周辺国家最強の戦士と呼ばれた戦士、ガゼフ・ストロノーフの謎の死は部隊に大きな衝撃を与えた。
そんな混乱のさなか、副長が素早くガゼフの遺体を馬に括り付け即時帰還を指示出来たのは、彼が知っていたからに他ならない。
リ・エスティーゼ王国に存在するアダマンタイト級冒険者チーム蒼の薔薇、そのチームリーダーであるラキュース・アルベイン・デイル・アインドラが奇跡とも呼ぶべき蘇生魔法の使い手である事を。
「副長! このペースでは馬が持ちません!」
「わかっている。あの場に留まるのは危険と判断した故の早駆けだ! だがどちらにせよ死者蘇生には時間的猶予は限られているはずだ。最悪エ・ランテルまで2頭持てば良い。馬が潰れそうな者は遅れて合流するよう伝達せよ」
「はっ!」
記憶が確かであれば、死者復活には遺体の損傷が重要だったはず。幸い戦士長は頭部の傷以外に大きな外傷はない。ならば後は遺体が腐敗せぬよう、一刻も早く王都へ戻る事だけを考えるべきだ。
ここからエ・ランテルまでは数時間。その後は町で替え馬を複数用意し全力で駆ければ必ずや間に合うだろう、いや、間に合わせてみせる。
副長はこれからの数日間こそが自身の人生に置ける最大の試練と確信し、強い決意と共に手綱を握りしめた。
「あら? 丁度良い具合に一人遅れているわね」
姿は確認出来ないが、自分よりかなり前方にいるはずのルプスレギナはどうしたのだろうか?
まさか見落としている訳はないでしょうし……。けれどルプスレギナであれば、捕縛の事などすっかり忘れてしまっている可能性も……。
「今回はナーちゃんに任せるっすよ」
などと少しばかり失礼な事を考えていると後方から突然声を掛けられた。
「――ッッ!! ちょっ、ちょっとルプー。こんな時に驚かすのは止めて頂戴!」
この嗜虐的な姉ルプスレギナは不可視化の魔法を使用し、突然出現して相手を驚かす事を非常に好んでいる。
至高の御方により、そうあれと創造されたのだからそれ自体は仕方がないものの、流石にTPOぐらいは弁えて欲しいというのが本音だ。
「あっはっはー。ひっさびさにナーちゃんの驚いた顔を見れたっす。眼福っす」
そう言ってルプスレギナはすぐにまた姿を消した。
文句を言い足りないナーベラルではあったが、ルプスレギナのように不可視化の相手を見破る能力は持たないため、大きく一つため息を吐くと一団から遅れている下等生物の下へと飛んで行くのであった。
――♦――
「つまりそのバハルス帝国の騎士団が、戦う力を持たない周辺集落を次々に虐殺して回っていると……」
「ああ、その通りだ」
捕らえた兵士が傀儡掌によって語る情報はセバスとって許し難いものであった。
挙句その悪逆非道な行為に自分たちが加担――こちらにそのような意図はなかったものの――してしまった事を知り、思わず天を仰いだ。
兵団が戦士長を蘇生するため撤退してしまった以上、これから襲われる村々を守る存在はいない。
ならばせめて自分たちが責任を持って村を救うべきではないのか。
幸い――と言って良いかどうかは別として――シズが一撃で仕留めた男は周辺国家最強と謳われる戦士らしい。
ならば村を襲撃している騎士を撃退するのは容易いだろうと判断し、次に襲われそうな村の位置を聞き出す。
「セバス様。よろしいでしょうか?」
「どうかしましたか、ソリュシャン」
「襲われそうな村の位置を把握してどうなさるおつもりですか?」
丁寧な言葉の中に明らかに不満や不信感のようなものが混じっていた。
セバスがこれから行おうとしている事をなんとなく察知したのだろう。
「無論村を助けに行きます」
ソリュシャンはセバスの言葉を受け、眉を顰めると不快感を隠そうともせず反論をする。
「人間同士の争いなどの些事に構う必要などないのでは?」
「いいえ、これは責任の問題です。我々の行動により危機に陥る村を救うのは我々の義務と言えるでしょう」
これは決定事項だと言わんばかりに鋭い眼光で真っ直ぐに、ソリュシャンを見つめ宣言した。
本来であれば主人に伺いを立てるべきだが、連絡が取れない以上はプレアデスのリーダーたるセバスの意見は絶対だ。話は終わりだと捕らえた兵士の尋問に戻ろうとしたが、予想外の人物が反論した。
「……モモンガ様は【守護しろ】とご命令なさった」
カルマ値が中立から善寄りのシズは、本来であればセバスに同調してもおかしくはない。
しかし至高の御方の命令は何よりも優先される。
シズの一言で場の流れは一気に傾いた。
「シズの言う通りですわ。セバス様はまさかモモンガ様のご命令を放棄なさるおつもりですか?」
