これに対して首相官邸は、分科会に経済界、労働界、メディアなどの代表を加えることで、医療技官・御用学者らを抑える「歯止め」にしようとしたように見受けられる。だが、問題なのは「専門家とみなされている人の科学的な提案を、政治家・経済人が無視して、権力で抑え込んでいる」という構図になっており、それを国民が目撃してしまっていることだ。
専門家とされる人たちが主張することを「おそらく正しいのだろう」と思って、その中身の詳細が分からなくても国民は黙って従ってきた。そのことは、日本のコロナ対策における「核」といっても過言ではなかった。
そんな日本の国民が、専門家を否定し、非科学的な決定をする政治家や経済人に疑問を持たずに従えるだろうか。混乱し、パニックを起こさないとは限らない。
そして、冒頭に取り上げた山中教授と西浦教授の発言は、政治家や経済人が権力で押さえつけようとすることに対する、専門家の反発のようにも思える。とはいえ、科学的根拠のない政治的発言を専門家がし始めたら、今後に大きな禍根を残すように思う。
専門性の高い感染症対策のような
政策を適切に立案するには
最後に議題としたいのが、日本の政策立案過程において、感染症対策のような専門性の高い政策を取り扱う際、どのような制度の改革が必要だろうかという点だ。「ポストコロナ」の時代を考慮し、現時点の筆者の考えをまとめておきたい。
この連載で既に論じてきたことだが、官僚組織の年功序列・終身雇用制を緩和して、研究者が官僚組織のさまざまなレベルでポストを得られるようにすることが、改革案の一つとして挙げられる(第242回・P4)。
現行の制度において官僚は、多くが東京大学などの学部卒であり、基本的にジェネラリストの行政官だ。修士号や博士号を持つ人は限られ、政策の専門性は行政の経験に基づくもの。従って、官僚が作成する政策案は、理論的というより現行制度をベースにした現実的なものになってしまう傾向にある。
これに対して米国や英国などの官僚組織は、終身雇用・年功序列ではない。研究者が、若手の頃からさまざまなレベルでのポストに応募する機会がある。省庁では、政策の原案を練るところから多数の専門家が入り、先端の研究の知見が反映されることになる。
そして、研究者は大学・研究所・シンクタンク等と省庁の間を何度も行き来しながらキャリアを形成していく。これを「回転ドア(Revolving Door)」と呼び、省庁を退官後に官僚が民間に籍を移す、日本の「天下り」と対比されることがある。