マッハとニーチェ 世紀転換期思想史 (講談社学術文庫)スパコンをめぐるドタバタで、行政刷新会議は討論会を開こうとしているが、文科省は既定方針どおりで強行突破をはかっている。こうなると、ゼネコンもITゼネコンも同じようなものだ。イノベーションにとって何が必要かを、当の科学者も理解していないのは憂鬱になる。

いま私の書いているイノベーションについての本の出発点は、マッハである。彼の名前は、世間ではジェット機の速度の単位でしか知られていないだろうが、本書も指摘するように彼は20世紀の思想の源流ともいうべき存在で、ニーチェもフッサールも彼の影響を受けた。アインシュタインはマッハの追悼文でこう書いている:
私の仕事にとってマッハとヒュームの研究が非常に助けになった。マッハは古典力学の弱点を認め、半世紀も前に一般相対性理論を求めるのにあとちょっとのところまで来ていた。[・・・]マッハがまだ若く、彼の頭脳が柔軟であった時期に、物理学者のあいだで光速の一定性が問題にされていたら、マッハこそが相対性理論を発見したであろう。
マッハは『力学史』で、すべての物理現象をニュートン力学で説明する「力学的世界観」は一種の形而上学だと批判し、現象界そのものを論じる現象学という学問を提唱した。これをヒントにして、アインシュタインは力学と電磁気学を統一する相対性理論を発見した。それまで前者によって後者を説明する理論はあったが、複雑で矛盾したものだった。アインシュタインは逆に、電磁気学で力学を説明する「コペルニクス的転回」をなしとげたのである。

同じころ最晩年のニーチェは、神や自我などの観念はパースペクティブによって生み出されたものだと書いた。パースペクティブとは、社会を支配するために人々に植え付けられる固定観念で、プラトン以来の西洋の形而上学は、すべて虚偽のパースペクティブだとニーチェは批判した。彼も現象界の背後にある超越的価値を否定して「現象学」を提唱した。

彼らの現象学は、ヘーゲルの『精神の現象学』に影響されていると思われるが、同じ言葉を使って学問体系を創始したのがフッサールだった。ここではパースペクティブに相当する概念として地平という言葉が使われ、それは後期には「生活世界」から生まれてくる相互主観的な共有知識としてとらえなおされた。ソシュール以降の言語理論も、この相互主観的な地平を言語の中に見出すものだった。

つまり20世紀初頭の言語論的転回に先立って、19世紀末に認知論的転回が起こっていたのである。それは構造主義や科学主義が主流になった20世紀には忘れられたが、ポストモダンとしてよみがえり、21世紀に言語学や脳科学の方法論となりつつある。マッハに始まるその方法論は、現象界を本質の現前や要素の集合としてではなく――彼に影響を受けたケーラーの言葉を使えば――ひとつのゲシュタルトとして認識することだ。

これはイノベーションを考える上でも重要である。アインシュタインの見ていた観測データは、当時の物理学者は誰でも知っていた。彼の発見をもたらしたのは個別の事実からの「帰納」ではなく、新しいゲシュタルトとしての相対論だった。そのゲシュタルト転換がどこから生まれるのか、というのはむずかしい問題だが、それが要素技術の「すり合わせ」やスパコンなどのハコモノから生まれないことは間違いない。

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  1. 1. 木田元の最終講義 反哲学としての哲学

    • [本の宇宙(そら) [風と雲の郷 貴賓館]]
    • 2009年12月16日 22:12
    •  木田元氏は、中央大学の名誉教授で、我が国のハイデガー研究の第一人者だ。別にハイデガーに興味がある訳ではないのだが、私と同じように北森鴻のファンであることを偶然に知ってから、何となく一方的に親近感を抱いている。ところで、大学教授は、定年退職に当たって最終....

 コメント一覧 (3)

    • 1. pen1968
    • 2009年12月16日 20:21
    • マッハの場合は現象学とい言葉で説明する場合は、彼をネガティブに表現する際じゃないかと…。普通に実証主義者で良いんじゃないですかね。マッハを現象学者と呼ぶ場合は、マッハが全ての仮説を許さない頑固な態度を揶揄した場合に使うのかなと、私は理解しております。
      んで、彼が形而上学として批判したのはニュートン全般に至らず絶対時間空間とか。質量については定義がおかしいとしている。原子論も批判した。彼の実証主義に影響されて完成した相対論を、彼は批判した(判らなかった)。逆に、万有引力論は仮説を排しているとして誉めてますよね。
      アインシュタインは力学(重力場)と電磁気学を統一はしとらんですね。アインシュタインやプランクは初期の量子論の功労者であるにも関わらず量子力学の体系は批判的であったですしね。
      科学についてのイノベーションは、現在科学を推し進めようとする強い態度、それを徹底的に批判する知性が上手に組み合わさった時に生まれるのかなと思います。だから、今回のスパコンの件は良い機会だったんじゃないかしら。
    • 2. takao_709
    • 2009年12月17日 12:43
    • どんなに頭が良くても年を取ったら思考が堅くなってしまう.ノーベル賞受賞者と言えど年齢には勝てず,スパコンの価値がほとんど無いことを受け入れるのが難しいんでしょう.
      異議の声明を出したのは一部の重鎮だけで,田中さんがスパコン擁護の声明に入ってないのがわかり易い例です.
      アインシュタインは20代で相対論を出しましたが,きっと彼も自分が60代の脳みそでは出せなかったと気付いてたんでしょうね.
    • 3. pen1968
    • 2009年12月17日 20:58
    • 加齢による衰えとか、そういう問題じゃないと思いますよ。彼らは彼らの考えを若い頃から死ぬまで一貫して実効していた。彼らの考え方(若しくは思想)が完全なもので無かっただけだと思われます。
      量子力学の誕生の際も、アインシュタインの頭が固かったんじゃなくて、彼の美学が許さなかっただけで、その際の批評・批判は量子力学の基礎をある意味盤石とした(詰まり量子力学の形成に多大な貢献をした)。科学思想では、絶対正解は無いのかなと。
      最近のスパコンの話に当てはめれば、老人達が自分たちの進めた要素還元主義に対する批評とその回答を彼らは求めているとも言える。ミクロのの積み重ね以外の科学の発生か、従来の手法(スカラー並列)を使わずに巨大な計算をできる手法を求めてるとも言える(若手研究者のための食いぶち稼ぎが主目的だったとしても)。
      科学上の解を求める予算としては、既に限界に達してることは、科学者や技術者達には危機感として十分に伝わったと思う。今後に期待しましょう。

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