「それはぁ、不敬ですぅ」
「…………」
ソリュシャンはもはや不快を通り越し、睨みつけるような視線でセバスを射抜く。
至高の主の命令を放棄などと聞かされれば、他の姉妹たちからしても当然許せる行為ではない。
セバス自身もまた、自身の選択は主に反逆する事になるのだろうかと考えるだけで、全身から汗が噴き出すような感覚に陥った。
村人は助けたい。しかしそれが忠義に反するのであれば当然だが諦める。
己の信念など主人の利益に比べれば些末な事なのだから。
そう自分に言い聞かせ前言を撤回しようかと考えた時に、これまでずっと無言だったユリが「よろしいでしょうか?」とスッと手を挙げた。
ユリはコクリと頷くセバスを一瞥してから姉妹たちの方へ向き直る。
「ナザリックの絶対的支配者であらせられるモモンガ様のご命令は、当然ですが何よりも優先されるわ」
姉妹たちは当然とばかりに強く頷く。
「けれど、既に私たちがここに飛ばされてから半日が過ぎ、現状私たちは主の命令を遂行出来ているとは言えまないわよね?」
この場に転移させられてから、常に己の無力を痛感し、幾度となく不甲斐なさを感じてきた。
ユリに言われるまでもなく、この場の誰もがわかっている事だ。
だが改めて言葉にされると、拳を強く握りしめ項垂れる他ない。
「だからまずは村に向かい情報を得るのも悪くない選択肢だと思うの。転移も出来ずメッセージも繋がらない以上、ナザリックへ帰還するためには地理の把握、場合によっては付近で使われている通貨が必要になるかもしれない。そこに【偶然】村を襲う者が現れたなら、排除するのは主の意向に反しないと思うの」
ユリの提案はセバスにとっては天啓と呼びたくなるようなものであった。
「ユリ姉様。お言葉ですが奪うなり拷問するなりして、手に入れる方が早いし確実と思いますわ」
だからこそ今回ばかりは絶対に言い負かされるわけにはいかない。
「ソリュシャン。貴女は相手にレベル100のアサシンが居たとしてもそれが可能なのですか?」
「それは……不可能です。ですが、あの弱者が周辺国家最強の戦士と言われているのですから、そのような警戒は無用と愚考致します」
「確かにその可能性は高いでしょう。しかし周辺は別として、強者が存在するのも確か。過去にもナザリックに大挙して押し寄せた不逞の輩が存在しましたし、そもそも今我々がここにいる原因も間違いなく強者による攻撃でしょう。ならばこそ慎重に、そして無用な敵を作らぬよう、それでいて迅速にナザリックに帰還せねばなりません」
――♦――
エンリ・エモットの朝は早い。
太陽が出る時間と共に起き、最初にすることは家の近場にある井戸で水を汲むことだ。
家においてある大瓶に水を満たすために何度も往復する。慣れた作業とはいえ地味に大変な仕事だ。
しかしここ数日は様子が違った。
井戸に水を汲みに行く前にチラリと確認してみれば、今日も大瓶は水で満たされていた。
原因はわかっている。4日ほど前に村に現れた、セバス・チャンと名乗る、身なりの良い初老の男性だ。
彼は村の誰よりも早く起き、エモット家だけではなく、全ての家庭の水汲みを村人が起きる前に終わらせる。
20を超える家の水汲みを、誰にも気づかれる事なく終わらせるだけでもとんでもない事だが、彼はお世話になっているのですからこの程度は当然ですと、涼しい顔で答える。
それに水汲みだけではなく、付近のモンスター退治、畑の手伝い等々、いつも彼は良く働いていた。
朝食を食べながら両親が、あんな働き者の旦那さんだったら大歓迎だなと妙齢のエンリを見ながら言うものだから、嫌でも意識してしまう。
「けど、ネムもよく懐いているし……優しいし……働き者だし……歳は少し離れてるけど、素敵な人だし……」
すっかりその気になりかけた彼女だが、頭をブンブンと横に振ってダメダメと自分に言い聞かせる。
彼は旅の途中で道に迷ってしまい、現在自分がどこにいるのかわからなくなってしまっているらしい。
ナザリックやグレンデラといった地名は村の誰も聞いたこともなく、相当遠い場所なのだろうと推測出来た。
彼の現在の目的は何を置いても、まずは故郷に戻る事だと言っていた。
なら今結婚の話が出ても困らせてしまうだろう。
相手家族への挨拶等もあるし、嫁に行くのか婿に来てもらえるのかも重要だ。
まずは故郷の場所が判明しない事には始まらない。
エンリは朝食となるお弁当を胸に抱え、キョロキョロと村の中を見回しながら将来の旦那様候補を探した。
