東日本大震災から6年、岩手県久慈市から南下、避難指示が解除された福島県浪江・富岡迄行って来ましたー。

2011年3月11日に東日本大震災が発生。そして翌3月12日には長野県北部地震が。それから6年。原発事故による避難指示のほとんどは解除になったし、被災地の復興だって充分進んでるはずじゃ?ならばやっぱこの目で見てみなくっちゃ。すると岩手には、昨年8月の台風10号が残した新たな傷跡が未だ残ってたんすから

更新日: 2017年04月16日

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久茲湾に面した高台に鎮座している。災害時の指定避難場所。
東日本大震災時には、この神社に多くの人が避難した。

岩手県久慈市での東日本大震災の津波における被害は、他の地域と比べると、比較的狭い範囲だった。金刀比羅神社で、東日本大震災時に津波が来るのを見ていたという方にお話を聞かせて貰ったが、津波は上流方面から押し寄せてきたということだった。

東日本大震災から6年。現在、久慈市の沿岸部では、津波により破壊された防波堤や橋などの工事が行われている真っ只中である。

久慈市の復興のシンボルとして誕生した「北限の海女」キャラクター。2012年11月に、名前が「こはくちゃん」に決定した。

初「まめぶ汁」!
ほんとに甘くって酸っぱくって、不思議な味っす。よくもまあこの味に決定しちゃったもんだなあって。
でも、ぼきは嫌いじゃないっす。まめぶ美味しいよまめぶ。

岩手県久慈市の郷土料理と言われている「まめぶ汁」は、旧山形村(現山形町)の8つの集落だけに伝えられてきた料理。山形村はなくなってしまったが、久慈市の活性化のためにと、まちおこし団体「久慈まめぶ部屋」が、この「久慈まめぶ汁」で町おこしを進めていこうと2011年の「B-1グランプリ」への挑戦を目指していた最中に、東日本大震災が発生。県内の多くの避難所を回って、まめぶ汁で炊き出しを行っていった。

そんなため、久慈市内でも、これまでは「まめぶ汁」を知ってる人は少なかったんすよ。市内でお話伺った方も、やっぱそれまでは全然知んなかったって。そして、例の「あまちゃん」のおかげで、地元を飛び越えていきなりの全国区の知名度に。ははは、笑うしかないっすね。その方はこうも話してくれたっす。

じぇじぇじぇなんかも言わないよ。