cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_jncl2sk19byb_軍艦島センター長が熱弁「韓国メディアの圧力に反論する」 jncl2sk19byb jncl2sk19byb 軍艦島センター長が熱弁「韓国メディアの圧力に反論する」 oa-newspostseven 0

軍艦島センター長が熱弁「韓国メディアの圧力に反論する」

2020年7月16日 16:05 NEWSポストセブン

 日韓関係にまた新しい火種ができようとしている━━。きっかけは、日本政府が6月15日、世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」について解説・展示する「産業遺産情報センター(以下・センター)」の一般公開を始めたことだった。

 産業革命遺産は19世紀後半から20世紀初頭にかけて日本の重工業発展を伝えるもの。


 その中で大きな論争となったのが、韓国サイドが「戦中に朝鮮人(韓国人)に対する強制労働や虐待があった」と主張する軍艦島を巡る展示だった。

 センター長の加藤康子氏がこう明かす。

「センターに端島(通称・軍艦島)の島民の声や人生を紹介する展示があります。彼らは『朝鮮人に対する虐待や差別はなかった。皆、日本人と一緒ですよ』と証言しています。でも取材に来た韓国メディア記者は『被害者はどこにいるんだ』という事ばかりを問い、『歴史を歪曲している』と報道します。島民の声がなぜ“歴史の歪曲”になるのか、私には不思議でなりません」


 加藤氏は父親が元農水大臣の加藤六月氏、義弟が現厚労相の加藤勝信氏という政治一家に育つ。慶応やハーバード大等で産業遺産や都市計画について学んだ加藤氏は、長らく民間研究者として「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に尽力してきた。


 加藤氏は問題のルーツは世界遺産登録時にあったと語る。

「2015年7月にユネスコの世界遺産委員会で『明治日本の産業革命遺産』が世界遺産として登録されました。この前後から韓国政府や一部運動家達は『軍艦島は“地獄島”だ』という大プロパガンダを行なってきたのです。例えば、終戦間際には1000人もの中国人捕虜が坑内に閉じ込められ爆破されたとか、122人の韓国人が殺された、などの荒唐無稽な話が真実かのように語られ、ユネスコ関係者の間でも軍艦島を“アウシュビッツ”のような場所だと信じる向きが強くなったのです」


 ユネスコ世界遺産の諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)は韓国サイドの主張を受け入れる形で、日本に「歴史全体について理解できる説明戦略」を求め、センターはそうした勧告を受け入れる形で発足した経緯があった。

「正直に言うと私も最初は韓国側の主張を『そんなばかな』と思いつつも、ひょっとしたら何かあったんじゃないかと心の片隅で思っていました。第二次大戦中で過酷な環境であったことは間違いないし、戦争映画等を見てもパワハラは日常茶飯事に思えた。

 ところが資料収集していく過程で、端島炭鉱で働かれていた松本栄さん(91)という方がいることを知りお会いした。そのとき『故郷が汚された。日本の外交姿勢はけしからん!』と凄く怒られたのです。そこで韓国側のチラシや軍艦島について書かれた日本の出版物をお渡しし、『どこがおかしいかカメラの前で証言してください』とお願いしたのがスタートです。松本さんは『朝鮮の人も日本人も(当時は)同じ日本人ですから。差別はないですよ』と語られ、具体的な中身についての誤りや矛盾を詳細に指摘された。私は彼らの証言を聞いているうちに『軍艦島は地獄島』という言説は全くの妄想だと確信を持つようになったのです」


◆「気に入らない証言」


 松本氏との出会いをきっかけに島民の輪が広がり、加藤氏はこれまで70名を超える元島民の証言を聞いてきたという。センターでもその一部が公開されている。中でも注目を集めたのが、在日二世の鈴木文雄さん(故人)の映像インタビューだ。鈴木さんは幼少期を軍艦島で過ごし、父親は炭鉱現場の「伍長」として管理職を務めていた。

「鈴木さんは民団(在日本大韓民国民団)で事務局長を長く務めた人物で、同胞のために尽くしてこられた方です。彼は周囲から大反対を受けたのですが、『どうしても死ぬ前に話さないといけない』と私のインタビューに何回も応じて頂きました。『伍長として炭鉱で働く父を誇りに思っていた。(朝鮮人だからと)いじめにあったことはなく、むしろかわいがられた』などと語ってくれました」


 センターに展示されている松本氏や鈴木氏の証言に反発したのは、やはり韓国だった。康京和・韓国外相はユネスコに対して世界遺産登録取り消しを求める書簡を送ったことを発表。韓国メディアも「日本、ユネスコ合意破り軍艦島の強制労働を隠ぺい」(6月15日付 朝鮮日報)などと猛バッシングを繰り広げた。

「韓国メディアは自分たちが気に入らない証言が展示されていることに腹を立てているようです。日本人も朝鮮人もみな仲が良かったというのは、韓国メディアにとって『内鮮一体(日帝時代のスローガン)』論に繋がるタブー。でも、元島民たちは彼らの人生を語っているだけなのです。それを“歴史修正主義”と言われてしまうのは悲しいことです」