「そうですか……こちらも動きはありません」
『明日にはナーベラルたちも戻る予定ですからこれ以上は……』
「ええ、わかっていますとも。気を使わせてしまい申し訳ない」
『とんでもありません。それでは明朝合流という事でよろしいでしょうか』
「ええ、何かあればまたメッセージで」
村の外れで定時連絡を終えたセバスは、待てど暮らせど襲ってこない帝国の騎士団に苛立ちすら感じていた。
ユリの援護もあって、首尾よくソリュシャンたちを納得させる事が出来た後は、現在待機していたチームを更に三つに分けた。
あの場から付近には村が二つあったため、その一つにユリとシズ。
もう一つの村に自分。
そしてルプスレギナたちが戻ってくる場所での待機組がソリュシャンとエントマだ。
班分けは戦力もあるが、カルマが善性の者の方が村人からの情報収集がスムーズだろうとの思惑からだ。
ただしその班分けの影響で思いもしない結果も伴った。行動を開始した初日の夜に、待機組が捕縛していた兵士を食べてしまった事が判明したのだ。
しかし彼女たちもまた、創造主からそうあれと作られた存在である。
そもそも尋問の記憶が残る兵士を返すわけにもいかない。更に情報収集という名目で二つの村に向かったのだから、もうこの兵士は用済みと判断したと言われては怒るわけにもいかず「そうですか……いえ、問題はありません」と返す他なかった。
立場上上司と部下ではあるが、本来は共に至高の御方々に創られた同格の存在なのだから尚更だ。
(待ち構えているのを察知されたとも思えませんが……今夜がリミットですね)
村の外を厳しい表情で眺めるセバスを見つけた。
(憂い気な表情で遠くを見つめてる……故郷を想っているのかな……)
声を掛けるか迷っているとセバスはこちらを向き、軽く会釈してくれた。
それを見てエンリはパタパタと駆け寄る。
「あ、あの、セバスさん。おはようございます」
「ええ、おはようございます。エンリ」
両親が今朝あんな事を言ったせいか、挨拶を返されただけでエンリは顔が赤くなり、耳まで熱くなるのを自覚した。赤くなった顔を隠すように抱えていたお弁当をスッと前に出す。
「あっ、これ朝ご飯です。それから今日も水汲みありがとうございました」
「こちらこそありがとうございます。それから明朝村を発つつもりです。本当にお世話になりました」
「えっ……そう、ですか……あのっ……また近くに寄られたらうちに来てくださいませんか?」
【村】ではなく【うち】、それはエンリにとって精一杯のアピールだったが、そんな気持ちを知ってか知らずかセバスは軽く返答する。
「ええ、もちろん。その時は必ず伺いますとも」
これで終わりではない。
それだけで今のエンリには十分だった。
結局その日も最後まで帝国騎士は現れず、それぞれが集めた情報を持ち寄って今後の方針を決める事となった。
何故村が襲われなかったのかといえば、その理由は至ってシンプルである。
エ・ランテルに潜入している間者より、ガゼフ・ストロノーフの死が法国に伝えられていたからだ。
そもそも村を襲っていたのはガゼフを誘き寄せる罠であり、決して村人を虐殺する事が目的ではない。
そのガゼフが理由は未だ不明ながら、死亡したのは確実とみられ、部隊も王都へ引き返しているとの情報を掴んだ以上、村を襲う理由がなくなった。法国にとってもガゼフの死は寝耳に水で、出来る事であれば予定通り陽光聖典で始末し、遺体も法国で回収したかったのだが、もはやそれは適わぬと上層部は部隊の撤退を命じた故の結果であった。
――♦――
ここ最近破竹の勢いで連勝を積み重ね、ついには闘技場最強の剣闘士八代目武王への挑戦権を得た褐色肌の赤毛の少女、ルプスレギナ・ベータは底抜けに明るい笑顔のまま、聖印を象ったような巨大な武器を振り回す。
まだデビューしたばかりの戦士だというのに、彼女は既にここの人気者だ。
理由は至極単純明快で、その強さとルックスに他ならない。
――ブォン!!
一振りする度会場が沸く。
ルプスレギナもそれに応えるかのように武器を大仰に振り回す。
当たる当たらないなど気にもしていないかのように。
元気いっぱいの美しい少女が、大きな武器を振り回して戦う様は会場の熱気を更に高め、既に武王よりも多くのファンが声援を送るまでになっていた。
「ガンバレー」「武王に負けるなーー」
そんな声援を聞いて武王はクソ共がっと独り言ちる。
――貴様らはわからないからそんな気楽な事が言えるんだ! 頑張らなければいけないのはこの恐ろしい相手を前にしている俺の方だと言うのに!!!
