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 「AI」が本当に複雑な概念とあり得ないほど混乱したマーケティング的流行語の完璧な結びつきになっているため、AI(人工知能)は現在、何にでも使える単語になっている。そしてカメラから軍事、医療に至るまであらゆる場所で活用されている。

 そしてAIに関して1つだけ確実に言えるのは、AIを国益に結びつけて語る声が日々大きくなっていることである。「我々にはもっともっとAIが必要であり、もし我々がレースをやめたら、中国が我々を打ち負かしてしまう。それだけは避けなければならない」「レースがどこで行われているかは問題ではないし、レースの結果、社会に何が起きるかも知ったことではない」「レースは既に始まっている。もしアメリカがAIに真剣にならなければ、アメリカがディストピア的な差を付けられて『負け組』になってしまう」。そんな声が至る所から聞こえてくる。

 実際に2019年7月に(政治系ニュースサイトの)「Politico」に掲載されたルイーザ・CH・サバージ(Luiza Ch. Savage)氏とナンシー・スコラ(Nancy Scola)氏による「アメリカは、AIの未来を中国に譲り渡しているのか」という記事でも、非常に典型的なAIに関する国家主義的な主張が繰り広げられた。

AI競争は軍拡競争と同じか?

 我々(The Intercept)は、米中AI競争の可能性が非常に高いことだけでなく、競争になること自体がとても悪いことだと伝えようとしている。国家主義的な感情は「国家が何か(何でもよい)の支配権を、どこかの外国に譲り渡そうとしている」と主張するだけで、容易に増幅できてしまう。

 Politicoの記事は以下のように伝えている。「米国のライバル国家が米国を技術で追い越そうとし、米国が国家一丸となってそれに逆転しようとしているのは、1957年の『スプートニクショック』以来の事態だ。ソビエト連邦が初の人工衛星を軌道に乗せてアメリカ人を驚かせ、アメリカ人の自信を揺るがせた。スプートニクショックは米国政府を刺激し、NASAを設立させ、ちょうど50年前の月面着陸にいたる宇宙開発競争を引き起こした」。

 そしてPoliticoの記事は「次のスプートニクショックの瞬間が迫っている」と主張した。(シリコンバレーのある)カリフォルニア州パロアルトではく中国政府のキーボードから「AIブレークスルー」がもたらされようとしている、同記事はそう述べた。

 本当にそうだろうか。そもそもスプートニクは実際には、権力者たちにとって「驚き」ではなかったことや、スプートニク自体は基本的に音が鳴るアルミニウム製のビーチボールにすぎなかった(せいぜい無線送信機と電池だった、と雑誌『Air&Space』が報じている)ことは、ここではおいておこう。もっと大きな問題は、冷戦を「イノベーターたちによる戦い」だと考えることだ。

 なぜなら冷戦の最大の問題点は、スプートニクやスペース・シャトル、その他の平和的なイノベーションを生み出したことではなく、ボタン1つで瞬時に核で世界を滅ぼす兵器を作り出したことだった。スプートニクショックを都合良く持ち出すことは、冷戦の負の側面から目をそらす効果をもたらしている。

 確かに、大量殺りく兵器である核兵器を運ぶロケットを開発するのに「政府一丸」になることなしに、米国政府が宇宙旅行のためだけに「政府一丸」になれたかは疑問である。それでも核兵器を運ぶロケットを開発することが世界を破滅させる危険性を伴っていたことを認めずに、ただNASAによる最終的な成果を強調することは、歴史を無視した行為でありバカげている。

AI競争の「負の側面」にも目を向けよ

 冷戦の教訓は「世界的な軍事大国(=米国)ともう一つの国家主義的な政府(=中国)との技術競争」に突き進むことが我々にとって危険であることを教えてくれる。その競争における「勝利」がどのようなものか定義すらされていないからだ。そもそもどうすれば我々はAI競争で中国に「勝った」ことになるのか。何で勝てばいいのか。AIを使ってどんな問題を解決したら勝ったことになるのか。

 歴史のどこかの時点で、各都市が顔認識のような「AI」技術を精査して完全に禁止し始めた時、我々は(顔認証のような)問題の解決策が、問題そのものよりひどい結果をもたらしていたと気付けるだろうか。軍拡競争にとらわれた国家主義者たちは、こういった質問に答えようとはしない。彼らはただ、レースに勝ちたいだけだからだ。