とある結婚式場の花嫁控室。
2029年のカレンダーが掲げてある。
純白のウエディングドレスを身にまとった長い黒髪の花嫁のもとに二人の女性が訪ねてきた。
「おめでとう。ヒナ」
ウェービーロングの亜麻色の髪の女。斎藤紗由美が言う。
「うわぁ。きれいねぇ。ヒナ。お姫様みたいよ」
金色の髪の女性。山本愛恋がうっとりして言う。
「ありがとう。紗由美。愛恋」
しとやかな声の主は加藤陽南子。
もっとも書類の上ではもう「加藤」ではない。
そしてあれほどとげとげしかった雰囲気も雲散霧消している。
26歳のレディだ。
「しっかしまさかあんたが最初に嫁に行くとは思わなかったわよ」
まだ信じられないように愛恋が言う。
右側の三つのピアスが光る。
「学生時代はとんがったからねぇ」
懐かしむように赤い唇で言葉を紡ぐ紗由美。
「そうね。あの頃は男に戻りたくてしょうがなかったけど」
「けど?」「やっぱり」
二人に言われて化粧越しにもわかるほどほほを染める陽南子。
「彼に出会って、恋して、もうずっと女でいたいと思ったの。この人と一緒に人生を歩もうって」
「嬉しいなぁ。そんな風に思っていてくれていたなんて」
タキシード姿の男性がいつの間にか控室の入り口に立っていた。
「〇〇さん」
新郎の名を呼ぶ陽南子。
なぜかその名は聞こえない。
かなりの長身ゆえか影がかかり顔もよく見えない。
「それじゃ陽南子。友達にサービスで一足先に『誓いのキス』を見せようぜ」
「……はい」
恥じらいはするが拒絶しない新婦。
キラキラと光る眼で固唾をのんで見守る愛恋と紗由美。
二人の乙女の眼前で桜色に彩られた陽南子の唇に新郎のそれが……
城弾シアター20周年記念シリーズ
「TransPanic」
Chapter02
「オレが女になったなんて絶対に認めないからなっ」
「うわああああっ」
2019年4月9日。火曜日。朝六時四十分。
加藤陽南子・15歳は絶叫とともに跳ね起きた。
二段ベッドの上なので天井に頭をぶつけかねない勢いだった。
「夢……だったのか?」
パジャマ代わりの黒いジャージのトップスを押し上げる豊かな胸が激しく上下している。
「うるさいわねえ。何を寝ぼけてんのよ?」
下段から顔だけ出した金髪の少女。山本愛恋が露骨に顔をしかめて見せる。
「あ、ああ。悪い。嫌な夢見ちまってよ」
さすがにこれは素直に頭を下げる陽南子。
「もう。目覚ましより先に起きちゃったじゃない」
二度寝をしたら遅刻は確実なので愛恋はベッドから出る。
薄いピンクのキャミソールと青いショートパンツという刺激的な姿だった。
そんな軽装だけにボディラインがくっきり出ている。
女のラインがきっちり出ている。
「何?」
「ああいや。女だなと思って」
「何よそれ? あなたも女じゃない」
「オレは男だ!」
陽南子のこの叫びは妄言ではない。
2018年8月15日までは男だった。そしてその日から陽南子(本名は陽向)。愛恋(龍彦)。別室の紗由美(悟)は女になった。
女神の逆鱗に触れ、記憶だけはそのままでもともと女として生を受けたと変えられた。
三人の母親すら「女の子を産んだ」と思っているし、戸籍も女性で男性とも結婚できる。
だからこの晴天館高校に女子として入学し、こうして女子寮にもいる。
女の悪口を言ったために女子にされた陽南子は「オレが女になったなんて絶対に認めないからなっ」と主張している。
改変直後は背中に達する黒髪だったのを、即座にベリーショートにしたり制服以外はパンツルックと徹底している。
愛恋は逆だ。元々から心は女だった。
とはいえマイノリティはいつでも肩身は狭い。
すっと胸の中に『乙女心』を隠していた。
「普通の少年」を演じ続けていた。
そして女性へのあこがれを口にしたら「女はそんなに甘くないことを身をもって知れ」ということで女子にされた。
もちろん本人は大喜び。男に戻りたいなどとはみじんも思わない。
ただ「女の子の日」は寝込むレベルで、このときばかしは女の肉体を恨めしく思う。
「あんたねぇ。いつまでも未練たらしいけどそれで『男』を名乗るなんておかしくない?」