 加藤氏は安倍晋三首相とは幼馴染で家族ぐるみの付き合いがあり、安倍政権下では2019年まで内閣参与職も務めた。こうした関係から、韓国メディアから「軍艦島歴史歪曲展示館、センター長は安倍首相の側近」(6月22日付 朝鮮日報)などと批判を受けている。

「総理からセンターについて指示を受けるということはまったくありません。むしろ官邸や官僚からは『加藤は勝手なことをする』と思われている(笑)。私は“嫌韓”ではありません。在日の方にも多く応援頂いています。最初にお迎えしたお客様は駐日韓国大使ですし、YTNや聯合ニュース等の韓国メディアの取材も積極的に受けています。日韓関係はお互いに正しいことは正しいと言い合える関係になってこそ、信用とか尊敬が生まれる間柄になれると私は考えています」

 新たな日韓歴史論争の行方が注目される。


【PROFILE】赤石晋一郎(ジャーナリスト)/「FRIDAY」「週刊文春」記者を経て2019年よりフリーに。南アフリカ・ヨハネスブルグ出身。新著に『韓国人、韓国を叱る 日韓歴史問題の新証言者たち』(小学館新書)がある。

※週刊ポスト2020年7月24日号

外部リンク

cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_70fz2yxphtop_高田文夫氏、コロナで分かった人前で演じることの楽しさ 70fz2yxphtop 70fz2yxphtop 高田文夫氏、コロナで分かった人前で演じることの楽しさ oa-newspostseven 0

高田文夫氏、コロナで分かった人前で演じることの楽しさ

2020年7月16日 16:05 NEWSポストセブン

 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、4か月ぶりに人前で喋り、以前プロデュース・作詞した曲が豪華になって帰ってきて、妻から「72年間で一番いい出来」と初めてほめられた解説つきのDVDが出る話についてお送りする。

 * * *
 七夕が命日だった永六輔、上半期は何が何だか分からない内に終わり、2020年もいよいよ下半身へと差しかかってきた。下半期って言うの? もうどっちでもいい。下半身の方が楽しい事が待っていそうだ。

 世が世ならばオリンピックで、隅田川の花火大会で、暑気払いって時だ。どうしてこんな事になったんだろう。タレント・芸人も自粛、自炊、自慰暮しでさんざんな日々。私は昔からラジオのレギュラーを喋りにニッポン放送へ行き、あとはこういう連載の原稿や出版原稿を書くという日常。時折、トークショーなどに呼ばれて爆笑ライブ。それも今年はほとんど中止・延期。人前で喋る、演じるというのはしみじみ芸能生活の中で最も楽しい瞬間だったのだなァと気がついた。

 本当に久しぶり。6月30日、新宿紀伊國屋ホールでの“神田伯山独演会”にトークゲストとして呼ばれ、20分の約束を45分も喋ってやったアハハ。伯山、トリの一席は時間が押して16分。打ちあげで伯山「私も今日は何か月ぶりなんですよ、人前で話すの。アレッ? センセーひょっとして2月の伯山襲名披露の末廣亭以来じゃないんですか?」言われて気がついた。2月に末廣亭でお祝いゲストとして松村邦洋と“ものまね漫才”をやって以来の人前だった。やっぱりライブは楽しく、大切なものだ。

 さあそんな2020年の不要不急時代、私の周りは何をやっていたかと申せば皆各々なかなかクリエイティブで━━まずは私が以前プロデュース・作詞した曲を、『日本列島やり直し音頭二〇二〇』として7月22日CD発売、配信スタート。この曲は2011年、東日本の大震災があり、その年の暮れに立川談志が死に、明けて2012年春に私が心肺停止で三か月間ICU入りというすンごい事が起こったので詞を書き、佐瀬寿一の作曲(この男は学生時代からの悪友で『およげ!たいやきくん』を作った甘い奴)で演歌の西方裕之に歌ってもらって出したもの。

 これを映画監督の豊田利晃が切腹ピストルズらとリメイクし、どんどん詞も増やしていってラップも入り、ZAZEN BOYSの向井秀徳や小泉今日子まで参加して歌いまくってくれている。7月24日公開の豊田監督『破壊の日』のテーマソングでもある。


 DVDでは日活から『お江戸@ハート 幕末太陽傳の巻』が4枚組で出た。早逝した天才監督川島雄三のこの名作に出てくる落語を、喬太郎、志らく、一之輔ら人気者がじっくり。フランキー堺主演、なんたって私の1時間の解説トークが爆笑。女房曰く「72年間で一番いい出来」。初めてほめられた。

■イラスト/佐野文二郎

※週刊ポスト2020年7月24日号

外部リンク

cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_35br8to5lfmp_木下優樹菜「一般人なんで結婚させてもらう」と事務所に啖呵 35br8to5lfmp 35br8to5lfmp 木下優樹菜「一般人なんで結婚させてもらう」と事務所に啖呵 oa-newspostseven 0

