2019年4月。
 平成三十一年の春。
 都内の私立高に隣接する建物の前に、一台のタクシーが停車する。
 客席から降りてきたのは三人の少女。
 運転手は後部に回るとスーツーケースを三人分取り出して渡した。
 料金はすでに受け取り済みで、走り去っていく。
 残された三人は建物を見上げて、思い思いの表情を浮かべていた。

「ここからアタシの夢の日々が始まるのね」
 夢見るように言う少女は「乙女」というより「ギャル」だった。
 身長はさほど高くない。150センチ台の前半だ。
 しかしその派手な金髪が何より目立つ。
 それを二つに分けてくくる、いわゆるツインテールだ。
 愛らしい顔立ちに不似合いな化粧。
 そして大きすぎる程の胸元。

「夢? 確かにとんでもねえ悪夢だな。龍也
 長身の少女がやさぐれた感じで言う。
「その名前で呼ばないでっ! 陽南子。アタシには愛恋(エレン)という名前があるんだから」
 金髪の少女。山本愛恋は烈火のごとく怒ったかと思うと、まくしたてる。

「オレのこともそんな女の名前で呼ぶんじゃねえっ!」
 負けじと長身の少女「陽南子(ひなこ)」が言い返す。
 確かにお世辞にも女性的とは言えない。
 身長の高さは仕方ないが、その極端に短い黒髪がハリネズミのように立っているのは攻撃的な印象だ。
 美少女というよりは美人というタイプだが、いかんせん表情がきつい。
「切れ長の目」といえばいいが「射貫くような鋭い目つき」という方が正しい。恐ろしく攻撃的だ。
 おまけに服が上から下までボーイッシュ…と、いうより男物でそろえている。
 豊満な胸がなかったら男と間違えるかもしれない。

 もっとも声は不似合いなほどかわいらしい。
 高くか細い少女声だから、きつい言い回しでも中和されていた。
 彼女。加藤陽南子は不機嫌丸出しで可愛い少女の声で悪態をつく。

「まあまあ。ヒナ。愛恋。これからここで世話になるんだから。まずは挨拶に行かないと」
 亜麻色のロングヘアの少女がなだめる。
 スカート丈は短く太ももが露出しているが、比較的おとなしい服装だった。
 二人の中間の身長だがバストは負けていない。
 三人とも立派な胸をしていた。
「紗由美(さゆみ)の言うとおりだわ。行かなきゃ。うー。楽しみだなぁ。女子寮での生活」
 愛恋はスーツケースを引いて歩きだす。
「あーあ。こんなところで暮らすのかぁ。くそっ」
 忌々しそうに陽南子は吐き捨てる。
 好対照な二人。
 陽南子は紗由美と呼ばれた少女を一瞥する。
「悟(さとる)。おめーはあのギャルと別の意味でウキウキだろうけどな」
 皮肉を言うと彼女も歩き出す。
 残された彼女――斎藤紗由美はため息をつく。
(ボクだってこんなんじゃなけりゃウキウキだったよ‥‥‥)
 自分の豊かな胸を両手で持ち上げて再確認。
 何度やっても事実は変わらないので、紗由美も手続きをすべく中へと入る。



城弾シアター開設20周年記念シリーズ

「TransPanic」


Chapter01

「Panic Panic Panic」




 寮母の部屋へと三人で出向く。
「まぁ三人ともそんな遠くから来たの? 遠いところをようこそ」
 寮母。田村ツカサはのんびりした口調で言う。
 二十代後半という印象。
 優しそうな女性である。
 クリーム色のセーターと濃紺のロングスカート。ストッキングを着用している。
 ウェーブのかかった茶色のロングヘア。
 胸元だけは寂しいが「穏やかな大人の女性」という雰囲気だった。。
「はい。中学の同級生なんです」
「まぁ。それは心強いわね。ところで」
「ああ。これでしょ?」
 陽南子がシニカルな笑みを浮かべる。
 さし示したのは左目。
 右が黒くて左が紫色なのだ。
 いわゆるオッドアイ。
 それも三人が三人とも左目が紫なのだ。
「カラコンじゃないのね?」
 疑われるのも無理はない。三人とも左目が紫色というのは偶然にしては出来すぎている。
「まぁ『神様の思し召し』って奴で」
「なぁに? それ」
 どこか自虐的に言う陽南子に対して、柔らかい笑顔で返答するツカサ。
 身体的なことゆえに、確認だけにとどめてそれ以上は言わなかった。

「それから山本さん。その髪は地毛なのね?」
 オッドアイよりはるかに目立つ部位の確認はいる。
「はーい。地毛でーす。アタシ名前の通りハーフなんでぇす」
 証明とばかしにつむじを見せる。根本から金色だ。

