日本統治下朝鮮から「内地密航」した人々は戦後何をしたか

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  • 1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月、連合国最高司令官の指令により、北朝鮮引き揚げ計画が立てられ、約1万人が申し込んだが、実際に北朝鮮へ帰還した人は350人にすぎなかった。
  • こうして韓国や北朝鮮へ帰国せず、自からの意思で日本に残った人の大部分は、早くから来日して生活基盤を築いていた人々だ。つまり成功者である。戦時中に渡来した労務員や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残ったものは極めて少数派だった。


    ちなみに終戦後の1947年に密航船で入国した『ソフトバンク』孫正義氏の祖父や父の孫一族や、パチンコ最大手『マルハン』の韓昌祐会長は、「韓国にいても稼げないので密航した」と2005年のテレビ番組で発言しているし、作家のキム・ギルホ氏は「1973年、食べていくために日本行きの密航船に乗った」と証言している。


    1970年代に入ってキム氏のような才能のある人さえ「食えなかった」のは“日帝支配”の責任というのだろうか?


     


    【画像】


    (C)Paramate Kaenput / Shutterstock

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    2017年5月18日の社会記事

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