木下優樹菜「一般人なんで結婚させてもらう」と事務所に啖呵

2020年7月16日 16:05 NEWSポストセブン

 最後まで“やんちゃ”なままだった。芸能界引退によって迷宮入りするかに見えた木下優樹菜(32才)の引き際の様子が徐々に明らかになりつつある。

「ユッキーナは、不倫相手だった30代男性ミュージシャンAさんに対する強い想いが抑えきれなかったようです」(木下を知る関係者)

 フジモンこと藤本敏史(49才)と結婚していた頃に不倫関係になったAさんとは、「タピオカ騒動」を経て、離婚が成立してからも関係がバレないように密かに愛を育んできた。どうやら木下の所属事務所さえ把握していなかったようだ。

「彼女が描いたシナリオはこうです。タピオカ騒動がひと段落したら芸能界に復帰。ただし、以前のようにテレビにバンバン出るわけではなく、プロデュースするアパレルブランドの経営や、YouTuberとしてやっていく。それなりに生計を立てられるようになったらAさんと再婚する。ユッキーナは芸能界復帰と再婚を一気に実現しようと考えていたようです」(前出・関係者)


 ところが、復帰宣言の直後に事態は急転。週刊誌からAさんとの不倫交際について問い合わせがあると、事務所の知るところとなる。

「寝耳に水な情報に、事務所が事実関係を木下さんに問いただしたところ“そうですけど、なにか?”と開き直った。さらにAさんとは結婚するつもりだと明かすと、事務所側は復帰直後でさすがにそれは無理だ、世間が許さないと諭したそうです」(芸能関係者)

 そこで木下はプッツン!

「じゃあ芸能界やめます。事務所もやめる。もう一般人なんで、結婚させてもらいますから」というふうに啖呵を切ったという。騒動後も支えていた事務所にしてみれば“裏切られた”という思いだった。

「タピオカ騒動での活動休止でストレスもMAXだったところに、不倫の発覚。ユッキーナの精神も限界だったのでしょう」(前出・関係者)


 芸能界復帰と再婚──。木下が描いた青写真はその後、音を立てて崩れていく。

「Aさんとの関係にも亀裂が入ったそうです。結婚するには不倫関係が表沙汰にならないことが絶対条件だった。一部にはカリスマ的な人気を誇るAさんの今後の活動にも支障が出かねません。周囲の説得もあったのでしょう、Aさんの心は離れていったようです」(別の芸能関係者)


 献身的に元妻を支えてきたフジモンはというと、

「お金のことはオレがなんとかする。子供のことだけを考えてほしい」

 と説得するも、無念。木下の再婚の意思を知って意気消沈していたという。

※女性セブン2020年7月30日・8月6日号

外部リンク

cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_espswu1usfbw_松井愛莉が映画初主演、公開迎えるまで不安があった espswu1usfbw espswu1usfbw 松井愛莉が映画初主演、公開迎えるまで不安があった oa-newspostseven 0

松井愛莉が映画初主演、公開迎えるまで不安があった

2020年7月16日 16:05 NEWSポストセブン

 映画『癒しのこころみ~自分を好きになる方法~』の公開記念舞台挨拶が開かれ、映画初主演を務めた松井愛莉が出席した。


「公開を迎えられるか不安だったので、こうやってお見せできる場があってうれしいです」と笑顔を見せたが、演じたセラピストという役に関しては「コミュニケーションをとるのが苦手なので私には無理です」とお手上げ!?


 舞台挨拶には八木将康と篠原哲雄監督も登場した。


■撮影/矢口和也

外部リンク

cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_3u0thvrpyqke_阪神ファンの「新しい観戦様式」 つい六甲おろし歌う客も 3u0thvrpyqke 3u0thvrpyqke 阪神ファンの「新しい観戦様式」 つい六甲おろし歌う客も oa-newspostseven 0

阪神ファンの「新しい観戦様式」 つい六甲おろし歌う客も

2020年7月16日 16:05 NEWSポストセブン

 プロ野球は6月19日に無観客試合で開幕したが、7月10日からは5000人を上限とする有観客試合がスタートした。たとえば、阪神の本拠地・甲子園は本来であれば4万7500人を収容できるので、約1割しかチケットが販売されない。かつてない“狭き枠”となるので、チケットは「即完売」かと思いきや、意外とそうでもないという。

「年間予約席契約者および公式ファンクラブ会員への先行発売の後、7月7日から一般ファンに発売された。即完売かと思ったが、観客を入れる初戦の完売が発表されたのは前日9日になってから。プラチナチケットになると期待しとったんやけど、全然そんなことなかったですわ」

 関西のチケットショップの店長はそう話した。球場に足を運ばず、テレビ観戦できる居酒屋で試合を楽しんでいる阪神ファンの声に耳を傾けると、“微妙な心理”が透けて見える。

「1列10席のところを5席くらい間隔を空けて座るんやろ。しかも、内外野ともガラガラやのに上段の席に座らされる。みんなと一緒に騒げないなら、球場に行く意味ないがな。せめて家族とかカップル、友達とは1席空ける程度でよかったんちゃうかな」(50代会社員)