「ごめんなさいね。体のことをぶしつけに」
「いえ」
 ツカサに謝られて三人は恐縮する。
「でもね、加藤さん」
「オレ?」
 自分を指差す陽南子に厳しい表情で頷くツカサ。
「もう少し女の子の自覚もちましょうね。せっかくの美人さんなのに、男の子みたいな乱暴な言葉遣いや態度はもったいないわよ」
「……はぁ」
 曖昧な返事をする陽南子だが、ツカサはそれ以上追及しなかった。

 晴天館高校は全寮制。
 男子寮も女子寮も二人一部屋が原則である。
 同郷ゆえに配慮されたか、陽南子と愛恋は402号室。
 別の女子と一緒の紗由美は隣の403号室だった。
 一息ついた二人は持ち込んだ私服をタンスに移し替えていた。
 まずは陽南子が乱雑に衣類をタンスの引き出しに入れていた。
 その衣類に一枚もスカートはない。
「紗由美だけ一人なんてかわいそうね」
 愛恋が荷物を整理しながら口にした。
 こちらは丁寧にたたみなおしている。
 膝をつけてお尻を脚と足の間に落とし込む「女の子座り」で作業をしていた。
「いいんじゃね。オレ達じゃなくて『純正の女子』と一緒でよ。むしろウハウハだぜ」
 同情する愛恋にまぜっかえす陽南子。とたんに膨れる金髪の少女。
「もう。アタシも陽南子も女の子なのに」
「オレを女扱いするな! それにオレの名前は陽向(ひなた)だ。陽南子じゃねぇ!」
「ふーん。あくまで男だって言い張るんだぁ」
 含むところのある愛恋。
 半目。ジト目で見ていたかと思うと立ち上がり、いきなり陽南子の胸元に手を当てひと揉みする。
「ひゃあっ」
 瞬間的に電流火花が体を走り陽南子は腰砕けになる。
「ちゃんと女の子の急所は作用しているみたいだけど?」
 腰砕けで崩れ落ちた陽南子を。文字通り上から見下ろす愛恋。
「き、きたねぇぞ。このアマっ。だから女は……」
 ある意味では失言である。
 ただし言われた愛恋は憤慨ではなく、愉悦に浸っていた。
「うっふっふっふーん。そうよ。アタシは女の子なのよっ」
 勝ち誇る。
 一方負け惜しみの陽南子。
「くっそぉ。こんな体じゃなけりゃ……まさかあんなことになるなんて……」
 うずくまったままで「すべての始まり」の夏の日を思い出す。

 とある半島の町。そこにある大きな神社の御神木の木陰で、三人の中学生男子が涼んでいた。
 夏休みのとある一日である。
「くそ暑いな。涼しいところに行きたいがそんな金はないし、そもそもこのド田舎にそんな気の利いたカフェなんざねぇし」
 短髪の少年。加藤陽向がぼやく。射貫くような鋭い目つきだ。
 実際に気性も荒い。
 粗暴・乱雑と悪い意味で「男らしい」のだ。
 いわゆる細マッチョはだてではなく、スポーツはそこそこでも、ケンかは負け知らずだった。
 故でもあるまいが「かよわい女子」を見下しているところもある。

「女の子はいいなぁ。涼しそうなスカートで」
 茶髪というより金に近い髪の色の山本龍也が、うらやむように言う。
 涼しそうな姿というより「スカートを履いて闊歩する姿」をうらやんでいた。
 三人ともだが夏期講習の帰りで、半そでワイシャツと黒ズボンで学生らしい姿にもかかわらず龍也だけは女の子のような雰囲気がある。
 実は白人とのハーフ。
 それゆえか男子にもかかわらず、女子のような肌の白さである。

「ほーんと、足を惜しげもなく出して涼しそ。それ観て僕は元気にと」
 思春期とはいえ好色そのもののの下卑た表情を見せる茶髪の少年。斎藤悟。
 長めの髪で女性的なせいか思春期男子なら珍しくもない発言が、ギャップでことさら卑猥に聞こえる。
 もっともエッチな話を口する頻度も高かった。

