「汚職」と聞いてなにを想像するだろうか。政府高官や公務員の不正行為、資金流用、横領などなど。しかし、汚職は決して国内でおさまるものばかりではない。ペーパーカンパニーとタックスヘイブンを通して資金が国境を越え、それも想像をはるかに上回る数の人々、企業、国を巻き込み、莫大なお金が世界中を動き回っているのだ。そのような中、「世界最悪の汚職」とも呼ばれる不正が2009年から2014年にかけてマレーシアで起こっていた。ここ数年、疑惑の的となってきたマレーシアでの汚職は政府、特にナジブ・ラザク(Najib Razak)前首相の大きなスキャンダルとなった。ナジブ前首相は2018年7月に起訴され、2019年4月に最高裁判所にて初公判が行われた。
ナジブ・ラザク前首相(World Economic Forum/Flickr [CC BY-NC-SA 2.0])
この事件は、マレーシアの前首相とその家族や側近だけでなく、米金融大手ゴールドマンサックスからドイツやスイスの銀行、ハリウッドの映画俳優などまでもが巻き込まれることとなる。有名なハリウッド映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の制作にも不正流用された資金が充てられていたというのだ。皮肉にも汚職や法に触れる荒稼ぎのビジネスを描く映画であった。マレーシアでの汚職がなぜ、どのように世界中に影響しているのか?その実態を探っていく。
「世界最悪の汚職」
まず、今回の汚職の全体像を見ておこう。事の発端は2009年。首相に就任したナジブ・ラザクが政府系投資会社1MDB(1Malaysia Development Berhad:1マレーシア開発株式会社)を設立した。1MDBは、首都クアラルンプールを東南アジア経済の中心として活性化させることを目的としている。しかし、国内産業の振興、多角化を建前としながら、実際には資金の流用・横領が行われていたのだ。マレーシア、シンガポール、セーシェル、イギリス領バージン諸島などにペーパーカンパニーをつくり、税金においてはゆるく、会社の秘密においては堅いタックスヘイブンを利用していた点も特徴的だ。お金の動きと行方をわかりにくくさせるために資金をこれらのタックスヘイブンを経由させ、動かす回数を必要以上に増やしていたのである。不正資金にいくつもの口座を転々とさせ、正当な資金のように見せるため「洗浄」するマネーロンダリングが行われたのだ。
汚職の資金源となってしまった1MDBから不正に流用された金額は2009年から2014年の間に45億ドルにのぼり、様々なアクターにより高級品、高級マンション、名画の購入などに使われてしまった。ナジブ前首相はそのうちの7億ドル近くを横領したとされる。今回の汚職事件関連で42もの刑事裁判に問われている。そのほか、ナジブの妻ロスマ・マンソール(Rosmah Mansor)、資産家ジョー・ロー(Jho Low)、ゴールドマンサックスの元行員などが起訴され、スイスやシンガポール、アメリカなどの銀行も捜査を受ける事態となっている。数多くの国(そのうちの多くはタックスヘイブン)、数々のペーパーカンパニーや銀行、金融会社、映画制作会社など、非常に多くのアクターが関わっているのだ。
不動産関連の契約を結ぶ1MDB(Bernardyong [CC BY-SA 4.0])
汚職の経緯:4つの段階
アメリカ合衆国司法省によると、この流用・横領が行われた約5年間(2009~2014年)を4つの段階(フェーズ)に分けることができるという。それぞれ、「グッドスター・フェーズ」(Good Star phase)、「アーバーBVI・フェーズ」(Aabar-BVI phase)、「タノレ・フェーズ」(Tanore phase)、「オプションズバイバック・フェーズ」(Options Buyback phase)である。順番に見ていこう。
①グッドスター・フェーズ(Good Star phase):2009〜2011年
2009年7月に1MDBが設立され、その直後の9月、1MDBはサウジアラビアのエネルギー会社ペトロサウジ・インターナショナル(PSI)と共同でジョイントベンチャーを設立した。ペトロサウジの持つ特許を活用することが目的であった。しかし、1MDB側の出資金10億ドルのうち7億ドルがグッドスターというセーシェルの会社に流れたのだ。この会社を所有するのはマレーシアの資産家ジョー・ローという人物。彼は1MDBの設立にも関わっており、ナジブ首相やその周辺人物との親交があった。グッドスターはそもそも、資金流用のための会社であり、その後も1MDBからグッドスターへの資金の移動があった。流用された資金はエリック・タン(Eric Tan)(のちにジョー・ローだと判明)名義の銀行口座に送られたのである。また、Malaysian Official 1(MO1)という名義の口座にも送金があり、のちにMO1がナジブ首相であることが明らかになった。その後もグッドスターからの資金流出は続き、スイスの銀行や様々なペーパーカンパニーを経て、高級品、自家用ジェットの購入、不動産への投資や、音楽会社の株の獲得などに充てられた。ジョー・ローの父、ラリー・ロー(Larry Low)も流用に関わっていたとされる。