「うっ」
陽南子にしたら痛いところを突かれて、言葉につまる。
そこに救いの音。扉をノックする音。
「ヒナ。愛恋。起きてる? 朝ごはん食べに行くよ」
扉越しに呼びかけるのは三人目の元・少年で現・少女。
斎藤紗由美が扉の前に立っていた。
傍らには同室の伊集院寿音がいる。
四人は食堂へと向かった。
「まぁ。結婚式の夢を見たんですの? とても素敵ですわ」
豆腐の味噌汁と焼き魚という純和風の朝食をとりながら寿音が夢見るように言う。
既に黒に近い濃紺のセーラー服トップス。チェックのプリーツスカート。
真っ白いセーラータイをつけていた。
さすがに登校前に着替えなおすのは手間だったのでもう制服を着ている。
「あはははは。そりゃ叫ぶよね」
事情を知る紗由美は乾いた笑いを挙げる。
ごはんとハムエッグの朝食だ。
彼女も既にセーラー服姿。
男の時はスケベが服を着て歩いているような少年だった。
いつても「ヤルこと」を考えていた。
それが女神の逆鱗に触れ「ヤラレる側」に換えられてしまった。
嫁に行くということは、次のステップは当然エッチである。
紗由美もやられるのは御免だったので陽南子に同情した。
「だろう。わかってくれて嬉しいぜ」
陽南子がオーバーアクションで答える。
彼女はジャージ姿のまま。ブラジャーすらしていない。
これは少しでも女の記号たるセーラー服を着たくないからだ。
返答だけすると納豆をかけたご飯をかきこむ。
「何が不満なのよ?」
トーストをかじりながら愛恋が言う。
彼女はさすがにキャミソールの上からトレーナーを着ている。
大きいものなので下半身に何もつけてないように見える。
パン派の愛恋は制服にパンくずが付くのを嫌ってこちらもまだ制服ではない。
パンパンと手を叩いている音がしたので揃って音の方を向く。
注目を呼びかける女性がいた。スーツ姿だ。
「もしかして……寮母さん?」
いかにも女子寮の寮母。田村ツカサだった。
あいさつした時のふんわりした雰囲気はまるでない。
キャリアウーマンといったいでたちと雰囲気だ。
きりっと赤い口紅が映える。
「どうなってんだ? 昨日はジャージ姿で体育会系だったのに」
「初めて逢った時は優しい女の人だと思ったんだけどなぁ」
「気分で服装がずいぶん変わるのね」
「わたくしが聞いた話では逆で。服装で気持ちが変わるらしいですわ」
「なんだそりゃ? 服に着られるわけか?」
ひそひそと会話する四人。
だがツカサが「一同注目」と叫んだので黙って彼女に視線をよこした。
いくら十代の少女達のものとは言え、約三十人の視線を浴びても身じろぎもしない。
「諸君! 入学おめでとう」
凛とした張りのある声で言う。
「先生。どうしてスーツなんて?」
便宜上ツカサを「先生」と呼んで尋ねる女子生徒。
「諸君らの門出だ。きちんとした身なりで送り出さないといけないと思ったのでな。立派な女性になれるように私が模範ということだ」
それを聞いてしかめっ面になる陽南子と表情をかがやかせる愛恋。対照的な二人。
入学期には出られないが、寮で支度して待っていると言うツカサの言葉も陽南子の耳に入ってない。
女子高生としてのきちんとした身なり。
すなわちこのセーラー服だ。
「これから三年も、こんな女の象徴である服を着ないといけないのか?」
存在を女に書き換えられた中学三年の夏休み。
以降は中学卒業までセーラー服だったが、それでもまだ慣れない陽南子。
ちなみに中学のセーラー服は「着古したもの」だった。
「ああ。堂々とセーラー服姿で街を歩けるなんてステキだわ」
陽南子と正反対の愛恋。
着替えのスピードも大きく違いが出る。
同室の陽南子と愛恋。
そして紗由美とそのルームメイトの寿音の四人で、二百メートルと離れていない学園へと向かう。
校門をくぐると上級生が校舎の窓から中庭を見ている。
新一年生を品定めするように見ている。
「ちっ。見せもんじゃねーぞ」
不快感を隠そうともしない陽南子。
「うふふ。アタシはむしろ見られたいわ。女としての姿を」
「オレは御免だ」
セーラー服姿で正反対の二人。