「唾液を空からバラ撒くことになるジェット風船の禁止は理解できるが、声援もダメ、ヤジもダメ、旗も振ったらアカンいうんやろ。六甲おろしも歌ったらアカンらしいがな。球場に行く意味ある? ここ(居酒屋)なら得点が入ったらハイタッチできるし、ビール飲みながらヤジも飛ばせるさかいな」(70代自営業)


 ジェット風船、ヤジ、六甲おろしの合唱……阪神ファンの楽しみは「野球を見るだけ」にとどまらないだけに、球場観戦の楽しみが半減してしまうことを懸念するファンがいるようだ。

 ただ、阪神ファンが集まることで知られる別の居酒屋オーナーに尋ねると、「(店の常連客は)甲子園球場に行ってる人も多い」と話す。「実際に行ってみると、結構楽しいという評判が広がっているみたいですわ」と続けた。


 現場はどうなっているのか。記者も甲子園のチケットを購入して観戦してみた。日曜日(7月12日)の内野席チケットは前日でも手に入れることができた。

 試合開始1時間前の最寄り駅は、例年の阪神戦がある日に比べてやはり各段に人が少ない。入口でアルコール消毒があり、来場者も皆、マスクはしているものの、球場前のショップには今年のグッズを買おうとして大行列だった。売れ筋はジェット風船が描かれたタオルと、タイガースデザインのマスク。


 球場内では観客が点々と座っている。日本野球機構(NPB)のガイドラインでは、大声を出したり、観客同士がハイタッチをしたり、肩を組んで接触したりする行為等を禁じ、応援席は前後左右に一定の間隔を空けるよう定められている。

 ただ、試合開始前は自分の席に座っていたが、試合が始まると移動する人が散見された。阪神の攻撃時には球場が太鼓と笛の応援音声を流し、スコアボードに“応援メガホンでリズムを刻もう”と表示されると、ファンが一斉にメガホンを叩き始める。そのうち、選手名を叫ぶファンも出てくる。

 ビールの売り子は普段通りに樽を担いで客席を回るが、「ビールいかがっすかー」の大声はない。売り子のひとりは「いつもの半数以下ですが、お客さんが少ないので呼ばれたのがすぐわかって効率がいいです」と話していた。“アルコールの摂りすぎに注意しましょう”とアナウンスが流れるが、観客数が少なくて売り子に声をかけやすいためか、ビールやチューハイのピッチは全体的に早そうだ。

 アルコール量が増えるとヤジも増える。14日には甲子園で観客のヤジに球審が注意する一幕もあったが、この日も観客から大きな声が飛んでいた。6回裏に大山(悠輔)がタイムリーを放つと、客席は総立ち。メガホンタッチに混じって、ついつい興奮してハイタッチしてしまうファンの姿もみられた。声援のボリュームも増していく。虎ファンたちの機嫌はかなりいいようだ。


 球場内の売店には飛沫防止シートや除菌スプレー等を設置しているが、こちらは行列もなくスムーズに買える。超満員の時の甲子園の売店の混雑ぶりを知っている者としては、あまりに“快適”で、これが適正人数ではないかと思ってしまうほどだった。6回裏の攻撃が終わるとアルコール類の売り子の姿が一斉に消える。そうなると売店に酒を買いに行く人が急増した。

 この日は9回にスアレスがピンチを招いたが、なんとか切り抜けた。2アウトになって“あと1人”と電光掲示板に出ると、コールが巻き起こる。試合終了と同時に、喜びを抑えられないファン同士でハイタッチやハグする姿も……。


 試合後にヒーローインタビューで大山と岩貞(祐太)が1塁ベンチ前に立つと、客席からファンがネット際に集まり、密集状態に。その後、“合唱しないでください”と掲示されてから六甲おろしが流れたが、慣れ親しんだメロディに歌ってしまうファンたちが。

「これまで外野席でしかみたことがなかったが、内野席も球場全体が見渡せてええもんや」と感想をもらすファンもいた。新しい観戦様式を体験し、普段とは違う角度から野球の魅力に気付いたということらしい。待ちに待った有観客試合で、虎党たちも喜びを抑えきれないようだった。8月1日から収容人員の5割の観客が入ることになる。感染予防の取り組みとファンの喜びを、どうやって両立させていくことになるのか。

外部リンク

cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_tyyij2jkm1dd_政権批判を繰り返す『バイキング』にフジ上層部がテコ入れか tyyij2jkm1dd tyyij2jkm1dd 政権批判を繰り返す『バイキング』にフジ上層部がテコ入れか oa-newspostseven 0

政権批判を繰り返す『バイキング』にフジ上層部がテコ入れか

2020年7月16日 07:05 NEWSポストセブン

『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)が秋の改編で打ち切られるという報道が、さまざまな憶測を呼んでいる。

「『グッディ』は最近では、視聴率でライバルの『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)を上回ることもあるくらい好調でした。先日まで局内で出回っていた改編予定のリストに『グッディ』はなかった。突然の決定だったようです」(フジテレビ関係者)

