――今回のアルバム『盗作』に取り掛かったのはいつ頃のことでしょうか。
n-buna 根底の骨組みを考え始めたのは1年前くらいですね。最初にプロットを作って、そこから楽曲を作って、同時期に小説を書き始めました。
suis たしか去年の6月末くらいのときには、犯罪をテーマにしたアルバムを作ろうと思っているということは話していましたね。
――昨年にリリースされた『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』の2枚のアルバムは、ヨルシカが結成当初から積み重ねてきた表現の集大成的な作品だったと思います。『盗作』のモチーフやアイディアと前の作品に繋がりはないですが、新作にはどこか共通するムードのようなものも感じます。このあたりはどうでしょう?
n-buna ヨルシカの根底にある芯みたいなものを外さない作品集だとは思っています。別れや喪失感のようなものを根底に据えて、夏の雰囲気と一緒にアウトプットしている。そういう一貫した匂いみたいなものはずっと作りたくて。今回もそういうヨルシカらしい空気感を残しつつ、全く新しいコンセプトに取り組んだ。そういう作品になったと思います。
――『盗作』は「音楽の盗作をする男」を主人公としたコンセプトアルバムですが、このアイディアはどういうところから生まれたんでしょうか。
n-buna 次に何を作ろうかを考えたときに、まずあったのが、ヨルシカへの破壊衝動だったんです。今までやってきたこと、つまり、今言ったような「夏の空気感を重視して、別れや喪失を綺麗に煮詰めて抽出したような音楽」というヨルシカ自体への認識を、まず壊したかった。綺麗なものって、壊したくなるじゃないですか。今までずっと綺麗に作ってきたものを、わざと一度バラバラに分解したいという破壊衝動があった。だったら、人が眉をひそめるようなものを作ろうと思った。まずあったのはそれですね。
――人が眉をひそめるようなもの、というのは?
n-buna 音楽のタブーとされているものって、一番大きなものが盗作だと思うんです。多くの人が作品に対して「オリジナリティがある」ということを、ひとつの大きなアイデンティティのように思っている。僕はそれが今の時代においては、すごく白々しいと思っているんです。そういうものに対してのカウンターパンチを、ヨルシカというものを巻き込んで放ちたかった。僕の価値観としては、犯罪というものをテーマにして、盗作家の男が作った作品集でさえも、それは一つの美しい作品集になると思った。だからこそ作ったというのはあります。
――小説の執筆と楽曲制作は同時進行で進めていったんでしょうか?
n-buna そうですね。最初にアルバム全体のテーマとプロットを考えて、そこから楽曲ではこの部分を表現しよう、小説ではこのシーンを書こうと考えて、それぞれを作っていきました。そのうえで、どちら単体でも楽しめるようなものを意識しました。
――ヨルシカでは小説というアウトプットは初めてですが、n-bunaさんはこれまでも小説という表現に取り組んだことはありましたか?
n-buna 何回かは書いていました。ただ、『エルマ』の日記帳や、『だから僕は音楽を辞めた』でのエイミーの手紙も、言ってみれば小説的なものですよね。だから、形式は違いますけれど、今回は小説として出してもいいんじゃないかと思って書きました。
――『エルマ』の日記帳や『だから僕は音楽を辞めた』の手紙って、余白のある表現だと思うんです。断片としての文章であるから、そこからいろんな人が想像力をふくらませる余地がある。そういうものと違って、小説は情景描写も必要ですし、それ単体として物語として成立する必要がある。そこの違いはありましたか?
