「死にたい気持ち」の正体

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ぼんやりしていると、死ぬ方法ばかり考えて

しまいます。院内にある薬を一気飲みしようか。

首を吊ろうか。包丁で頸動脈きるか。

近くの踏切に飛び込むか。

 

「子供のために、生きなきゃ」

という気持ちまで、押しつぶされます。私のような

価値のない母親なんて、いてもいなくても同じ

なんじゃないかって。

 

そんなとき思い出した、小渕優子先生の言葉、

「私を信用してください、って臨むんだよ」

いろいろ過酷などぶ板やってきたもの。仕事の

ほうは、たぶん、やっていける。歩いて得る人の

反応。ネットの反応。7:3か8:2ぐらいで、

同情や応援の立場にたっていただいています。

市長選の得票数は、1割強だったんだから、

2か3ということは、ちょっとよくなっているということ。

この同情や応援に捨て身ですがり、もう一度

立て直す。医者にきいたら、死にたい気持ちを

発散する方法は、大きな声を出すことだそうですよ。

やってみるか。精神科の薬をもらうと、頭もぼんやり

して、残務整理ができなくなってしまうので。

 

死にたい気持ちになぜなっているのか、考えたら

それは夫への執着。家族四人の幸せへの執着。

夫婦ふたりで頑張る幸せへの執着でした。

私は夫が大好きだった。クリニックのローン返済

しながら、子どもを育て上げて、借金も返しおえて

老後は年金の足しになるぐらいの稼ぎを、診療

で得ていけば十分。そういう穏やかな暮らしを臨み

頑張ってきた。だけど夫は、そうじゃなかったから

事件が起きた。

 

死にたい気持ちに打ち克って、前に進む。

今日もがんばります。お支えに感謝