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カルメン・マキ(旧本名:MakiAnnetteLovelace)
1951年5月18日生まれ (69歳)

歌手ロックミュージシャンである。日本国籍を取得するまでの本名はMAKI ANNETTE LOVELACEであったが、現在の本名は非公表。

カルメン・マキと最近比較されたキーワード

越路吹雪  B'z  Char  カーマイン・アピス  中森明菜  

1951年5月18日生まれ
16歳1968年、私立香蘭女学校高等学校を2年次で中退。【来歴】
イラストレーター役者になろうかと考えていた時期に、詩人の寺山修司が主宰していた劇団「天井桟敷」の舞台『青ひげ』にたまたま友人に連れられていった。その舞台に感銘を受けた彼女は即入団を決意。同じ年の8月に新宿厚生年金会館での「書を捨てよ町へ出よう」が初舞台。この時、CBSソニー関係者の目に止まり、歌手契約。芸名の「カルメン・マキ」は舞台の練習中にたまたま思いついたもの。【来歴】
17歳新平四郎危機一発 第6話「まぼろしの女」(1969年TBS【主な出演作品】
1969年(昭和44年)/第20回 初 時には母のない子のように 04/23 アイ・ジョージ【主な出演作品】
1969年 EP SONB-76006 A1 かもめ 寺山修司 和田誠 八木正生【ディスコグラフィー】
1969年 EP SONB-76009 A さらばサチオレーシング・ドライバー 福沢幸雄の光と影 安藤紘平 山本幸三郎【ディスコグラフィー】
1969年に「時には母のない子のように」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。【来歴】
1969年2月21日 CBSソニー EP SONA-86024 A 時には母のない子のように 寺山修司 田中未知 山屋清【ディスコグラフィー】
18歳1969年7月 EP SONA-86042 A 山羊にひかれて 寺山修司 田中未知 山屋清【ディスコグラフィー】
1969年10月 EP SONA-86068 A 私が死んでも 寺山修司 田中未知 山屋清【ディスコグラフィー】
1970年 EP SOLB-34 A あなたが欲しい 林亜湖 山路進一 山屋清【ディスコグラフィー】
1970年、写真集『篠山紀信集 NUDE』(篠山紀信)でヌードを披露。【来歴】
そのLP盤の中にジャニス・ジョプリンがあった。それを聴いたマキは衝撃を受け、1970年に突然のロック転向を表明する。【来歴】
1970年2月 EP SONA-86092 A 東京はみなし児 Town Of Orphans いまいずみあきら 郷伍郎【ディスコグラフィー】
19歳1970年6月 EP SONA-86116 A ノイジー・ベイビー クニ河内【ディスコグラフィー】
1970年8月 EP SONA-86145 A 想いでにサヨナラ【ディスコグラフィー】
あらかじめ失われた恋人たちよ - 自閉症の女役(1971年日本アート・シアター・ギルド【主な出演作品】
直後近田春夫(のちにハルヲフォンを結成)、立川直樹らと「カルメン・マキ&タイムマシーン」と言うバンドを結成するが、すぐに解散。その後さまざまなバンドがバッキングについたが、最終的には当時の実力派バンドであった、ギタリスト竹田和夫率いるブルース・クリエイション(第2期)に落ち着き、1971年にコラボレーション・アルバムである『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』を発表。【来歴】
それまで黒人霊歌を基にしたフォークなどを歌うシンガーから、女性ロッカーへとイメージ・チェンジをした。【来歴】
20歳1972年には当時18歳であったギタリストの春日博文らとともに「カルメン・マキ&OZ」を結成。【来歴】
メンバーは、春日博文(ギター)、鳴瀬喜博(ベース、後にカシオペア加入)、樋口晶之(ドラムス、のちに竜童組)。【来歴】
22歳しかし、こうした地道な活動が実を結び、1974年ポリドールからシングル「午前一時のスケッチ」でデビュー。【来歴】
23歳1974年12月 ポリドール EP DR-1904 A 午前1時のスケッチ 加治木剛 OZ【ディスコグラフィー】
1975年1月にはファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリース。【来歴】
このアルバムに収録されている約12分にも及ぶ大作「私は風」は、のちにさまざまな歌手、ミュージシャンにカバーされ、その中でも特に中森明菜のものが有名である。なお、この録音前後にマキと春日以外のメンバーが総入れ替えとなっている。ドラムは西哲也、古田宣司の1stアルバム参加を経て、内藤正美が1975年末まで在籍。【来歴】
ベースは千代谷晃を経て、1stアルバム録音の後から、後期OZの音に決定的影響を与えた川上茂幸に替わった。【来歴】
1975年5月ジェフ・ベック・グループグランド・ファンク・レイルロードの来日公演のオープニング・アクトを務める。【来歴】