n-buna だからこそ小説は楽曲と別のところを補完するようにしたんです。男が音楽を実際に盗んでいるところとか、アルバムの楽曲を書いているところを直接的に描写すると、楽曲に余白がなくなってしまうので。
――小説を音楽にした、もしくは楽曲をノベライズしたということではなく、主人公の男の人生やその物語を、楽曲と小説がそれぞれの角度で切り取っているということでしょうか。
n-buna そうです。だから、今までのヨルシカと同じように、音楽だけを聴きたい人はそれだけで聴いていいと思います。それもひとつの美しいあり方だと思うので。小説を読まなくても音楽には影響がない。でも、そこから背景が知りたい人は小説を読むと、これを作った盗作家の男についての理解が深まる。それは僕たちにもつながってくるものだし、作品についてもっと深く知りたかったら、こういうインタビューを読むというのもある。そういうことを選べる状況にしたかった
――「花に亡霊」と「夜行」の2曲は、アニメーション映画『泣きたい私は猫をかぶる』の主題歌や挿入歌に選ばれています。いろんなアーティストがこうしたタイアップを手掛けていますが、今回のヨルシカの場合は特殊な難しさがあると思うんですね。『盗作』というアルバムの物語の中の表現でありながら、別の映画の主題歌としても機能する必要がある。それはとても難易度が高いことだと思ったんですが、そのあたりはどうでしたか?
n-buna 自由にやれることが前提だったんです。最初から『盗作』というアルバムを作るのが決まっていたので、映画のスタッフの方との打ち合わせでも、アルバムのコンセプトがあってその中での一曲になるということを先に伝えていました。なので、映画に寄せることをあまりしないというのは前提としてあって。アルバムの中で、初夏の空気感を持った曲を最後に持ってくることが決まっていた。そういうものがハマればいいなという感じでした。
――映画のストーリーやテーマを汲み取って主題歌を書く例は多いですが、「花に亡霊」と「夜行」に関しては、映画の制作側にもあくまで『盗作』のストーリーの中の曲だというのを伝えた上で作っていった。
n-buna そうですね。そのときにはもう「花に亡霊」や「夜行」のデモがあったんですけれど、僕としては『盗作』のコンセプトを崩す気はなくて。僕が盗作家の男の作品としてアウトプットしたものが、一つの『盗作』という作品としてある。そのなかの曲が『泣きたい私は猫をかぶる』という映画の主題歌になって、それが上手くぶつかり合って調和する。映画の中で流れても違和感のないものになる。そういう状況になるなら、いいものになると思ったんです。僕はそれが成立すると思ったし、その確信があった上でやりました。基本的には、どういう場所で使われていようが、どういう作品と一緒になっていようが、音楽の価値は変わらないと思ってるので。この曲が映画の世界を広げる手助けになっているなら、それはとてもいいことだと思います。
――聴いた印象としては、とても不思議な感覚でした。『盗作』と『泣きたい私は猫をかぶる』はまったく違う物語ですが、「花に亡霊」という曲は、どちらの着地点にもなっているように感じます。
n-buna 「花に亡霊」は、ただただ美しいものだけで構成した曲を作ろうと思ったというのがそもそもの始まりなんです。綺麗な言葉と、綺麗な情景と、綺麗なメロディだけを詰め込んだ、深い意味のない、ただただ綺麗なだけの曲を作ろうと思っていて。こういうことを言うとマイナスに捉える人もいると思うんですけれど、僕はそれが成立すると思っています。たとえば、ただ綺麗なだけの夕陽に人は感動するじゃないですか。そういう美しいものを作りたかった。あの曲って、情景もメロディも音使いも、夏の匂いというものをただ表現しただけの曲なんです。それだけの曲なんですけれど、だからこそ、いろんなところにハマるんだと思います。
――アルバムではsuisさんのヴォーカルの表現力も印象的でした。特に低い歌声が素晴らしかったです。
suis 以前、ライブが終わったあとにn-bunaくんが「君の低い声が好きだから、次はそういう声で歌える曲をいっぱい作りたい」ということを言ってくれたんです。私自身、もともと声が低めの人間なので、今回は自分の音域をフルに使えたと思います。今までのヨルシカでは低い声で歌うことはあまりなかったんですけれど、使えるけど使わなかった部分を出せる曲をn-bunaくんが沢山作ってくれた感じですね。
n-buna 特に「昼鳶」や「思想犯」はsuisさんのヴォーカルがめちゃくちゃいいですよね。「思想犯」はアルバムの中で僕が一番好きな歌かもしれない。ゾッとする感じが出ていて、ちょっと怖いくらいの無感情な感じがとても好きです。
――今回のアルバムは永戸鉄也さんがアートワークを担当されています。コラージュで表現されたジャケットにもアルバムのコンセプトとリンクするところを感じましたが、永戸さんにお願いした経緯は?
