議題がまさに安楽死ですね。自分も尊厳死士とか、安楽死士とかができると思い、それを希望はしていたが制度としてできません。
点滴は不自然と思います。LINE取れない高齢者たくさんいます。その処置で私は帰れず、天涯孤独に近いですあ。治療としては点滴ありき(、治療の必要がおるのか)、家族がそこまで親の死の責任を負い取りたがらないですね。
医療や介護。看護全て思いますが、欠片ほどの生産性かあるのか。
みんなの介護を見て居る時、90過ぎた老人に、ペースメーカー入れて合併症起こしたら3000万の医療費が飛ぶとありました。
どの程度からはわかりませんが、若い医療者が病院にまったく行けないのに、、年寄りは輸血や移植を受けてる現状は、酷く不健全だと思おますよね、
何か連騰住みません。医療・介護は職の無い人の
セーフティネットになりつつありますが、
としよりに?大金つぎこんてか、介助者は薄給長時間労働と言うのは。誰も得してないですよね。
何か連投すみません。国滅ぼす高齢者の程の医療・介護に大金ぶち込んで、わかい人は年金も貰えないという異常性は変わって欲しいですね
麻薬なりミダゾラムなりをショットして死に導くというのが、現実的ですよね。補液でミイラ化させるよりも、本人も周辺も苦痛がないでしょうし。
まあ、倫理委員会だのが出張ってくるようなそれなりに規模の大きな施設だと、内部通報などがあって対応が難しいでしょうか。
私の義母は鎮静死でしたが、実質安楽死だったと思っています。
義母は癌骨転移で末期と言われた時から義父の希望で在宅に戻りました。
日中の見守り、食事介助は義父担当。
夜間及び他のもろもろのケア、処置は私+訪看+訪介で。
在宅になってから2週間程で食事もほとんど摂れない状態になり義父の希望で末梢輸液開始。
内服もできない為、その状態になって割とすぐに癌性疼痛増強。
貼付薬もほとんど効果無し。
即、モルヒネ持続点滴開始となりました。
それでも疼痛が強い時はボタンを押してワンショット、ということで。
モルヒネにより義母は傾眠状態となった為、ワンショットのタイミングは義父に委ねられました。
担当医師は痛がったらすぐにしてあげて下さいと。
義父は真面目に医師から渡された表にショットした時刻を記入していました。
最初は1時間に1回程度だったのが、義母がわずかでも呻いたり眉間に皺が寄ったりしたらショットするようになり20分間隔とか10分間隔に。
呼吸抑制がきて義母は眠りながら静かに逝きました。
経口摂取不可となり癌性疼痛増強して後、数日で安らかに逝けました。
家族で在宅だからできたことですが、いい看取りができたと思っています。
在宅で看た期間は3週間程。
義父はモルヒネの短時間間隔でのワンショットが呼吸抑制につながったことは今でも知りません。
癌だけど死に顔は安らかだったと死を受け入れています。
<いよいよ死ぬだろうという所見>
下顎呼吸(回復することもある)
血圧、SpO2測定不可
排尿12時間以上無し
回復しない四肢末梢の濃いチアノーゼ
肛門弛緩
死(が近い)臭
こういった所見があったら取り敢えず引き潮時刻は一応確認しておきます。目安程度にはなるので。
<家族に予告する時期>
・肺炎とか心疾患とか状態悪化があれば急変の可能性ありと説明し、看取りにするのか積極的治療をするのか確認。
・食事摂取量が通常の1/2以下の状態が続いている、もしくは摂取できなくなった時。この時も急変の可能性説明と今後の方針を確認。
>・無呼吸がちらちら。
<家族を呼ぶ時期>
>・尿量が減る。さすがに24時間で100mlとかになると
>・肛門が開く。便が出っぱなし。
・手足冷たく回復しない濃いチアノーゼ
・急に全身浮腫が強くなった
・ラインがとれない(あらかじめこうなる可能性も説明しておき、そうなったら電話連絡のみ)
・下顎呼吸
・SpO2測れない(家族が来てくれるところはここまでになるまでに来てくれる、かな)
介護的延命
●あきらめない食事介助
・食事形態ダウンや食事中止は介護的には大きなマイナスと考える職員。
ムセがひどいと言っているのにトロミ無しのお茶や常食にこだわり肺炎へ。