24歳1975年7月25日 日本コロムビア/DENON LP CD-7142【ディスコグラフィー】
1976年アメリカ合衆国ロサンゼルスでセカンド『閉ざされた町』を4か月かけて制作。【来歴】
ファーストに引き続き「閉ざされた町」や「火の鳥」といった大作路線を継承しながらも風格を漂わせたものに仕上がっている。「閉ざされた町」でドラムを担当したのは久藤賀一。【来歴】
25歳1977年の10月18日新宿厚生年金会館でのステージを最後に解散。【来歴】
その年の12月にはサードアルバム『III』を発表。前2作とは打って変わってポップな楽曲が並んだ。また解散の翌年8月にはシングル盤として「私は風」、そして10月の解散ステージと同年5月の日比谷野外音楽堂のライブ音源を収録した『ライヴ』がリリースされている。『III』『ライヴ』録音時のメンバーはマキ、春日、川上、武田治 (Dr)、川崎雅文(川崎真弘)(Kb) であった。【来歴】
26歳1977年6月 キティレコード EP DKQ-1013 A 空へ 加治木剛 春日博文 カルメン・マキ&OZ【ディスコグラフィー】
27歳1978年8月1日 EP DKQ-1040 A 私は風 Maki Annette Lovelace 春日博文 カルメン・マキ&OZ【ディスコグラフィー】
1979年 キティレコード EP DKQ-1050 青白い夕焼け(リュウのテーマ) 映画「限りなく透明に近いブルー」片面は、アレックス・イーズリーの「Queen Of Eastern Blues」【ディスコグラフィー】
1979年 EP DKQ-1060 A ラヴ・アゲイン I Just Feel In Love Again【ディスコグラフィー】
OZ解散後、1979年に数回の渡米を経て、ドラマーで当時ロッド・スチュアート・バンドの一員でもあったカーマイン・アピス(元ヴァニラ・ファッジカクタスBB&A)の知己を得、同年彼のプロデュースの下でソロ『NIGHT STALKER』を発表。【来歴】
28歳1979年9月 EP DKQ-1067 A 風に乗って 糸井重里 ジョージ・吾妻【ディスコグラフィー】
1980年 Metronome EP 0030-275 A It's Only Rock'n Roll【ディスコグラフィー】
1980年には「カルメン・マキ&LAFF」を結成。【来歴】
1980年9月と11月に2度の薬物禍があった。【来歴】
これら事件のため、一時的にカルメン・マキ&LAFFは活動停止を余儀なくされてしまった。【来歴】
29歳1980年7月 キティレコード EP DKQ-1089 A 恋はエクスタシー【ディスコグラフィー】
同年『カルメン・マキ&LAFF』をリリース。「60s:時には・・・、70s:OZ、そして時代は今・・・LAFF」とレコードの帯にあるようにレコード会社からも期待がかかっていたが結局思うようなヒットが出ず、1981年ヘヴィメタルバンド『カルメン・マキ&5X』へと発展解消。【来歴】
30歳1982年 東芝EMI・EASTWORLD EP A Easy Come,Easy Go James DiamondCarmine Appice ジョージ・吾妻【ディスコグラフィー】
ギャザリング(1982年 キティ)(カルメン・マキ&OZのベスト盤。 1977年 10月18日新宿厚生年金会館(解散時のステージ)での「私は風」が収録されている)【ディスコグラフィー】
1982年にファースト『HUMAN TARGET』、ライブ盤『LIVE X』、1983年にはセカンド『CARMEN MAKI'S 5X』をリリースし、解散。【来歴】
また、この期間には村上龍原作の映画『限りなく透明に近いブルー』の音楽に参加。「青白い夕焼け("リュウ"のテーマ)」を歌っている。【来歴】
31歳1983年 EP TOCT-8062 A FANTASY【ディスコグラフィー】
1983年には、週刊プレイボーイ誌上でヌードを披露した。【来歴】
34歳その後1986年にはOZの初代ベーシストであった鳴瀬喜博や松本孝弘(のちにB'zを結成)などがいたセッションバンド、「うるさくてゴメンねBAND」に参加。【来歴】
35歳ライブ活動を中心とする。1987年にはライブ盤『うるさくてゴメンねLIVE』を発表。【来歴】
その後出産、育児に専念するために一時的に音楽活動の休止を宣言した。【来歴】
37歳1989年2月25日 ポリドール CD H25P-20305【ディスコグラフィー】
38歳1989年6月25日 キティレコード CD H25K-20147【ディスコグラフィー】
1989年6月25日 キティレコード CD H25K-20148【ディスコグラフィー】
1989年6月25日 キティレコード LP H25K-20151【ディスコグラフィー】
1989年10月21日 Blow Up CD CA-4054【ディスコグラフィー】
39歳1990年7月18日 EMIミュージック・ジャパン CD【ディスコグラフィー】
40歳1991年6月15日 ソニーレコード CD SRCL-1858【ディスコグラフィー】