n-buna 僕はそもそも永戸鉄也さんの作品がとても好きで、今回の『盗作』というテーマにしようと思ったときに、この人しかいないと思ったんですね。永戸さんは、いろんな写真や素材からコラージュして、今まであった作品をバラバラに切り取って、それを組み合わせた結果としてオリジナルの作品を作り上げる天才だと思います。それは『盗作』というテーマにも通じる。だからこそ、この人しかいないと思ってお願いしました。
――音楽におけるオリジナリティの問題に関しては、特にポップ・ミュージックの分野のほうが前景化しやすいですよね。たとえばクラシックには古典があるし、ジャズは一つのルールに則って即興をする。そういうフォーマットのある音楽に比べて、今のポップスというのは、表現者自身と表現が結びついて語られる傾向がある。そのことによってオリジナリティに重きを置く風潮が強まっている。そのあたりはどうでしょうか。
n-buna そうですね。まさにそういう感じだと思うんですけれど、僕のなかで思っているのは、そもそもメロディに関していえば、ポップ・ミュージックという枠組みの中ではオリジナリティというものは存在しないと思っているんです。今の世の中に生まれているメロディは、音楽の歴史の中ではどこかで流れたメロディである。もはや全てのメロディは十二音の音階の中でパターン化されて出尽くしている。それでも僕は表現方法までは出尽くしていないと思っていて。メロディの動きだけじゃなく、歌詞や楽器や構成のような複合的な要素が組み合わさった中で、偶発的な美しさがそこに生まれると僕は思っているんです。それこそがいまだ芸術の神様が見つけ出していない、今の我々にしかできないオリジナリティとしての表現だと思います。だからこそ僕はこのテーマをポップ・ミュージックの中で書きたかったんです。もっと難解な音楽を作ってオリジナリティを保とうとするのではなく、ポップ・ミュージックの枠組みの中でこういうものを出そうと思ったというのはあります。
――『盗作』に収録された楽曲には、「月光」や「ジムノペディ」のフレーズが使われていたり、さまざまな部分で引用がありますよね。「盗作家が作った音楽」というコンセプトの部分と、作曲の手法が密接に結びついているやり方だと思ったんですが。どうでしょうか。
n-buna 僕が実際に『盗作』というアルバムでその手法を用いたかどうかですよね。この小説の男と同じように、実際に名曲のメロディを組み替えたり、コードの流れを盗んで音楽を表現したかどうか。そのことに関して、僕は何も言わないつもりです。もちろん、「月光」や「ジムノペディ」のフレーズを使ってわかりやすくクラシックの曲を引用しているところはあるんです。それはサービスしている部分であって、他の部分がどうかは触れないつもりでいます。小説の中で書いているのは情報の一つでしかないわけですよ。本人がどう作ったかは、音楽の作品としての価値にはまったく影響がない。でも、聴いた人が「盗んだんじゃないか」「盗んでいないんじゃないか」という作品の価値とまったく関係のない不毛な議論を繰り広げるのは自由です。むしろ、僕はそれを眺めながら楽しんでいます。そうやって、盗作という作品を見た人の反応を見るために、この作品を作ったので。
――そうしたことも含めて、『盗作』というアルバムは、オリジナリティや創作ということについての根源的な問い掛けを含むような作品にも感じます。そのあたりはどうでしょうか。
n-buna いや、問い掛けという意志は全くないですね。常々言っている通り、僕は自分が気持ち良くなれればそれでいい。他人の為に作品なんて作ろうと思わない。なので今回も自分が美しいと思う表現をした。たとえ人が眉をひそめるようなテーマであっても、こういうメロディに乗せて作品にすれば美しく描けるんじゃないかと思った。そんな音楽を作ってみたかった。それに尽きますね。