 では、なぜ打ち切りの憂き目にあったのか。「実は『グッディ』ではなく、『バイキング』(フジテレビ系)の方に問題があったんです」とは、制作会社関係者。

「局内では、今回の打ち切りは“玉突き事故”といわれています。『バイキング』MCの坂上忍さん(53才)に対する、フジテレビ上層部からの最後通告の意味合いがあるのです」



『バイキング』は視聴率も盤石、『グッディ』の打ち切りを受け、10月から放送時間が1時間拡大される。社内評価も高そうだが、実情は違うようだ。

「ここ数年、放送内容に対してフジテレビ上層部から物言いがつけられているんです。フジサンケイグループの方向性としては保守的で政権寄りのスタンスを取ることが多い。しかし、『バイキング』は積極的に政権批判を繰り返してきた。これに対し、『バラエティー番組が政権批判とは何事だ!』『一方的かつ行きすぎている』と、局内で批判が集中していました」(前出・フジテレビ関係者)

『バイキング』は『笑っていいとも!』の終了後に始まった名残で、バラエティー班が制作を担当しているが、坂上の意向で、最近は政治や芸能など時事ネタを扱うトーク番組になっている。

「ゲスト、扱う内容、方向性を決めるのは坂上さん。その結果、局内に広がる批判の声をはねのけて、政権批判的な内容が目立っていったのです」(前出・フジテレビ関係者)


 確かに、番組での坂上の発言には過激なものが多い。新型コロナウイルスの感染拡大を抑止したことが政府の功績になる可能性について、「それだけは絶対に許さない」と怒りを表し(5月12日)、黒川弘務前東京高検検事長の定年問題を巡る内閣の動きに「こういう茶番劇、もう飽きたわ」と愛想を尽かす(5月22日)。黒川前検事長の賭けマージャンが訓告処分で済まされたことには「安倍政権に集中している権力のすごさを見せ付けられている気がして、怖い気がしちゃうんですよ」と語っていた(5月28日)。こういった坂上の発言は枚挙にいとまがない。

 フジテレビとしては、奔放な発言を繰り返す坂上を番組から降ろすか、坂上はそのままに報道スタンスを是正していくか、議論がなされた。

「結局、坂上さんを残し、報道スタンスを変えていくことになりました。具体的には、バラエティー班には番組を作らせず、『グッディ!』を制作している情報制作局に移管することになったのです。視聴率男の恩恵にあずかりながらも、勝手はさせない、という狙いでしょう」(前出・制作会社関係者)

 この判断によって、『グッディ!』が打ち切りになり、安藤優子キャスター(61才)が“玉突き”で降板になったわけだ。

※女性セブン2020年7月30日・8月6日号

外部リンク

cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_cc3cgsnzazle_朝ドラ『エール』放送再開に備えて「これまでのおさらい」 cc3cgsnzazle cc3cgsnzazle 朝ドラ『エール』放送再開に備えて「これまでのおさらい」 oa-newspostseven 0

朝ドラ『エール』放送再開に備えて「これまでのおさらい」

2020年7月16日 07:05 NEWSポストセブン

 新型コロナウイルスの影響を受けて放送が一時休止となっている連続テレビ小説『エール』。裕一や音に再び会える日に備えて、3月30日の第1回から6月26日の第65回までの内容をおさらいします!

【第1週 初めてのエール】


 福島の老舗呉服屋の長男・古山裕一(窪田正孝)は、運動音痴で内気な少年。10才のとき、担任の藤堂先生(森山直太朗)から「人よりほんの少し努力するのがつらくなくて、ほんの少し簡単にできることが、得意なものだ」と言われ、自分にとってのそれは音楽、曲を作ることだと気づく。

 同じ頃、母と訪れた同県川俣町の教会で、聖歌を歌う少女を見かけるが、それが8才の関内音(二階堂ふみ)だということは、まだ知る由もない。


【第2週 運命のかぐや姫】


 愛知県豊橋市で生まれ育った音は11才になり、学芸会の『竹取物語』で主役を逃して落ち込んでいたが、教会でオペラ歌手の双浦環(柴咲コウ)の歌声を聴いて感動し、歌を習いたいと思う。そんなとき、父・安隆(光石研)が電車にはねられて他界。傷心のなか迎えた学芸会本番で、急きょかぐや姫役を演じることになった音はラストで歌を熱唱し「絶対に歌手になるから見守っていて」と父に誓う。

【第3週 いばらの道】


 17才になった裕一は商業学校に通いながら独学で作曲の勉強をしていたが、実家の呉服屋・喜多一のため、資産家の伯父・茂兵衛(風間杜夫)の養子になることに。

 学校卒業と同時に、茂兵衛が経営する銀行で住み込みで働くことになった裕一は小学校の同級生・鉄男(中村蒼)と再会。文学好きのガキ大将だった彼はいまも詩を書き続けているという。

