今般、編集部から「感染症数理モデルの専門家のひとりとして」今回の新型コロナ問題に思うことを書くように依頼を受けた。困ったことに、私の場合、「感染症数理モデルの専門家」かと問われると、イエスでもありノーでもある。私は学位研究において感染症数理モデルの関数解析的研究をおこなってから、30年以上感染症数理モデルの数学的研究に関わってきたから、専門家といわれれば否定はできないのだが、リアルデータの統計解析や流行予測・推計をおこなう感染症数理データサイエンティストではない。実際、共同研究の場合を別として、私の論文には数字や図表はまったくでてこない。概念と論理による定理の証明が仕事である。
しかし一方、機会あるごとに、感染症対策における感染症数理モデルの実践的意義を主張してきたし、関連する教育や啓発に努めてきた経緯もある。そこでいささか思うところを披瀝させていただくこととした。
感染症の数理モデルの歴史とエイズ危機
今回の事例を語るために、少し過去を語ることをお許し願いたい。さきに私がデータを扱わないと言ったが、それは四半世紀前に東大数理に移籍してからのことであり、それまで勤務していた厚生省人口問題研究所においてはデータ分析も人口推計もおこなってきた。また当時問題となったエイズ流行問題では、厚生省エイズ疫学研究班で感染動向の分析にも関わった。その頃の経験からすると、今回の事態はまさに隔世の感があった。

1927年に現れた前期ケルマック・マッケンドリックモデルの式。これは人口再生産のない封鎖系における一回の感染症流行を記述している。S(t)は時刻tにおける感受性人口サイズ、i(t,τ)は感染からの経過時間(感染齢)τにおける感染人口密度、Rは回復人口サイズである。βは感染率、γは回復率であり、λは感染力を示す。βやγが感染齢に依存しない定数であれば、よくしられた常微分方程式系に還元される。
感染症数理モデルの近代的基礎は1920年代から30年代にかけて、英国の医師マッケンドリックと物理化学者ケルマックの一連の共同研究(微分方程式モデル)によって築かれた。その発展は70年代までは非常に緩慢であったが、80年代に数理生物学の勃興とともに急速に発展するようになり、おりからのエイズパンデミックによって多くの資金・人材が投入され、統計的な手法の開発とともに、感染規模推計、流行予測、体内のウイルス動態解析などに利用されるようになった。その後、牛海綿状脳症(BSE)や新型インフルエンザ、SARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)、エボラ出血熱等の相次ぐ新興・再興感染症の発生への対処を通じて、感染症疫学における有力な手法として定着するに至ったといえる。
しかし、90年代のエイズ危機が叫ばれた頃は、日本には感染症数理モデルを流行分析に活用できる研究グループは存在しなかった。当時の感染者推計等は非常に素朴なもので、まったく世界の水準に達していなかったのであるが、幸いなことにエイズの急激な流行は日本ではおきなかった。これは日本人の性的活動性の低さのゆえであったかもしれないが、そのために、保健医療体制に過大な負荷をかけることもなく、したがって理論疫学的対応の不備が問題化することもなかったのである。
そのような構図は、2000年代以降に相次いだ感染症危機においても繰り返され、日本における感染症数理モデルの研究と政策実装は世界に大きく後れをとった。ちなみに、今回有名になった感染症の基本再生産数という概念は、2009年の豚インフルエンザ危機の時に初めて新聞紙面上に紹介されたが、ほとんど話題にはならなかった。
画期的だった北大西浦教授らの取り組み
今回初めて、北大の西浦博教授のイニシアチブによって、感染症数理モデルが、目に見える形で政府の意思決定に影響を与える事態になった。西浦研は現状において、世界水準の感染症データサイエンスを実践する日本でただ一つのグループである。大学発ではなく、政府専門家会議へ直接協力する形で、霞ヶ関合同庁舎5号館ビル内部から情報が発信されたことの反響は大きかった。それにともない3月から4月にかけて、各種のメディア上で数理モデルの意義や内容をめぐって激しい議論がまきおこり、5月には日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)主催による実効再生産数の勉強会まで開かれたことは驚きだった。同時に、感染症疫学を専門としない研究者や市民による数理モデル研究やデータ分析が大量にネット上にあふれる事態となった。これは日本ばかりのことではなく、世界中で見られた現象だった。

ZOOMを使って開かれた西浦博北大教授による勉強会「実効再生産数とその周辺」

同左=2020年5月12日、いずれも日本科学技術ジャーナリスト会議提供
さて感染症数理モデルの政策実装といっても二つの側面を区別する必要がある。