 彼ら三人は中学三年の男子であった。
 思春期真っただ中である。

「あーあ。誰でもいいからやらせてくんないかなぁ」
 ストレートすぎる悟の独白に顔をしかめる龍也。
「悟。この神社は女神さまを祭っているのだから、そんな女の子を性欲のはけ口にしたこと言ってると罰が当たるよ」
 立ち位置まで女子寄りだ。
「無理言うなよ。龍也。男なんだから女を求めるのは当然だろ。女にだって性欲はあるはずだから、一人や二人やらせてくれてもさぁ」
 悟は食い下がる。
「くっだらねぇなぁ。女神だか何だか知らねーが、いもしないものを崇めるなんざよ」」
 龍也の言葉を切り捨てる陽向。
「仮にいたとしてよ、女の神だろ。ぜってー性格悪いぜ」
「……なんでそんなこと言えるの?」
 口調だけでなく表情も女性的な龍也。
 まるで彼が女子で、それゆえ女性蔑視に憤慨しているかのようだ。
「決まってんだろ。女は陰湿で昔のことをいつまでも根に持つし、男のことばかにしてるし、そのくせアイドルタレントにキャーキャー言ってたり、頭空っぽだし。姉貴がいい例だ」
 陽向には美景(みかげ)という三歳上の姉がいる。
 幼いころから「年下」と押さえつけられていた陽向は、女性という物に対して強い反発も抱いていた。

「何よ!? あんたに何がわかるってのよ」
「何よ?」「のよ?」
 憤慨した龍也の口を突いて出た言葉に突っ込む悟と陽向。
 龍也は慌てて口を押える。
「……前からカマっぽいと思ってたけどよ、もしかしてお前って『体は男で心は女』ってやつ?」
 揶揄するような陽向の口調に、ほほを膨らますことで正解と物語っていた。
「だったらどうなのよ?」
 認めた。カミングアウトだ。
「ええ、そうよ。アタシ心は女の子だもん。間違って男なんかに生まれてきちゃったのよ。なれるのなら‥…『戻れる』のなら今すぐにでも女の子としてやり直したいわ」
「やめとけやめとけ。言ったろ。女は馬鹿で、そのくせ男を見下していて、なのにイケメンとなるとあっさり体を許したりせっそーねぇし」
 意外にも龍也の願望を笑うのではなく、止めにかかる陽向。
「え? 龍也もそうなの? なら本当に女になったら友達のよしみでやらせてくれよ」
「あんたこそ節操ないの? 悟」

 こんな場所でなければ、男子中学生らしいバカ話であった。
 女神を祭った神社なんかでないなら。

「ならばうぬら、本物のおなごになってみろ」

 遠くからであり、とても近い位置からにも聞こえた女の声。
「なんだ? 今の陰惨な開発技官って感じの声は?」
「そう思う? 陽向。僕には宇宙人の女教師って感じに聞こえたけど?」
「ここは女神を祭った神社だしもしかしてこの声は……ああっ。女神さまっ!?」
「いかにもその通り」
 頭上から声がするので見上げると、貫頭衣に身を包んだ女性が舞い降りてくる。
 勾玉の首飾り。手首の数珠がいかにもないでたちだ。
 その背には白鳥を……むしろ「天使」を思わせる白く大きな四枚の翼。
 ウェーブのかかった黒髪を下ろしている。
 その「女神」が風も音もなく地に足をつけそして名乗る。

「我が名ははジョーカー。この地に祭られている神である」

 あまりのことに茫然としている三人。
 口もきけない。
 女神・ジョーカーが「そこのお主」と陽向を指差した。
「オレ?」
「そうじゃ。聞いて居ればずいぶんとおなごを見下したことを並べおって。男ゆえにおなごのことがわからぬ」
 今度は悟に向かう。
「うぬの言う通りおなごにも人と交わりたい時がある。しかし男の側から一方的にいたすのは愛とは呼べぬ」
 最後に龍也に向かう。
「うぬは逆におなごに夢を見すぎじゃ。おなごの労苦もわからんから、そんなあこがれだけでものが言える」
 いうだけ言うと再び舞い上がるジョーカー。
「導き出される答えは一つよの」
 右手を高くかざす。
「食らえ。我が最大の技」
「何かやばい。逃げろ」
 陽向の声で一斉に逃げ出す三人。
「遅い」
 いうと高く掲げた右腕を手刀のように振り下ろして叫ぶ。

「トランスジェンダー!」

「うわあああああっ」
 背中から衝撃を食らった三人はその場に倒れ伏す。












「きゃあああーっ」
 女の叫び声で「陽向」は目を覚ます。
「嬉しい。おっぱいがある。そして邪魔なのがなくなってるわぁ」
 金髪の少女が泣いて喜んでいた。
 制服は自分たちの中学の女子用夏服だが、こんな派手な金髪の生徒は観たことがない。
 あえて言うなら龍也が近いが、それにしてもここでの金色じゃない。
 そもそも性別が違う。