 ダンスホールの踊り子・志津に恋をするが、失恋。


【第4週 君はるか】


 1年後、裕一は鉄男からすすめられて応募した国際作曲コンクールで二等を受賞し、留学の権利を得る。新聞でその記事を読んだ音が送ったファンレターをきっかけに、ふたりは文通で心を通わせる。

 茂兵衛は留学に大反対するが、突然認めると言い出す。喜んだ裕一は音に手紙でそのことを知らせるが、以来返事が途絶えてしまう。そしてやっと来た手紙には「自分のことは忘れてほしい」と記してあった。

【第5週 愛の狂騒曲】


 音の手紙を読んだ裕一は、居ても立ってもいられず豊橋へ。音の母・光子(薬師丸ひろ子)は「これ以上深入りしてはいけない」と戒めるが、裕一と会えてうれしい音は豊橋見物やお祭りのデートを重ねる。

 一方、福島では裕一がいなくなって騒動が起きていた。父・三郎(唐沢寿明)はふたりを別れさせるため豊橋へ来るが、裕一は音に突然のプロポーズ。三郎は結婚を認め「オレに任せとけ」と一足先に福島に戻る。

【第6週 ふたりの決意】


 しかし、福島へ帰った裕一を待っていたのは、家族の大反対。結婚と留学のどちらも取ることはできないと思った裕一は音に別れの手紙を書くが、世界的な不況のため留学は取消しになってしまう。

 音は裕一に音楽を続けさせるために奔走し、コロンブスレコードの専属契約を取り付ける。悩んだ末、裕一は家出同然で音がいる東京へと旅立つ。

【第7週 夢の新婚生活】


 東京で新婚生活をスタートしたふたりは、喫茶店バンブーの裏に新居を構える。裕一はコロンブスレコード専属の作曲家となるが、一向に曲が採用されない。同期の木枯正人(野田洋次郎)に先を越され焦りを感じるが、自分が入社できたのは憧れの作曲家・小山田耕三(志村けん)の後押しがあったからだと知り、奮起する。

 東京帝国音楽学校に入学した音は、“プリンス”と呼ばれる3年生に出会う。なんと彼は裕一の同級生、佐藤久志(山崎育三郎)。学校の記念公演『椿姫』の主役選考会に応募した音は、無事に一次審査を通過する。


【第8週 紺碧の空】


 相変わらず曲が採用されない裕一の元ヘ、早稲田大学の応援部団員がやって来て、早慶戦で勝つために新しい応援歌を作曲してほしいと頼むが、なかなか曲が書けない。そこへやって来た応援団長から「けがをして野球ができなくなった親友を勇気づけたい」という話を聞いた裕一は一気に『紺碧の空』を書き上げ、早稲田大学を勝利に導く。


【第9週 東京恋物語】


『椿姫』の最終選考に残った音は、オペラ歌手の環から「あなたの歌からはなにも伝わってこない」と言われ、男女の機微を学ぼうと、1週間だけカフェーの女給に。女給仲間の希穂子(入山法子)が鉄男の元恋人だとわかる。鉄男と希穂子は結ばれず再び別れることになるが、ふたりの切ない恋を近くで見ていた音は選考会で気持ちを込めて歌うことができ、見事主役の座を射止める。そしてまた、裕一も鉄男が詞を書いた『福島行進曲』のレコード化が決まり、作曲家としてデビューすることになる。

【第10週 響きあう夢】


 しかし『福島行進曲』はヒットしなかった。次に書いた『船頭可愛いや』も売れず、契約終了の危機に。しかし曲を聴いた環が「私が歌ってもいいかしら」と言い出し、こちらは大ヒット。

 そんな中、公演を控えた音が妊娠していることがわかる。つわりで体調を崩して歌えなくなった音に裕一は「君がもう一度夢に向き合える日まで、その夢をぼくにあずけてくれないか」と言い、音は『椿姫』を降板して退学。半年後に、長女・華(田中乃愛)が誕生する。


【第11週 家族のうた】


 小学校の恩師・藤堂先生からの依頼で福島の小学校の校歌を作曲した裕一は、完成披露会への招待を受ける。家出同然で飛び出して以来帰っていない福島へ家族で帰省すると、喜多一は前年に店を閉め、弟・浩二(佐久本宝)は役場に勤めていた。さらには父・三郎が胃がんに侵されて余命わずかだという…。家族に見守られ、三郎は安らかに息を引き取る。

【第12週 アナザーストーリー】


 オムニバス形式の3本立て。あの世でのクジに当選し、10年ぶりに現世へ戻って来た音の父・安隆は、家族と幽霊としてだが再会を果たす。喫茶『バンブー』の店主夫婦のなれそめを伝える物語では、子供時代の久志がキューピッドだったことがわかる。最後は、若き日の環の恋物語。画家と恋に落ちた環は『蝶々夫人』のヒロインを選び、恋人と別離する。

【第13週 スター発掘オーディション!】


 コロンブスレコードで新人歌手のオーディションを行うことになる。合格者のデビュー曲は裕一が担当することが決まり、久志と、ミュージックティーチャー御手洗(古川雄大)も応募。共に最終選考に残るが、合格したのは帝都ラジオ会長の息子・寅田熊次郎(坪根悠仁)。しかし廿日市の提案で久志は研究生として採用され、裕一が寅田のデビュー曲を書き上げたとき、青年が古山家を訪ねてくる。