しかし四人の中で誰よりもセーラー服姿でパニックに陥ったのは紗由美だった。
男の時はスケベが服を着て歩いているような少年。
同世代の女子の胸や尻を嘗め回すように見ていたものだ。
しかし今度は観られる側に。
なまじ男時代の記憶があるから、紗由美には男子生徒が何を考えているか手に取るようにわかった。
男子の視線が自身。特に胸へと集まっているのも感じ取れた。
(ああ。目で姦られている。男の脳内でボクは押し倒されてるんだ。ボクだったらそうしている。だからわかる)
自分がやられるかもしれないという「被害妄想」のあまり声にも出ていた。
「男相手なんて嫌だ」と。
「まぁ。紗由美さんは女の子なのに、殿方相手はお嫌ですの?」
傍らの寿音がきょとんとした表情で尋ねてくる。
「いやに決まってんじゃないか」
追いつめられたあまり男っぽい口調に戻る紗由美。
「相手は女の子に限る!」
少し前なら極めて当たり前の発言だった。
斎藤「悟」としてなら聞き流される言葉だ。
しかし斎藤「紗由美」の発言では問題がある。
「ふーん。そうなんですの。うふ」
微妙に寿音の言葉が弾んでいるのに気が付く余裕も紗由美にはなかった。
校庭の掲示板で四人は全員同じ。
1年A組が自分たちのクラスと知る。
教室に行くと同じ新入生の少年少女がが30人以上いた。
男子は詰襟の制服。女子は陽南子たちと同じセーラー服。
なお夏用は半袖になり色も白いものになる。
「いいなぁ」
陽南子が男子を見てつぶやく。
これは「本当ならああなるはずだったのに」と男時代の未練。
しかし事情を知らないものはたまたま聞いたこのセリフで、陽南子は男好きと決めつけてもいた。
そんな風に思われていると知らない陽南子。
気持ちを切り替え自分の場所を探す。
「ええと、オレの席は?」
「ヒナは出席番号が34番だから、二列目の後ろの方じゃない?」
「34番……」
愛恋の言葉に表情を曇らせる陽南子。
「そうよ? 女子の四番目。アタシは43番。山本だもんね。ああ。あこがれの40番台」
「そういうことか。はは」
「どういうことですの?」
事情を知る紗由美は苦笑し、知らない寿音はきょとんとしている。
陽南子たちの出身中学。そしてこの晴天館高校では、昔ながらの男女別の出席番号だ。
男子は1番から。女子は31番からだった。
この1年A組は男子16名。女子15名。
分けるにしても女子は21からで間にあったが、昭和には一クラス40人はいたその名残で31番からだ。
「加藤陽向」はだいたい7番までの番号だった。
だが「加藤陽南子」は女子のナンバー。それを嘆いている。
愛恋は逆に女子扱いを喜んでいる。
出席番号一つで悲喜こもごもだった。
それぞれ出席番号順。そして男女交互の列で仮の席へと着く。
時間になり入学式に臨む。
先導の女性教師に従い講堂へと移動する新しい1-A。
入学式を済ませ再び1年A組の教室に戻る。
教壇には黒に見える濃紺のスーツ姿の女性がいた。
身長は155センチと平均よりやや下。
しかし小さく見積もってもFカップはあるであろうバストがド迫力。
おろせば背中に達するであろう黒い髪をまとめてあげている。
フレームのないメガネだが割とメガネの印象が強い。
そして……美人だが『エロい』顔立ちだった。
「はい。皆さん。改めまして。私がこのクラスの担任。北原シホリです」
顔つきと裏腹にセクシーというよりは可愛い声で担任が言う。
「改めまして」というのはまず一旦集まっていたA組を、入学式の行われる講堂まで案内したこと。
そして入学式でそれぞれのクラス担任として紹介されていたのだ。
(あの顔と胸。覚えが)
紗由美は脳内だけ「悟」に戻り記憶をたぐっていた。
そして担任の正体に思い至る。
「あーっ!? もしかして……グラドルのsihori?」
紗由美が突然立ち上がって、シホリを指差して男の口調で叫ぶ。
「な、何のことかしら?」
とぼける女教師。しかし
「いや。間違いない。そのGカップ……もしやしてHかもしれない。そしてそのエロい顔。間違えようがないっ!」
「たれがエロい顔ですかっ?」