41歳1993年 8cmCD 1 時には母のない子のように・新録音 寺山修司 田中未知【ディスコグラフィー】
2【ディスコグラフィー】
1993年に日本国籍を取得し、音楽活動を再開。【来歴】
42歳1993年11月21日 日本コロムビア CD COCA-11149【ディスコグラフィー】
1994年 キティレコード CD KTCR 1520-21【ディスコグラフィー】
日本ロック映像全集 Vol.1(1994年 リットー・ミュージック)※VHS、オムニバス作品(カルメン・マキ&OZの「閉ざされた町」の映像が収録されている)【ディスコグラフィー】
同年、寺山修司歿後十年の企画として『時には母のない子のように』(新録音)を発表し、久保田麻琴プロデュースによる子守唄のアルバム『MOON SONGS』を発表。そして翌1994年には「MOSES」を結成。【来歴】
43歳1994年11月26日 ポリドール CD POCH-1414【ディスコグラフィー】
1994年11月26日 キティレコード CD KTCR-1518【ディスコグラフィー】
1994年11月26日 キティレコード CD KTCR-1519【ディスコグラフィー】
1994年11月26日 キティレコード CD KTCR-1522【ディスコグラフィー】
1994年11月26日 キティレコード CD KTCR-1523【ディスコグラフィー】
1995年に『VOICES OF MOSES』を発表。【来歴】
44歳1995年6月25日 ビデオアーツミュージック 8cmCD 1 夜間飛行【ディスコグラフィー】
2 カム・ダウン・モーゼス【ディスコグラフィー】
ベスト・オブ・カルメン・マキ&OZ(1996年 キティ)(『ギャザリング』に収録されていた解散ステージの「私は風」がここにも収録されている)【ディスコグラフィー】
1996年にはOZ時代の盟友、春日博文のプロデュースによる「UNISON」を発表。【来歴】
また、この時のセッションメンバーをもとに「UNISON UNIT」を結成し、ライブを中心として活動。この頃に現在もライブ、アルバム制作で組んでいるギタリスト、鬼怒無月と出会っている。【来歴】
45歳1996年11月27日 パイオニアLDC 8cmCD PIDL-1207 1 星の河を渡ろう 筑紫哲也ニュース23エンディングテーマ【ディスコグラフィー】
2 人魚【ディスコグラフィー】
1997年12月29日、「カルメン・マキ&OZ」の一夜限りの再結成を行う(於:京都大学西部講堂)。【来歴】
46歳カルメン・マキ ベスト&カルト(1998年 ソニー・ミュージックレコーズ)【ディスコグラフィー】
1998年には後藤次利笹路正徳春日博文辻仁成などをプロデューサーに迎えて『SPLIT』を発表。【来歴】
47歳1998年7月22日 CD PICL-19 1 ワイルドフラワー【ディスコグラフィー】
2 百億の孤独【ディスコグラフィー】
3 田舎に住みたい【ディスコグラフィー】
4 ワイルドフラワー (Backing Track)【ディスコグラフィー】
1999
・Awakening
・百億の孤独
・ユメノクスリ
・すてられたイブ
・たつまき
・愛し合えるベッドに…
・Sky Was Blue【ディスコグラフィー】
1999
・TRICK STAR
・ムーン・ビーチの砂の上
・人魚(リュック・ベッソン監督「つめたく冷えた月」に捧ぐ)
・捨てられたイブ
・時計を止めて
・記憶の海〈ROCK SIDE〉
・Rock’n Roll Star【ディスコグラフィー】
48歳2000年 Black Rose Records CD BR-143 2000年デジタルリマスター盤ドイツでの発売【ディスコグラフィー】
2000年にはライブツアー「CARMEN MAKI 世紀末を歌う」を行い、翌年にはライブ盤『CARMEN MAKI LIVE 世紀末を歌う』をリリース。【来歴】
49歳2000年5月31日 ポリドール CD POCH-9028【ディスコグラフィー】
2000年8月5日 パイオニアLDC CD PICL 1171【ディスコグラフィー】
2001年 パイオニアLDC CD【ディスコグラフィー】
スーパーバリュー(2001年 ユニバーサルミュージック【ディスコグラフィー】
51歳2002年9月28日 Hagakure Records CD ISCP-1110【ディスコグラフィー】
2002年9月28日 Hagakure Records CD ISCP-1111【ディスコグラフィー】
2002年9月28日 Hagakure Records CD ISCP-1114【ディスコグラフィー】
2002年9月28日 ユニヴァーサルIMS CD【ディスコグラフィー】
2003年 VAP CD【ディスコグラフィー】
ゴールデン☆ベスト カルメン・マキ セブンティーズ・ロック(2003年 ユニバーサルミュージック)【ディスコグラフィー】
カルメン・マキ〜スタジオライブ&インタヴュー〜ROOTS MUSIC DVD COLLECTION Vol.4(2003年 第一興商)【ディスコグラフィー】