②アーバーBVI・フェーズ(Aabar-BVI phase):2012年
2012年、1MDBは国内のエネルギー資源獲得のために35億ドルを集め、債券を発行したが、そのうちの約14億ドルが不正に流用された。この債券発行をゴールドマンサックスが相場をはるかに上回る手数料(下記のタノレフェーズと合わせて6億ドル)をとって引き受けており、ゴールドマンサックスの職員も横領に関わっていたとされる。
この時期に1MDBとの協定を経て暗躍するのがアラブ首長国連邦のアブダビにあるアーバー(Aabar)という会社だ。アーバーはアブダビの石油投資会社IPICの子会社である。この協定によって得られた収益は、すぐにアーバーBVI(Aabar-BVI)というバージン諸島にある信託会社に流れる。そして、その資金はペーパーカンパニーを通じて、エリック・タン(ジョー・ロー)の所有する会社に流れ着く。ここで、当時アブダビのこれらの会社の重役であったカデム・アルカベイジ(Khadem Al-Qubaisi)、モハメド・アルフセイニ(Mohamed Al-Husseiny)という二人の人物が浮かび上がる。ジョー・ローの会社から、さらにこの二人がそれぞれ所有する会社に送金がなされ、ビバリーヒルズの高級マンション購入などに使われた。また、MO1(ナジブ)や1MDBの職員だったジャスミン・ルー(Jasmine Loo)の元にも資金が流れ、こちらもアメリカのマンション購入に充てられた。
別のところでは、アーバーBVIからナジブの義理息子リザ・アジズ(Riza Aziz)の所有する映画会社レッド・グラニット・ピクチャーズ(Red Granite Pictures)に2億ドル以上が流れ、これが『ウルフ・オブ・ウォールストリート』を含む3つのハリウッド映画の制作に使用されたのだ。さらにリザはペーパーカンパニーを経由しての高級マンションの購入やカジノ、映画ポスターの制作にも資金を使った。グッドスターからもジョー・ローやラリー・ローらに資金が流れ、ジョー・ローの母へ宝石が贈呈されるなどの出来事があったとされる。また、2018年に、ゴールドマンサックスは債券発行に関連して元行員を含む4人がマレーシアやアブダビの高官に賄賂を渡したとして起訴された。
ゴールドマンサックスのタワー アメリカ ニュージャージー州(Wally Gobetz/Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
③タノレ・フェーズ(Tanore phase):2013年
2013年、1MDBは新たなプロジェクトを始めるために再びゴールドマンサックスへの受託により3億ドルの債券を発行したが、約1億ドルがタノレ(Tanore)という会社名義のシンガポールの口座に送られていた。タノレもまたエリック・タン(ジョー・ロー)の所有する会社だ。2013年3月に、タノレからナジブの個人口座へ6.8億ドルが流れた疑惑があるが、ナジブはサウジアラビアの王家からの個人献金であると主張し、そのうちの6.2億ドルは返金したと述べている。しかし、この6.2億ドルはふたたびタノレに送られ、ペーパーカンパニーを通して彼の妻ロスマの高級ネックレスが購入されたという。ほかにもタノレから多くの資金がジョー・ローの元へ行き、ジョーは高級品や絵画を購入した。これらの高級品がモデルのミランダ・カー(Miranda Kerr)や俳優のレオナルド・ディカプリオ(Leonardo DiCaprio)などの有名人に贈呈され、ハリウッド界をも巻き込むことになった。そのほか、今回はラリー・ローだけでなく兄のロー・テック・ジャン(Low Teck Szen)も不正に関わっている。
④オプションズバイバック・フェーズ(Options Buyback phase):2014年
2014年、1MDBはアーバーの収益獲得のためにドイツ銀行(Deutsche Bank)から10億ドルのローンを組む。しかし、そのうちの8.5億ドルがアーバー・セーシェル(Aabar-Seyshelles)という会社やアーバーBVI(どちらもモハメド・アルフセイニが重役)に送られた。続いて、そのローンはペーパーカンパニーを通してMO1(ナジブ)とその妻ロスマやジャスミン・ルーのもとへ舞い戻る。同じように、ジョー・ローも多くのペーパーカンパニーを経由して洗浄された資金を手に入れ、ふたたびミランダ・カーにジュエリーなどを贈呈した。ミランダ・カーやレオナルド・ディカプリオは、今回のスキャンダルが浮上した際に贈呈品を返還している。
マレーシア国内の状況:裁判の行方