・飢えさせたくない、最期まで食べさせることこそ親孝行と考える家族。
看護職員からリスクが高すぎる、食事中止を勧めるのに同意しない家族。(医師は少しでも食べれるし、家族の意向が無いんじゃ中止指示は出せないと)
咀嚼もできず、自力で喉の奥に送ることもできない為、リクライニング車椅子で斜めの角度にし、ペースト食を流し入れる状態。
当然誤嚥し、数口入れては吸引。この状態を家族に見せても食事継続させてくれと言う。
輸液も行っていた為、意識が無くなるまで食事+吸引という虐待が看護師の手で毎日、三度々々繰り返された。
医療的延命
●経口摂取に戻る見込みもADL改善の見込みも無く、本人の意思も無い経管栄養
バランスのとれた栄養剤が注入される為、見た目的には血色も肌ツヤも年相応くらいには良く見える。
家族はそれを見て元気元気と満足。
中途半端に手が動くと栄養チューブを自己抜去してしまうのでミトン手袋で抑制される。
上肢全体が拘縮し、手が栄養チューブに絶対に届かなくなるまでミトン手袋を完全に外されることは無い。
ただし、抑制中止に向けて努力してますよ、というポーズは必要である為、上肢の拘縮がある程度進み、職員監視下で可能であれば1~2時間ミトン手袋をはずすことはある。
上肢だけでなく全身の拘縮は進行していくのみ。
自己排痰機能が落ちてくると苦しい吸引も必要になってくる。
経鼻だとさぞかし鬱陶しいだろうし、胃瘻でも異物感はあるのか触ってしまう方がほとんどです。
胃瘻は老衰により皮膚が弛んでくるとPEGを入れていても消化液が漏れてくる場合もありました。胃瘻周囲の爛れが常態化してしまいます。
●老化からくる疾患治療の弊害
・肺炎治療:既に嚥下機能が落ちている状態で治療して肺炎のみ治癒しても誤嚥はおこる。
身体の衰弱が進むのみで治療の意義に疑問あり。
・心不全治療:老化で心機能が弱っていくのは当然。
治療によりADLが改善されるなら意義もあるが、認知的にも肉体的にも自発性がほとんど無い状態で治療をする意義は?
認知症により徘徊や介護抵抗・暴力行為があった方が心肥大により浮腫増強し衰弱、体動も少なくなった。
が、利尿剤投与で浮腫がいくらか軽減+尿意↑↑で不穏が強くなり日常生活において転倒・転落リスクUPという例もあります。
●電解質輸液のみの弊害
>>[6] でも書いたことに加え、悲惨だった症例を。
・末梢動脈疾患で足部潰瘍が広範囲に壊死。家族はかわいそうだからと切断手術は拒否。
老衰もあり体力低下が進み食事が摂れなくなったら家族はやはり輸液を希望。
約3ヶ月、皮膚が削げ落ち骨が見えても死ぬまで毎日の洗浄処置に苦痛に呻く日々が続きました。
・上記に書いた吸引が必要でも食事を入れられた方。
輸液のみになっても約3ヶ月。毎日頻回な吸引が必要でした。
下顎呼吸になってからは2週間。
家族は待ち疲れて、最期は息が止まったら呼んでくれ、となりました。
・上でも書いた家族の待ち疲れ
輸液無しなら数日の勝負。
輸液をしていると長丁場になり全身常態に波があります。
肩呼吸になった、無呼吸あり、SpO2低下、下顎呼吸きた、となっても持ち直して、また低下して持ち直してを繰り返すことはしょっちゅうです。
ドラマのように最期の言葉の後すぐにコトンと逝く場面など見たことがありません。
家族によってはいつその時が来てもいいように、と家業をいろいろと忙しくやり繰りしたり、眠りが浅くなったりと見る度にやつれていく方もいます。
最期を看取りたいと思っていた方でも疲れ果てて「息が止まってからでいい」となる場合も多々あります。
生命体としての限界を超えて無理やり生かされるシーンを我々は見ているわけです。
たとえ、家族の強い要望等はいっても気持ちの良いものではありません。
この辺りを世に問うのがありだと思います。
> 身体がもう「終わりだ、食えねーよ~」って言ってる状態で輸液をするとどうなるか。
>・余分な水分を入れられることで痰が増える。
>・身体が浮腫み、ただでさえ脆弱な皮膚がさらに脆弱になる。わずかな刺激で皮膚が破れる。
> 褥瘡だってできやすい。壊死していくばかり。