「オレは……夢でも観ていたのか?」
 声の具合がおかしいと感じる余裕もなかった。
 地面に横たわった体を立ち上げると、ずっしりと胸が重たかった。
 そしてかつてここまで伸ばしたことのない長さの髪が、頭から零れ落ちる。
「なんだこれ?……いたっ」
 むき出しのふくらはぎが小石を押していて痛みを感じていた。
「何でオレ、スカートなんて穿いているんだ? それにこの手、なんでこんなすべすべなんだ?」
 友人たちに助けを求めようとするが、金髪の少女が歓喜してるのと、長い茶髪の少女が自分の胸を手で持ち上げて茫然としているだけで龍也も悟もいない。
 さすが「陽向」も不安になって叫ぶ。
「おい龍也!? どこ行った悟!?」
 この呼びかけで謎の二人の少女が「陽向」の方を向く。
「もしかして、あなたは陽向?」
「ほんとだ。この目つきの悪さは変わってない」
「はぁ? 何を言ってるんだ。それにお前らは誰だよ?」
「アタシ? 『龍也』だよ」
 金髪の少女がいう。
「ボクは斎藤悟」
 茶髪の少女も続く。
「おいおい。からかうなよ。オレが探しているのは男だぜ。お前ら女じゃん」
「あなたもね」
 金髪の少女は、自分の姿を確認するため手に持っていた鏡を「陽向」に向けた。
 鏡には黒髪ロングの美少女が映っていた。
 しかも着用しているのも彼らの通う中学の女子制服だ。
「……ウソだろ?」
「陽向」はまた気を失いそうになった。

「言うたであろう。本物のおなごになれと」
 再び女神・ジョーカーの声がする。
「て、てめえ。なにが女神だ。だいたい日本の神様ってんならなんで名前がジョーカーで、技の名前も英語なんだよ?」
「わらわはひとの言葉を口にしてはおらぬ。直接うぬらの心に語り掛けている。ゆえにうぬらのわかりやすい言葉に置き換えられているのじゃ」
 わかるようなわからないような理屈である。
 もっとも言う通りならこのいかにもな口調も納得いく。
「それからの、わらわの名は本当は『女化』と書く」
「じょか」が「ジョーカー」に転じたのだ。

「さて、うぬらはこれよりではなく、生まれた時からおなごだったことに改めてある。ゆえにおなごとして暮らしていくのに何も障壁はない」
「……あの、元から女だったというのに、どうして改ざんされないでボク達には男だった記憶があるんです?」
「うぬらをおなごにしたのは思い違いを正すためじゃ。元からおなごだった記憶にしては何の意味もない」
 そこで龍也の方を見る。
「悔い改めたら元に戻してやるつもりじゃが……うぬはむしろ喜んでいるようじゃな」
「はいっ。ありがとうございます。女神さまっ。夢がかないました」
「ふふ。そんなことを言っていられるのも今のうちじゃぞ。龍也……龍也か。そうじゃな。名も改めておくか。龍也や悟ではおなごしては不自然じゃな」
「はいはーい。だったらアタシ『愛恋』がいいです。『愛』と『恋』でエレンと読んでもらいます。もし女だったらこんな名前がいいなって思ってたんです」
「よかろう。ならば今よりうぬは『山本愛恋』と名乗るがよいぞ」
「はいっ」
 こうして山本龍也という少年は、山本愛恋という名の少女になった。

「そしてうぬらじゃが」
「オレはそんな女の名前なんていらねぇぞ。オレは男だ!」
「ずいぶんと未練じゃな。ならば一部だけ変えるにとどめるか。ひなたではなく『ひなこ』と」
「な?」
 よりによって女名前の最たる「子」を付けられるとは。『陽南子』は絶句した。

「残るはうぬか。悟の『さ』を残すならさゆり……どうせならおなごらしい『美』を組み込んで『紗由美(さゆみ)」ではどうじゃ?」
「その名前を受け入れて、悔い改めたら元に戻してくれるんですね?」
「約束しよう」
「わかりました。今日から……じゃなくて今から斎藤紗由美ですね」
「悟。お前いいのかよ? これからはお前の方が『やられる側』だぞ」
「よくないよ。けど神様には勝てない。だったら早く罰を受けて元に戻してもらいたい。その最初として名前を変える。君もだろ。ヒナ」
「ぐ……」
「ヒナ」というのは男の時からの愛称だ。今は『陽南子』を略してなのはわかっても、これは拒絶できない。

「何。悪いようにはせぬ。悔い改めさせたいだけじゃ。それに同じ人間。おなごとして生きるのも悪くないぞ。顧みたうえで望むならおなごのままにしておいてもよいぞ」
「ほんとですかぁ? アタシがんばります。頑張ってステキなレデイになります」
「ふふ。わらわはうぬらを見守っているぞ」
 それだけ言うと女神。ジョーカーは解けるように消えていく。