【これからの『エール』】


 田ノ上五郎(岡部大)が住み込みの弟子になった古山家に、豊橋から梅がやって来る。文芸誌の新人賞をとった梅は古山家で2作目の執筆をしたいと言うのだが、年頃の男女が同居することになり、裕一と音は気を使うことも多いが…。


※女性セブン2020年7月30日・8月6日号

外部リンク

cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_tx078z2n9may_福岡柳川名物 伝統の鰻のせいろ蒸しが味わえる老舗 tx078z2n9may tx078z2n9may 福岡柳川名物 伝統の鰻のせいろ蒸しが味わえる老舗 oa-newspostseven 0

福岡柳川名物 伝統の鰻のせいろ蒸しが味わえる老舗

2020年7月16日 07:05 NEWSポストセブン

 福岡県南部に位置する柳川市は、掘割が縦横に巡り、どんこ舟の川下り観光で知られる水郷の城下町。福岡市の中心・天神から電車で約50分、西鉄柳川駅で降りると、涼感を呼ぶ水と柳が出迎えてくれる。


 柳川は、固有の魚介類が豊富な有明海の漁師町でもある。かつて鰻がよく獲れたことから、今も変わらず食べ継がれているのが、鰻のせいろ蒸しだ。一度蒸すと冷めにくいので、漁の合間などにも好んで食べられていたらしい。

 日吉神社に隣接する柳城児童公園内の水辺の散歩道には鰻の供養碑が立ち、毎年7月中旬には鰻の供養祭も行なわれている。この地でいかに鰻が愛され、大事にされているかがよくわかる。

 鰻料理店の老舗「若松屋」は安政年間の創業以来、掘割沿いに店を構える。


 蒲焼や素焼も出すが、人気が断然高いのはせいろ蒸しだという。


 使う鰻は、鹿児島県産と宮崎県産。まず、鰻は背開きにして、串打ちせず、炭火で焼いて蒲焼にする。ご飯はギリギリまで少ない水加減で固めに炊き、タレをしっかり混ぜ込む。このあと蒸すので、ご飯は固めでないと蒸し上がりの食感が悪くなるそうだ。これに蒲焼と錦糸卵をのせて数分蒸す。


 朱色のふたを開けると、フワーッとなんとも美味しそうな湯気が立つ。箸を入れると、鰻もご飯もふっくら柔らかく、予想以上に熱々だ。ハフハフしながら頬張った鰻は、タレのやさしい甘味でしっかり美味しく、ご飯にまで鰻の豊かな風味が移っている。蒸しているからこそ味わえる蒲焼と米の一体感。これぞ、伝統の鰻のせいろ蒸しの醍醐味だ。


 鰻を堪能したら、店からすぐの「北原白秋記念館」へ。柳川生まれの詩人・白秋の足跡に触れ、詩情豊かな故郷への生涯にわたる思慕を知ることができる。


●若松屋 福岡県柳川市沖端町26

【営業時間】11時~20時(L.O.19時15分)
【定休日】水・第3火(祝日の場合は営業)
上鰻せいろ蒸し会席 4960円。肝吸い、漬物、うざく、鰻巻が付く

◆撮影/松隈直樹、取材・文/牛島千絵美

※週刊ポスト2020年7月24日号

外部リンク

cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_p69s5ygt30hn_大田区女児放置死事件、逮捕母の養護施設時代と事件後の行動 p69s5ygt30hn p69s5ygt30hn 大田区女児放置死事件、逮捕母の養護施設時代と事件後の行動 oa-newspostseven 0

大田区女児放置死事件、逮捕母の養護施設時代と事件後の行動

2020年7月16日 07:05 NEWSポストセブン

「死ぬとは思わなかった」。母親は、警察の取り調べに対し、そう口にしたという。

 6月13日、東京・大田区蒲田のマンションの一室で、たったひとりで息絶えた幼い女の子が発見された。警視庁は7月7日、娘の稀華ちゃん(のあ・3才)を置き去りにして死亡させたとして、母親の梯沙希容疑者(かけはし・さき・24才)を保護責任者遺棄致死の容疑で逮捕。梯容疑者は、8日もの間、稀華ちゃんをひとり自宅に閉じこめて、鹿児島まで交際男性に会いに行っていた。出発時、帰りの便は予約していなかったという。

「梯容疑者は『パンやお菓子、お茶などを置いていた』と話しています。発見時には死後2~3日が経過しており、胃の中は空っぽ。部屋にはゴミが散乱していました」(捜査関係者)

“放置”という虐待行為によって、わが子を死に追いやった梯容疑者。実は、彼女自身も、両親に虐待され、宮崎県内の児童養護施設で育った過去を持つ。当時の様子について、同じ施設で生活していた女性は次のように語る。