>・代謝だけは進み、生きたミイラのようになるまで痩せていく
ほかに「延命」の弊害と思しき所見があったら教えてください。
現場で活躍する皆さんが痛烈に感じているところがあると思います。
現場で取材して写真を撮ってブログに載せたいのですが、
なかなか倫理的にも厳しいのでリアルな漫画が限度かなぁ。
ちなみに、いよいよ死ぬだろうという所見も募集中です。
<家族に予告する時期>
・尿量が減る。さすがに24時間で100mlとかになると
・無呼吸がちらちら。
・肛門が開く。便が出っぱなし。
・手足冷たい
・浮腫っている
・ラインがとれない
<家族に連絡する時期>
DNARの人だと死んでから連絡しろと言われることもありますが。
・SpO2測れない
・モニターで心拍数が30と40とか
私は広範囲に言えば介護も延命処置だと思っています。
要介護の状態になって以後の苦痛緩和を除く様々な医療行為も延命処置です。
動物は自力で動けなくなった時が命の終わりなので。
人間は社会的動物なので相互扶助というシステムを作ってきましたが、世間からの非難を恐れるあまり行き過ぎた扶助により現役世代の首を絞めています。
意思疎通不可、自発的体動ほとんど無し、全身拘縮でどんなにポジショニングしても褥瘡予防が困難。
重度認知症で自分の安全確保もできない。意思疎通できず介護に対しては全力で抵抗や暴力。
この人はこんな状態になってまで生き続けたかったのかな?
なんの為に生かし続けるんだろうとその疑念が常にあります。
日本で尊厳死が困難な要因として
・全ての国民へのセーフティネットとしての医療・介護があることで「死にゆく過程」を間近で見たり触れたりする機会が家庭から切り離されたことによる「死に対する無知」
国民皆保険、介護保険は素晴らしい制度であり必要ではありますが、自然な死への過程にまで治療を行うことには制限を設けた方がいいと思っています。
・「死に対する無知」ゆえに死への過程での衰弱を全て疾患扱いし、治療する。治療の先に治癒や軽快を望むから死や衰弱をリスクとして扱う。
よって、リスクは回避しなければと必死になってしまう。
こういったことがあると思われます。
死に際してゴタゴタしないように終活を、といろいろ特集が組まれますが、財産処理や行政システムのことばかり。
生物らしく枯死するには、とか、どうしたら安らかに逝けるか、とか、安楽死の方法は等を大体的に特集し衰弱や死の教育を広げていく必要があると思います。
私は自らの尊厳死宣言書にこう記しています。
なんらかの疾患を発症し、治療によって自活の状態に戻らないのであれば苦痛緩和以外の処置は拒否します。
要介護の状態となっても私が正常な思考で起き上がりたい、食べたいと言わない限り寝かせておいて欲しい。
認知症を発症し、不潔行為や暴力行為が出るなら動けなくなるレベルに鎮静させて欲しい。
その時点で安楽死制度があれば実行して欲しい。
私は療養型病棟と訪看(ほぼ老人のみ)と老健での経験がほとんどなので難治性疾患の若い人達の延命事情は知識としては知っていても看た経験は少ないです。
その経験から、
・「死の権利」が無いゆえに「死の責任」をたらい回しにされ、その責任が宙ぶらりんになり中途半端に「生かされている」人が現在進行形で造られ続けている。
これが日本の現状だと思っています。
「生かされている」と言うよりも「生殺し」と言った方がいいような状態の人も多いです。
本人の意思確認もできず経口摂取もできない状態になる。
さぁ、今後をどうするか。
延命の悲惨さや尊厳死という概念だけは雰囲気として広まっているので
「延命処置は無しでいいです。苦しまないようにしてやって下さい」
こういった方針を示す家族は多いです。
延命無しと言いながらなぜ輸液をするのか。矛盾を感じないのか。
これも「点滴信仰」とも言える日本の医療への依存があると思います。
点滴は身体への侵襲も少ない治療、医師が勧めるんだから良いものだろう、と。
そして医師も家族も「何もしなかった」と言われたくない。点滴くらいはしたらいいという自己満足に基づいた「死の責任回避」という心理が働いているように見受けられます。