 白昼夢でないことは帰宅してから痛感した。
 陽向改め陽南子はいきなり「女の子ななんだから体を大事にしなさい」と足に傷をつけたことを母親に叱られた。
 むくれながら自室に戻ると色合いはまだしも女子の部屋になっていた。
 特に目立つのが鏡台である。化粧品が並んでいる。
 まだ中学生だからスキンケアだけだが、色のついたリップクリームなどもある。
 不快感を覚えながら女子セーラー服から着替えるためにクローゼットを開けると女子の服ばかり。
 もちろん下着も女子用だ。
 さらによく見ると生理用品まである。
 15歳の少女ならあって当然だが「15歳の少年」には無縁の物ばかり。
「オレ……このまま女にされちまうのかよ? そんなの嫌だ」
 すすり泣く声もか細い少女の物である。

 翌日には陽南子はその黒髪をバッサリ切り落としたうえに、逆立つようにした。
 せめてもの抵抗だった。
 服も姉がパンツルックを好むことからおさがりをもらっていた。
 とにかくスカートに抵抗して、登校時もスカートは履くがジャージのボトムで脚を隠すほど女子らしさを避けていた。


 そして進学となり自分にその気はなくとも男に襲われかねないので、全寮制の学校に行くことを紗由美が提案。
 女子寮に入ると聞いて一も二もなく飛びつく愛恋に対して渋った陽南子だが、そのまま幼なじみばかりの故郷にはいたくなかった。
 幼少時を共に過ごした少年たちが中学の時点で自分を女として扱っている。
 高校生になってその面々が逞しく男らしくなるのに、自分は美しも華奢でかよわい『乙女』になっていくと置いていかれたようで嫌だった。
 それならいっそ知らない人間のもとに身を置いて「人間関係のリセット」という気になった。
 それでいて秘密を共有する者たちもいるのを選んでいた。

 そして現在。女子寮に二人と一人。
 その一人となった紗由美は「生粋の女の子」と同室になる。
「貴女が、わたくしのルームメイトですの?」
 ルームメイトであるからには紗由美と同じ年。同学年のはずだ。
 しかしこの女子はとてもではないが15歳とは思えない落ち着きがある。
 身長は150前後。もっと低いかもしれない。
 だが胸元は立派。後にDカップとわかるが、身長の低さもありもっと大きく見える。
 卵型の輪郭は美人タイプ。
 ゆるくふわっとしたウェーブのある髪が背中に達している。
 フリルたっぷりのオフホワイトのブラウスと、焦げ茶色のロングスカートは上品さを感じさせた。
 紗由美は今の自分が同性であることを忘れて「悟」として魅入っていた。
「わたくしは伊集院寿音(いじゅういん じゅね)と申します」
 自己紹介されて紗由美は我に返る。
 同時にその大きな胸が揺れて自分が女になっていたことを思い出した。
「あ。はい。ボク……ワタシは斎藤紗由美です」
「紗由美さんですの? きれいなお名前ですね」
 にっこりと笑う。着衣は洋風だが和風のたたずまいだ。
「は、はい。ありがとうございます」
 この女の子としての名前をほめられたのは初めてで戸惑いがあったが、何の裏もないと感じて素直に返礼した。
「うふふ。仲良くしましょうね」
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
 二人の少女は友好の握手を交わす。だが心中で紗由美。否「悟」はガッツポーズをしていた。
(ラッキー! こんなかわいい子と同室なんて。くーっっっっ。夜眠れるかなぁ? ギンギンに突っ勃って抜かないと寝られない……あ)
「紗由美」は自分にもう「固く立つもの」がないことを思い出した。
 女体化してから久しく喪失感を味わった。