2003年には鬼怒無月らとともに「CARMEN MAKI & SALAMANDRE」を結成。【来歴】
また同年に同名のアルバムをリリースし、ライブ活動も活発化させていく。【来歴】
52歳2004年には全曲アコースティックのアルバム『ANOTHER WAY』を発表。【来歴】
53歳2004年11月1日 ハガクレ CD JP0209-11【ディスコグラフィー】
56歳2008年には、初の朗読(ポエトリー・リーディング)CD『白い月』をリリース。【来歴】
中原中也萩原朔太郎らの詩を水城雄(ピアノ)の即興演奏にのせて読み、歌に留まらない表現に新境地を開いた。【来歴】
59歳探偵はBARにいる - マキ役(2011年東映 )主題歌「時計をとめて」も担当。【主な出演作品】
60歳2012年 SHOWBOAT SHM-CD(紙ジャケ) SWAX-97 2012年デジタルリマスター盤【ディスコグラフィー】
2012年 Phoenix Records CD ASHCD-3053 イギリスでの発売【ディスコグラフィー】
2012年1月25日 EMIミュージックジャパン CD(紙ジャケ) TOCT-11424【ディスコグラフィー】
61歳2012年12月5日 Tower To The People CD PROT-1032【ディスコグラフィー】
2013年3月6日 ディスク・ユニオン CD(紙ジャケ)【ディスコグラフィー】
2013年3月8日 B.T.H Records CD BTH-54【ディスコグラフィー】
62歳Good Times, Bad Times 〜History of Carmen Maki〜(2014年 ユニバーサルミュージック)【ディスコグラフィー】
2014年11月25日にはLIQUIDROOMにて「カルメン・マキ45周年記念VOL.1 〜ONE NIGHT STAND〜 《ROCK SIDE》」が行われた。【来歴】
出演はカルメン・マキの他、春日博文 (g)、川上茂幸 (b)、武田治 (ds)、厚見玲衣 (kbd)、ジョージ吾妻 (g)、盛山キンタ (b)、大内貴雅 (ds)、Dr.kyOn (kbd)、澤田浩史 (b)、古田たかし (ds)、木暮武彦 (g)、金子マリ (vo)、Char (g) であった。【来歴】
63歳2015年 Absinthe Records CD ARLP-515 フランスでの発売【ディスコグラフィー】
CARMEN MAKI 45th Anniv. Live ~Rock Side & アングラSide~(2015年 ZICCA RECORDS)【ディスコグラフィー】
2015年2月6日・7日の2日に渡って、ザムザ阿佐ヶ谷にて「カルメン・マキ45周年記念VOL.2《アングラSIDE》2days」が行われた。【来歴】
出演はカルメン・マキの他、春日博文 (g)、Dr.kyOn (kbd)、太田恵資 (Vl)、桜井芳樹 (g)、佐藤正治 (ds)、清水一登 (pf)、西嶋徹 (b) であった。【来歴】
64歳2016年4月20日 SUPER FUJI CD(紙ジャケ) FJSP-262 ボーナストラック1曲入【ディスコグラフィー】
2016年4月20日 SUPER FUJI CD(紙ジャケ) FJSP-263【ディスコグラフィー】
2016年4月20日 SUPER FUJI CD(紙ジャケ) FJSP-264【ディスコグラフィー】
65歳2017年3月22日 galabox CD glax-001 1 デラシネ【ディスコグラフィー】
2 望みのない恋~挿入朗読詩:波の音【ディスコグラフィー】
66歳2018年10月、「カルメン・マキ&OZ」名義のライブを約21年ぶり(単独公演では41年ぶり)に開催。【来歴】
67歳2018年6月20日 SHOWBOAT CD(紙ジャケ) SWAX-97【ディスコグラフィー】
2018年7月16日 ユニバーサルミュージック 配信 FLAC, 24bit/96kHz【ディスコグラフィー】
2018年9月19日 ユニバーサル ミュージック UHQCD UPCY-40023 ボーナストラック2曲入【ディスコグラフィー】
2018年9月19日 ユニバーサル ミュージック UHQCD UPCY-40024【ディスコグラフィー】
2018年9月19日 ユニバーサル ミュージック UHQCD UPCY-40025-26【ディスコグラフィー】
そしてファンから多くの要望を受け、翌2019年11月より開催するデビュー45周年記念再結成ツアーを発表。【来歴】
69歳今日現在

出典:『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 最終更新 2020年6月6日 (土) 08:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 変更履歴 Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA) and/or GNU Free Documentation License (GFDL).