――ブォン!!
武王の頭上スレスレを通り抜けた高質量の武器は、痛いぐらいの風圧を伴っていた。
生物としての生存本能が今すぐ逃げろと煩いぐらいに頭の中で叫び続ける。
細胞レベルで体の全てが怯えている。
歯も震え噛み合わない。
ガチガチ、ガチガチ……
武王ゴ・ギンは確かに強い。だが強いからこそわかる。
わかって、しまった。
――目の前の少女と自分では生き物としての格が違うと。
震える膝を拳で殴り、必死に立っていなければ今にも地面に頭を付いて命乞いをしてしまいそうな程だ。
怖い。
怖いぞ。
――だがこれこそ俺が求めていたものだ!
恐怖を必死に抑え込み一歩前へと踏み出す。
「おおー。前に出るとはなかなかやるっすねー。流石武王っす」
「貴女のような強者に武王と呼ばれるのは少々複雑な気分だが……褒めてくれて感謝する」
武王はグッと棍棒を構え直し、上段からいつでも振り下ろせるよう準備する。
しかしそこから先が進めない。
吹けば飛びそうな細い体に、警戒心の欠片も感じさせない直立の構え。
だというのに一切の隙が無いのだ。
どんな攻撃を仕掛けようと返り討ちにされる予感しかしない。
「おんやぁ、こないんっすか? こないならこっちから行くっすよー。至高の御方々が研究なされていた伝説の秘技。すーぱあはりけえんっす!」
自分の体を軸にして巨大な武器をぐるぐると振り回し、独楽のように回りながら徐々に近づいてくる。
派手なだけで何の意味もないような馬鹿げた技だ。案の定、観客は大喜びしているがただそれだけ。
先ほどまでの大振りもそうだったが、要は彼女は完全に遊んでいるのだ。
自分が負けるなどとは微塵も思っていない。圧倒的強者故の油断。
ならば有難く受け取ろう。
――《外皮強化》・《外皮超強化》
肉も骨もくれてやる。
一撃。
たった一撃入れる隙さえあればいい。
狙いはただ一つ、相打ち。
武器で受けず、躱しもせず、あの恐ろしい威力の武器を強化した己の肉体のみで受けきる。
当然無事には済まないだろう。しかし相手とて俺の肉体を抉っている最中に来る上段からの棍棒は受けきれまい。
――肉も骨も切らせて頭蓋を断つ。
回復力に優れたウォー・トロールだからこそ出来る戦法だ。
体の震えはまだ止まらない。
しかし先ほどまでとは少しばかり別種のものも混じっている。
武者震い。
この圧倒的強者に勝てた時、自分は何を得るのだろう。そう考えると全身に震えと共に力が漲ってくるのだ。
後30cm…………10㎝……
……今!!!!
「グガァァアアアアアーーーーーーーーーーー」
腰骨の辺りがゴリっと削られる嫌な音を響かせながら、それでも武王は棍棒を叩きつけた。
独楽の中心部。ルプスレギナの頭蓋骨へと。
ドシャリと何かが崩れる音がした。
武王は倒れていない。
そしてルプスレギナもまた倒れていなかった。
崩れ落ちたのは武王の腰から下。
命すら掛けた渾身の上段からの一撃を、ルプスレギナは片手で止めていた。
「いやぁー今のは結構危なかったっすねー。かなり手が痺れたっす」
カラカラと笑いながらルプスレギナが受け止めていた棍棒を離すと、それを支えにしていた武王の上半身も一緒に地面へと転がった。
「アガッ……ウァウゥゥ……」
ウォー・トロールとはいえ痛みがないわけではない。
半身を削り取られる尋常ではない痛みにまともに声も上げられない。
それでも時間経過と共に徐々に徐々にではあるが、体は再生されていく。
その様子を目を細め追撃もせずにルプスレギナは眺めていた。
それはまるで地を這う虫を見るような冷たい目だ。
――油断?
――お前は蟻に全力で挑むのか?
まるでそう問いかけられているような錯覚に陥り、武王の心はポキリと折れた。
「おーー、さすがトロールっすね。もうくっ付き始めてきたっす。それじゃー次は、ばくれつえくすとりいむあたっくで――」
「ま、待ってくれ……くだ、さい。もう……戦えません……降参します」
頭を地面に付け許しを請うゴ・ギンの姿に会場は一瞬だけ静まり返り、その数秒後には狂ったように沸き立ち、若く美しい新たな武王の誕生に歓喜した。
その声にルプスレギナの「えぇーもう終わりっすかー?」という不満はかき消された。