 紗由美と寿音。のちに運命の出会いとわかる。
 そして、寿音のとんでもない本性もすぐにわかる。

 隣室、402号室。
 うずくまっていた陽南子は立ち上がろうとしてよろけた。
「おっと」
 とっさに手でクローゼットに捕まるが以前なら寸前で当たらないはずの胸に。
 そう。男子の引き締まった胸筋なら突起がなくて当たらないはずが、女子の豊満な胸。
 それも敏感極まりない先端部分がクローゼットの角に当たる。
「つっ!」
 足の小指をタンスの角にぶつけた。それよりも強烈でそして未知の痛み。
 それと不可解な感触。快感といってもいいそれが全身を駆け抜ける。
 先刻より低く崩れ落ちる。
「ちょっと? 大丈夫」
 今度はからかったりしない愛恋。
「女子特有の痛み」だからだ。
「…………なんだって、こんなに敏感なんだよ。くそが」
「女の子のお胸はそういう物よ。大切にしなさい」
「上から目線で言ってんじゃねーよ。おめーだって女になったのはオレと同じタイミングだろうがよ」
 激高する陽南子。
 しかしその声は見事なまでの少女声。
「声が大きい。そうでなくてもあんたの声は甲高いんだから、筒抜けになるわよ」
「こんなふざけた話、マンガかアニメの話だと思われるのがいいところだ」
 吐き捨てるように言う。
 本当に作り話ならいいのに、そうでない事は胸に「感じた」物が知らしめていた。
「それからいいわね。普通『女になる』って言ったらどういう意味になるかしらね?」
「どうって……あっ」
 陽南子はここで失言を悟った。
 にやにやしている愛恋。ここだけ観ていると美少女におっさんが憑依して下卑た表情になっているかのようだ。
「今日は疲れた。風呂に入る」
 半分はごまかしだが移動で疲れたのもまた事実。それゆえ本当に風呂でリフレッシュを望んだ。
 ただし何も考えてない発言でもある。
 そう。自分の今の性別すらも。

 廊下で鉢合わせする愛恋&陽南子と紗由美&寿音。
 紗由美たちの手にもバスタオルなど入浴セット一式。
「あれ。君たちも?」
「そ。これからお風呂」
 陽南子の襟首をつかんだまま愛恋が言う。
「聞いてねぇぞ。大浴場だけだなんて」
 駄々っ子のように叫ぶ陽南子。愛恋はまるで母親だ。
「マンションとかならともかく学生寮よ。みんな一緒にするにきまってるでしょうが」
 各部屋に浴室を作るスペースなどあろうはずもない。
 それに年の近い少女たちの共同生活である。
 銭湯ではないが交流の場という意味でも共同の浴室である。
「ふざけんな。オレは後で入る」
 がなり立てる陽南子。その声を聴いた寿音が挨拶すらかわしてないのに距離感の近すぎる一言。
「まぁ。まるで気の小さな美術学校の女子生徒さんのようなお声ですわ」
「なんだそりゃ?」
 寿音のぽわわんとした口調に怒気が霧散する陽南子。
「ヒナは文科系というより体育会系だよね。性知識皆無でピュアな女子柔道選手というか」
「大鎌でも振り回してそうよね」
「なんなんだ。お前ら。寄ってたかって。それに」
 初対面の少女に視線をよこす。
「ああ。紹介するよ。ルームメイトの伊集院さん」
 紗由美は二人にルームメイトを紹介した。
「伊集院寿音と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
 すぎるほど丁寧なあいさつ。育ちの良さがわかる。
「よろしくー。アタシ山本愛恋」
「加藤だ。よろしくな」
「はい。よろしくお願いしますわ。でも加藤さん。フルネームは何ておっしゃるの?」
 ごまかせなかった。
「陽南子」
 不本意ながら女性としての名を名乗る。
「まぁ。可愛いお名前ですわ。ひなこさんですね」
 間違いなく友好的な笑顔なのだが、また一人自分を女子として認識しているのかと思うと不機嫌になる陽南子。
 その表情で顔を曇らせる寿音。
「あら? わたくしなにか粗相をいたしましたか」
「気にしないで。今日は三日めだから」
 愛恋が「余計なフォロー」を入れる。
「あらあら。それはお辛いですわね」
(何の話だ?……あ!)
 それが「女の子の日」のことと悟るのに時間を要した。
 女の子になって半年以上。女子の宿命を呪ったのも一度や二度ではないが、それでも生粋の女子のようにぴんと来ない。
「それでしたら清潔にしないといけませんわね。さぁ。お風呂に参りましょう」
「ちょ、ちょっと。だからオレは後から」
 しかし三人相手では抵抗むなしく逃げられもせず、大浴場へと連れていかれた。