そう言われて喜ぶ女性はまずいない。
「何よ? 有名な人?」
愛恋が端の席から紗由美に問いかける。
「(元は男なのに)知らないのか? すごい人気のグラドルだったんだ。18歳でデビューして21歳で引退。
引退の理由は彼氏の存在というより、ヘビースモーカーぶりがばれて人気が下がったためとも。一説では重度の腐女子というのも聞いたことがある」
オタク特有とされる早口でまくし立てる紗由美。
「よ、よくそこまで」
たじろぐシホリ。当たらずとも遠からじというものだ。
「腐女子!? 先生が同好の士ですの?」
寿音が嬉しそうにしているのを紗由美は気づいてない。
「いやぁ。ボクもずいぶんお世話になりました」
懐かしむような言う紗由美。
「ボク?」
使用者がいないことはないが女の子の自己代名詞としてはレアなものを聞いて、クラスメイトは不思議そうな表情をする。
「お世話って、女の子のあなたが?」
北原シホリ27歳。
その年ともなればさすがに男の生態も多少は知っている。
自分のグラビア写真を一部の男がどう使うかも把握している。
実の所それが引退の決定打になっていた。
「あ、いや(しまった。今のボクは女の子だった)」
入学初日にぼろの出た紗由美にしかめっ面の陽南子と愛恋。
当人は慌てて取り繕う。
「あの『ワタシ』先生のファッションやメイクを参考にさせてもらって」
もちろん嘘だ。
ちなみに現在15歳の紗由美。
シホリが引退したのは悟が九つの時だが、その後「やりたい盛り」に彼女の写真を古本屋で見つけ「お世話になっていた」のだ。
「ああ。そういうこと」
これは「現役時代」にもずいぶん言われていた。
「その辺は後でね。今はホームルームさせてね」
「はい」
紗由美はすごすごと引き下がる。着席する。
しかし一部の人間には「女が好きな女」と認識された。
(紗由美さん。やっぱり女の子の方が好きなのね)
寿音もその一人だった。
授業はなくそのまま帰途に。下駄箱で履き替え中。
「まったく、先が思いやられるぜ」
陽南子が怒るというよりあきれて言う。
「ご、ごめん」
何も言い訳できないので縮こまる紗由美。
「まぁバレたりはしねーだろーけどよ」
もちろん三人が元は男だったことである。
「バレるって、紗由美さんのことですか?」
この中で唯一の純正女子。寿音が尋ねる。
彼女も「性転換」には考えが至らない。
それも当然。何しろ生みの親でさえ三人は生まれた時から女の子だったと認識している。
女神によって「過去」まで変えられたのだ。
「わたしはいいと思いますわ」
「どこがだよ? だいたいオレに言わせれば『ボク』なんて口にしているようじゃいつかは」
「何? 新手のギャグ?」
「それをヒナが言う?」
二人に突っ込まれる陽南子。何しろ彼女の自己代名詞は「オレ」だ。
「ボク娘」よりさらにレアだ。
「おう。陽南子」
呼びかける声は上級生。長身の女子だ。
「あ。涼子先輩」
女子バスケ部の部長。加藤涼子だ。
なんと浴室で陽南子をスカウトした。
二人は同じ加藤という名字のため、下の名で呼び合っていた。
「入学おめでとう。バスケ部に正式に入ってくれるな?」
「ええ。もちろん」
入寮から早くも女子バスケ部の練習に参加していた。
「涼子さん。見ない子ばかりだけど、新人勧誘かい?」
初めて聞く声だ。
何しろ男子の声。
女子は全学年女子寮にいるが男子ではわかるはずがない。
「あら? 二人おそろい?」
距離の近さを思わせるやりとりだ。
陽南子たちは思わず声の主を見る。そして
「デカっ!?」
思わず声が出た陽南子。
彼女も164センチで女子としては小さくはない。
しかしこの男たちは30センチは上回っている。
「あの先輩。やっぱりバスケ部の?」
紗由美が部外者にもかかわらず思わず尋ねてしまうインパクト。
「紹介するわ。男バスのツインタワー。竜ヶ守くんと大賀くん」
プロではなかろう。回りがみんな高身長と言うわけではないからこの二人が図抜けているのが想像てきた。
だからこその「ツインタワー」かと陽南子は思った。
「大賀海飛(たいが かいと)です。男子バスケットボール部にいるけど……」