一連の事態を受け、マレーシアの国民の間ではナジブ前首相に対する反感が高まり、デモに至ったこともある。2018年5月の選挙ではナジブに代わりマハティール・ビン・モハマド(Mahathir bin Mohamad)氏が首相として当選したことにも世論が反映されているだろう。執筆現在、ナジブと妻は出国を禁じられているが、本人は裁判でも潔白を主張している。実はこの裁判は何度も延期されており、ナジブはどうにか判決を先延ばしにしたいのではないかと言われている。その真意は、政界に戻り、その権力をもって罪をもみ消して検察に罪状を取り下げさせたいというところにあるのではないか。この復活に向けてなのか、世論における好感度をどうにかして上げるために、家族と一緒にミュージックビデオを収録して、YouTubeで流すなどの策をとっている。というのも、類似の汚職事件においてマレーシアやシンガポール、タイ、インドネシアなどの東南アジアの国々では政府高官は在職中には罪に問われず、うやむやにされ免責になることが多い。裏を返せば、今回の裁判は、司法機関、プロセスへの期待という点で、周辺の国々からの注目の的となっている。現首相マハティールもナジブの罪を徹底的に追及する姿勢だ。
マレーシアの反汚職委員会(Uwe Aranas/Wikimedia Commons[CC BY-SA 3.0 ])
また、2015年にウォールストリートジャーナル紙が、内部告発者からのリークにより7億ドル近くがナジブの個人口座に流れていたことを報じた。これによりデモが発生したことを受け、ナジブは内閣改造を行って反対勢力を締め出し、政府批判をするジャーナリストらの逮捕や、不正疑惑を報じた経済紙の発刊禁止を決行したことがある。しかし、このようにメディアが事実を報じて人々に知らせることによって、世論が選挙結果を左右したり、今回の裁判を後押ししたりする側面がある。政府の不正や腐敗を明らかにし、良い方向に修正していくための足掛かりとしてのメディアの重要性をいま一度考えさせられる。
グローバルな汚職
結果的に1MDBは約130億ドルもの借金を抱えていることになった。今回のマレーシアの汚職は、たまたま大きな事件として注目されたが、汚職のグローバル化を示すひとつの事例にすぎない。国境を超えた汚職の事例は無数にあるのだ。汚職や横領は決してその国だけの政治家やその側近だけの問題ではなく、世界の金融システムの緩い規制やタックスヘイブンを利用し目くらましをすることで、大手金融会社、銀行やその職員がこのお金の動きを可能にしている。流用金額や関係者の数が膨れ上がるのは、資金がグローバルに移動しているからなのである。今回の事件を踏まえ、マレーシアをはじめ起訴されている各国での汚職に対する決意が試されている。同時に、この事件を、世界全体を結ぶ金融システムのあり方を考え直すきっかけとする必要があるだろう。
※1 本記事の4つのフェーズを表す図は、"$tolen" 1MDB funds: The DOJ lawsuit revisited (Lee Long Hui)を元に作成。これらの図は簡略化したものであって、実際はより複雑でより多くのアクターが関係している。
ライター:Madoka Konishi
グラフィック:Kamil Hamidov
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文字通り、「汚い」事件ですね。
この汚職がうやむやにされぬよう、司法と市民が汚職に関わった人々をしっかりと裁くことを期待します。
文中にもありましたがここでメディアの監視による抑止力が重要なポイントだと感じました。
最近ではいろんな国で知る権利や通信や報道、表現の自由を脅かしたりする法案が見え隠れしつつあります。(つい最近だとシンガポールがやばそう)
このような権力の濫用を裁き抑止する正義が、世界共通の財産として根付くのはいつだろうと夢見るばかりです……
汚職には想像以上に沢山のアクターが関与しているのだなと思いました。これほど越境的にお金が動いていると一国の努力だけでは改善ができないので、根本的解決は難しいように思います。汚職に関わっている他国企業を起訴したりってできるのでしょうか?
これほど多くのアクターが複雑に関与している事件が実際に存在すること自体に驚きました。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のこともとても皮肉だなと思いました。タックスヘイブンやペーパーカンパニーのことについてもっと知りたいです。
汚職はいずれ発覚するのに、イメージ第一なはずの政治家たちばっかりが汚職に関わる理由が理解できないです。
これほどの汚職事件が一定期間ばれなかったことに驚きでした。
タックスヘイブンなどを利用して世界規模でお金が動き、世界規模で汚職が行われていて驚きました。世界規模でこうした汚職が行われないように一国だけでなく世界的なシステム構築の必要性を感じました。
様々なアクターが上手く機能して、これほど複雑に絡まった汚職が成立していたことがすごいなと思った。
「グローバル化」がうたわれる現代社会ですが、弊害としてこのような世界規模の金融の流通による汚職も挙げられるなと気づかされた。
世界には貧困や環境問題、教育問題などまだまだ解決されなければならない問題が山積みなのに、その問題を目の前にしてこのような事件が起こっていると思うととても悲しい気持ちになる。