この連載が指摘してきたように、尾身会長ら「専門家」とされる委員の役割は、科学的知見を政府に提供することではない。政府の方針に、学会の重鎮が承認したという「お墨付き」を与えることだ(第242回)。しかし、専門家会議から分科会に代わって、何に「お墨付き」を与えるのかが変わっている。
専門家会議のときは、厚労省・健康局結核感染症課の医系技官が会議の議題を作成していて、それに専門家が「お墨付き」を与えていた。医系技官は、世界最先端の感染症研究をフォローできていたか疑わしかった(第246回・P3)。とはいえ、それでも専門家会議では一応「医学に基づく提案」を審議していたことは間違いない。
しかし、分科会では首相官邸が医系技官を嫌い、議論からほぼ排除しているようだ(第246回・P4)。その結果、安倍・西村・赤羽の三氏など医学の「ど素人」である政治家が決めたことに、専門家が「お墨付き」を与えることになったのだ。要するに、新型コロナ対策を巡っての「防疫か経済か」の綱引きは、完全に「経済」が勝利した形になっている(第243回・P7)。
この連載では、今後さらに毒性の強い感染症に襲われたときのため、そしてポストコロナ時代のテクノロジーの劇的進化に対応するため、専門家の知見を有効に活用するための抜本的な政策立案過程の見直しを主張してきた(第246回・P5)。しかし、目の前にある現実は、専門家を政治家・経済人が抑え込んで、非科学的な決定に従わせているように見える構図である。専門性を軽視する意思決定は、将来に大きな禍根を残すことになりはしないだろうか。
なぜ安倍政権は批判必至の
「Go To」にこだわってきたのか
「Go To トラベル」は、「防疫か経済か」の論争の中心となってきたが、「経済を回していかなければならない」と考える側からも反対論が多くでているのが事実だ。それは、「Go To トラベル」は「人が移動する」政策だからだ。新型コロナの感染者が再び増加している東京都などから、コロナが収束している地方ウイルスが持ち込まれ、結果として再流行が起きる懸念がある。
逆にいえば、「防疫」を重視する側も、ソーシャルディスタンス(社会的距離)を保ち、感染防止に配慮できるのであれば、経済活発化を否定するわけではない。それでは、なぜ安倍政権は「人が移動する」政策であり、批判を浴びることが分かりきっている「Go To トラベル」の実施に、強くこだわってきたのだろうか。