尊厳死の議論が後退する
今回のALS嘱託殺人事件の報道を見て、もしかしたら日本における尊厳死の議論が後退してしまうのではないかと心配になった。
2人の医師は患者の主治医ではなかったし、130万円という報酬も受けている。過去の発言も過激で、これでは多くの人の理解や共感は得られないのではないかと思ったのだ。
医学において生命の倫理は最も重い課題だ。心臓が止まっていない患者から臓器を摘出して他人に移植する臓器移植についても、「事件」が繰り返されてやがて合意が形成された。
石原慎太郎さんが語った「介錯の美徳」
今回の事件もその一つになるのかなと思ったのだが、安倍首相はじめ政権はこの件にタッチせず。立憲の枝野代表に至っては「安楽死事件ではない」と述べてこの事件を安楽死や尊厳死に関連付けて議論すべきではないとの認識を示した。
維新だけが「尊厳死の法整備の議論をすべき」と言っているのが気になっていたら、石原慎太郎元東京都知事が「武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ」とTwitterで発信し、さすが慎太郎さんと感心した。
亡くなった林優里さんは主治医に対し「死ぬために栄養を減らしたい」と、安楽死を求めていたことが明らかになった。これに対し主治医は「自殺ほう助にあたるためできない」と断ったという。
この話を聞いて3年前、91歳の父が亡くなった時のことを思い出した。栄養剤の投与など延命治療を考えてくれた医師に「苦しませたくないのでもうやめてください」と頼んだ僕は父を殺したのだろうか。
元読売新聞記者の中村仁氏がウエブサイト「アゴラ」に「安楽死に厳しく児童虐待に甘い警察」というコラムを寄せていた。
逮捕された医師に対する「嘱託殺人」という語感はきつく、「自殺ほう助」に近いのではないか。一方の児童虐待は、親にすがって生きていくしかない幼い命を、その親が虐待死させる。遺棄致死でなく本来なら遺棄殺人だ、と中村氏は指摘している。
医師二人は裁判で戦え
我々には生きる権利があるが死ぬ権利もある。
医師二人の致命的な失敗は、薬を投与した後、こそこそ逃げ出したことだ。そうではなくそこにメディアを呼び記者会見をして「我々は尊厳死を手伝った」と言うべきだった。そして自ら警察に出頭すべきだった。
臓器移植が認められずまだ非合法だった頃、欧米で推進派の医師たちは逮捕されて裁判で自分の意見を主張し、最終的に合法化させた。石原慎太郎さんは「裁判の折り、私は是非とも医師たちの弁護人として法廷に立ちたい」とも投稿している。二人には是非裁判で堂々と自らの主張を述べてもらいたい。それが日本の尊厳死の議論を進めることになる。
【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】