「沙希が入所してきたのは小学生のときです。かなり我が強く、女の子の間では好かれていませんでした。煙たがられていることに気づかず、なれなれしい口調で話しかけてしまうような鈍さがあったと思います。

 沙希には、思い通りにならないと驚くほど態度が変わる一面がありました。施設内の百人一首大会では、札が取れないとイライラし、球技大会では張り切って練習していたのに、チーム分けに不満があると途端にやる気をなくしていました」

 梯容疑者は、高校卒業後、上京し就職。稀華ちゃんを出産後に結婚し、すぐに離婚した。その後は、居酒屋で働きながら稀華ちゃんと2人で暮らしてきた。

「外出時に稀華ちゃんを放置することは常態化していた可能性があります。また、梯容疑者は事件の1か月ほど前にも鹿児島の“彼”に会いに行くため、3日間稀華ちゃんを放置して出かけていました。それが『これぐらいなら大丈夫』という“成功体験”になってしまったのかもしれません。

 さらに、梯容疑者は稀華ちゃんを発見してから通報までの間に、交際男性とのLINEを削除、オムツを新しいものに取り替えるなど、隠蔽工作をしていました。稀華ちゃんのお尻は、オムツかぶれで異常なほどただれ、真っ赤に腫れ上がっていました」(前出・捜査関係者)


 梯容疑者の知人は、彼女に子供がいることを知らなかったという。梯容疑者が通っていたバーの店員が証言する。

「フレンドリーでノリのよい若い女性という印象。子供がいること自体、誰も知らなかったと思います。ただ、どれだけ盛り上がっていても、必ず終電で帰っていました」

 彼女のインスタグラムには、表参道でのカフェ巡り、ディズニーランド、夜遊びなど友人らと楽しむ様子がアップされていた。しかし、そこに稀華ちゃんの姿はない。

 自宅近くのコンビニには、梯容疑者と稀華ちゃんがよく2人で来ていたという。

「お母さんは、女の子を『のんたん』って呼んでいて、仲のいい親子に見えました。かわいらしい女の子でしたが、3才だったとは。小さくてガリガリにやせていたし、オムツも取れていなかったから、もっと幼いと思っていました」(コンビニの店員)

 このコンビニには、事件後に梯容疑者が来店していた。

「『のんたんは?』って聞いたら、『いま、パパが見てるの』って。いま思えば、そのときにはもう亡くなっていたのよね。ひとりのときは毎回そう言っていたので、旦那さんがいるものだと…」(前出・コンビニの店員)

 稀華ちゃんは、そんな母の帰りを待ちながら息絶えた。あまりに身勝手な理由でわが子の命を奪った罪は重い。

※女性セブン2020年7月30日・8月6日号

外部リンク

cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_sk8w5lj98inn_生島ヒロシ氏「コロナは本当に大事な付き合いを考える好機」 sk8w5lj98inn sk8w5lj98inn 生島ヒロシ氏「コロナは本当に大事な付き合いを考える好機」 oa-newspostseven 0

生島ヒロシ氏「コロナは本当に大事な付き合いを考える好機」

2020年7月16日 07:05 NEWSポストセブン

 新型コロナは、これまでの生活を一変させた。制限だらけの生活に、息苦しさを感じる人は多いだろうが、少し視点を変えれば、これは今までの煩わしい人間関係をリセットするチャンスとなり得る。

 地域の寄り合いや町内会の会合などがコロナ禍で中止となったことをきっかけに、義理で続けてきたご近所付き合いを見直す人も増えている。

 都内在住のAさん(78)は、長年にわたって町内会で中心的な役割を担ってきたが、この春からは年齢を理由に役員を退いた。

「“困った時に頼りになるのはご近所”と信じて頑張ってきたが、祭りや防災活動の世話など、老身には負担が大きくなりすぎた。

“持病もあるし、高齢者は感染リスクも高いので多くの人との無用な接触は避けたいので辞めたい”と言うと、他の役員たちも理解してくれました。町内会を抜けてもご近所付き合いは続くのでためらいがあったけど、コロナが背中を押してくれた。こんな事態でなければ、すんなりとはいかなかったでしょう」


◆「虚礼」をやめた


 義理で長年続けているものといえば、お中元やお歳暮が代表的だが、こちらもコロナを機に取りやめる人が続出しているようだ。フリーアナウンサーの生島ヒロシ氏(69)がこう語る。

「私はまだ現役でアナウンサー業や会社のプロデュース業をやっているので、お中元・お歳暮などは続けています。ただ、相手方はそうとは限りません。

 企業の役員などこれまでお付き合いのあった年上の方々から“虚礼廃止”のお知らせが来ることが増えています。

 今年は王貞治さん(80・福岡ソフトバンクホークス会長)から、“傘寿を機にお中元やお歳暮、年賀状などを遠慮したい”というご主旨のお手紙をいただきました。コロナと関係があるかどうかは存じ上げませんが、この状況が多くの人にとって“不要な付き合い”と“本当に大事な付き合い”を考えるいい機会になっているのだと感じましたね」

※週刊ポスト2020年7月24日号

外部リンク