 こちらの建物は女子寮であるゆえにいるのはすべて女性である。
 寮母はもちろん、食堂の人員も事務員もすべて女性だ。
 だから本来なら色恋沙汰は少なくともこの建物ではない。
 そのはずが浴場の前で女子同士の濃厚なキスシーンを目撃して四人とも固まってしまった。
 赤いロングヘアの少女が緑色のショートカットの女子の唇を「奪っている」ように見えた。
 そのショートカットの少女が目を開いて愛恋たちに気が付く。あわてて唇を離す。
「おい。なんだよ? 早矢香(さやか)」
「見られてる。ツルギ……じゃない。マイ。見られてるって」
 いくら同性間のキスを目撃されたからと言って、相手の名前を間違えるほど動揺するだろうか?
 妙なところで冷静にツッコミを心中で入れる陽南子たちだった。
 キスをしていた二人の少女は、そそくさと逃げていく。
「……東京の学校ってすごいな。あんなのがいるのか」
 陽南子の偽らざる心境の出たつぶやきである。
「でもステキですわ。性別の壁を越えた愛」
「えっ?」
 発言した寿音以外の三人が硬直する。
 特に同室の紗由美は激しく。
(共学と言ってもこの女子寮には女しかいない。一人や二人レズが紛れ込んでいても不思議はないけど……まさかよりによってルームメイトが?)
 軽く打ち震える紗由美。
 前年の夏に女の子になって半年。
 それでしみじみ思ったのが「女はなにかとされる側」ということ。
 以前は自分もしていたはずの下卑た目を、男子に向けられると怖気(おぞけ)が走る。
 元々は男子だったから男子相手を拒絶というのあるが、自分が女子として性欲の対象となっているのにも恐怖していた。
 だからこそ女子寮のあるこの学校に来たのに、もしかしたらここでも。
 全く頭になかった「女に食われる」のかと考えた。
(まさかね)
「やられる側」から男に戻りたいと思っても戻れなかったので、紗由美は考えるのをやめた。

 服の扱いこそ丁寧だが、さすがに女しかいないからか。
 女子生徒たちの脱ぎ方そのものは大胆である。隠そうともしない。
 つつましいのを想像していた三人は唖然としていた。
 しかし自分たちも問題を抱えていた。
 寮生活は初めての三人。
 一緒に入浴も初めてだ。
 脱衣所で裸になって互いのそれを見る。
「改めて見ると……本当におめーら女だな」
 陽南子が腰にタオルを巻いた状態でしみじみという。
「そう言うヒナだってかなり立派なもんだよ」
 まだかろうじて男だった名残か、陽南子のEカップにつばを飲み込む紗由美。
 胸からタオルを垂らして前だけ隠している。
「ふたりとも。行くわよ」
 胸から腰にかけてバスタオルを巻きつけている愛恋が先導する。
「バスタオルは上がってからにしろ」
 引きはがそうとする陽南子。
「やめてよエッチ。女同士で裸を観たいわけ?」
 半年で完全に女子になりきっている。
 むしろ心に体が合っていた愛恋。
「はい。見たいです」
 妙に鼻息の荒い寿音。特にその視線が同室の紗由美に向いている。
(ああっ。やっぱりこの子はそっちの人だ! なんで女になってから女にもてるかな?)
 苦笑する紗由美。
「さあさあ。紗由美さん。お背中流しますよ。わたくしのもお願いしますけど」
 紗由美は肌に触れさせたくないと「女として」思ったが、柔肌に触れたいという「男の名残」の心が勝り受諾した。

 心は女の子だった愛恋でさえさすがに躊躇した女湯への突入。
 陽南子は痴漢扱いを覚悟……むしろ「望んで」いた。男である証として。
 たくさんの女の子たちが一糸まとわぬ姿で一瞬だけだらしない表情になった紗由美だが、自分まで「そっちの趣味」と見られて敬遠されてはまずいので顔を引き締めた。
「そっちの趣味」も何も元々は女子が恋愛対象なのにと心中で嘆く。
「悟」は童貞だったが、この体ではどれだけ女子が無防備でいようが童貞を卒業したくてもできない。
 童貞のまま処女になったのは三人ともだ。

 大勢の女子が発する甲高い話し声が浴室に響き顔をしかめる陽南子。
 元はスケベ少年だった紗由美だが、これだけ裸の女子がいると圧倒される。
 さすがに愛恋もこわばっていたが笑顔を作り「はぁい」と女子たちの輪に入っていく。
 その金髪に引いた女子たちだが、肌の白さと青い目に純然たる日本人ではないと考えた。
 そうなると好奇心が勝り質問攻めだ。
 女子の仲間入りに愛恋は成功した。

「さぁ。わたくしたちも。紗由美さんは最初にお湯に漬かる派ですの? それとも洗ってから?」
「あ、洗ってからで」
「わたくしもですのよ。それじゃあお互い洗いましょうね」
 連れていかれる。

