うんですけども でも

その実態が 捉えられなかったん
ですけどもね

今回で やっぱり分かった。

分かったら 表現してみろと
言われると

言葉を一層 超えてますよね。

何か そういう
もうエネルギー体のような。

でも もしかしたら この
今 メディアっていうのは

もう どんどん
メディアという言葉自体が

ほんとに 何か哲学的な言葉
思想的な言葉になってるけど

今でも その最先端を
走ってるような存在のような

気がしましたね。

石森さんは 結局 今
おっしゃってくれたように

メディアなんですよ。

メディアとしては 亡くなったけど
今もあるんですよ。

残留思念ですな。
あ~! そこに つながりますか。

こういうのを
もっと描いてほしいとか

じゃあ 「仮面ライダー」の
ダークなやつが

まあ 見たかったんだとか
いろんなのを言うって事は

それをやれば
いいんじゃんって事ですよね。

何か そういうものを ぶんまいて
いってるような気がする。

未完の作品が まず多い

こんなに多くていいのか
というぐらい多いのも

びっくりしたんですけれども
それもまた意味があるのかなって。

多分
まかれてるものなんだろうね。

この続き 見せろよって言ってた
人は ああ これ俺が描くんだ

俺が作るんだって事なんじゃ
ないかしら。

♬~


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