海飛は陽南子の方に顔を向ける。
「君はもう女バスの練習に混じってるからあったことあるよね?」
「いえ。男に興味ないんで」
つっけんどんな陽南子の返事。
全くの本音である。
紗由美もだが元々は男なので、男を恋愛対象とは見ていなかった。
だからと言って女子パスケで女子を邪な眼で観てもいなかった。
女子更衣室でも半裸の女子になるべく視線を向けずに、さっと着替えて練習に参加していた。
「あはは。まぁ挨拶はしてなかったからね」
苦笑する大賀海飛。
やや長めの癖のある髪の毛。
少し高めのこの声は呼び掛けてきた方だ。
身長の割には子供っぽい表情を見せるイケメンだった。
このイケメンには陽南子でなくて愛恋が反応した。
(やだっ!? イケメン。その割にはかわいい)
漫画だったら目がハートになっている。
「竜ヶ守。君もも挨拶したら?」
海飛はもう片方のタワー。竜ヶ守に迫る。
こちらも190センチ以上ある。
髪は短く刈り込みいかにもスポーツマン。
顔はイケメンとかハンサムというより「端正」という表現がしっくりくる。
そしてそれが低い声でぶっきらぼうに言う。
「なんで俺が女なんかに愛想笑いしないといけないんだよ?」
海飛が甘めなら渋め。きつめと言える竜ヶ守。
そのイメージ通りの言葉だ。
(何だこいつ? 偉そうに)
直接言われてないものの見下されていると感じた陽南子は、初対面のこの男に反感を覚える。
「まあまあ。男女の違いはあるが同じバスケ部だ。仲良くなるための第一歩で」
海飛に押され舌打ちしつつ向き直る。
「三年の竜ヶ守 天弥(りゅうがもり たかや)だ」
愛想のかけらもなく言う。
「ほら。あなたも挨拶して」
涼子に促されて渋々と陽南子は応じた。
「一年の加藤です。先輩方。よろしく」
2018年の8月に女子に変えられてずっと呼ばれていた陽南子という名前。
呼ばれるのも嫌だが名乗るのは自分を女と認めるようでもっと嫌だった。
だから名字だけ名乗った。
「へえ。君も加藤さん? でも涼子さんと同じ苗字か。紛らわしから下の名前で呼んでいい?」
海飛が軽い調子で言う。
それでも男が女を下の名を呼ぶのは、女同士の親密さとは別の物なのを知ってるだけに断りを入れる。
「え…あの…」
紳士的に許可を求められたものの、やはり女としての名前は口にしたくなかった。言いよどむ。
それに焦れた
「さっさと名乗れ。このチビ助」
天弥の辛らつな言葉が飛ぶ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ? 誰がチビだって?」
瞬間的に「切れる」陽南子。
実は男の時と身長が変わっていない。
中学三年生の時点で164センチだった。
同級生男子は170超えしているのも多く、ひそかなコンプレックスだった。
現在は女子なので164は決して小さくないが、195センチの竜ヶ守には十分小さく見えたのでチビ呼ばわりだ。
その身長差を考えてもチビと言われて喜ぶのは論外。
納得すらする「男子」はいない。
「お前だお前。このチビ」
追い打ちをかける竜ヶ守を見かねてバスケ部の二人が止めにかかる。
「ストップ。竜ヶ守くん」
「やめろよ。彼女は女の子としては高い方だよ」
海飛がフォローするとますます不機嫌そうになる天弥。
「大賀。テメーなんだって女なんかをかばう?」
女嫌いで済ますには異様な怒り方だ。
「一般論だよ」
「そうよ。竜ヶ守くん。初対面でちょっとひどくない?」
涼子と海飛。二人に止められ天弥は舌打ちをして背を向けた。
「行こうぜ。大賀」
そういうと歩き出す。
「おい。待てよ。竜ヶ守」
追いかけるが止まり
「ごめんね。アイツ口が悪くてさ。えーと、ひなこちゃんだっけ? 男女の違いはあるけどバスケ部にようこそ。歓迎するよ」
フォローする。
その間も竜ヶ守は歩みを止めない。慌てて追いかける海飛。
一年四人も女子寮へと帰るが、その間ずっと竜ヶ守に対する文句を言い続けている陽南子だった。
女子寮。402号室。
元々の女子である寿音は紗由美と同室。