 陽南子はぽつんと一人になる。
(悟のやつ、完全に「食われる側」じゃねーか。龍也は龍也ですっかり女だし)
 などと考えていたらいきなり素肌を素手で触られた。
 何とも言えない気持ちになる。
「何しやがる!」
 勢いつけて振り返ると頭一つは大きい女子が全裸で立っていた。
(でか!?)
「ああ。ごめんごめん。君は新入生?」
 茶髪のショートカット。背は高いが胸は普通かやや控えめ。
 それだけに服装によっては男子に見えそうだった。
「そうだけど……それと触るのに何の関係が?」
 痴漢されたというと女みたいだから嫌だった。
「新入生でまだ入学式すらすんでないということは当然どこの部活でもないな」
 答えになってない答え。
「そりゃそうすけど」
 どうも言い回しから先輩と思い口に気を付ける。
「背中を見て引き締まった印象があったからね。実際に触らせてもらって分かった。君はいい筋肉をしている。君を我が女子バスケットボール部にスカウトしたいんだが』
「女子バスケ?」
 頭に女子と着くのを我慢すれば体を動かすのはいい。
 少しだが前向きな気持ちになる。
 痴漢行為をされた形だが、自分は女じゃないと思っている陽南子は「女のように」騒ぎ立てる気はなかった。
「いいすよ」
 軽く了承してしまった。
「おお。ありがとう。あたしは女子バスケ部キャプテンの加藤涼子。君の名は?」
「加藤……陽南子」
 同じ苗字とあっては紛らわしいのでフルネームを名乗るしかない。
「君も加藤か。それじゃ陽南子って呼ぶよ」
 女の名前で呼ばれたくなかったものの、今の名前は確かにそれなのだ。
 そしてふと姿見に移った自分の裸身が、まごうことなき女であることを知らしめていた。
 名前で抵抗するのも無駄と思い了承した。

「ただその前にもう少し筋肉の付き具合を調べていいかい? ちょうど裸で分かりやすいし」
「はい?」
 訪ね返す意味での「はい」を「了承」と取った。
「おお。やる気だな。陽南子。それじゃ」
 加藤涼子は返事も飢餓に「触診」を開始した。
「ま、待って。そんないきなり触られて……あふんっ」
 敏感な部位を触られて色っぽい声が出てしまった。
 浴室に響き渡り注目されて陽南子は赤面する。
 もう触られているのもどうでもよくなった。

 風呂上がり。
 鼻歌交じりで髪をブローしてる愛恋。
 バスタオルを巻きつけただけで座り込んでいる紗由美。
 洗面台に手をついて荒い呼吸の陽南子と三者三様だった。
 それは考えていることもだ。

(ああ。アタシほんとに女の子になれたんだなぁ。女の子と裸で一緒にいても騒がれないし。アタシこのままずっと女の子でいたいな)

(女の子になったから男では入れないところに踏み込めるのはいいけど、これじゃ生殺しだよぉ。ボクを男に戻してほしい)

(ふざけんじゃねぇぞ。オレは絶対に男に戻る。このまま女で生きてくなんて嫌だし無理だ。オレを男に戻せ……いや。戻してください)

 そして三人は同時に同じことを思った。
「お願い。神様」と。

 女の子になることを拒絶し、男に戻ることに執着するもの。
 女の子にされて男に戻りたいとは願うが神様には勝てないとあきらめ気味のもの。
 女の子になれてまさにこの世の春と浮かれているもの。

 三人のTS娘の高校生活が始まろうとしている。


次回 Chapter02「オレが女になったなんて絶対に認めないからなっ」




後書き

 タイトル通り「城弾シアター開設20周年記念作品」です。
 以前のような連続シリーズの番外ではなく単独のシリーズです。
 三人のTS娘の三者三様の生き方を描きます。

 三人の名前ですが女子同士だけでなく、親密ではない男子にも名前で呼ばれるようにという意図で苗字はメジャーなものをチョイスしました。
 実在の人物と被るのは必然ですが、これだけメジャーだと逆に特定ではないですし。
 下の名は「子」「美」「愛」と女性を強調する字を入れることにした結果で。

 ロングシリーズは長くなるのでずれていくから時代設定はしてなかったのですが、今回は20周年記念ということもあり時代設定を2019年としています。
 そして20周年記念で「どこかで見たようなキャラ」「そっくりさん」も出てくる予定です。

 エピソードタイトルは「城弾シアター」の過去作をもじって。
 第一話は『PanicPanic』からです。
 そもそもが「PanicPanic」公開のために始めたサイトですから。

 挿入した画像はスマートフォンアプリ。
「カスタムキャスト」で作成したものです。

 過去を振り返りつつも新しいものを築いていきたいと思います。

 城弾


 キャラクタープロファイル01 加藤陽南子(かとう ひなこ)

本名・加藤日向(ひなた)

2003年8月7日生まれ

身長164センチ。
トップバスト85。
血液型 B

自己代名詞・オレ

目つきの悪さ自体は元から。
それ以外も「女になりたくない」という思いから極力女性的な振る舞いを避けているゆえに攻撃的。
着衣は体形の関係で女性服だがパンツルックオンリーでトップスもシャツを着る。

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