ほぼ日刊イトイ新聞

2020-07-30

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・そういえば、ゲームをやっているときに、
 なにかで行き詰まってしまって、ここは
 「リセットボタンを押してしまおう」と判断するときと、
 いや「リセットせずにこらえよう」というときと、
 どっちもあるものですよね。
 苦しい状況になってリセットボタンを押すことを、
 なんとなく卑怯かもしれないと思うこともあるし、
 これはゲームなんだから自由にリセットしよう
 という考え方だってあるわけで、
 ほんとは、ほんとにどっちでもいいわけです。
 ちょっとリセットボタンを押したら、
 行き詰まりの状態をなかったことにして、やり直せます。
 押さなかったら、悪い状況のハンデを抱えて、
 苦しいけれど達成感のある道を目指すゲームになります。
 性格にもよるのでしょうが(しつこいようですけれど)
 ほんとうにどっちでもいいのです。

 どこかで、ぼくらは教えられてもいないのに
 「人生にリセットボタンはない」と思い込んでいて、
 ゲームでじゃんじゃんリセットボタンを押してると、
 生きることの途上でも「気軽にリセットできる」という
 甘い考えを持ってしまうのではないか? 
 そういう心配をしているように思うのです。
 実を言えば、ぼく自身も、
 ちょっとそういうところがあります。
 でも、やっぱりそれは「考えちがい」でしょう。

 リセットボタンを押すことで、それまでに稼いだ得点も
 失うのを承知で、行き詰まり前の状況まで戻すわけです。
 ある意味、対価も払っているとも言えます。
 やり直してもいいルールなのだから、やり直してもいい。
 ただそれだけのことなのだと思います。
 さらに「人生にもリセットボタンはある」んじゃない? 
 それが、どういうものなのかは、いろいろでしょう。
 引っ越すだとか、組織を抜けるとか、別れるとか、
 止めるとか、引き返すとか、時と場合でいろいろです。
 リセットボタンもついているのが、ゲーム機です。
 そして、リセットの権利があるのが人生だと思うのです。
 うまいプレイヤーで、リセットボタンを押さない人は、
 たぶん、ほとんどいないんじゃないかなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
気持ちよく打席に立てる、その数が多いほどヒットも出る。


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