元・少年という秘密を知る者同士二人になる。
春物のワンピースに身を包んだ愛恋と、シャツにズボンと正反対の陽南子だった。
その陽南子に愛恋が目を輝かせて迫る。
「ねえねえ。ヒナ。ああは言われたけとバスケ部に入るんでしょ?」
「ああ。『女子』だけどな」
不服そうに言う陽南子。
「それでも男子バスケと交流はあるでしょ。なら今度アタシのこと紹介してよ」
「さっきのアイツらにか? なんか気に入らないけどな。髪の短い方はぶっきらぽうだし、オレのことチビ呼ばわりだし」
きっちり根に持っていた
「片割れはお調子者だし」
「あれは社交的っていうのよ」
「やけにひいきしているが……まさか?」
「うん。大賀先輩に一目ぼれ。すっごく好みだったの」
ほほを赤らめる愛恋。白人とのハーフで肌も際立って白いから目立つ。
「おい待て? あいつら男だぞ?」
事情を知らないものがみたら、陽南子の方がとんちんかんなことを口にしている。
性的マイノリティは存在するといえ、女の相手は男というのが一般的だ。
しかし二人は元々は男なのだ。だから陽南子の言い分に問題はない。
「わかってるわよ。ヒナこそわかってる? アタシは女の子なの」
「って、本気か?」
「こんなことウソや冗談で言えないわよ。アタシの恋愛対象は男なの。もう今は体が女だから何の問題もなく言えるわ」
確かに身体的には「ノーマル」だ。
「大丈夫かよ? 男に戻ったときに」
「戻る気なんてないもん」
女神によって「女として生を受けた」と存在を書き換えられた三人。
しかし心を改めれば男に戻れる。
そのために男としての記憶も残っている。
だが愛恋は元々が女の心を有していた。
むしろ心に体が合ったのだ。
「違うわね。むしろ『女に戻れた』のよ。あるいは回り道して女としてやり直しね」
「良く考えろ。それでいいのか?」
「いいわよ。アタシは男の子と恋をして結ばれて、かわいい赤ちゃんを産みたいの」
「結ばれる? 子供を産む?」
ここで前夜の「悪夢」が脳裏をよぎる陽南子。
おぞましく思う。
(無理だ。女として生きるなんてオレには絶対無理だ)
生まれて15年男で過ごしてきたのに、一年も満たない「女の子」でそんな覚悟ができるはずもない。
愛恋は元々から心は女だったから出来るのだ。
一方、403号室。
紗由美のルームメイトである寿音は正真正銘の女子ということだ。
だが一つの可能性として寿音もまた自分たち同様に「書き換えられた存在」であるかとも紗由美は考えた。しかし
「ご覧になりました? 紗由美さん。三年生のあのお二方。いい雰囲気だと思いませんか?」
嬉しそうに「BL妄想」を語る寿音が元は男とは考えにくかった。
(これで実は男だったら愛恋よりすごいよ)
紗由美は心の中だけで苦笑したつもりだったが、すこし実際の表情にも出ていた。
それを自覚したのでごまかすべく言葉を紡ぐ。
「あはは。ワタシはあんまりよくわからなくて」
嘘偽りのない本音だった。
ちなみに紗由美は「腐男子」も知らない。
だから「BL好き=腐女子と決めつけていた。
「伊集院さんはそういうの好きなの?」
これも本心からの質問。
「大好きですわ」
即答だった。しかも目を輝かせてもいる。
「人間も動物の一種だから、種族保存の為には男女で結ばれないといけませんわ。いわば本能。少年愛はその本能に抗ってまで『好き』を貫くんですもの。尊いですわ」
言いたいことが次々と脳裏に浮かび、それを口に出そうと自然に早口になる寿音。
いわゆる「オタク特有の早口」に。
「うーん。だったら女同士もありになるよ。いいの?」
いくら体が女の紗由美でも魂は男。男相手は御免だった。
それをそのまま寿音にぶつけた。女同士は気持ち悪いだろうと。そこから自身に同意してくれるかとも期待したが
「もちろんですわ。女の子同士の恋も少年同士に負けず劣らず尊くて美しいですわ」
完全に予想外の答えだった。
(そういえばこの子は若干その気があったんだ)
失念していた。
(まさかね。単にそういうものが理が好きなだけじゃないかな? 同室のボクを同じ趣味にしようとしてるだけじゃ?)
