六衛府@yukin_done·23時間大韓帝国は日本とロシアを天秤に掛け、ロシアに傾倒していく中で、日本は韓国の独立を前提に富国強兵を提案し、侵略を受けないように期限付き保護国化にしようとしていたことが当時の伊藤公のメモからも明らかです。一方民衆はロシアが日韓共通の敵である認識で、ねじれがあったと言えるでしょう。6166442
六衛府@yukin_done·8時間朝鮮における日本の権益はすでに日英同盟が結ばれ、日仏協定、桂・タフト協定のほか、ポーツマス条約でも朝鮮の取り扱いについて、列強各国承認の中で日本が優先権を得ていた(朝鮮の人々には厳しい表現だが、これが20世紀初頭の世界常識)ことから、伊藤はロシア南下脅威を恐れなかったのかも知れない。13492
六衛府@yukin_done第二次日韓協約が日韓両政府間で締結された後、高宗は世界平和会議開催中のハーグに密使を飛ばすという行為に出る。この密使とやらを大阪毎日新聞が取材しており「彼等は晩餐五十銭位の安旅館に宿泊せる位の者にて頗る貧しき有様なり」と報じている。画像は7月9日付の同社社説内容。怒りに満ちている。午後0:51 · 2020年7月29日·Twitter Web App24 リツイート75 いいねの数
はる@02/23ふかや→板橋→津山加茂→春日部→東根→富士登山競走@ueharu504·8時間返信先: @yukin_doneさん長いものには巻かれろ 寄らば大樹の日和かな ちょっと違うかな。 こんな事大主義から抜けられなかったから日本とロシアを天秤にかけたんですかね。 それにしても、外交センスの無さは昔も今も変わらないという感じがしてしまいます。112