ただし、延命処置を具体的に示しておかないと生殺しコースに乗せられてしまいます。
私が勤めていた施設で延命処置無しというと、「経管栄養・人工呼吸・人工呼吸器装着・心臓マッサージはしない」ということにされてしまいます。
一般的にもこれらの処置を延命処置だと思っている人が大半のように見受けられます。
延命無しという方針を決めて、「後は施設でできることをしてもらえればいい、お任せします」という家族。
「延命処置はしませんが、施設でできること(水分・電解質輸液、抗生剤投与等の治療、酸素吸入)はさせていただきます」という医師の言葉を鵜呑み承諾する家族。
この展開からは血管確保できる限りは輸液でもたせるということになります。
身体がもう「終わりだ、食えねーよ~」って言ってる状態で輸液をするとどうなるか。
・余分な水分を入れられることで痰が増える。自己排痰できないから吸引をする。これは非情で苦しい処置です。
・身体が浮腫み、ただでさえ脆弱な皮膚がさらに脆弱になる。わずかな刺激で皮膚が破れる。
褥瘡だってできやすい。褥瘡ができても栄養補給が無い為、壊死していくばかり。
毎日の洗浄処置で苦痛を与えてしまう。
・水分は補給されて代謝は続く。その代謝エネルギーで残った細胞を消費していくため生きたミイラのようになるまで痩せていくこともある。
苦しみ与えすぎ。
延命無しと言いながらなぜ輸液をするのか。矛盾を感じないのか。
これも「点滴信仰」とも言える日本の医療への依存があると思います。
点滴は身体への侵襲も少ない治療、医師が勧めるんだから良いものだろう、と。
そして医師も家族も「何もしなかった」と言われたくない。点滴くらいはしたらいいという自己満足に基づいた「死の責任回避」という心理が働いているように見受けられます。
輸液で絞るのは、いまの世間様とのギリギリの妥協点だと思われます。「何か手を尽くした上に、尊厳を無駄にしなかった」、と看護側も家族も感じられるギリギリのラインが、段階に合わせて減量する輸液なのだと感じます(現時点では)。
これを円満にやると、実際は儲けは出ません。見守る傾聴代で残業が大量に発生します。家族は何か精一杯やった感じ欲しい人も(富裕層では)いますね。
胃瘻、気切、拘縮、意思疎通不可能が長期に渡ると面会にも来ませんけどね。
家族を見ていると、人間は歳をとると衰えるし死ぬ、という事を知らないんじゃないかという人も少なくないです。また、死期をワザと早めることを容認する家族は、後で何かやらかしてくる輩がいても不思議はない気がします。輸液はいまの限界ギリギリのラインかな、とは思います。施設部門は比較的高級とだったので、延命不要でも輸液だけはという家族が多かったです。胃瘻を嫌がる人は減ったけど。家族の方にも死の受容(後に肯定的に考えられること)は必要でしょう、現時点では
元いた会社は看取り専門の有料老人ホームを始めたけど、宣伝が下手だったのか、厄介な家族のいる患者の吹き溜まりになってしまいました。尊厳死協力する(延命しない)有料老人ホームを、作るのも手かも知れませんね。
> 前に働いていた訪問診療ステーションの部署の1つが、医師と言うより看護師達の理念からか、延命治療と「自然に亡くなる」事のどちらが良いか、家族に説明する事で、積極的では無いが尊厳死のような事をしていました。この理念だけは良かったです。
>
>
> 高エネルギー輸液→栄養を代謝できない様子がみえたら電解質のみ→浮腫が出たら輸液の量を減らしました。
> 手間はかかると思うし、家族の気持ちの傾聴の時間が長くなるので、残業がヤバかったです、。在宅だからできるんでしょうね。人間惜しまれるうちに無くなるのが幸せだとおもいます。
点滴してる時点で「不自然」なのに、看護師のサガなのか、「お気持ち」だの「寄り添う」だのが始まります。マッチポンプだと知ってか知らずか、介入する気管が延びれば訪問看護ステーショの売上げが増えるからか知りませんが、まったく倫理に反すると私は思いますね。
補液しないで2週間で枯らすか、補液ダバダバで心不全起こして数日で逝かすかがよさそうですが。