強引に安心しようとしている紗由美。
自分が「食われる」不安を感じていた。
入学して数日が経ち、陽南子も正式に女子バスケ部に入部していた。
最初は他の新入部員と一緒に基礎体力養成や初心者向けの練習だったが、陽南子はめきめきと上達していった。
バスケットボールの経験はなく体育でやった程度だが、体を動かすのが楽しくて女子化しているのを忘れられるほど没頭した結果だ。
思わぬ拾い物をした女子バスケ部部長の加藤涼子は、陽南子ら新入部員をテストすべく男子バスケ部に練習試合を申し入れた。
体力で勝る男子相手で性能テストという意向だ。
男子側も新入部員のテストの為にそれを快諾した。
しかし同列の新人ばかりでチーム構成では指揮系統などで問題が生じる。
そこで女子バスケは涼子が。そして男子バスケには竜ヶ守が司令塔として参戦した。
(オレのことチビ呼ばわりしたあの野郎が相手か。おもしれえ。先輩だからって遠慮しねえぞ)
陽南子は第一印象の悪さを引きずっていた。
「それじゃ女子バスケ部と男子バスケ部の親善試合を開始する。両チーム。整列」
ジャージ姿の女性が大きな声で言う。
長身の美人。ポニーテールが快活な印象を与える。
彼女の名は東瀬ナギサ。体育教師で女子バスケの顧問がこの試合を裁く。
ちなみに北原シホリとは高校時代の同級生だ。
「あ。始まるみたい。ほら二人とも早く」
練習試合はお披露目の意味もあってか観覧自由だった。
愛恋は陽南子の応援という建前でやってきていた。
本当は大賀目当て。
連れ出された形の紗由美と寿音。
「そんなに急かさないで」
苦笑しつつ紗由美たちも「観客」に加わる。
「あっ。いた。大賀せんぱぁーい」
ただでさえ天然の金髪で目立つのに、甲高い声で余計に目を集める愛恋。
しかもお目当ての大賀は試合に出てもいないのにだ。
「はは。はーい」
お調子者の大賀もさすがにたじろぐ。
しかし手を振って答える。
それで愛恋はさらにはしゃぐ。
(あのバカ……本当にミーハー女だな)
表情にもあきれが出ている陽南子。
(オレは違う。体は女でも魂は男だ。あんな風に男に媚びたりしない。ましてや)
整列時に天弥をにらみつける。
(この野郎にゃこけにされたらな。お返ししてやる)
燃える闘志が表情に出ていた。
(へえ)
露骨な敵意を感じた天弥はにやりと笑う。
さすがに衆人環視の中で中指を立てたりはしなかったが、親指を突き立てたと思ったらそれを真下に向けた。
視線に挑発で返した。
それはきっちり陽南子に伝わった。
肉体的には男女でも対立は男同士のそれだった。
試合が始まるとさらに激しくなる。
一番の実力者ゆえに天弥にボールが集中する。
それをカットしようと陽南子が、女子らしからぬ闘争心むき出しで挑む。
体は立派に女の子だが魂。そして育ってきた日々も「男の子」だったからだ。
男子に比べ筋力のない体。
大きい上に揺れて邪魔なことこの上ないバスト。
そして何より30センチ差は圧倒的に不利だった。
しかし果敢に挑む陽南子。
始めこそチビ呼ばわりからの悪感情ゆえだったが、体を動かしている内に単純にこの男からボールを奪いくなったのだ。
(へえ。やるな)
一方の天弥もこのやり取りが楽しくなってきた。
ややからかい混じりだが相手になる。
「ほれ。とってみろ」
「このっ」
あたかも二人だけでプレイしているようだった。
そんな最中ハプニングは起きた。
やはりボールをカットしようと陽南子が挑んだ。
その際に大勢が悪く二人はもつれてコートに倒れこんでしまった。
当然試合は中断。
バスケ部員だけでなく愛恋たちも駆け寄る。
「竜ヶ守。大丈夫か!?」
海飛が駆け寄る。
「大賀……俺は大丈夫だ。頭は打ってない。多分こいつも」
その腕の中にはしっかりと頭を保護された陽南子がいた。
胸を押し付けるように抱き寄せられている。
女子から嬌声が上がる。
「う……オレ?」
軽い混乱があり現状が理解できてない。
「ヒナ。あんた」
「胸が先輩に」
「胸?」
陽南子は言われるままに自分の胸を見た。
竜ヶ守の。男の胸に押し付けられひしゃげているそれを。
ほほが熱くなるのがわかる。
そして男の時は全く感じたことのない恥じらいが彼女に叫ばせる。
「きゃあああああっ」
きつい風貌に不似合いな甲高い、そして可愛らしい少女声で悲鳴を上げる。
「悲鳴」など教わるものではない。
「男ならうおー。女ならキャーと叫べ」などと言われない。
本能的なものだ。
つまり女として叫んでいた。
「あー。そりゃ叫ぶよね」
「でもあんなイケメンに抱きかかえられて得してない?」
「あの子、男好きみいだし」などという女子たち。
「うわ。顔きついけど声はめちゃくちゃ可愛いな」
「顔赤らめるのもかわいい」
「ギャップ萌えって奴だ」などと男子たち。
追い打ちで恥ずかしい目に逢う陽南子。
思わず天弥をにらむ。
「おいおい。助けてやったのにそれはないだろ」
「恩をあだで返された天弥は、怒りではなくにやにやと嘲笑の表情。
「う、うるさい」
陽南子としてはわけのわからない恥ずかしさからくる照れ隠しだった。
「まったく、これだから女は」
「なんだと。誰が女だ!」
「お前に決まってんだろうが。このチビ」
「またチビって言いやがったなぁ」
突っかかる陽南子。それを止めるナギサ。
「はい。退場。頭は打たなかったかもだけど、念のために保健室いきなさい」
顧問でもある体育教師に言われ、すごすごとコートを去る。
保健室でも異常なしと判断されたがそのまま帰ることになった。
男女バスケ部の親善試合は男子チームの勝利で幕を閉じた。
しかし勝敗よりもプレイヤーの評価が目的の試合だ。
「陽南子はどうだった? 竜ヶ守君?」
激しくやりあった相手に直接尋ねた涼子。
「あのチビか。そうだな」
ぶっきらぼうな表情ではない。
「なかなか面白かったぜ。まるで男を相手にしているみたいだった」
笑顔すら見せた。
女子寮。402号室。
私服に着替えた陽南子。愛恋。そして紗由美もいる。
寿音は元々の予定がありここにはいない。
秘密を知る三人だけだ。
「ケガしなくてよかったね。ヒナ」
「これもあの先輩のおかげよねぇ」
「大胆だったね。あんなところで抱きしめられて」
「ヒナもやっぱり女の子よね。キャーなんてかわいい悲鳴上げてさ」
二人がかりでいじられる。
耐えていた陽南子は耳たぶまで赤い。
「女の子らしい悲鳴」に恥じ入ったのか?
それとも天弥に抱きしめられたことにか?
「うるせえうるせえうるせえーっ」
ついに切れた。
「誰が女の子だ! 魂は男だ。男になんてほれるかっ」
うんうんとうなずく紗由美。
彼女もそれには同意だ。
陽南子が叫ぶ。
「オレが女になったなんて、絶対に認めないからなっ」
だが、これは紛れもなく運命の出会いだった。
陽南子。そして愛恋。紗由美にも。
三人の命運はこの時すでに定まっていた。
あとがき
陽南子をバスケットボール部にしたのは、運動部でありつつ男女で同じことをすることから。
陸上部も同様ですがは『PLS』でやってたのもあり外して。
ちなみに筆者はバスケットボールの経験は、体育の授業だけです(笑)
新キャラ二人。
竜ヶ守天弥と大賀海飛。
重要な役回りです。
海飛は愛恋の相手役で。
愛恋の相手役は当初は教師にするつもりでしたが、陽南子を絡められることもありバスケ部員に。
天弥がぶっきらぼうなのでこちらは軽く。
二人コンビということで「竜虎」で苗字は決まって。
下の名は「天と地」にして「ヘルアンドヘヴン」にしたかったけど『地』に絡めてできなかったので「海」に。
竜ヶ守は企画時点では『天ヶ崎』でしたが、そういうキャラが既にいると知り変更。
試行錯誤して検索に引っかからないのでこの苗字に。
前回に出てきた田村ツカサ。
着るもので性格が変わります(笑)
言うまでもなく元ネタは「着せ替え少年」の二村司。
性転換までしませんからまだまとも(笑)
そして担任教師。北原シホリ。
『PLS』の槇原詩穂理をベースにしてますが、どちらかというとパラレルワールドのヘビースモーカーの腐女子の方。
北原という名は『PLS』企画段階での仮の名でした。
もう一人。東瀬ナギサも北原シホリ同様に「PLS」の綾瀬なぎさから。
話の流れで女性の体育教師が必要になっての登場。
東瀬という苗字も同じパターンです。
「城弾シアター20周年記念企画」なのでこの手の登場が多くなります。
エピソードタイトル元ネタは「オレが女になったなんて絶対に認めないんだからねっ」です。
役者が出そろったというところですね。
城弾
キャラクタープロファイル 02
『山本愛恋」(やまもと えれん)
本名・山本龍也(たつや)
2003年9月14日生まれ
身長153センチ。
トップバスト85。
血液型 O
自己代名詞・アタシ
男の時から心は女だった。
念願の女子の肉体を得て「女子ならでは」で一気にギャルになった。
元々ハーフで金髪は地毛。
男に戻る気は毛頭ないが生理痛がひどく、その時だけは女の肉体なのを呪う